4月号 

主宰詠

蛸杉といふ神杉の淑気かな

べた凪の水脈をゆたかに初渡船

乗初の車窓にせまる表富士

敷紙にからつと揚げて霰餅

なぎさへと尻を振りつつ寒鴉

さゆる夜や列車のねむる操車場

風花を連れてくぐるや藍暖簾

豆腐屋の湯気立ちのぼる寒九かな

窯出しに励む夫婦や日脚伸ぶ 

むさし野はくまなく晴れて福詣

 

開扉集 

坂元正一郎 推薦

風呂桶の音のめでたき初湯かな    佐藤啓三

山茶花の散りしくために咲きにけり  松木渓子

幼子と遊具取り合ふ寒雀       大河内基夫

朝闇の底に掛け声寒稽古       内田吉彦

不器用に生きて晩年なまこ食ぶ    野地邦雄

風邪籠り夫婦で分かつ生姜酒     中川文康

初刷の匂ひに覚むる朝かな      野口晃嗣

買初はいつも信濃の娘の町よ     白坂美枝子

あれこれと捨てて迎ゆる年新た    魚谷悦子

初風に鬢付匂ふ小路かな       大西きん一

頬染めて初風の中子等遊ぶ      堤 淳

息災を確かめ合へる賀状かな     久下萬眞郎

おもちや手に歯科より出る子日脚伸ぶ 綾野知子

弓始袂きりりとたすきがけ      金子京子

置き去りの昭和大きな掘ごたつ    小磯世史

初句会何はともあれ顔合はせ     桐山正敏

しんしんと一本立ちに鶴凍てり    廣澤行紀

赤々と炭火に翳す掌         根本光子

風花や大空からの贈り物       清水正信

七種を野に摘む散歩老い二人     春日春子

新調の上着派手目に初句会      河﨑朝子

窓越しの風を聴きゐる炬燵かな    松下弘良

鐘をつく僧大ジャンプ去年今年    井筒 亨

雪晴の金剛仰ぎ豆腐買ふ       上原 赫

雪晴の大山帯びる鋼色        髙堀煌士

龍雲を金に縁取り初日の出      砥上 剛

風花や鍬置き去りの段畑       栗原 章

日の匂ひ浴びて四温の一人飯     重原智子

山に採る裏白敷きて鏡餅       秦 良彰 

病窓に寒満月の上りくる       宮沢かほる

 

選後一滴    坂元正一郎

風呂桶の音のめでたき初湯かな   佐藤啓三

かつては銭湯では二日が初湯で江戸時代には祝儀を包んで番台に置く習慣があった、と歳時記にある。その銭湯の男湯と女湯は高い天井で繋がっており、風呂桶を床などに置く音が浴室全体に心地よく響くものです。この句の巧みなところは初湯の桶のかろやかな音を「めでたい」と形容したところにあり、銭湯の初湯を連想させる晴れ晴れとした雰囲気の一句です。

 

山茶花の散りしくために咲きにけり 松木渓子 

山茶花は晩秋から初冬にかけて紅色あるいは白色の五弁の花をつける。花弁が地面に散り敷いたさまや、風にはらはらと散っていくさまは風情のあるものです。花期は短いが多花性のため散りながら、いつも咲いているといった感じの花である。そんな山茶花を「散り敷くために咲きにけり」と形容したところが巧みなところでありこの句の妙味でもある。

 

3月号 

主宰詠  

焼芋のできて高鳴るレンジかな

大皿に水夫のかこむ鯨刺し

それぞれに猪鍋にゆる宴かな

ぬくぬくと夕日まみれの浮寝鳥

火の島は雪うつすらと耕二の忌

始発へと駆けこむ子らの耳袋

どの松もきりりと菰の巻かれをり

海光を木々のまにまに枇杷の花

日溜りに猫のまどろむ冬木の芽 

老巧に教へを乞うて注連作る

 

開扉集

坂元正一郎 推薦

着ぶくれの身体廻してふり返る    久下萬眞郎

快癒まで少しと諭す葛湯かな     大西きん一

手甲に手荒れの覗く托鉢僧      中川文康

詰めに詰めいざ天辺に茎の石     野口晃嗣

水鳥の墨絵のやうな朝ぼらけ     金子京子

あつちでも腰伸ばしつつ落葉掃く   綾野知子

意地といふ重しおろしておでん酒   野地邦雄

秩父夜祭兜太の声の太鼓鳴る     佐藤啓三

はらはらと肩に落葉の降りやまず   魚谷悦子

この頃は具沢山なり根深汁      白坂美枝子

風呂吹きや老いには老いの日々新た  髙橋那智子

炉開きやほのぬくき火のなつかしき  堤 淳

吟行や秀句得ずとも冬至粥      内田吉彦

ほつこりと冬至南瓜の煮えにけり   松木渓子

不揃ひの火鉢据ゑたる桟敷席     大河内基夫

剥落の土蔵にかかる寒昴       宮沢かほる

注連飾る洗ひ立てたるトラクター   砥上 剛

冬日恋ひ皇帝ダリア高きかな     秦 良彰

亥の子石音頭取るのは餓鬼大将    藤井英之助

地平より杓立ち上がる冬北斗     廣澤行紀

冬入日樹間抜けきて目を盗らる    春日春子

軍手から小指の覗く焼芋屋      河﨑朝子

白鳥や首長うして仲間待つ      松下弘良

大根の干されし軒の暮れのこる    小磯世史

逃げる柚子ひきよせあそぶ柚子湯かな 井筒 亨

日溜りを我と分け合ふ寒雀      栗原 章

八十爺の何をせずとも年の暮     上原 赫

店奧に昼を灯して牡蠣打女      髙堀煌士

水郷をゆるゆる滑る炬燵舟      清水正信 

紅椿日毎に増えて紅明り       重原智子

 

選後一滴    坂元正一郎

着ぶくれの身体廻してふり返る   久下萬眞郎

着ぶくれは何枚も重ねたり、分厚いものを着たりして体が膨れて見えること。寒さを防ぐためではあるが動作が鈍くなる。掲句の眼目は、この着ぶくれた様子を「身体廻してふり返る」と形容したところ。あの可愛いフクロウが身体を動かさずに首だけを廻して辺りを眺めるのに対して、身体を廻して後ろを振り返るとしたところにこの句の面白さがあり滑稽味ある一句となりました。 

快癒まで少しと諭す葛湯かな    大西きん一 

葛湯は葛粉に砂糖と少量の水を入れ、よく掻き混ぜながら熱湯を加えた飲み物。滋養もあり体が温まることから、昔から子供や老人に愛飲されてきた。掲句の葛湯も風邪で寝込んだ子供にもう少しだから静かにしていようね、などと諭しながら傍らで葛湯を作っているのでしょう。この句の巧みなところは、語らずとも子供への親の愛情を感じさせる心温まる作品です。

 

2月号

主宰詠 

しぐるるや路地に息づく犬矢来

凩や声のとほのく灯油売

セスナ機の発つたんぽぽの帰り咲き

沈む陽をおがむ二人や冬の浜

熊蜂の骸ころがる今朝の冬

一茶忌や汁はうすめの二八蕎麦

境内の鳩ひきつれて七五三

小春日や愛想わらひの似顔絵師

ひつそりと苗代ぐみの咲く夜かな

鳴きもせで沈思にふける冬の鵙

 

開扉集

坂元正一郎 推薦

木枯や村に高齢消防団       佐藤啓三

時雨忌やいぶりがつこに日向燗   大河内基夫

冬枯の庭に一輪冬椿        堤  淳

小春日や青春切符ポシェットに   金子京子

涸滝の背骨のごとく立ちにけり   野地邦雄

風垣にうづもる家並能登外浦    綾野知子

海光を享けて三浦の大根畑     髙橋那智子

さわさわと鳴りだすまでに穭の穂  大西きん一

灯をまとふ東京タワー初しぐれ   野口晃嗣

熊穴に入らずマタギの集まれり   中川文康

小春日や思ひのままに歩を伸ばす  白坂美枝子

長老の夜半の口伝や初時雨     内田吉彦

神渡し稲佐の浜の凪にけり     久下萬眞郎

山合ひの煙ひとすぢ冬夕焼     魚谷悦子

冬の夜黑糸通る針の穴       松木溪子

空風にまづは駆け込む屋台かな   清水正信

今朝冬や遠嶺近づく街の空     砥上 剛

朝露を踏んでリハビリ歩行かな   井筒 亨

マルメロの凡てがいびつ籠の中   松下弘良

深淵に潜む大魚や冬紅葉      栗原 章

生姜湯のぽかぽかとあり志野茶碗  小磯世史

浜千鳥波の間に間に身を隠す    桐山正敏

夫の手の渋まみれなり柿吊るす   河﨑朝子

真つ先に朝日のあたる山紅葉    宮沢かほる

凍雲より一条の日矢座礁船     髙堀煌士

女子高の垣根にぎはふ冬椿     芝田稔子

小鳥来るしつぽの長いあわてんぼ  重原智子

小春日の水場に集く雀どち     根本光子

冬ざれの林を抜けて熊野路へ    上原 赫

エルサレム嘆きの壁の冬銀河    廣澤行紀

 

選後一滴    坂元正一郎

木枯や村に高齢消防団         佐藤啓三

 消防団は消防業務に専念する消防職員に対して、別

の職業などに従事しながら火事などの災害が起こった

時に消火活動に従事する非常勤の人のこと。市町村に

よっては平時には火災予防の啓発活動なども行う。掲

句の妙味は世相を反映したところだけではなく、木枯

に吹かれながら火の用心を呼びかける自分の生まれた

村は自ら守るとする郷土愛の強い高齢消防団を想像さ

せるところにもある。

 

時雨忌やいぶりがつこに日向燗     大河内基夫

 芭蕉の忌日は陰暦十月十二日。この季節に因んで時

雨忌とも呼んでいる。日向燗はお酒に造詣の深い基夫

さんならではの措辞なのでしょう。燗には幾つかあり

ますが、人肌燗よりぬるめの三十度くらいの燗のこと

だそうです。芭蕉のお酒はつつましやかに嗜む程度

だったとされます。素朴な味の燻りがっこを肴の日向  

燗のお酒が時雨忌と響きあった味わい深い一句。

 

2024年1月号

主宰詠

姿見の池をのぞくや秋気澄む

子を背に落栗あさる野猿かな

ミニバスの窓にごつんと榠樝の実

大層な突つかひ棒や柿たわわ

山羊つれて少年帰る刈田道

しなやかに鷺の発ちたる刈田かな

秋風やぴくりと動く驢馬の耳

蓮の実の飛びし花托の孔いくつ

訪ね来て何はさておき走り蕎麦 

すつぽりと網もて鎧ふ稲架かな

 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

小鳥来る焼菓子匂ふ午後三時     大西きん一

雁の棹あちこち折れて渡りけり    中川文康

捨案山子澄みたる空を一人占め    髙橋那智子

だんご屋の庇短し天高し       野口晃嗣

浜縮緬風になびくや文化の日     久下萬眞郎

秋彼岸我より若き仏達        堤 淳

足湯から見ゆる客船秋うらら     金子京子

鍵盤の指美しき冬隣         大河内基夫

五限目の黒板に射す秋日かな     綾野知子

秋うらら話しかけたき石地蔵     佐藤啓三

老いてなほ口は達者に夜なべ妻    野地邦雄

新婚の生活の煙秋麗ら        内田吉彦

一芸に一喜一憂運動会        魚谷悦子

満月のたちまち雲にさらはれて    白坂美枝子

来年の手帳を買うて秋うらら     松木渓子

こつくりに時奪はるる夜なべかな   桐山正敏

夫の手に包み移すや赤とんぼ     宮沢かほる

たをやかな恵那の山容栗きんとん   砥上 剛

秋深しシェフ念入りに窓磨く     芝田稔子

さはやかやシナモン香る朝の卓    河﨑朝子

秋うらら妻は笑みつつ通院路     橋本瑞男

夕されば鹿鳴く弥山原始林      髙堀煌士

萩括る庭師さいごのひと緩め     小磯世史

紅葉初むアルプス白きベレー帽    春日春子

スカイツリー見下ろす下界震災忌   藤井英之助

孫子来て大すり鉢にとろろする    根本光子

踏まぬやうくの字に歩くこぼれ萩   廣澤行紀

アルプスの風吹き渡る稲の秋     松下弘良

石榴割れ異次元世界口開く      秦 良彰 

月光に濡れて足早塾帰り       清水正信

 

選後一滴        坂元正一郎

小鳥来る焼菓子匂ふ午後三時    大西きん一

焼菓子は基本の作り方さえマスターすれば好きな食材を合わせて自由にアレンジできるそうです。掲句の焼菓子もオーブンを使ったお手製の焼菓子でしょう。この句の妙味は日常の情景をさりげなく切りとった気負いのない作風にあります。また、上五の小鳥来るが一句の味付け役となって寛ぎのひと時を演出しており、キッチンから漂ってくる焼き上がった焼菓子の香りなど想像の膨らむ一句です。

 

雁の棹あちこち折れて渡りけり   中川文康 

雁は棹形や鉤型の編隊を組んで日本へやって来ます。編隊を組む理由は羽ばたくときに生まれる上昇気流に後から来る鳥が乗って少ないエネルギーで飛ぶためだといわれます。掲句の巧みなところは「あちこち折れて」と雁の棹を形容したところ。群の中には幼鳥など弱いものもいるのでしょう。棹の折れが幼鳥などを庇うための折れとも取れて味わい深い。洋上を鳴き交わしながら渡る雁の棹を髣髴とさせる作品です。

 

 

12月号 

主宰詠

その先に湖のひろがる花野かな

秋澄むや阿寒にまろむ大毬藻

唐黍の皮のちらかる厨口

大川を鴎のあそぶ震災忌

潮入の河の満ちくる鯊日和

釣人の居ならぶ沖を鰡の飛ぶ

黒々とクルスのうかぶ良夜かな

竹春の風のいざなふ報国寺

秋晴や浜風わたる段葛  鎌倉吟行二句 

扁額の威光をはなつ素秋かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

爽やかや由比ガ浜より余り風     野地邦雄

赤蜻蛉丘低ければ低く飛ぶ      内田吉彦

先々に空地があればゑのこ草     白坂美枝子

きやあきやあと鯊の釣れたる歓喜の娘 魚谷悦子

片手桶こんと置きたる良夜かな    綾野知子

虫すだく旅信の筆の手くらがり    大西きん一

風潜むコスモスの丘のぼりけり    金子京子

秋澄むやジーンズ硬く乾きけり    大河内基夫

水琴窟の音の軽さや寺の秋      髙橋那智子

寝そべつて子に囲まるる花野かな   松木渓子

湯上りの足もとに来る秋の風     堤  淳

おとがひの紅き笠の緒風の盆     野口晃嗣

虫しぐれ五分停車の小梅線      久下萬眞郎

妻は絹我は木綿の新豆腐       中川文康

佇めば我も一輪花野原        佐藤啓三

からすうり引けば足元崩れゆく    小磯世史

秋冷や夫注ぎくれし赤ワイン     宮沢かほる

牧水を気取り静かに新酒酌む     橋本瑞男

名月や燐家のピアノ聞く窓辺     藤井英之助

面会に笑顔咲きたる晩夏光      重原智子

露草や朝の散歩の道しるべ      清水正信

釣竿の打ち並びたる鯊日和      根本光子

どこからかピアノの調べ赤蜻蛉    松下弘良

颯爽と冬瓜を背に祖母帰宅      芝田稔子

高野槙颱風の目の青空へ       上原 赫

ころころと風のなすまま芋の露    河﨑朝子

花野行く車窓の風に頬打たせ     春日春子

星とんで大佐渡闇を厚くせり     井筒 亨

目出度さは夫婦元気で敬老日     桐山正敏

名月や水湧く寺の手打ちそば     砥上 剛

 

選後一滴        坂元正一郎 

爽やかや由比ガ浜より余り風    野地邦雄

掲句は鎌倉吟行で好評を博した作品である。長い石段を汗かきつつ登った鶴ケ丘八幡宮へ吹く由比ガ浜からの風を「由比ガ浜からの余り風」としたところが巧みなところ。暑い最中に吹くひとときの涼風を「極楽の余り風」という仏典を原典とする言葉がありますが、厳しい残暑の中を八幡宮に吹く清々しい風はまさしく「極楽の余り風」といった感じだった。この余り風を引用したとも思われる軽妙な作風に感服する。

 

赤蜻蛉丘低ければ低く飛ぶ     内田吉彦 

赤蜻蛉は夏場を高い山の涼しいところで過ごし、秋になると繁殖のために山から下りてくる。広い田畑などの風に乗って捕食のために群れ飛ぶ光景を目にするものです。掲句の巧みなところは赤蜻蛉の飛ぶ風景を見たままに「丘低ければ低く飛ぶ」とさらっと詠んだところ。北海道の美瑛や富良野の広々とした丘陵地帯の赤蜻蛉を彷彿とさせる共感を呼ぶ一句です。

 

11月号

主宰詠

長汀を波のころがる残暑かな

円卓の一家でかかる大西瓜

秋立つや水影ゆらぐ船溜り

空を行く鳥のふらつく初あらし

新涼の風にぴくりと風見鶏

渓谷の音のさやかに天の川

鳩吹けば鳩のふり向く山路かな

てすさびに童のしごく赤まんま

文月や声なきこゑの置手紙 

鳴きつのる杖衝坂のつくつくし

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

鳴き止みて止まぬ余韻やつくつくし  佐藤啓三

「さわるな」と五年二組の鳳仙花   中川文康

孫曽孫と集ふ長寿や生身魂      白坂美枝子

城壁の石工の印やつくつくし     髙橋那智子

蜩の山を登りて高山寺        大河内基夫

新涼のひと日さらりと終りけり    野地邦雄

擂鉢を飛び出んばかりとろろ汁    野口晃嗣

鐘楼にいまだ鐘なき終戦日      大西きん一

蜩や中仙道の一人旅         久下萬眞郎

踊りては器量好しとて風の盆     堤 淳

曽祖父は明治男や墓洗ふ       内田吉彦

昨日北に今宵南に遠花火       綾野知子

図書館に若者多き文月かな      金子京子

新盆の墓のぬくもり撫でにけり    魚谷悦子

大花火重なりてまた重なりて     松木渓子

海めざす一家総出の夏帽子      小磯世史

野分晴湖に近よる富嶽かな      松下弘良

夜通しの荷揚げや夏の貨物船     秦 良彰

天の川太平洋に溢れ落つ       上原 赫

高炉にも抜ける青空盆休み      髙堀煌士

父母も失せ聞きしを伝ふ終戦忌    桐山正敏

名勝の渓谷荒し秋出水        清水正信

今日も又鰻登りのこの暑さ      春日春子

カウベルの音澄む谷や秋来る     砥上 剛

極楽も地獄も映し走馬灯       井筒 亨

せみしぐれさはれば熱き磴の石    宮沢かほる

白き歯ののぞく笑顔や日焼の子    栗原 章

新涼の水面をすべるカヌーかな    根本光子

長靴の親父にやりと新豆腐      廣澤行紀 

老い重ね卒寿超えたり月仰ぐ     重原智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

鳴き止みて止まぬ余韻やつくつくし  佐藤啓三

法師蝉の鳴き方はツクツクツクという前奏があってからツクツクホーシと何回も唸るように鳴き、最後は余韻を残すようにして鳴き止みます。この鳴き声を耳にすると何となく心の中で鳴き真似をつぶやいたりするものです。掲句の妙味は法師蝉が鳴き止んでも余韻は止まぬとした上五中七の軽妙洒脱な表現にあり、読み手の共感を呼ぶ詩情豊かな一句です。 

「さわるな」と五年二組の鳳仙花   中川文康 

鳳仙花は夏から九月頃まで白や赤などの花をつける。紅色の花びらを絞って女の子が爪を染めて遊んだので爪紅とも。果実にふれると弾けて種が勢いよく飛び散る。この五年二組は作者の娘さんが担当する小学校の教室のこととお聞きした。生徒たちに鳳仙花の実の弾ける楽しさを体験させるために設けたであろう「さわるな」の標示に教師の親心も伝わってくる。

 

10月号

主宰詠

寺町や軒端にかかる氷旗

滾々と砂を噴きつつ底清水

隧道は間もなく出口滴れり

火の島は火山灰によごれて夾竹桃

串焼の魚でもてなす滝見茶屋

散りながら雨に咲きつぐ沙羅の花

とりどりの音色を吊るし風鈴屋

缶ビール買うて飛び乗る只見線

高階に灯りいくつや夜の秋 

墨堤に下駄の音する夜涼かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦 

片蔭やいつも誰かが立話       久下萬眞郎

河鹿鳴く峡に星降る秘湯かな     佐藤啓三

若夏やインターハイの地区予選    大西きん一

夕顔や錆にまみるる鉄工所      綾野知子

黒猫の忽然と消ゆ木下闇       野地邦雄

梅雨晴の牧野庭園すゑ子笹      野口晃嗣

夜濯ぎのまだ捨てられぬ野良着かな  中川文康

昼顔やいよよ錆びつく廃線路     髙橋那智子

あどけなき字の踊りをり星祭     内田吉彦

リハビリの午後の窓から雲の峰    松木渓子

思ひ出す赤き金魚の浴衣かな     堤 淳

脚一本残しががんぼあたふたと    金子京子

一滴を集めて山の清水かな      平野久子

ふるさとの昼寝を誘ふ草の香よ    魚谷悦子

宿へ着くまづは自慢の作り滝     白坂美枝子

山笠やほてる体に勢ひ水       清水正信

裏山の日暮は早し蝉しぐれ      松下弘良

「ばれりーな」とひらがなの夢星祭  宮沢かほる

星祭君を待ちゐて古稀を過ぎ     桐山正敏

いととんぼ止まるや細き草の上    秦 良彰

まづは手を沈めてすくふ山清水    山本智子

朝顔の明日咲く花を数へけり     重原智子

漁網捲き滴り落つる夜光虫      髙堀煌士

見霽かす秋田平野は青田波      橋本瑞男

手花火の小さき命やちりちりり    芝田稔子

難聴にめげず盛夏の句座にあり    井筒 亨

ずぶ濡れの空に虹立つナイアガラ   砥上 剛

山家にも海風吹けり貝風鈴      廣澤行紀

梅雨晴間麒麟が首を空高く      藤井英之助 

石清水誰が置きくれし竹コップ    河﨑朝子

 

選後一滴        坂元正一郎 

片蔭やいつも誰かが立話      久下萬眞郎

真上から照りつけていた夏の日も傾きかけると町の家屋や塀の片側に日蔭をつくり始める。道行く人は暑さを避けてこの蔭になった涼しい所を通ったり、そこで休んだりする。中七の「いつも誰かが立話」の措辞に萬眞郎さん宅の前に出来た片蔭が想像されます。真夏の真昼は無音の世界でもあり、その中の片蔭の立話が印象的で詠み手の共感を集める作品です。

 

河鹿鳴く峡に星降る秘湯かな    佐藤啓三 

河鹿は河鹿蛙のことで山間のきれいな谷川に棲息するアオガエル科の蛙のこと。ヒョロヒョロフィフィフィーと美しく澄んだ豊かな声で鳴き、私も何度か耳にしたことがあります。この句の巧みなところ秘湯の有様を中七の「峡に星降る」と形容したところ。体験したことが無ければ作れない句であり、読者の旅情をくすぐるような詩情豊かな作品となりました。

 

 

 9月号

主宰詠

網を張るかはたれ時の女郎蜘蛛

まくなぎを鎌もてはらふ農夫かな

生垣を駆けあがりたる花南瓜

横腹をきらり見せて淵の鮎

鈴音に魚信を待つや夜釣人

朝凪にゆらりゆらりと遊漁船

一散に渚へはしる夏帽子

潮騒や風にさゆらぐ鹿の子百合

郭公や雨にぬれゐる白樺 

先達の逝きし卯の花月夜かな 悼柏原昭治先生

 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦 

梅雨晴間ずらりと並ぶキッチンカー 大西きん一

郭公のこゑに目覚むる朝かな    野口晃嗣

親竹に負けじとそよぐ今年竹    平野久子

音遠く掛軸のごと那智の滝     金子京子

羅や銀座のママの京なまり     佐藤啓三

富士山とがつぷり四つや雲の峰   野地邦雄

鎌倉や落暉見送る夏至の海     綾野知子

父と酌む昔語りや夕薄暑      内田吉彦

古都小路車夫を止めたる薄衣    髙橋那智子

徒花も畑の賑はひ花南瓜      中川文康

滴りの音を目指して登りけり    久下萬眞郎

逝きし師に褒められしこと若葉風  堤 淳

白靴を履いて出る日や風軽く    松木渓子

ソーダ水テネシーワルツ流れをり  大河内基夫

待ち合はす友はつらつと夏帽子   白坂美枝子

花南瓜末は五貫か百貫か      桐山正敏

あぢさゐの浅黄を剪りて活けにけり 井筒 亨

万緑に飲み込まれ行くケーブルカー 藤井英之助

梅雨深し楽譜持ち寄る駅ピアノ   髙堀煌士

麦秋や夕日はじいて一両車     宮沢かほる

ででむしや雨乞ふ如く角を振り   廣澤行紀

天道虫葉先をばねに飛び立ちぬ   清水正信

ばさばさと男まさりの梅落し    小磯世史

騎馬戦の子等の哮りて夏盛ん    春日春子

五月雨の大河ざわつく洗堰     砥上 剛

穴子屋は三原小路のどんづまり   芝田稔子

駆くる児の首に掛けたる夏帽子   河﨑朝子

長梅雨や居間に新聞めくる音    栗原 章

ほほかぶり一輪車行く麦の秋    根本光子 

池底の泡吐き出す清水かな     松下弘良

 

選後一滴        坂元正一郎 

梅雨晴間ずらりと並ぶキッチンカー 大西きん一

キッチンカーは古くからありますが、コロナ感染拡大による飲食店の業態変更先としてキッチンカーが認識されたことで台数が増加しているそうです。掲句の要はキッチンカーの賑わいを「ずらりと並ぶ」と形容したところ。上五の梅雨晴間と相俟って公園のイベント会場やオフィス街の昼飯時などキッチンカーが何台も連なる情景が臨場感をもって伝わってきます。

 

郭公のこゑに目覚むる朝かな    野口晃嗣 

郭公は初夏に南方から飛来する夏鳥。時鳥と同じく托卵の習性がある。郭公を「現代俳句歳時記」に当たると閑古鳥という古称もあるが、カッコウカッコウという鳴き声はワルツの曲にも乗る明るさがある、との解説がある。私も同感である。童謡として親しまれている『静かな湖畔』の一節「静かな湖畔の森のかげから・・・」を連想させる明るい雰囲気の一句です。

 

 

8月号

主宰詠

サブレーに鳩の寄りくる薄暑かな

水切りの水輪つらなる立夏かな

遠ざかる神輿見まもる肩車

夏めくや鴟尾さんぜんと増上寺 増上寺二句

薫風やタワーそびらに鋳抜門

植うるなり風とむつみて茄子の苗

ひもすがら犬のまどろむ柿若葉

夏場所や今かいまかと出待ちの娘

初夏や丘に威をはる観覧車 

川風にやをら膨らむ鯉のぼり

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

風運ぶトロッコ列車渓若葉     佐藤啓三

夏来る水面に河馬の両眼      中川文康

群れて咲き離れて咲くや著莪の花  久下萬眞郎

風薫る順番待ちの滑り台      大河内基夫

らうたげな地蔵千体風薫る     綾野知子

禅寺にくぼみあまたや蟻地獄    野地邦雄

かたつむり煙雨に消ゆる竹生島   大西きん一

咲き初むる生成の白や額の花    野口晃嗣

木霊する開山式のホルンの音    松木渓子

緑さす車座いくつ日曜日      白坂美枝子

里は今山ほととぎすこだまして   平野久子

藤房に指先触るる車椅子      魚谷悦子

参道に人影はなし夏落葉      堤 淳

湧水に白さ増したる海芋かな    内田吉彦

白玉やをなごの愚痴を収めをり   髙橋那智子

風に透く濃きも淡きも谷若葉    廣澤行紀

雪壁の底をバスゆく立夏かな    砥上 剛

樽洗ふ簓さらさら薄暑かな     根本光子

立夏なり蛮声響くロックフェス   桐山正敏

亀を座に瞑想すなり雨蛙      芝田稔子

卯の花や夫婦揃ひのスニーカー   栗原 章

巻き上がる火の粉は星に花篝    藤井英之助

みそ蔵へ続く飛び石手鞠花     小磯世史

房総の駅におりたつ薄暑かな    鈴木ゆう子

花菖蒲三万本の競ひ咲き      清水正信

安曇野の山にとどきし青田かな   松下弘良

万緑の神社巡りや奈良明日香    上原 赫

菖蒲湯や不二のペンキ絵あふぎみる 井筒 亨

満天星の千の小鈴が風を呼ぶ    宮沢かほる 

トンネルを抜けて若葉の山光る   春日春子

 

選後一滴        坂元正一郎

風運ぶトロッコ列車渓若葉     佐藤啓三

トロッコ列車はネットを覗くと黒部峡谷鉄道、わたらせ渓谷鐵道、嵯峨野観光鉄道など地域の鉄道会社が運行するものが各地にある。掲句のトロッコ列車がどこを走る列車かは分からないが、上五中七の「風運ぶトロッコ列車」の措辞にほどよいスピードが感じられ、渓谷の青空とともに目に沁みるような渓若葉の景色が次々に展開する爽快感あふれる一句である。

 

夏来る水面に河馬の両眼      中川文康 

野性の河馬は日中、耳と目と鼻孔だけを水面に出して休息していることが多く、夜間、陸上に出て草を食べるといわれます。動物園の河馬も昼は水中にいることが多いのでしょう。この句の面白いところは水面に見える河馬の両眼をクローズアップしたところ。川端茅舎の「蛙の目越えて漣又さざなみ」を連想させる、思わず微笑みたくなるような一句となった。

 

7月号 

主宰詠

赤べこのどれも首振る春の昼

のどけしや山河をめぐる鳶の笛

馬籠へと峠をてくる徂春かな

花冷えや鉋でけづる鰹節

その中に酒仙もをりて花見船

島影を波のかなたに養花天

鳴きもせで雀隠れの雀かな

みづうみの沖へおきへと蝶の恋

山藤の垂るる磨崖の高さかな

殉教の島にうすれて春の虹 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

厳かに柄杓受け継ぐ仏生会     久下萬眞郎

風光る玻璃の箱なる美術館     綾野知子

山門をくぐる初蝶日を零す     髙橋那智子

槌音のひときは高し若緑      内田吉彦

たんぽぽの絮や島立つ日となれり  大西きん一

角打にひとり酌む酒荷風の忌    野地邦雄

長閑さや手を振り停まる村のバス  佐藤啓三

小手鞠の白の枝垂れを副に置く   中川文康

のどけしや池の小島に亀数多    野口晃嗣

傘さして両手ふさがる菜種梅雨   松木渓子

日曜のボール蹴る児や風光る    白坂美枝子

掛軸の墨絵のぼかし花の冷え    魚谷悦子

思ひ出す祇園の夜の花見かな    堤 淳

夏近し主人引つ張る秋田犬     大河内基夫

空を指すフランス山の新樹かな   金子京子

物憂げな山の西郷どん花曇     廣澤行紀

声のする菜の花畑かくれんぼ    上原 赫

起こされず起きる朝や春休み    山本智子

春蝉に和する素読や孔子廟     髙堀煌士

菜の花の真ん中走る郵便夫     松下弘良

花苺八ヶ岳の峯々空に溶け     宮沢かほる

春うらら老いて日本へボブディラン 橋本瑞男

花影へ園児の列をとき放つ     小磯世史

一輪車競ふ子供に風光る      藤井英之助

大凧のうなり地球を驚かす     鈴木ゆう子

味噌蔵の土塀の崩れ牡丹の芽    根本光子

箱ひらく京の干菓子や花の雨    砥上 剛

のどやかや谷間に響く木挽き節   桐山正敏

天守台足下よりの花吹雪      春日春子 

ぶかぶかのランドセル負ひ新入生  清水正信

 

選後一滴        坂元正一郎

厳かに柄杓受け継ぐ仏生会     久下萬眞郎

仏生会はお釈迦さまの誕生日とされる四月八日にその降誕を祝って行われる仏事のこと。境内にしつらえた花御堂に安置された誕生仏に参詣者が柄杓で甘茶を灌ぐ。掲句はその甘茶を柄杓で灌ぐところを詠った作。杉田久女に仏生会の句「ぬかづけばわれも善女や仏生会」がありますが、掲句の「厳かに柄杓受け継ぐ」の措辞と久女句の趣きとが重なるところがあって味わい深い一句となりました。 

風光る玻璃の箱なる美術館     綾野知子 

美術館は絵画など展示品保護の観点から窓などの開口部は少ないものと思っていたが、ネットを覗くと硝子の箱のような透明感ある外観の美術館は各地にあるものです。例えば長野県立美術館や兵庫県立美術館など幾つも見ることができる。この句の巧みなところは外壁すべてが硝子の美術館を「玻璃の箱」と形容したところ。「風光る」と相俟ってメルヘンチックな雰囲気の輝くような美術館を彷彿とさせる一句。

 

6月号

主宰詠

囀りを容れて始まる野点かな

清流の村はさびれて藪椿

ダム湖へと枝差しのべて山桜

歌垣の山をかなたに春田打つ

野遊びの丘へと逸る姉妹

大いなる湖のひらけて初つばめ

水温む池に逃げこむ家鴨かな

陽炎や何処かいびつな瓦斯タンク

淀川をゆつたり下る利休の忌 

大阪は水の都や重次の忌

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

子は眠り天井隅のゴム風船     大西きん一

野遊びの子らのまとへる光かな   金子京子

若僧の白きクーペや彼岸寺     佐藤啓三

水筒の磁石の揺れや鳥雲に     野地邦雄

野遊びの兄に釣られて二歩三歩   内田吉彦

野遊びやとりかへつこの卵焼    綾野知子

種芋に手の温もりを伝へ植う    中川文康

大淀に声を落して鳥帰る      久下萬眞郎

鳥帰る空シャンシャンも帰りけり  松木渓子

点点と舗道を染めて花の屑     魚谷悦子

夜のしづくこぼして落ちる椿かな  平野久子

春風や自転車ならぶ相撲部屋    野口晃嗣

半切の大き過ぎたり雛のすし    堤 淳

猪口一杯二杯三杯春の宵      井筒 亨

肩車修二会の火の粉手づかみに   藤井英之助

春愁や視線の遠きゴリラの目    大河内基夫

凱旋の機窓に映ゆる花の雲     橋本瑞男

滑走路尽きたる土手の土筆んぼ   砥上 剛

童謡の流るるホーム春日和     廣澤行紀

初蝶や園児の列の只中に      上原 赫

点滴の音なき音や春の闇      髙橋那智子

雪嶺を望む湖畔の柳かな      春日春子

急坂をあへぎ登れば花三分     清水正信

ゆらゆらと泥濘ゆらし陽炎燃ゆ   鈴木ゆう子

どこからか梅の香れる佐久の風   根本光子

釣人の自慢話や山笑ふ       白坂美枝子

風光る少女を乗せて裸馬      髙堀煌士

朧月高く掲げて村眠る       宮沢かほる

とんとんと飴切る音や春来る    松下弘良 

しだれ桜のつぼみほころぶ朝かな  重原智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

子は眠り天井隅のゴム風船     大西きん一

ミッキーマウスなどキャラクターの形をした風船を大切そうに手にした親子づれを見掛けるものです。掲句の風船も遊園地などで親に買ってもらったもので、風に飛ばされないように大切に家まで連れ帰ったものなのでしょう。子が眠る家の天井隅にゴム風船があるだけの図の一句ですが、子どもに対する親の愛情や遊び疲れて眠る子の健気さなど読者の想像力を掻きたてる味わい深い作品となった。 

野遊びの子らのまとへる光かな   金子京子 

野遊びは温かい春の日を浴びながら草木の青む野に出て遊ぶこと。昼時になれば家族づれで弁当を広げたりもする。野遊びの子どもたちは牧に放たれた子馬ように、嬉々として思い思いに歩き回るものです。そんな子どもたちが光を纏っているとする形容がこの句の巧みなところ。陽光の煌めきを纏った元気な子どもたちの笑い声も聞こえてくるような一句。

 

5月号

主宰詠

立春の磨きあげたる大羽釜

ゴム長に鱗からびて寒明くる

荒磯の波のまにまに若布刈る

神領の奥処にひびく初音かな

住処へと家鴨おひやる春一番

魚屋の飛ばす鱗や春寒し

音で切る「とんとこ飴」や春淡し

小流れの煌めくところ芹青む

飛行船の影を浮かべて春の水 

裸婦像の人魚座りや春しぐれ

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

老木の瘤の膨らむ雨水かな     佐藤啓三

日帰りのお湯に長居の探梅行    中川文康

縁側に猫まどろめり春障子     金子京子

剪定は思ひ切りよく空ひろく    平野久子

紅梅や頬ふくよかな吉祥天     大西きん一

法螺貝の音に始まる修二会かな   久下萬眞郎

春一番農夫黙々縄を縒る      野地邦雄

ジャグラーの帽子へ小銭下萌ゆる  野口晃嗣

刺繍糸迷ひては選る春隣      綾野知子

蹲ひの水のきらりと春立てり    魚谷悦子

出不精を散歩に誘ふ梅日和     加藤田鶴栄

故郷の土懐かしき芹根かな     内田吉彦

狛犬の台座のすき間草萌ゆる    松木渓子

大仏の膝に弾みて寒雀       髙橋那智子

立春や厨に励むスクワット     根本光子

囀や絶えず一枝の揺れてをり    井筒 亨

鳰の海魞さす舟の行き交ひぬ    上原 赫

塩をまく如く関取豆をまく     山本兼司

春灯に相寄る影やこぬか雨     髙堀煌士

川音の処々に高まる雨水かな    秦 良彰

春めくや瀬戸に進まぬ貨物船    大河内基夫

猫柳そのふくらみに触れてみる   栗原 章

信濃路は御仏多し涅槃雪      廣澤行紀

菜の花や自転車飛ばす河川敷    白坂美枝子

料峭や高みに鳶の身じろがず    並木研二

春風や幌たたみ行く乳母車     小磯世史

なにもかも覆ひ尽して峡の雪    宮沢かほる

玄海の濤はざぶんと焼栄螺     砥上 剛

ペイチカの焔に聴きしバラライカ  橋本瑞男 

立春の花舗は歩道をせばめをり   山本智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

 老木の瘤の膨らむ雨水かな     佐藤啓三

雨水はニ十四節気の一つで新暦の二月二十日頃にあたる。角川俳句大歳時記では立春になって初めて雨が降ることをいうとある。この立春を過ぎると厳しい寒さも和らぎ降る雨も何となくやわらかく感じられる。そんな雨水に濡れている老木の瘤が膨らんで見えるとする断定が巧みであり、眠っていた種々の種が一斉に目を覚ますなど春の息吹を感じさせる一句です。

日帰りのお湯に長居の探梅行    中川文康 

日帰りの湯は温泉地などに出向き宿泊せずに入浴のみを楽しむこと。ところによっては料理を提供してくれるところもある。探梅は晩冬の寒さ厳しい折に、春に先駆けて咲く梅を山野に見つけにゆくこと。この句は探梅に出かけたものの、厳しい寒さに思わず温泉に長居をしてしまった。探梅行を配したことで山峡の名高い温泉をも思わせる一句となりました。

 

 

4月号

主宰詠

小ぶりなる輪飾かけて喫茶店

新刊の届く知らせや初電話

寒梅の香に突きあたる小路かな

灯台の足もと喰らふ寒怒涛

警策の音の漏れくる寒九かな

嗄れ声を振りしぼりたる寒鴉かな

日脚伸ぶ書肆の奧なる鼻眼鏡

日だまりに夢見る猫や春近し

参道に軒をつらねて達磨市 

立ちあがる護摩の炎や初不動

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

この家は大人ばかりぞ雪だるま   綾野知子

どんど焼き片目達磨の二つ三つ   中川文康

骨董の並ぶむしろや日脚伸ぶ    久下萬眞郎

七草粥ひと草忘れ笑顔足す     魚谷悦子

木菟やどこまで続く朱の鳥居    大西きん一

深閑の町を一喝寒鴉        野口晃嗣

睦びたる寒鴉翔び立つ筑波かな   野地邦雄

ゴム長の老いの踏張り鍬初     佐藤啓三

缶蹴りの缶まだ見えて日脚伸ぶ   内田吉彦

燗さめし酒にむせびぬ春寒し    堤  淳

世につれて変はる紅白大晦日    平野久子

初詣和紙もて結ぶ巫女の髪     加藤田鶴栄

とんどの火闇を制して立ち上がる  金子京子

日本刀飾られてをり冬館      松木渓子

地下街にピアノ響ける阪神忌    大河内基夫

人の日や我も人の子粥すする    髙橋那智子

荒星をぶちまけられて八ヶ岳    並木研二

冬凪や波止に釣竿林立し      藤井英之助

北窓を叩く一夜の雪をんな     宮沢かほる

梅探る丘の起伏にしたがうて    山本兼司

先づ天を射る神官や弓始      髙堀煌士

振袖の双子の向かふ初鏡      根本光子

ポケットにスマホ鳴りだす初詣   鈴木ゆう子

終業のチャイム軽やか日脚伸ぶ   廣澤行紀

大寒の川面をすべるボートかな   白坂美枝子

日影道枯葉食みゐる堅氷      春日春子

大前に柏手打てる淑気かな     小磯世史

息災を祝ふ再会女正月       吉井博子

手から手に柄杓の渡る初詣     山本智子 

腰までの水に踏み込む寒芹田    砥上 剛

 

選後一滴        坂元正一郎

この家は大人ばかりぞ雪だるま   綾野知子

作者の家のこととも取れますが、ここは買物など日常生活で歩きなれた町のとある家の光景でしょう。この句の面白いところは、子どもは住んでいないと思われる家の庭に雪達磨を発見したところ。めったに雪の積もらない東京で暮らす大人が久しぶりの雪に感動し、童心に返ってこしらえた雪達磨なのでしょう。微笑ましくも、愉快な雰囲気の一句となりました。

どんど焼き片目達磨の二つ三つ   中川文康 

「七転び八起き」の達磨は開運や厄除けを祈念して飾る縁起物として親しまれ、願掛けをしながら片方の目を入れ、願いが叶ったらもう一つの目を入れることで知られている。役目を終えた達磨は神社やお寺の「お炊き上げ」やどんど焼で供養されます。この句の二三の片目達磨は願いが大き過ぎたのでしょう。願いが叶わなかったと思われる片目達磨がどんど焼で燃されているところに俳味があふれています。

 

 

 

3月号

主宰詠

訪ねくる蜂もまばらに枇杷の花

真ん丸の実はほころびて枯芙蓉

枯芝を尻もてすべる親子かな

日溜りに夢のさなかの浮寝鳥

どこからが海とも知れず鴨の陣

尼寺へつづく垣根の笹子かな

滝壺の貌をあらはに滝涸るる

極月の路地から路地の屑屋かな

もろもろの文殻焚いて年の暮 

星を見にちよいと抜けだす忘年会

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

ビルの影ビルに重ねて冬夕焼    野口晃嗣

豆腐屋の湯気の閑かに三冬月    野地邦雄

ランドセル集まつてくる鯛焼屋   松木渓子

どんぐりの落つる音する寝入りばな 平野久子

潮焼けの腕がのぞく里神楽     大西きん一

父母に授かる長寿冬至風呂     佐藤啓三

船頭の唄風に乗りこたつ舟     金子京子

やがてみな手酌となりて年忘    綾野知子

花枇杷の香りほのかに勝手口    魚谷悦子

塾の灯に子の声洩るゝ日短か    加藤田鶴栄

夜神楽や両手で受くる茶碗酒    中川文康

小春日や母は娘の髪揃へ      久下萬眞郎

譲り合ふ席ぽつかりと小春かな   内田吉彦

信州の月にさらして凍豆腐     根本光子

三浦大根一本一荷の届きけり    髙橋那智子

火伏札白きに替へて柚子湯かな   砥上 剛

おでこだと話す釣人冬ぬくし    白坂美枝子

山の芋ごろんと包む歳暮かな    小磯世史

暮れ際を色白々と枇杷の花     山本智子

冬の田や堆肥の湯気のほのぼのと  山本兼司

救世軍鍋に雪積む神保町      橋本瑞男

分かつべき妻なき夜の聖菓かな   井筒 亨

初雪や北山杉の緑濃き       大河内基夫

朝まだき波紋に浮かぶ鴨一羽    藤井英之助

クリスマス休暇もなしにドローン立つ桐山正敏

凍星のささやき合ふよ荒野原    廣澤行紀

長蛇なす参詣人の着ぶくれて    栗原 章

朝ぼらけ胸を並ぶる浮寝鳥     上原 赫

吊られたる大鮟鱇の無念顔     清水正信 

小春日やほやを育む大欅      春日春子

 

選後一滴        坂元正一郎

ビルの影ビルに重ねて冬夕焼    野口晃嗣

超高層建築は日本の主要都市にもみられます。ことに東京西新宿はオフィスやホテルなどの超高層ビルが建ち並ぶ街となっている。掲句は都庁を訪れた際の作とお聞きしました。上五中七の「ビルの影ビルに重ねて」のリフレーンが効果的であり、超高層ビルが林立する街並みを想像させます。また冬夕焼けがコンクリートジャングルにほのかな温もりを与えてくれているような一句です。

豆腐屋の湯気の閑かに三冬月    野地邦雄 

中七の「閑か」は「のどか」と読むのでしょう。静かで穏やかなさまや、のんびりと落ち着いているさまを意味します。三冬月「ルビみふゆづき」は陰暦十二月の異称。歳時記の師走の傍題にもあります。十二月も後半ともなると何かと気忙しさを覚えるものです。そんな十二月の豆腐屋の閑かにあがる湯気に三冬月を配したところに句の妙味があり、どこかほのぼのとした雰囲気の一句になりました。

 

2月号

主宰詠

大仏に影のしたがふ冬日和

そこまでは日差し届かず石蕗の花

夕さりて高張灯る酉の市

ときをりは潮の香りの博多場所 

凩に星のいやます夕べかな

鎖場の鎖をつかむ冬の蝶

落葉に音をかさねて朴落葉

焼酎は蕎麦湯でわりて一茶の忌

海風に干物のかわく小春かな 

熱燗や安房にはかつて海女芸者

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

あらはなる青首つかみ大根引く   大西きん一

薬喰ひ今日を限りの戦友会     内田吉彦

先駆けの水鳥憩ふ街の川      金子京子

お多福の頬ふつくらと大熊手    野口晃嗣

公園にあひるの歩く小春かな    久下萬眞郎

一茶忌や遊び心を忘れまじ     野地邦雄

遠筑波二峰睦みて冬に入る     佐藤啓三

もう穿かぬ終の舞台の足袋洗ふ   武藤風花

洗はれて絹の白さの蕪菁かな    中川文康

狛犬の所在無きげに神の留守    加藤田鶴栄

枸杞陳皮生薬選りて冬隣      綾野知子

神無月水のつめたき厨事      平野久子

雪吊の縄投げてゐる庭師たち    松木渓子

あかあかとワイングラスや神無月  魚谷悦子

時雨忌や石に還りし句碑の文字   砥上 剛

粧ひを解きゆく山やそぞろ寒    春日春子

一億の視線を集め冬の月      桐山正敏

堂塔の月影さやか敷松葉      廣澤行紀

冬眠の山に休まず発電所      大河内基夫

紅葉焚くその香しき薄煙      清水正信

陸奥へ旅立つ駅の小春かな     根本光子

湯ざましに雪放りこむ岩の風呂   並木研二

一茶忌や雀群がる谷戸むぐら    髙橋那智子

窯の火を消して信楽冬隣      藤井英之助

冬の朝北アルプスのさえざえと   松下弘良

渓谷は夕霧たちて黒部の湯     小磯世史

この風も出雲行きかや神の旅    白坂美枝子

湯豆腐や昔語りの尽きぬ夜     栗原 章

過ごしよき日々も束の間冬近し   山本智子 

落葉焚きみんな炎に尻を向け    橋本瑞男

 

選後一滴        坂元正一郎  

あらはなる青首つかみ大根引く   大西きん一

日本各地で栽培される大根のほとんどが青首大根だといわれます。名前のとおり大根の上部が明るい緑色をしており、地表からせり出して収穫しやすいのがこの大根の特徴とも。掲句の巧みなところは地表にせり出した青首大根を「あらはなる青首つかみ」と詠われたところにあり、この「青首つかみ」の所作に臨場感ある大根引きの情景が眼に浮かんできます。 

薬喰ひ今日を限りの戦友会     内田吉彦 

掲句の戦友会がどのような人の集まりかは分かりませんが、終戦から今年で七十七年になり二十歳で終戦を迎えられたとすると九十七歳にもなる高齢な戦友会となる。薬喰いは体力をつけるため滋養になる鹿や猪などの肉類を冬に食べることですが、百歳近くになっても薬喰いができる皆さんは健啖家である。これからも戦争の語部として永らえてほしいものです。

 

2023年

1月号 

主宰詠

托鉢の笠に音なき秋時雨

両国はちやんこの街や豊の秋

風の度ぶつかり合うて榠樝の実

空稲架に雀のあそぶ学校田

吹く風に言問橋の秋惜しむ

日誌にも訛りのありて文化の日

秋晴れの園児と保母の円居かな

酒蔵の窓の高さや鵙日和

高らかにピストル鳴りて運動会 

いつの間に暮色のせまる蜻蛉かな(悼中野陽典氏)

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

海晴れてなとみらいに鰡飛べり    金子京子

サイホンのつぶやく茶房秋時雨   佐藤啓三

紅葉の真中流るる梓川       久下萬眞郎

べつたら市遠のく昭和拾ひつゝ   加藤田鶴栄

栗飯や二人に余る米を研ぐ     野地邦雄

故郷はちやん付けで呼ぶ赤のまま  大西きん一

秋惜しむ転居決めたる友とゐて   綾野知子

吉良邸の井戸に竹蓋そぞろ寒    野口晃嗣

大人びて少年屯す秋祭       武藤風花

兄弟と離れて久し小鳥来る     魚谷悦子

前栽の花ついばみに小鳥来る    平野久子

光るもの胸に帽子に案山子嬢    中川文康

下町に狭き陽溜り秋惜しむ     内田吉彦

住所録再び消すや星月夜      松木溪子

冷まじや彫り雄渾の力塚      井筒 亨

四十雀ネクタイ締めて庭先に    藤井英之助

音花火揚げて始まる村祭      宮沢かほる

潦を跳びとび帰る秋夕焼      砥上 剛

長き夜や見あげて星の五つほど   重原智子

湖のくびれしところ鳥渡る     山本兼司

アルプスの南北繋ぐ鱗雲      春日春子

柿紅葉なして一村夕映へに     髙橋那智子

佇みて小鳥の会話聞いてみる    白坂美枝子

ねんごろに穂紫蘇を扱く厨かな   根本光子

裏山の墓地つつぬけに運動会    小磯世史

火恋し柿の葉寿司を食ふ夜は    上原 赫

しんがりを務めて歩く紅葉狩    鈴木ゆう子

夜雨打つ一人テントや炉火恋し   髙堀煌士

流れゆく雲をうつして秋の水    山本智子

サファイアの如くに阿蘇の濃竜胆  清水正信

 

 

選後一滴        坂元正一郎 

 

 海晴れてみなとみらいに鰡飛べり  金子京子

みなとみらいは横浜のウォーターフロント再開発として整備された美しい街で横浜港に面したエリアのこと。横浜ランドマークタワーや日本丸・赤煉瓦倉庫の他、少し足を延ばせば大型客船が寄港する客船ターミナルなど一日いても飽きないところ。この句の巧みなところは奇をてらわず、平明な言葉づかいですっきりした表現にされたところ。みなとみらいの美しい佇まいと鰡の水音が印象に残る一句です。 

サイホンのつぶやく茶房秋時雨   佐藤啓三

珈琲を淹れるサイホン式はフラスコの高温のお湯をろ過紙のついたロートへ移動させて珈琲の成分を抽出します。このフラスコからロートへお湯が上る時に「ぽこぽこ」という音を立てますが、この「ぽこぽこ」を人の呟きに喩えたとも取れる擬人法が巧みです。香り高い淹れたての珈琲と秋時雨にしっとり濡れる静かな茶房を思わせる味わい深い一句です。

 

 

12月号 

主宰詠

駐在は村にのこして燕去ぬ

小走りに渡船へ向かふ秋遍路

霧ごめる峠を染むる尾灯かな

漁火のあつまる沖の無月かな

茹菱の殻にてこずる厨かな

船頭の訛る無電や雁渡る

納竿の親子の仰ぐ鰯雲

日溜りに薄目をあけて秋蛙

山門の奥へと通ふ萩の風 

その先は風にほぐれて鰯雲

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

雑踏に喪章をはづす秋夕焼     大西きん一

尾は筑波頭は富士に鰯雲      中川文康

幾度も外に出てみる良夜かな    久下萬眞郎

肩に雀休ませてゐる案山子かな   金子京子

秋彼岸皆北向きの仏具店      加藤田鶴栄

添水打つ拍子に乱れなかりけり   野地邦雄

地芝居の一等席は車椅子      佐藤啓三

秋澄むや練りては伸ばす飴工房   綾野知子

肩触れてピアスの揺るる祭髪    武藤風花

一斉に見上ぐる打球鰯雲      野口晃嗣

対岸へ急旋回せり鬼やんま     内田吉彦

雑木山つつみて霧の走りゆく    平野久子

せせらぎの音に鈴虫鳴きやまず   魚谷悦子

鰯雲空の蒼さを深くして      松木溪子

京談の池の上なる松手入      髙堀煌士

庖丁を銜へ放さぬ南瓜かな     春日春子

ざつくりと畦に刈り伏せ曼珠沙華  小磯世史

名月や急行待ちの無人駅      大河内基夫

裏手から土間へ吹き入る野分かな  根本光子

五十年住み古る谷戸の虫浄土    髙橋那智子

気がつけば帰燕の路地の静もりぬ  白坂美枝子

山越えてワインの郷の葡萄買ふ   松下弘良

湿原のトロッコのろのろ鰯雲    砥上 剛

新聞をめくる指先かわく秋     宮沢かほる

台風一過残る条雲眺めけり     楢﨑重義

名月を暫し友とし夜行便      栗原 章

獺祭忌坊ちやん列車混み合ひぬ   上原 赫

夕刻をひときは冴えて百日紅    重原智子

鉢巻のことにいなせな松手入    山本兼司 

病む妻の眺めがちなる鰯雲     橋本瑞男

 

選後一滴        坂元正一郎

雑踏に喪章をはづす秋夕焼     大西きん一

喪章は葬儀や通夜の際に腕に巻く黒い腕章や胸元に着けるリボンのこと。掲句はこの喪章を外して街のどこかに精進落しにでも向かう途中とも取れます。葬儀が詠み込まれた俳句は湿りがちとなりますが、この句の巧いところは「雑踏に喪章をはづす」とさらっと詠んだところ。喪章と明日の晴れを約束するかの「秋夕焼」との取り合わせが素晴らしい一句です。

 

尾は筑波頭は富士に鰯雲      中川文康 

三遊亭円朝さんに「不二筑波一目に見えて冬田面」という句があります。明治の頃のことだから今のように高いビルもなく見晴らしが良かったのでしょう。掲句の鰯雲も立ち位置によっては眺めることができるのかもしれません。一般的に雲は西から東へと移動することから、鰯雲の頭は富士で尾は筑波とする見立てもあるのでしょう。お菓子の鯛焼に着想を得たとも取れるユニークで楽しい一句となりました。

 

11月号 

主宰詠

闇照らし西へと向かふ送舟

だれかれの笑顔を染めて揚花火

相輪を斜に照らして盆の月

夜のとばり下りて聞こゆる踊り唄

鳴き止みてまた一からのつくつくし

博労に牛のあばるる島の秋

野分くるテトラポットの力みかな

島の灯は数ふるほどや銀河濃し

淀みたるところもありて天の川 

みづうみの浮橋わたる残暑かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

背の児に指差し示す天の川     加藤田鶴栄

初耳の話もありて盆供かな     中川文康

悪女にはなれぬと開く秋日傘    野地邦雄

校庭の試合をよそに秋の蟬     野口晃嗣

鱧一尾盥に横たふ通し土間     内田吉彦

パイ生地をゆつくり寝かす良夜かな 大西きん一

鏡みな金魚を映す理髪店      綾野知子

悦に入り撫づる禿頭生身魂     佐藤啓三

歌ひつつ草履すべらす風の盆    久下萬眞郎

二階家のひさしにかかる天の川   平野久子

鶴頸にさしてさまなす吾亦紅    堤 淳

初秋や浜辺に続く蹄跡       金子京子

短冊の重みにしなる星祭      小松千代子

友の訛り耳に馴染むや里祭     魚谷悦子

縁日の賑はつてをり金魚掬ひ    松木溪子

銀漢や親子水車の星を汲む     髙堀煌士

大文字遠き記憶の肩車       大河内基夫

サーファーを手玉に取りて土用波  藤井英之助

板前の鱧の骨切り堺の刃      上原 赫

人波に浮きつ沈みつ踊笠      山本兼司

湯の町に下駄の音して夜の秋    宮沢かほる

尾根越えて鹿笛届くマレット場   春日春子

蚯蚓鳴く実家の更地の売られをり  髙橋那智子

向日葵の傾くほどに日暮れけり   松下弘良

原爆忌鳩を吸ひ込む空の青     清水正信

風紋の浅き砂丘や秋の風      山本智子

伏す夫と生きて卒寿の青い空    重原智子

五合目に客待つ老馬秋暑し     砥上 剛

補虫網かざす親子のしのび足    白坂美枝子 

赤蜻蛉時報流るる河川敷      栗原 章

 

選後一滴        坂元正一郎

背の児に指差し示す天の川     加藤田鶴栄

この句は作者の子育時代の回想句だとお聞きした。天の川を挟んで織姫と彦星が七夕の時に一年に一度会うという伝説をそれなりに聞かせながら天の川を指差しておられるのでしょう。幼児児童の虐待がなくならない今日この頃ですが、なんとも心癒される作品です。もう忘れていましたが、童謡の「ささの葉さらさらのきばにゆれるー」の歌も聞こえてきそうです。 

初耳の話もありて盆供かな     中川文康 

その人が死んでから初めて迎える盂蘭盆会を新盆と言いますが、掲句の盆供もこの新盆でのことを一句にされたのでしょう。新盆は家族だけではなく、僧侶や親族及び故人と親しく付き合っていた人も呼んで営まれる。そこでは存命のときには聞けなかった故人の思わぬ逸話も耳にするものです。このような盆供の情景を「初耳の話もありて」と、僅か十二音で捉えたところにこの句の巧さがあると思います。 

 

10月号 

主宰詠

法螺貝の音を脚下に御来迎

滝音のいよよ高鳴る冷気かな

背負はれて夢の中なる素足の子

ままごとの童に食らふ水鉄砲

白南風やペンキの匂ふ船溜り

ぎこちなく出てゆくスワンボートかな

シーサーに阿吽のありて仏桑花

潮騒をいれて二人の夏料理

碁敵の閉ぢては開く扇子かな 

炎帝を仰ぐ一人の農夫かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

やをら発つ島の牛車や仏桑花    野口晃嗣

天守まで七曲りとや道をしへ    中川文康

峰雲や行くてはだかる如く湧く   堤 淳

炎天や数珠を片手の喪服立ち    魚谷悦子

犇めくは槍ヶ岳の頂き御来光    佐藤啓三

ゆつくりと鞐を外す祭の夜     大西きん一

竹林に集めて涼し地蔵尊      松木溪子

わが余生素にして凡や灸花     野地邦雄

又落ちて実を残したる茄子の花   平野久子

鍔の端つまみ会釈の夏帽子     綾野知子

夕立に悲話の山城煙りたり     内田吉彦

きらきらと群をなしたる濁り鮒   久下萬眞郎

高く低く噴水指揮者ゐるごとく   金子京子

一葉の石文かすめ夏燕       加藤田鶴栄

放水を始むるダムに夏燕      田中泰子

風死して癇癪起こす桜島      橋本瑞男

百枚の青田に浮かぶ母校かな    砥上 剛

日色濃き枇杷をたわわに安房の郷  髙橋那智子

親燕湖の大きさ教へ飛ぶ      松下弘良

夏山を前に後ろに耕耘機      小磯世史

結び葉や閲覧室の広き窓      秦 良彰

放牧の牛は動かず半夏生      山本兼司

炎天に音ちらかして草刈機     白坂美枝子

街を行く下駄音軽し炎天下     鈴木ゆう子

夜の帳暑さしづめて谷の里     春日春子

七夕や会ひたき夫はウクライナ   桐山正敏

口髭の似合ふ男やパナマ帽     清水正信

堀川をエンジン音の藻刈舟     髙堀煌士

ぐつと吸ふ青田の風は肺の奧    井筒 亨 

きらきらと水面を揺らす鰡の群   楢﨑重義

 

選後一滴        坂元正一郎 

やをら発つ島の牛車や仏桑花    野口晃嗣

この句は六月の東京句会で好評を博しました。沖縄の離島になる竹富島での作とお聞きした。掲句の牛車は観光案内でもよく見かける水牛に引かせる観光用の牛車のこと。上五の「やをら発つ」が一句の一と節となり、牛車が出発する際の臨場感が醸されています。また、仏桑花は南の島々を象徴するかの美しい花であり読者の旅心をくすぐるような一句です。 

天守まで七曲りとや道をしへ    中川文康 

道おしえは斑猫「ルビはんみょう」のことで、山道などにいて人が近づくと飛び立ち、先へ先へと飛んで行くのでこの名がある。天守への通路は鉤の手に幾度も曲がるなど複雑なつくり方になっているものです。その通路を「七曲りとや」とした措辞は言い得て妙である。作者はこの七曲りを道おしえに従うようにして城の散策をされたのでしょう。「道おしえ」を配したことで共感を集める軽妙な一句となりました。

 

9月号

主宰詠

万緑の底が終点ケーブルカー

桑の実を娘に引きよする親父かな

鉱泉に古傷癒やす梅雨晴間

翡翠に息殺すかの探鳥家

鳴きまねに老鶯の応へをり

軽鳧の子のときに水面を走りけり

栴檀の花降りかかる高札場

鎌倉の空は銀ねず濃紫陽花

みちのくの伊達が霊屋の青葉光 

荒梅雨や帰途のしるべの理髪灯(悼山口義清氏)

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

ねむる子のふいに微笑む聖五月   大西きん一

白南風や旅にふくらむ小銭入れ   武藤風花

万緑や味噌のしたたる五平餅    野口晃嗣

雷鳴や親にぴたりと牧の子牛    金子京子

万緑の渓に名残りの煉瓦橋     佐藤啓三

一人居は些事の多しや夏に入る   平野久子

行きずりの大き茅の輪をくゞりけり 加藤田鶴栄

梅雨に入る膝を崩して旅雑誌    魚谷悦子

父の日の光る新調ベルトかな    久下萬眞郎

客布団干せば守宮のとび出せり   堤 淳

万緑や道着の衆の突きと蹴り    綾野知子

登山部の校旗連なる山開き     中川文康

忽然と黙示の如き黒揚羽      野地邦雄

夏至の日の明るさ残る風呂上がり  小松千代子

退院の足音近し風薫る       松木溪子

封切るや針針針の一番茶      井筒 亨

大空に大手広ぐる新樹かな     根本光子

雲海を褥に眠る阿蘇五岳      清水正信

今年からコンビニ映す植田かな   大河内基夫

泉湧く今夜はここで飯盒飯     栗原 章

薫風やはや道草を覚えし子     白坂美枝子

日に一句成して三千濃紫陽花    髙橋那智子

高原に洩れ日分け合ふ銀竜草    春日春子

軽鴨の子や水面の雲とじやれ遊ぶ  鈴木ゆう子

あぢさゐや安宿にして菓子甘し   小磯世史

太閤や青葉かくれの一夜城     山本兼司

笹の香に故郷重ね粽解く      藤井英之助

水しぶきプールの子らのみな光る  宮沢かほる

一番は烏の声や明けやすし     秦 良彰

星々へ蛍の闇の波打てり      髙堀煌士

 

選後一滴        坂元正一郎 

ねむる子のふいに微笑む聖五月   大西きん一

赤ちゃんも夢を見るといわれます。掲句の微笑みは母親の笑顔を夢で見ていて、それに応えるように微笑んだのかもしれません。中七の「ふいに」は「思いがけないことに」とかの意味になり、昼寝などのときに突然浮かべる笑顔は普段の笑顔とはちがった可愛いさが感じられるものです。聖五月という美しい響きの季語を得て多くの読者の共感を呼ぶことでしょう。 

白南風や旅にふくらむ小銭入れ   武藤風花 

小銭はなにかと便利な俳句の素材の一つです。土生重次句に「かなかなや小銭で足りる拝観料」があります。風花さんは旅先で小銭入れが膨らむ、として一句にされた。キャッシュレス化が進んでも、まだ現金は手放せません。名所旧跡の入場券やお土産を買うにも釣銭はつきものです。読者の旅ごころをくすぐるかの何処となく滑稽味をおびた一句となりました。

 

8月号

主宰詠

小流れをずらりと並ぶ海芋かな

どの席も家族がしめて子供の日

行幸の御門がめでし花は葉に

葉桜の日の斑をはしる力車かな

信仰の山けぶらせて余花の雨

新緑や身軽にわたる河童橋

色変へて生簀をはしる真烏賊かな

全天に雲のなかりて薔薇の園

畑にも顔のぞかせて淡竹の子 

腕捲りしたる研師や夏きざす

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

聖五月マトリョーシカの眼に涙   佐藤啓三

おかつぱに髪整へて夏めけり    中川文康

しがらみのなき天空の夏の蝶    野地邦雄

腰伸ばす残る代田の広さかな    内田吉彦

片方はずつと聞き役ソーダ水    大西きん一

夏立つや試歩の百歩も一歩から   田中泰子

読上げ算の声高らかに夏来る    綾野知子

夏めくや川遡る鯉の鰭       野口晃嗣

両岸を新樹取り巻く梓川      久下萬眞郎

満天星の花満開に真珠めく     小松千代子

古里を出で幾年や更衣       武藤風花

トンネルを抜け新緑の何処までも  加藤田鶴栄

古里の夢に遊ばれ明易き      平野久子

てのひらにひんやりと座す青蛙   金子京子

棄て迷ふ妻の手擦れのひからかさ  山口義清

物干しに踊る真白のシャツ数枚   橋本瑞男

どくだみや名前にそむく白十字   清水正信

夏来るくつの軽さに子は風に    小磯世史

パンを焼く香りが充てり聖五月   髙橋那智子

老妻も若返りたり更衣       藤井英之助

子ら去りし後のぶらんこ風が押す  白坂美枝子

春闘は遠きになりし我が青春    鈴木ゆう子

薫風や眼下の琵琶湖凪わたる    山本兼司

諏訪郡木遣一色御柱祭       松下弘良

休刊日手持ち無沙汰や山笑ふ    楢﨑重義

道橋の下なる甍鯉幟        春日春子

この町にサーカス来たる薄暑かな  上原 赫

ふるさとの柱に残る端午かな    砥上 剛

薫風や女子強弓を引き絞る     髙堀煌士 

新緑の色の濃淡雑木山       山本智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

 聖五月マトリョーシカの眼に涙   佐藤啓三

マトリョーシカは体の中に一回り小さな人形が入れ子になったロシアの代表的な木製人形。母親が子どもを抱くように小さな人形がいくつも入っている。可愛らしい人形の眼が涙目だったかどうかはわかりませんが、ロシア侵攻によるウクライナの惨状を憂えた掲句の作者が比喩的に涙の眼にされたのでしょう。上五に聖五月を配したことで悲哀感が増幅された。

おかつぱに髪整へて夏めけり    中川文康 

昭和生れの私の小学校の卒業アルバムを覗くと、男は坊主頭で女の子はおかっぱ頭が殆んどです。特に女子は前髪を長くすると目に障るということから短く刈っています。最近は個性の尊重ということからか、小学生のおかっぱ頭をあまり見かけなくなりました。掲句の巧みなところは「夏めけり」との配合にあり、読者のノスタルジーを誘う爽快な一句となりました。

 

7月号

主宰詠

潮騒を潟のかなたに汐干狩

一品はあら煮がよろし桜鯛

遠富士の裾はもやりて花ぐもり

一山の杉叢わけて山ざくら

花吹雪つれて列車の通りすぐ

一枚は花菜のさかる棚田かな

甘やかな嬰の匂や春ともし

幼児の泣くだけ泣いて春の星

双蝶や空の高みへ浮かれゆく 

大寺の屋根をころげて恋雀

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

力抜く事もときには鯉幟      武藤風花

ひとの籠覗いて廻る潮干狩     久下萬眞郎

茶畑の眩きを抜け新幹線      野口晃嗣

鳴き真似をしてより食すうぐひす餅 小松千代子

銘仙で栄えし甍初つばめ      佐藤啓三

太閤も愛でし醍醐の飛花落花    田中泰子

草餅や太志捨てたる者同士     野地邦雄

春昼やいかな夢みて稚の笑み    大西きん一

湯通しにみどり奔れる初若布    中川文康

来ましたとまづ土運ぶ燕かな    金子京子

十字路の風の往来花水木      加藤田鶴栄

野に咲いて雨に音なく夏あざみ   平野久子

天竜川へなだれ込みたる花筏    山口義清

春の潮イルカのしぶき浴びにけり  松木溪子

花の塵川面に天女舞ふごとく    魚谷悦子

やがて輪の大きくなりて春の鳶   宮沢かほる

春風や移動パン屋は歌と来る    砥上 剛

春霖や今日も懲りずに太極拳    桐山正敏

妹の荼毘百万石の花のもと     髙橋那智子

十階へ風乗りつぎて花吹雪     白坂美枝子

母となる日の近き娘や桃の花    山本兼司

拭き上げし大黒柱暮の春      小磯世史

菜の花の海に家々浮かびをり    栗原 章

雑木山芽吹きて色を重ね合ふ    春日春子

つぼ庭にきりりと活けて杜若    鈴木ゆう子

入学児背負ふ期待とランドセル   藤井英之助

芝桜染井吉野と相照らす      楢﨑重義

二階家の屋根より高く桜咲く    清水正信

大いなる干潟のかなた男鹿三山   橋本瑞男 

漕ぐ舟の水の軽さよ夏きざす    松下弘良

 

選後一滴        坂元正一郎 

力抜く事もときには鯉幟      武藤風花

鯉幟といえば「甍の波と雲の波ー」で始まる童謡を思いだす。風薫る田園風景に元気よく泳ぐ鯉幟を眺めるのは気持ちのよいものです。漁師町など海辺ではいつも風が吹いていますが、内陸部では風の弱い時もあるものです。掲句はその風力が弱まった鯉幟の泳ぐ光景を擬人法で「力抜く事もときには」と巧みに表現された。鯉幟をあげた家では元気回復のための強い風を願っていることでしょう。 

ひとの籠覗いて廻る潮干狩     久下萬眞郎 

潮干狩りは事前に情報をとって出かけますが、干潟に着くと浅蜊が取れるかどうか不安なものです。浅蜊は一か所に集まる習性があり、一つ見つかったらその周辺を集中的に探すのも浅蜊取りのコツの一つです。また沢山取れている人の辺を探してみるのもいいかもしれません。「取れますかー」などの声が聞こえてきそうな臨場感ある潮干狩りの一句となりました。

 

6月号

主宰詠

楤の芽のからりと揚がる蕎麦屋かな

それぞれに由緒ありけり吊し雛

縁側に庭師もまねき雛の宴

野遊びの牧にいただくミルクかな

手庇に雲雀見あぐる親子かな

陽炎へる坂は海へとつづきをり

満ち潮に中洲しづみて鴨引けり

透けすけに剪定されし垣根かな

啓蟄や蔵の高みの明かり窓 

いまだ先見えぬ廃炉や涅槃西風

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

うらゝかや薬にかはる試歩の道   加藤田鶴栄

点々と靄に影置く蜆舟       綾野知子

強東風にコックスの檄エイトかな  中川文康

草競馬跡の競ひや蕨採り      山口義清

楤の芽の芽と言へぬほど育ちをり  野地邦雄

機を逸すことも人生残り鴨     佐藤啓三

野遊びやいつも保父さん真中に   内田吉彦

実験の白衣引き継ぎ卒業す     野口晃嗣

春の海客船白き点となり      金子京子

雛飾る横に深紅のランドセル    大西きん一

待つ人の春の港に着くフェリー   松木渓子

のどかさや安房の山々夕日影    魚谷悦子

荒川や音なく春の波流る      平野久子

一連の列を作りて鳥帰る      田中泰子

啓蟄や覆ひを外す乳母車      久下萬眞郎

春雷やチワワ飛び込む腕の中    藤井英之助

沢下る水音高し木の芽時      春日春子

ジャグリングのクラブ掠めて初燕  高堀煌士

風光る犬追ひ駆くるフリスビー   大河内基夫

蜆採り三の橋まで潮のぼる     砥上 剛

時折の牛の声ある土筆摘      秦 良彰

春愁や紅引くことも忘れたり    重原智子

分校の跡にたんぽぽ低く咲く    宮沢かほる

蜷の道地図描くごとく神の池    髙橋那智子

春光や水吐く水車緩やかに     松下弘良

春耕や田の草天地裏返し      楢﨑重義

犬ふぐり青き星座の如く咲く    清水正信

単線の行くさきざきの春野かな   山本智子

春雷や天気予報の晴れいづこ    上原 赫 

春雷や大地ふみしめ園の象     山本兼司

 

選後一滴        坂元正一郎 

うらゝかや薬にかはる試歩の道   加藤田鶴栄

日本の医療はかつて「薬漬け医療」といって、薬に頼りすぎることが問題となりました。が、掲句は病気の回復の兆しが見えたところで薬をやめて歩くことで健康を回復しようとなさっている。この句の巧みなところは「薬にかはる試歩の道」とする機知に富んだ表現にあります。お医者さんの指導があってのこととは思いますが、人間に備わった自然治癒力を信じて試歩に取り組む前向きな姿が目に浮かんできます。 

点々と靄に影置く蜆舟       綾野知子 

蜆は日本各地の河川や湖沼に棲み浅蜊とともに食用として馴染み深い二枚貝の一つ。この句の妙味は蜆漁の情景を「点々と靄に影置く」と詠み下したところ。この靄は季語としての「霞」や「霧」と現象的には同じですが、季語としての扱いはされていません。蜆の旬と言われる春の「霞」に変わる「靄」を配したところが巧みであり、朝靄の中、数多の蜆舟で賑わう琵琶湖などの湖を想起します。

 

5月号

主宰詠

鳴り龍の広間にのこる寒さかな

江ノ島は猫のらくゑん実朝忌

船のゆく海を遠目に多喜二の忌

魚は氷に上るや諏訪の間欠泉

集落を眼下にのぞむ梅見かな

三椏の花に暮色の来りけり

公魚を釣るや逆さ富士の中

厩から顔出す馬や寒明くる

神鈴を鳴らす背の初音かな  

銀座にも路地裏ありて春時雨

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

そばかすの少女のゑくぼ春帽子   野地邦雄

一年の寝癖ととのへ雛人形     松木渓子

グランドをとんぼで均し卒業す   大西きん一

島影を朧に重ね九十九島      佐藤啓三

伊豆沖の島の波濤や実朝忌     野口晃嗣

春光やつまみ読みして古本市    山口義清

竹林を縫うて二つの春日傘     武藤風花

高みより一望の海実朝忌      加藤田鶴栄

春雨や古瀬戸ですするそば処    田中泰子

留袖の会釈たをやか梅開く     内田吉彦

先客はカラス三羽の鍬始      中川文康

春近しセーラー服の子のマネキン  綾野知子

新しきシャンプーの香や夜半の春  小松千代子

節分や鬼も逃げ出す孫の声     平野久子

芽柳や江戸の名残りの格子窓    魚谷悦子

寄り道も楽しかりけり日脚伸ぶ   重原智子

ゆつくりと歩むリハビリ梅ふふむ  小磯世史

鎌倉の路地又路地や梅日和     髙橋那智子

ひとり児に両家のおもちや獺祭   砥上 剛

早春や光をはじく小型バス     宮沢かほる

浮雲の影を落として春の海     楢﨑重義

筑波嶺や黒々と鋤く春の土     髙堀煌士

初恋の思ひ出話春立てり      根本光子

受験期や社の太鼓鳴りやまず    清水正信

ウォーキングもう一回り日脚伸ぶ  藤井英之助

早春の木々の梢に光満つ      鈴木ゆう子

豆飛礫掃き取る朝の余寒かな    春日春子

早春や掛け声とばすサッカー児   白坂美枝子

古墳への道に咲きたる犬ふぐり   山本兼司

遠雪崩晴天仰ぐ八甲田山」     大河内基夫

 

選後一滴        坂元正一郎

一年の寝癖ととのへ雛人形     松木渓子

女性はいくつになっても可愛いものが好きですし、お雛さまも永遠のあこがれなのでしょう。掲句の巧みなところは「一年の寝癖ととのへ」とした擬人法にあります。雛祭が終われば人形や道具は柔らかい紙で包んで箱に仕舞いますが、この句の雛人形は髪飾りなどが少しずれたりしていたのでしょう。それをそっと整えている姿に雛人形を飾れる喜びが伝わってきます。 

グランドをとんぼで均し卒業す   大西きん一 

卒業をテーマにした俳句はたくさんあるが、掲句は野球少年などを句材にされたのでしょう。この句の巧みなところは余計なお喋りをせず「グランドをとんぼで均し」とだけ語ったところ。グランドのとんぼ均しは野球のグランド整備のこと。立つ鳥跡を濁さずではありませんが、お世話になったグランドをきれいに均して卒業するとする爽やかな感じの一句です。

 

4月号

主宰詠

江戸文字の四股名ゆかしき初相撲

その中のきれいどころや宵えびす

探梅や薮のなかなる登り窯

探鳥の人に出くはす探梅行

包丁の峰もてたたく乾氷下魚

初旅や岬にひびく愛の鐘

岩鼻の地獄のぞきや寒日和

流れゆく雲の速さや寒夕焼

改札をピピッと鳴らし初電車 

数寄屋へと茅門くぐり初句会

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

繭玉や場所入り急ぐ大銀杏     大西きん一

封切の歌留多持参の母参戦     久下萬眞郎

なまはげを演じ茶髪に戻りけり   佐藤啓三

蒼天へ氷切り出す鋸の音      松木渓子

藍染めの糸しなやかに寒の水    野地邦雄

天元に初手の一着初連碁      原田敏郎

遠富士の白さ極まる寒日和     加藤田鶴栄

ふるさとを遠くに思ふ囲炉裏かな  田中泰子

お隣りは新婚さんよ春隣      武藤風花

いつの間に孫の手をひく初詣    魚谷悦子

五枚目を本番として筆始      小松千代子

木枯や長湯に融ける生命線     綾野知子

我が家には我が家の温み雑煮椀   内田吉彦

初場所や無精髭なる験担ぎ     中川文康

どかどかと来てなまはげの太き声  野口晃嗣

手をつなぐ如き鉄塔山眠る     山本兼司

東雲に声改まり初鴉        藤井英之助

雪女郎銀座のネオン掠めをり    髙橋那智子

探梅やラジオ放送流れくる     根本光子

初場所や雷電以来木曽路沸く    橋本瑞男

水仙の花一輪の気品かな      清水正信

湖風へ歓喜の子達いかのぼり    白坂美枝子

探梅の肩にくひ込むカメラかな   鈴木ゆう子

薄氷の汀を噛みて明けの湖     宮沢かほる

御降りや水神祀る貴船山      高堀煌士

一杯が二杯目を呼ぶ卵酒      楢﨑重義

羊日は二人に戻る夕餉かな     大河内基夫

なまはげや隣の爺と見透かされ   桐山正敏

探梅や眼下に伊豆の海望む     山本智子

 

びしと鳴る夜半の梁寒の内     砥上 剛

 

選後一滴        坂元正一郎

繭玉や場所入り急ぐ大銀杏     大西きん一

繭玉は餅花と同じように紅白に搗き分けた餅を細かく千切って、柳などの枝につけた正月用の飾り木のひとつ。商店街などでも見かけます。国技館のある両国駅周辺には相撲部屋がいくつかあり、掲句の力士は商店街を歩くなどして場所入りされたのでしょう。初場所は正月気分がまだ残っている頃から始まります。大銀杏の鬢つけ油の香りもただよってくるような、初場所らしい華やいだ雰囲気の一句となりました。 

封切の歌留多持参の母参戦     久下萬眞郎 

歌留多にもいろいろ種類がありますが、掲句の場合は小倉百人一首の歌がるたでしょう。上五の「封切の」とした詠い出しにお母様の歌留多遊びに対する意気込みが伝わってきます。かつての正月は家族で歌留多遊びをすることが盛んでしたが、近年はあまり見かけなくなりました。そんな中、この句は古きよき昭和の時代の正月を思い出させてくれます。

 

3月号

主宰詠

葉隠れの今をさかりに枇杷の花

鈴なりに雀のつどふ枯木かな

みちのくの地酒たづねて雁木道

お向かひの影の差しくる干蒲団

ふところに片足いれて百合鷗

醜草のはびこる畑や霜の花

凍星のらんらんとして露天風呂

雑炊がくれば静まる宴かな

くじ引の鐘高らかに年の市 

愛嬌も演技のひとつ里神楽

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

湯豆腐や話しをうまくかはされて  魚谷悦子

八ヶ岳の白鮮烈に冬の空      山口義清

目の前の些事は忘れて日向ぼこ   加藤田鶴栄

冬日差し窓いつぱいの参観日    小松千代子

一日を我が身いたはり去年今年   平野久子

本丸の鯱に切り込む冬の月     田中泰子

菰巻の五十鈴川沿ひ歩きけり    久下萬眞郎

初将棋師は負け役に一苦労     武藤風花

毒舌も愚痴も出つくしふぐ雑炊   大西きん一

元町にカリヨン響く十二月     金子京子

それぞれに冬日の影や五百羅漢   内田吉彦

鴛鴦を狙ふカメラの十四五台    野口晃嗣

木枯や大動脈の御堂筋       原田敏郎

足と足向けて雑魚寝のスキー宿   綾野知子

撫でて買ふ箒一本歳の市      佐藤啓三

境内に濁声戻る年の市       中川文康

鰭酒やあやうく本音吐きさうに   野地邦雄 

暮早し自転車並ぶ塾灯る      山本智子

寒林を風吹き渡るローカル線    上原 赫

陽だまりに蝶飛びかひて冬ざるる  重原智子

菊坂に猫飛び出すや漱石忌     橋本瑞男

古戦場伊吹颪の攻め寄する     栗原 章

膝すこし詰めて屋台の冬帽子    砥上 剛

年の瀬のをみなばかりのココアカフェ 秦 良彰

軒低く冬の日あたる七尾湾     大河内基夫

久々の苑は寡黙な冬木立      白坂美枝子

風止んで水脈や漁紋の冬の川    楢崎重義

寒木の影やきりりと月中天     宮沢かほる

煮大根箸をすべらす異国の娘    小磯世史

冬凪の入日目を射る湖の面     春日春子

湯たんぽを抱いてとろりとしたりけり根本光子

八ヶ嶺を転がる風に寒天田     松下弘良

干し笊を幾度も移す日の短     鈴木ゆう子

島巡る喫水深き蜜柑船       藤井英之助

谷戸川や落葉溜りの堰一つ     髙橋那智子

かの友も鬼籍に入りぬ去年今年   山本兼司 

宍道湖へとろりと冬日沈みけり   高堀煌士

 

選後一滴        坂元正一郎 

本丸の鯱に切り込む冬の月     田中泰子

鯱は鯱鉾のことで城の天守や櫓などの屋根に使われる装飾の一つです。この句の巧さは上五から下五への畳みかけるような心地よい調べと「本丸の鯱に切り込む」とする独創的な表現にあります。戦国時代の城の総攻めを思わせるところもあって、読者をはっとさせるものがあります。冬の月は澄みわたった大気の中で磨ぎ澄まされたように輝く。真っ白い本丸とともに鯱鉾をかすめて光る青白い月が眼に浮かんできます。  

毒舌も愚痴も出つくしふぐ雑炊   大西きん一 

忘年会の情景でしょう。忘年会は年の暮に友人や仕事仲間が集まって、一年の労をねぎらって無事を祝います。飲んだり食ったりして宴が盛りあがってくると、人の悪口や言っても仕方のないことを言って嘆く人も出てくるものです。そんな宴会の締めくくりの場面を「毒舌も愚痴も出つくし」と僅か十二音で表現されたところが巧いと思います。締めのふぐ雑炊が運ばれて賑わっていた座敷も静かになったことでしょう。

 

2月号

主宰詠

羚羊の親子のいどむ岩場かな

バンジョーを囲む芝生の小春かな

夜目に見る返り咲きたる白つつじ

墨堤に渡しの跡や芭蕉の忌

蒼天へ枯葉をとばすポプラかな

湯の里は夕日にはえて冬紅葉

今朝冬の結露でくもる道路鏡

神留守の神鈴ならす童かな

手土産に手のひらほどの熊手買ふ

高みへと風のつれさる雪ぼたる

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

上州の風に壁なす懸大根      綾野知子

眼とぢ紅待つ少女七五三      野地邦雄

湯煙の溶けて深まる冬の霧     野口晃嗣

秩父路の暮るる早さや秋遍路    佐藤啓三

山眠る懐深く蒸留所        原田敏郎

大根さげ横切る京都御苑かな    大西きん一

艶のあるものを集めて木の実独楽  久下萬眞郎

四阿に鯉ゆつくりと来て小春    内田吉彦

焼芋の土の香もしてはふはふと   小松千代子

茫洋と大河に添へる枯野かな    金子京子

紅葉狩り旅の鞄に御朱印帳     中川文康

田を渡る神楽ばやしや旅の宿    田中泰子

一湾に大河の果てて冬落暉     加藤田鶴栄

私にさはらないでと鳳仙花     平野久子

夜廻りの過ぎて静寂の深まりぬ   武藤風花

木犀の三度咲きたる仐寿かな    髙橋那智子

散紅葉しばし掃かぬと御住職    小磯世史

重たさが勝負の決め手木の実独楽  藤井英之助

現世へ未練いくつや帰り花     高堀煌士

振りの傘はステッキ時雨虹   鈴木ゆう子

風邪の児にひとつ買ひたす土産かな 砥上 剛

黄落の唐松林そぼ降りぬ      春日春子

駅前に屋台の揃ふ一葉忌      大河内基夫

山眠り煙をあぐる陶の郷      山本兼司

見上ぐれば都会の孤独冬オリオン  橋本瑞男

期せずして相合傘や初時雨     清水正信

綿虫や一つ出でたる墓のみち    宮沢かほる

時雨るるやオール漕ぐ子の乱れなし 白坂美枝子

桧香る材木売場冬に入る      秦 良彰

子の家に孫の来てゐる小春かな   山本智子

 

 

選後一滴        坂元正一郎

上州の風に壁なす懸大根      綾野知子

上州名物といえば「かかあ天下に空っ風」と言われるように群馬県上州地方は北西から吹く乾燥した冬の季節風の強いところ。この風に山の名を冠して「赤城颪」や「榛名颪」などの呼び方もある。この句の巧みなところは「風に壁なす」としたところにあり、懸大根が何段にも懸けられた壮観な情景が目に浮かんできます。上州という固有名詞が効いており、懸大根の向こうの上毛三山も想像させる一句となりました。 

眼とぢ紅待つ少女七五三      野地邦雄 

掲句は東京句会で好評を博した中の一句です。七五三のお祝いのために美容院などで着付けやお化粧をしているところ一句にされたのでしょう。口紅を塗るのは少女にとって初めてのことであり、美容師さんに口紅を塗ってきれいになりましょうねーなどと諭されたのでしょう。眼を閉じて口紅をじっと待つ純真無垢な少女の可愛さが印象的な作品となりました。

 

2022年 

1月号

主宰詠

色鳥の来てゐる朝の静寂かな

川堰のしぶきの放つ白鶺鴒

波音に子のあやされて十三夜

静けさの谷戸をどよもす威銃

連れ添うて傘さすごとく毒茸

その肌に磨きのかかり椿の実

木道は湖をかすめて草紅葉

爺婆のスマホ教室文化の日

熱気球色なき風に彩競ふ 

一振りの太刀で仕上がる菊人形 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

霊峰のかへす谺の秋気かな     大西きん一

少年の旗振る柿の直売所      中川文康

よく弾むお国訛が新酒酌む     原田敏郎

朝顔の実のあらはるる息かけて   小松千代子

見晴るかす尾瀬や湖沼の草紅葉   野地邦雄

海風の丘満目の草もみぢ      綾野知子

稲架棒と人の古りたる棚田かな   佐藤啓三

色変へぬ松の龍鱗盧舎那仏     田中泰子

草紅葉包む小島に漕ぎ出でし    松木渓子

見送るも振り返へらずに秋ゆふべ  加藤田鶴栄

朝靄の風に乗りたる雁の声     魚谷悦子

秋の日や野菊の墓へ渡し待つ    平野久子

雲梯をするり渡る子秋高し     野口晃嗣

子を連れて初挑戦の稲扱機     金子京子

走り根の語るうねりや木の実降る  山口義清

耳とほき夫婦仲よし柚子の家    砥上 剛

かん高き鳥の声きく秋思かな    重原智子

にぎやかな鯊釣り家族日曜日    白坂美枝子

この坂の上にはわが家星月夜    小磯世史

天高し次次啜るわんこそば     橋本瑞男

秋の灯を手元に引きて臨書かな   上原 赫

古民家の竈に煙や冬隣り      髙橋那智子

露霜や刈りたる草も光りたり    宮沢かほる

捨案山子余生は空を見て過ごす   大河内基夫

イニシャルを刺す糸選ぶ秋の夜   鈴木ゆう子

天高し旅順見下ろす砲二門     栗原 章

秋晴の涯なき空に雲ひとつ     清水正信

仮装して悪鬼妖怪ハロウィーン   楢崎重義

川風をひらりと鳶の秋日和     春日春子 

補聴器の耳に大声そぞろ寒     山本智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

霊峰のかへす谺の秋気かな     大西きん一

霊峰は富士山など信仰の対象となっている神聖な山のことで日本各地にある。中七の谺がなんの谺なのか作品からは分からないが、霊峰が反す谺だから修験者の吹き鳴らす法螺貝の音も想像します。秋気は秋の清々しく澄みきった湿気の少ない空気のこと。こんな秋気のなかで聞こえる谺はより鮮明に聞えそうであり、神々しくも爽やかな雰囲気の一句となりまし。

 

少年の旗振る柿の直売所      中川文康 

豊橋市を走る道路に「柿の木街道」と言うのがあって掲句の直売所はその沿線の直売所との文康さんのお話です。ネットを覗くとこの豊橋市の次郎柿の栽培面積は日本一を誇るとある。柿の収穫シーズンともなると家族総出で道路沿いに直売所を構えて販売するのでしょう。掲句はその直売所の旗振り少年に着目された。旗を振って親を手伝う少年の健気な姿に車を停めては次郎柿を求める人も多いことでしょう。 

 

十二月号

主宰詠

磐座を揺らすが如く葛あらし

馬小屋の馬のいななく秋気かな

木漏れ日に翼をとぢて秋の蝶

木犀の下を掃きゐる小僧かな

また一つ星のまたたく虫の秋

潮入の河に潮さす鯊日和

岬へと帽子の飛んで薄原

渡船へと急ぐ一人の秋日傘

月光に打たれて歩く波止場かな 

蜻蛉も芝生にまねき野外劇

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

無住寺に千客万来虫時雨      佐藤啓三

燕去り電線の無き木曽街道     久下萬眞郎

神鹿とあがめられ角伐られけり   大西きん一

安曇野の白きさざ波蕎麦の花    金子京子

鈴虫に破調のリズムありにけり   野地邦雄

天高しビルに二本の命綱      武藤風花

寝付かれぬブルートレイン星流る  野口晃嗣

組紐の駒音軽く秋澄めり      綾野知子

古稀すぎて着飾る日あり女郎花   魚谷悦子

言の葉のいらぬ月夜と成りにけり  加藤田鶴栄

淡けれど花傘となり女郎花     平野久子

穂芒を風より貰ひ供華とする    山口義清

雨激し明かりをつける厄日かな   小松千代子

子規の忌の糸瓜束子の白さかな   中川文康

栗を剥くチャイコフスキーを聞きながら松木渓子

薮漕ぎや一息入るる烏瓜      清水正信

足音に鯉集まりて寺の秋      宮沢かほる

竹トンボ何処へ飛んでも秋の空   大河内基夫

猫は反り人は伸びして秋うらら   山本智子

保護色のハーブに憩ふ飛蝗かな   秦 良彰

井戸水に友の数だけラフランス   鈴木ゆう子

天高く一汁一菜老夫婦       桐山正敏

空蟬や空を睨みてふんばれり    栗原 章

うたた寝の耳さはがせて法師蝉   藤本冨美子

それぞれの声聞きわけて虫時雨   白坂美枝子

縄文人渡来のルート小鳥来る    髙堀煌士

突つ走るだんじりのその男ぶり   山本兼司

蟋蟀や地下千段に山の駅      砥上 剛

街路樹の枝から降れる虫の声    楢﨑重義 

露の径下れば祖谷の隠れ里     髙橋那智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

無住寺に千客万来虫時雨      佐藤啓三

日本各地には住職のいない無住寺が数多くある。多様化した時代背景や人口減少による後継者不足がその原因といわれます。この句の面白いところはお寺に「千客万来」の貼紙があったとするところ。檀家さんの増加を願っているかの千客万来に無住寺を何とかしたいとする地域の切実な思いを感じるとともに虫時雨が無住寺の雰囲気を醸した印象深い一句です。 

 

燕去り電線の無き木曽街道     久下萬眞郎 

日本橋を起点とし大津を終点とする中山道のうち木曽地方の贄川宿から馬籠宿の間が木曽路である。この一帯は趣のある景勝地も多く中山道自体を木曽街道とも呼んでいる。街道沿いは宿場町としての景観形成の観点から電線類は見当たりません。通りを賑わせていた燕もいなくなり、電線の無い空っぽな空の街並みに一抹の寂しさも漂ってきます。 

 

十一月号 

主宰詠

横丁の狭きに燃ゆる門火かな

護摩行の声の漏れくる初あらし

ころころと散りたる路地の芙蓉かな

売られゆく庭のひろさや木槿垣

暮れのこる森をしきりに法師蝉

しなやかに尾長の翔んで涼新た

立秋や指になじめる広辞苑

道端の噂ばなしに一葉落つ

鰡飛んで遠くなりたる向う岸 

江戸川のながれ豊かに星月夜

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

前前前右右左西瓜割        中川文康

うたた寝に風通りゆく葉月かな   平野久子

行く夏や卒寿の胸に母が棲む    武藤風花

六歳も八十路八月十五日      山口義清

積ん読の四角揃へて今朝の秋    魚谷悦子

いつの間に雨の上がりて秋の蝉   野口晃嗣

ひぐらしの鳴き止むまでの露天風呂 金子京子

鬼やんま昔と同じ勇姿かな     久下萬眞郎

肩上げをおろし踊の輪に入りぬ   加藤田鶴栄

蜜豆や内緒ばなしの姉いもと    大西きん一

遺句集に青春の襞星流る      佐藤啓三

流星の奔る縄文遺跡群       野地邦雄

ひき潮の残すサンダル大西日    綾野知子

名月の大きさを問ふ孫と居て    堤 淳

赤とんぼ里の便りを運びくる    松木渓子

千年の樹々に七日の法師蝉     髙橋那智子

鰡飛んで河のしじまを破りけり   楢﨑重義

水音を書斎に流す残暑かな     髙堀煌士

アッパッパ鉢の水やり加減なし   小磯世史

齢のせゐ医師取り合はぬ夏やつれ  桐山正敏

蟬時雨デイサービスの母帰る    栗原 章

秋高し何やら喋る赤ん坊      大河内基夫

手花火を囲みし子らのひざこぞう  宮沢かほる

輪になつて囲む線香花火かな    鈴木ゆう子

思ひきり描く大空雲の峰      白坂美枝子

街並みを仄かにこがし遠花火    根本光子

工作品半ば親の手夏休み      春日春子

其処退けと蟷螂が斧振りかざし   上原 赫

新涼の刻確かめて二度寝かな    山本智子

乱れたる馬の尾さばき初あらし   砥上 剛

 

選後一滴        坂元正一郎 

前前前右右左西瓜割        中川文康

西瓜割りは海水浴にともなう遊びで夏の季語、西瓜は秋の季語として歳時記では整理されています。矛盾しているようですが、それはさておき掲句の巧みなところは名詞を漢字だけで連ねて西瓜割りの情景を見事に詠われたところ。西瓜割りの棒を持って目隠しをした人を応援するかの誘導の掛け声が聞こえる臨場感あふれる楽しい一句となりました。 

 

うたた寝に風通りゆく葉月かな   平野久子

葉月は陰暦八月の異称。陽暦ではほぼ九月にあたります。九月になっても暑い日が多いですが、朝夕はしのぎやすくなるものです。この頃は夏の疲れからか、ついうたた寝もしたくなるものです。掲句の妙味は句切れを入れずに上五から下五まで一気に詠み下したところ。俳句の大切な要素であるリズムが生まれて、心地よい風の流れも感じさせる一句となりました。 

 

十月号

主宰詠

もう二度と走らぬ廃車草いきれ

涼しかる足捌きもてバレリーナ

シャッターを閉ざす問屋の大暑かな

団子屋に客をいざなふ江戸風鈴

ぎゆう詰めになつて井堰の布袋草

梅雨明や腹を見せゆくオスプレイ

峰雲の峰をかすむるジェットかな

起きぬけに開ければ灯る冷蔵庫

盛りこぼす一升瓶の冷酒かな 

あしたへと庭掃く暮れの合歓の花

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

池の面へ睛点じて通し鴨      野口晃嗣

だぼシャツの翁脚立に青ぶだう   綾野知子

雲海の埋め尽くせる峰いくつ    加藤田鶴栄

あの音は碁敵辺りはたた神     武藤風花

恋知らぬ少女高鳴る螢の夜     野地邦雄

万緑にふぐり晒して露天湯かな   佐藤啓三

溢るるを顎で迎ふる冷し酒     中川文康

八坂へと水打つ道を上りけり    久下萬眞郎

雨来ると風の耳打ち合歓の花    田中泰子

酸つぱさは恋の思ひ出ところてん  魚谷悦子

リゾートの予定地のまま草いきれ  大西きん一

河童忌や褪色の椅子海に向く    金子京子

風鈴の音交じりたる小江戸かな   内田吉彦

峰雲の峰アルプスの峰へ置く    山口義清

小手毬の毬の重さに枝垂れ咲く   平野久子

お絞りの熱きをほぐし冷し酒    砥上 剛

海戦のありし方より夜光虫     大河内基夫

海浜に尖るテントの核家族     小磯世史

ヤンキーを抜けたる少女半夏生   髙堀煌士

御嶽の怒りしづむる蕎麦の花    松下弘良

老鶯や行く先々に声のして     栗原 章

身のこなし俄に軽し更衣      山本兼司

昼顔の蕾の緩ぶ塾帰り       髙橋那智子

西日さす河原に子等の影のびて   藤本冨美子

谷川の水を慕ひし子鹿かな     上原 赫

梅雨深し緑の雫そこここに     西谷髙子

寝苦しき夜の静寂に百合匂ふ    宮沢かほる

干草の陰からぬつと牛の顔     清水正信

副反応七度四分の溽暑かな     橋本瑞男 

遠山にぷかり雲浮き梅雨明くる   秦 良彰

 

選後一滴        坂元正一郎 

池の面へ睛(ひとみ)点じて通し鴨 野口晃嗣

通し鴨は夏になっても北地へ帰らないで残り営巣して雛を育てる鴨のこと。掲句はこの鴨が池の真ん中あたりに浮かぶ景色を一句にされた。この句の巧いところは、池を景色の中の目と見立てて通し鴨がその目の睛だとする中七の「睛点じて」の措辞にあります。よく見かける景ではありますが、鷹羽狩行さん思わせる機知に富んだ一句となりました。 

 

だぼシャツの翁脚立に青ぶだう   綾野知子 

だぼシャツは部屋着やちょっとした外出にも着られる涼しくて気楽な夏の着物。この句の巧みなところは、だぼシャツの翁と青葡萄との取り合わせにあります。中七の脚立は庭先にある葡萄棚の青葡萄に袋掛けをするなどの手入れをしているところでしょう。だぼシャツ姿の翁にはどことなく親近感があり、読者の共感を誘うとともに葉洩れの日に光る青葡萄を想像させるなど涼しげな一句となりました。 

 

九月号

主宰詠

竿受けに釣竿あづけ行々子

白鷺の影をゆがむる真鯉かな

緑蔭の暗さにまぎれ鴉どち

映るもの雲しかなくて大植田

虎の尾の風にさゆらぐ山路かな

上水へ笹舟ながす太宰の忌

頻浪にけぶる岬や青あらし

郭公のふたこゑ鳴いて其れつきり

尼寺の深閑として竹散れり 

木版の匠の逝つて梅雨の星(悼泉敬子さん)

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

初辣韭砂も目方の量り売り     中川文康

千頭の赤牛放つ大夏野       大西きん一

夏鶯の一声谷戸を潤せり      佐藤啓三

地方紙に包む紫陽花客来る     山口義清

飛び出してすぐに戻るや燕の子   野口晃嗣

夕立の空をつき抜くスカイツリー  田中泰子

梅雨に入る筆一本の重さかな    武藤風花

鳰の子の潜りて母に遠く浮く    加藤田鶴栄

静かなるコロナ禍の町梅雨に入る  平野久子

梅雨晴や激しく唸るブルドーザー  魚谷悦子

池の面の雲渡るごとあめんばう   金子京子

サングラスかけて己を欺きぬ    野地邦雄

数へては数の変はれり梅雨の星   綾野知子

コロッケに筍きざみ揚げたてを   松木渓子

山寺の鐘にまくなぎ湧き立てり   内田吉彦

川底の日の斑を縫うて鮎走る    髙堀煌士

夏雲を指して遮断機跳ね上がる   宮沢かほる

片蔭を埠頭に作り着岸す      山本智子

川風にポピーの踊る昼餉の輪    白坂美枝子

冷奴一丁そのままコップ酒     栗原 章

鐘の丘下る園児の夏帽子      髙橋那智子

再開の講座かけもち青田風     小磯世史

骨のまま食べてしまはう串の鮎   山本兼司

雲の峰金剛山に迫り来る      上原 赫

南天の花散り敷きて道白し     清水正信

渓流の千紫万紅七変化       楢﨑重義

昼顔や錆びしレールを越えて咲く  大河内基夫

曳き牛の背で畦わたる雨蛙     砥上 剛

干し草の山に潜る子かくれんぼ   藤井英之助 

教室に大きく二文字夏休      松下弘良

 

 

選後一滴        坂元正一郎 

初辣韭砂も目方の量り売り     中川文康

農家の庭先での光景でしょうか。辣韭は土で育ったものより砂地で育った方の品質が良いとされます。中七の「砂も目方の」の砂は初辣韭の品質証明とも取れて巧みな表現です。量り売りは枡や秤などを用いて客の求めるだけの量をはかって売ることで、むかしは酒や醤油などもこの量り売りで販売されていた。掲句の量り売りが昭和の暮らしを彷彿とするノスタルジックな雰囲気の一句となりました。 

 

千頭の赤牛放つ大夏野       大西きん一 

赤牛は阿蘇地方で飼われていた在来種とシンメンタール(スイス西部)地方原産種との交配による和牛のこと。寒さや暑さにも強く放牧に適しているといわれる。熊本は赤牛の日本一の生産地であり、下五の大夏野は阿蘇の大草原を思わせます。掲句の巧みなところは数詞の使い方にあり、何処までも広がる夏野に点々と放牧された赤牛が爽快感を醸しています。

 

八月号

主宰詠

松蝉のこゑに聞き入る磨崖仏

軽暖や水にたたずむ浮御堂

奥多摩のとある蕎麦屋が山女焼く

初夏の女将のしやべる博多弁

馬小屋に馬はゐなくて麦の秋

薔薇園に飽いては海を見て帰る

セスナ機の飛びたつ茅花流しかな

花盛るなんじやもんじやの深大寺

ハンカチの花のこぼせる日の斑かな 

朴の花眼下にのぼるリフトかな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

万緑の中や一万尺の山       久下萬眞郎

ジーパンの少女眩しき初夏の海   野地邦雄

トンネルをつなぐ鉄橋谷若葉    佐藤啓三

目つむれる髪に五月の風流る    平野久子

街路樹の五分刈りにされ薄暑かな  綾野知子

大泣きの赤子を戻す鯉のぼり    大西きん一

白シャツの洗ひざらしの日曜日   野口晃嗣

新茶汲む夫婦茶碗のある暮し    小松千代子

看護師の白衣まぶしき聖五月    金子京子

濃く淡く秩父の青や夏初め     中川文康

高祖父の箱書き太し武者人形    内田吉彦

麦笛は利根川を渡りて聞えくる   田中泰子         

夏燕早瀬の流れかすめ飛ぶ     加藤田鶴栄

つぶらなる瞳に映る新樹光     岩﨑よし子

初夏の瑠璃色の空どこまでも    松木渓子

背伸びして香りたのしむリラの花  魚谷悦子

公園の保母声嗄らす五月かな    大河内基夫

ひと抱へ紫陽花剪りて友に分く   清水正信

新緑をぬけて新緑川に沿ひ     西谷髙子

富士仰ぐ金時茶屋の柏餅      砥上 剛

繭蔵の今は雑貨屋夏旱       松下弘良

麦の秋国境越ゆる道一本      髙橋那智子

新緑の四阿に聴く風の音      白坂美枝子

献木の支柱朽ち果て花薊      楢﨑重義

はち切れん帆の曳く網や湖五月   髙堀煌士

母の日の共働きの里帰り      小磯世史

新ビルは窓ばかりなり風光る    山本兼司

クルーズの出航のドラ夏に入る   山本智子

川沿ひの細き山道余花を縫ふ    春日春子 

ウーバーが急ブレーキ掛く薄暑かな 橋本瑞男

 

選後一滴        坂元正一郎

万緑の中や一万尺の山       久下萬眞郎

一読して子どもたちの手遊び歌として歌われている「アルプス一万尺」を思い出した。この歌の一番の歌詞「アルプス一万尺小槍の上で・・・」の小槍は、槍ヶ岳の山頂付近にある岩の名称のことと言われます。一万尺はメートル換算すると約三千三十メートルで小槍の標高となります。草木の生茂る深緑の山麓に聳える槍ヶ岳など北アルプスの山なみを想像させる軽妙で機知に富んだ一句になりました。 

 

ジーパンの少女眩しき初夏の海   野地邦雄

ジーパン姿は男女を問わず一年を通じて見かけますが、洗濯も簡単なことから夏場は特に便利なファッションです。この句の要は下五の「初夏の海」にある。これがただの「夏の海」だったら中七の「眩しさ」も半減したことでしょう。陽光降りそそぐ海辺を楽しむ健康的な少女がスケッチされており、映画のワンシーンのような味わいのある一句となりました。

  

七月号

主宰詠

鎖場の鎖のたれて岩躑躅

緑立つ松くゞりての開山堂

神杉の秀にかゝりたる朧月

児のボール雀隠れに止まりけり

しづしづと花影をすべる小船かな

参進の儀の列すすむ春日かな

竹秋の風にあきなふ蛸焼屋

勤行の姿勢ただして葱坊主

大根の花も咲かせて貸農園 

遠足の列の乗りこむ渡船かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

行く春や水陽炎に揺るる橋     中川文康

電鉄の一駅ずつと花林檎      久下萬眞郎

うらゝかや誰にもすぐに懐く猫   加藤田鶴栄

わらんべの母の手ほどき青き踏む  大西きん一

閉店は手書の貼紙春時雨      野地邦雄

下宿屋の消えし本郷啄木忌     佐藤啓三

春うらら水琴窟の音さやか     平野久子

終章の身に降りかゝる櫻花かな   内田正子

合掌で終る手紙や翁草       武藤風花

桜咲く聖火の光走りけり      山口恵子

抱き上げて花の匂ひを児に託す   岩﨑よし子

ジャズバーの今日も灯らず春の星  綾野知子

桜蕊降るや紅殻色の径       野口晃嗣

新川の幅いつぱいに花見舟     魚谷悦子

川沿ひに走る車中の花見かな    松木渓子

帰るなり先生の名を入園児     小磯世史

田起しや縦横走る耕耘機      楢崎重義

ランドセル足だけ見ゆる一年生   西谷髙子

花の下ゆつくり進む福祉カー    宮沢かほる

点々と山を灯して夕辛夷      春日春子

鳥雲に入りたる風の葛西沖     根本光子

燕の子大きく廻る湖上かな     松下弘良

藤房を伝ふ雨粒花と化し      藤井英之助

みちのくの遠嶺は花の雲の上    砥上 剛

あくびして信号待ちの一年生    重原智子

すかんぽを噛みし原野の街となる  清水正信

喧噪の中の孤独や春愁ひ      山本智子

春昼やパステルカラーのラムネ菓子 髙橋那智子

黄帽子の数ふる声やチューリップ  上原 赫 

かづら橋ゆく及び腰百千鳥     山本兼司

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

行く春や水陽炎に揺るる橋     中川文康

水陽炎は水が太陽の光を反射して陽炎のように揺れ動いて見えるもの。陽炎で遠くのものが揺らいで見えることはあるが、水陽炎の映った橋が揺らいでいるとする詩的な表現がこの句の巧みなところ。コロナ禍で自粛生活を余儀なくされた今年の春も、もう行ってしまうなと言うような作者の感傷的な気持ちを重ねてあるとも取れる味わい深い一句となりました。

 

電鉄の一駅ずつと花林檎      久下萬眞郎 

電鉄と花林檎とくれば此の電鉄は長野電鉄のことと想像できる。かつて私がこの電車に乗った時はまだ雪景色でした。掲句の眼目は中七の「一駅ずっと」とする断定的な措辞にある。一駅の長さは読者の想像に委ねるところではあるが、いくら走っても視界に入ってくる白い花の林檎園が目に浮かんできます。この電車の走る先には湯量豊富な湯田中温泉もあり電鉄の旅を満喫されたことでしょう。

 

六月号

主宰詠

芽柳を分けては渡る小橋かな

その先は池のふかみへ螺の道

もうもうと春塵はしる造成地

河口へとなびく銀波の茅花かな

みづうみに小き波紋や初つばめ

機首ぐいと上げてセスナの雲雀東風

奥院へのぼる喘ぎや山笑ふ

はけの水流れとなりて水草生ふ

離岸する汽笛ひゞきて鳥帰る 

うたごゑは宴の華や重次の忌

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

汚染土の袋隠れに下萌ゆる     野地邦雄

下校児のさよならの声暖かし    加藤田鶴栄

春愁や𠮟りし猫を膝に呼ぶ     武藤風花

一人づつのベンチ一人づつの春   野口晃嗣

潮の香を桶いつぱいに浅蜊売    内田吉彦

大島を遠見に帰路の遅日かな    綾野知子

春泥や奥の院へと粗莚       中川文康

一陣につづき一陣鴨帰る      田中泰子

ふらここの揺れを合はする二人かな 大西きん一

おほらかな山懐の春野かな     久下萬眞郎

もらひたる子猫一日寝てをりぬ   小松千代子

芽吹きかな樟の大樹に筆を足す   岩﨑よし子

生垣を越えてこぼるゝ椿かな    魚谷悦子

小夜の雨含みてよりの落椿     平野久子

芽柳や画廊をめぐる裏通り     佐藤啓三

アルプスの水に咲かする花山葵   金子京子

糸遊にくすぐらるるや辻仏     髙橋那智子

網打つて春の湖引き寄する     松下弘良

通院の背に降る光春兆す      吉井博子

野蒜抜くその球根の白さかな    清水正信

風紋の影濃き砂丘風光る      山本智子

薄紙にひひな納むる節榑手     西谷髙子

房総の菜の花縫うて一輌車     橋本瑞男

故郷の山の名歌ふ卒業子      大河内基夫

蓮如忌や亡母手書きの御文読む   桐山正敏

芽吹かんと力む唐松紅を差す    春日春子

草野球負けて日暮れの土筆摘み   藤井英之助

春宵や唇濡らす赤ワイン      山本兼司

対岸のフェリー手招く日永かな   髙堀煌士 

ドローンより俯瞰せる我青き踏む  砥上 剛

 

選後一滴        坂元正一郎

下校児のさよならの声暖かし    加藤田鶴栄

「暖か」は春の季語であるが、この「暖か」には客観的な温度とは別に心理的な「暖かさ」というのもある、と歳時記にある。例えば、暖かにかへしくれたる言葉かな(星野立子氏)あたたかや万年筆の太き字も(片山由美子氏)の句がある。掲句の「さよならの声暖かし」も同様であり、春の麗らかな陽気の中に暖かみある語調のさよならの声が聞こえてきます

 

春愁や𠮟りし猫を膝に呼ぶ     武藤風花 

春愁は春を迎えているのに、なんとなく気がふさいで物憂い思いになること。猫は畳や柱で爪を研ぐなど悪戯もするもので掲句の猫も何か悪さをしたのでしょう。叱られた猫は部屋の片隅でじっとしているもので、それをかわいそうに思った作者は自分の膝に呼んで猫を慰めている。この猫を呼ぶ行為が春愁の物憂い気持ちと重なって味わい深い一句となりました。

  

五月号

主宰詠

立春や耳にかゞやく白真珠

春めくや母呼ぶこゑの滑り台

若布干す浜の姉さん被りかな

教会の鐘も鳴りだす春一番

二ン月の壁に馴染める暦かな

かたかごの花のありかを風に聞く

鶯の黙つてくゞる垣根かな

剪定や唸りどほしのチェーンソー

春しぐれ見番通り過ぎにけり 

かくれんぼの鬼の声して二月尽

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

福笹のどつと乗り込むなんば駅   大西きん一

天窓に針の白さや寒三日月     中川文康

落日を背負ふ耕人たゞひとり    金子京子

馬鈴薯を植うるは俄農夫かな    久下萬眞郎

合格へ絵馬も奮へり春一番     内田吉彦

物差しに妻の旧姓針納め      野地邦雄

節分の一人に余る恵方巻      佐藤啓三

診察券探る財布や春寒し      綾野知子

赤本を手に吊革の受験生      野口晃嗣

笑まふ事心がけよと福寿草     内田正子

寒声の竹百竿を抜けにけり     武藤風花

浜寺の松露団子や春の雪      山口恵子

春寒し遠隔操作で見る廃炉     松木渓子

手すさびの捗る一日雪もよひ    岩﨑よし子

うすうすと置く日とらへて下萌ゆる 加藤田鶴栄

鰆追ふ漁師の喰ふにぎり飯     楢崎重義

城崎の湯けむり越えて鳥雲に    山本兼司

草萌や巡回バスに友の顔      小磯世史

芝目読む影の動かぬ日永かな    高堀煌士

白鳥の翔ちて湖あけわたす     宮沢かほる

天竜川を逆撫での風春浅し     春日春子

春燈や夜風に乗りて胡弓の音    大河内基夫

口笛の人影遠く木の芽風      山本智子

小羊の群に春日のとゞまれリ    鈴木ゆう子

温顔の牛の眼や草萌ゆる      根本光子

比良颪魞挿す舟を乱しをり     藤井英之助

蒲公英の囲む空港離島行き     砥上 剛

草むらに紅はんなりと木瓜二輪   吉井博子

欄干に向きをそろへて百合鷗    白坂美枝子 

ぴちぴちと白魚の水掬ひけり    秦 良彰

 

選後一滴        坂元正一郎 

福笹のどつと乗り込むなんば駅   大西きん一

福笹は戎祭のときに商売繁盛を祈願し、たくさんの縁起物をつけて売られる笹のこと。大阪では「えべっさん」とよばれ各地の戎神社で十日戎の祭礼が行われ、なんば駅に程近い今宮戎神社の十日戎では大勢の参拝者で賑わうと言われる。「どつと乗り込む」の措辞に福笹を手にした人で混み合うなんば駅が臨場感をもって伝わってきます。商いの街大阪を象徴するかの一句となりました。 

 

天窓に針の白さや寒三日月     中川文康 

短い言葉で物事を端的に描写できる技法のひとつに比喩があります。掲句は青白く光る寒三日月を「針の白さ」と断定された。意表を突かれた思いもありますが斬新で真に迫るものがある。三日月には利鎌月「ルビとがまづき」の名もあるように、研ぎ澄まされた鎌の光りを連想させるシャープで冴え冴えとした寒三日月が天窓の向こうに浮かんできます。

 

4月号

主宰詠

嬉々として庭を跳ねゐる初雀

宅配の水もて沸かす福茶かな

一匹も頭もげずに小殿原

海光に葉のてらてらと寒椿

甑から湯気もうもうと寒造

凍星や軋んでとまる荒川線

ことごとく鳥に喰はれて青木の実

高枝の風に吹かれて寒の鵙

てくてくと鳩の寄りくる春隣 

この先は窯煙のぼる探梅行

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

裾に敷く関東平野初筑波      内田正子

鼻唄で返すオセロや日脚伸ぶ    綾野知子

茶碗酒注がれてあたるどんどかな  中川文康

着ぶくれてテレビ桟敷の応援団   小松千代子

松過やポンパドウルに長き列    金子京子

日脚伸ぶ指圧のつぼの効能図    大西きん一

那須の湯に五体あづけて除夜の鐘  平野久子

あをあをと嵯峨野に冬の京野菜   久下萬眞郎

賑はひの声に重なる餅の音     岩﨑よし子

病む友の一喜一憂去年今年     田中泰子

日章旗ひらめく朝や賀詞交はす   魚谷悦子

大観の墨に時雨の玻璃明り     武藤風花

確かむるズボンの折り目初仕事   野口晃嗣

切通し抜けて五山の初景色     佐藤啓三

みどり児の乳歯生え初む春隣    野地邦雄

番台に祝儀重なる初湯かな     内田吉彦

もう一枚もう一枚と初写真     小磯世史

獅子舞に泣く児笑ふ児真似する児  藤井英之助

日だまりを我と分け合ふ寒雀    栗原 章

巫女座るガラス戸明し初みくじ   宮沢かほる

着ぶくれの赤子眠れる乳母車    清水正信

寂庵に白寿を愛でて寒椿      橋本瑞男

錫杖の床突く響き鬼やらひ     髙堀煌士

獅子舞の後ろ脚なる自治会長    上原 赫

拝礼を横目でまねて初詣      鈴木ゆう子

遠目にも紅ほつほつと梅早し    西谷髙子

取り皿に頭揃へて小殿原      髙橋那智子

諏訪大社ありてわが町初詣     松下弘良

どこまでも碧みの空に羽子をつく  吉井博子 

年の瀬やレンジの中の忘れ物    楢崎重義

 

選後一滴        坂元正一郎  

裾に敷く関東平野初筑波      内田正子

筑波山は古くから信仰の山として広く知られてきた。掲句の巧みなところは関東平野にすっくと立つ筑波山がその山裾に関東平野を敷いているとする「裾に敷く関東平野」と表現されたところ。この関東平野が鏡餅を飾るときに餅の下に敷く半紙や裏白を思わせるところもあり、初筑波に対する畏敬の念を込めたとも取れるスケールの大きな一句となった。 

 

鼻唄で返すオセロや日脚伸ぶ    綾野知子 

オセロは表裏白黒の丸い駒を交互に盤面へ打ちながら、自分の駒ではさんだ相手の駒を裏返して自分の色の駒にすることで駒の多さを競うゲーム。冬至を過ぎると昼の時間が長くなります。それも一月半ばを過ぎる頃から日脚の伸びを実感するようになり何となく嬉しくなるものです。掲句は自分がゲームを優勢に進めている楽しさを下五の「日脚伸ぶ」に重ねたとも取れる巧みな一句となった。

 

3月号

主宰詠

リボンかけポインセチアの届きけり

手袋を取つては交はす名刺かな

遅れくる人くるまでの日向ぼこ

数へ日の猫のまどろむ谷中かな

黄昏れていよよ華やぐ羽子板市

サイレンの音のあつまる近火かな

酔漢を送りとどけて冬銀河

手のひらに湿りをくれて餅を搗く

ときをりは薄目をあけて浮寝鳥 

碧空へ湖をかけゆく大白鳥

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

空き缶が風にころがる夜鳴そば   大西きん一

毅然たる闘病の友冬薔薇      山口恵子

その中の動かぬ鳥や冬景色     野口晃嗣

長旅を湖北に癒やす真鴨かな    久下萬眞郎

触診の手をストーブに島の医師   田中泰子

羽子板市手ぶらで抜けて屋台酒   野地邦雄

人形のつぶやき始む霜の夜     綾野知子

数へ日や妻の小言のあといくつ   佐藤啓三

その話三回目です日向ぼこ     中川文康

バス停の手話のやりとり冬うらら  魚谷悦子

あれこれとせまる〆切年暮るる   小松千代子

湯気あがるぶつかり稽古初氷    内田吉彦

煌々と師走の夜空輝きて      松木渓子

此の町を終の住まひと年惜しむ   内田正子

追ひつかぬ落葉の走りつむじ風   岩﨑よし子

大マスク口隠せども目が笑ふ    加藤田鶴栄

夫知らぬ九年の月日冬に入る    平野久子

木の瘤を地に映してや冬日差    春日春子

十二月八日の朝のパンにジャム   山本兼司

藁笠に紅をうつして寒牡丹     清水正信

なまはげや十軒目には酔ひ痴れて  橋本瑞男

倒木に径塞がれて山眠る      山本智子

たひ焼の頭はあなた尾はわたし   鈴木ゆう子

奥三河一軒宿の薬喰        藤井英之助

百年の味噌蔵仕舞ふ小春かな    根本光子

柚子一つ肩に触れくる仕舞風呂   宮沢かほる

鉄瓶の黒頼もしき寒廚       秦 良彰

細波の煌めき渡る河小春      楢﨑重義

熊の皮敷ける横座や薬喰      砥上 剛 

冬桜ヘネシー匂ふケーキ店     髙堀煌士

 

選後一滴        坂元正一郎

空き缶が風にころがる夜鳴そば   大西きん一

夜鳴蕎麦は夜、屋台を引いて売り歩く蕎麦のこと。土生先生の語録に秀句は人間の五感の内の二つ以上がどこかで働いているものである、とするくだりがあります。この句の「風にころがる空き缶」は「触角」と「聴覚」で捉えたもの。夜鳴そば(屋台の灯)には「視覚」も働いている。街角に灯る屋台の明かりに、夜鳴蕎麦をすする人の後ろ姿が目に浮かんできます。

毅然たる闘病の友冬薔薇      山口恵子 

一読して白血病に襲われた水泳の池江璃花子選手のことを思い出します。苦しい闘病生活を送る中、レースへの復帰の気持ちを語っていたときの強い意志を感じさせる澄んだ目が印象的でした。この句のお友達も容易ならぬご病気と闘っていらっしゃるのでしょう。真紅を思わせる凛とした冬薔薇を友に重ねたとも取れる巧みな一句となりました。

 

2月号

主宰詠

手のひらの温みをそれて雪ぼたる

頭に肩に唐松落葉しぐれかな

天辺の枯葉は風の道しるべ

木漏れ日に燃えてつつじの返り花

小春日や象のかたちの滑り台

立冬や釈台たたく講談師

薪割りの木口匂うて冬うらら

木枯は深山にはてて太白星

柊の咲き始めたる夕まぐれ 

高だかと鷹滑翔の多摩湖かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

寒晴れや富嶽は雲を寄せつけず   野地邦雄

おつとつと呑み干す土佐の新走   原田敏郎

散歩道少し遠くへ草紅葉      平野久子

声控へ手締め豪気に酉の市     野口晃嗣

静けさや武蔵御陵に黄葉降る    武藤風花

染糸を吊す工房柿落葉       綾野知子

立直す農事の遅れ冬日和      中川文康

キッチンカー並ぶ公園冬日和    佐藤啓三

声あげて名水浴ぶる小鳥かな    大西きん一

もみづるや芭蕉ゆかりの最上川   田中泰子

しぐるるやまるい玻璃戸の美術館  松木渓子

バギーより足のはみ出す小春かな  久下萬眞郎

傘に受く音しめやかに冬に入る   加藤田鶴栄

木守柿一つ残して帰京せり     内田正子

おさらひの笛の音高き冬芽かな   金子京子

芭蕉忌の暮れて浪速の時雨れをり  山口恵子

お手植ゑの松に始まる松手入れ   内田吉彦

地下道の落書抜けて冬銀河     大河内基夫

木道やすすきが原の只中に     神田たみ子

落葉掻きしばし手を止め風通す   西谷髙子

煙立つ黄落の森肉を焼く      秦 良彰

紅葉の峰をつなぎて送電線     宮沢かほる

一輪車スケボー集ふ小春かな    藤井英之助

この街の要の銀杏黄落す      山本兼司

草原に車道のうねり草紅葉     春日春子

秒針の刻む響や冬座敷       髙橋那智子

月山の頂めざし草紅葉       鈴木ゆう子

晩秋や行きかふ人のいそぎ足    重原智子

出稼ぎの父に手を振る両手振る   砥上 剛

通勤の靴音響く霜の朝       藤本冨美子

 

選後一滴        坂元正一郎 

寒晴れや富嶽は雲を寄せつけず   野地邦雄

富士山の風情溢れる姿は古くから多くの日本人を魅了し、今では世界からも愛されています。掲句は先の東京句会において多くの支持を得た最高得点句。この句の巧みなところは威風堂々たる富嶽にふさわしい「雲を寄せつけず」とした強いイメージの措辞にある。この措辞と「寒晴れ」という季語とが相まって、澄みわたった青空へ気高くそびえる雲ひとつない富嶽の勇姿が目に浮かんできます。 

 

おつとつと呑み干す土佐の新走   原田敏郎 

日本屈指の清流をもつ高知県は日本有数の酒どころとして知られている。新走りは新酒のことで掲句の新走りもこの名だたる蔵元のお酒と想像します。上五の「おっとっと」は器に注ぐ酒などがこぼれそうになったり、失敗しそうになったりするときに発する声のことで、新走りを早く口にしたいという逸る気持ちの表れとも取れて味わい深い一句になりました。

 

2021年

扉1月号

主宰詠

木道は木立をぬけて秋日燦

沼尻に溜まる萍もみぢかな

拝殿へ砂利踏みしめて空高し

参道を行きつ戻りつ菊花展

秋深き桂のかをる十和田かな

山柿の暮れのこりたる山家かな

幾つかは塀をこぼれて榠樝の実

ひそやかに飛石ぬらし秋時雨

ひと群れの雀のもぐる稲穂波 

人のゆく先へさきへと石たたき

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

吹きもどす野分に箒およぎける   岩﨑よし子

茹で卵するりとむけて涼新た    大西きん一

色変へぬ松整へて龍となる     久下萬眞郎

公認とはしやぎ破る子障子貼る   小松千代子

ジェット機の見えつ隠れつ鰯雲   内田正子

亡き友の酔ひの饒舌にがうるか   野地邦雄

手でつくる狐の影や秋深し     綾野知子

山峡の平家伝説露の宿       佐藤啓三

一合は田の神と酌む十日夜     中川文康

秋あかね後先に就く行者径     原田敏郎

水琴窟音澄みわたる十三夜     金子京子

秋深きサイフォンの炎の青白し   野口晃嗣

下校児の背伸び届かぬ石榴の実   加藤田鶴栄

流れ星旅の終りの伊豆下田     魚谷悦子

静かなる雨の紅葉や芭蕉庵     田中泰子

羽田沖銀翼光る秋の空       平野久子

鉄瓶の白湯の甘き夜寒かな     内田吉彦

稲掛けて諏訪の湖小さくす     松下弘良

剪り取つて青空ふやす葡萄棚    砥上 剛

秋高しかの日のブルーインパルス  橋本瑞男

煎餅にあきて草はむ奈良の鹿    山本智子

秋深し昔を語る写真展       小磯世史

秋の昼ロビーに集ふ患者どち    楢﨑重義

天高き地区対抗のリレーかな    吉井博子

産院の消えては灯る夜寒かな    大河内基夫

葉陰より花の香立てり葛の叢    春日春子

月光を浴び幼な子の塾帰り     清水正信

透きとほる青き昼月野分晴     宮沢かほる

秋暑し草食む山羊の乳しぼる    根本光子 

うづ潮の噛む島城や鷹渡る     髙堀煌士

 

選後一滴        坂元正一郎 

吹きもどす野分に箒およぎける   岩﨑よし子

野分は草木をなびかせて吹く秋の暴風のことで、主に台風やその余波の風。吹き戻し(吹返し)は主に台風が過ぎ去った後に吹く逆方向からの強い風のこと。掲句は台風の暴風が鎮まった庭の片づけなどを行っていたのでしょう。思ってもいなかった急な吹き戻しに手にしていた帚が風に泳いだとする、野分の情景をありありと感じさせてくれる一句となった。 

 

茹で卵するりとむけて涼新た    大西きん一 

茹で卵の殻がうまく剥けずにぼろぼろになったりして歯痒い思いをするときがある。が、掲句のようにするっと剥けると気持ちのよいものです。新涼は立秋を過ぎて夏とは違うしみじみとした涼しさを感ずることで、「涼新た」は新涼の傍題。この句の巧さは茹で卵がするっと剥けたささやかな喜びを新涼の爽やかな雰囲気に重ねたところにある。

 

 

扉12月号

主宰詠

連れだちて島を出てゆく帰燕かな

鰡飛ぶや潮のみちくる万之瀬川

うちなびく芒照りたる箱根かな

その奥にラジオのひびく秋簾

いつの間にひしめき合うて貝割菜

秋草も活けてもてなす茶寮かな

土産屋に薪のごとく砂糖黍

雪国の水の旨さや今年米

指先に蜻蛉をまねく父娘かな 

みづうみの風のまにまに秋ざくら

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

噺家の色紙すすけて走り蕎麦    綾野知子

人肌の墓石ぬぐうて秋彼岸     内田正子

蔓起ししてこほろぎの黒目かな   中川文康

雁渡し淋しくなれば地図ひろげ   平野久子

ゑのこ草風をじやらして遊びをり  山口義清

コスモスの風に赤子の深眠り    大西きん一

小半酒と猫をはべらす良夜かな   野地邦雄

色白のさぬきうどんや涼新た    野口晃嗣

一見に縁なき祇園秋簾       佐藤啓三

金秋にイーゼル広げ上高地     久下萬眞郎

芒野の銀波にかかる雲の影     田中泰子

走り来て水車に砕け秋の水     武藤風花

肉太の集印の字や秋彼岸      加藤田鶴栄

秋風にほてりを冷ます風呂帰り   魚谷悦子

小流れの雨を集めて秋の声     松木渓子

笛の音のさやけく渡る橋掛     金子京子

昏れなづむ淀の渡しや虫しぐれ   原田敏郎

西国や色なき風に鈴の音      髙橋那智子

台風の風打ち反す大蘇鉄      楢﨑重義

書をめくる音さやかなり夜半の秋  吉井博子

うそ寒や夜のしじまに救急車    小磯世史

八ヶ岳の風に細りし唐辛子     松下弘良

自刃せし城主の墓や木の実落つ   山本兼司

秋の蚊や素足にたかる二三匹    清水正信

葛引けば天辺の花ゆらぎけり    宮沢かほる

葉陰より花の香立つる葛葎     春日春子

秋嵐追手をかはし逃ぐる孫     桐山正敏

坂道をのぼる先へと秋茜      藤本冨美子

秋麗しぶきの揃ふフォアの櫂    小河内基夫 

留守の間に父来て残す籠の虫    砥上 剛

 

選後一滴        坂元正一郎

噺家の色紙すすけて走り蕎麦    綾野知子

料理屋などに行くと有名人のサイン色紙を飾ってあるのを見かけることがある。掲句の色紙は蕎麦屋のご主人が贔屓にされている噺家のものなのかも知れない。この句の巧みなところは「煤けた色紙」と「走り蕎麦」との取り合わせにあり、古くから地域の人々に親しまれてきた蕎麦屋さんの走り蕎麦を想像させる味わい深い一句となった。 

 

人肌の墓石ぬぐうて秋彼岸     内田正子

彼岸会の時期に合わせてお墓参りをするのが日本仏教の風物詩のひとつとなっている。掲句も秋彼岸の墓参りが詠われたもので、きれいに洗った墓石をタオルなどで拭いているところを一句にされた。秋の日差しに暖められた墓石を「人肌の墓石ぬぐうて」と表現されたところがこの句の要であり、墓に眠る故人への思いを深めたとも取れる墓参りが目に浮かびま

 

 

扉11月号

主宰詠

湖の夕日はなさぬ花カンナ

現世をあまねく照らし盆の月

どの船のならす汽笛か波止の秋

出航を幾つながめて秋夕焼

古物屋に珍品あさる秋立つ日

よりそへる二人をさらし稲びかり

城でもつ尾張名古屋のつくつくし

鳴きやめて又一からの法師蝉

水郷を舟もてめぐる残暑かな 

かなかなのこゑがこゑよぶ深大寺

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

万の目をヒューと引寄せ大花火   佐藤啓三

ハーモニカ吹けば集まる赤とんぼ  大西きん一

ひぐらしや遊びつかれし背中の子  野口晃嗣

秋蛍一つは高く星になる      武藤風花

虫の名をおしへる少年夏休み    綾野知子

筑波よりうねり豊かに稲穂波    田中泰子

漁火のまたゝき遠き夏の果     加藤田鶴栄

鎮魂の御嶽山は朝ぐもり      小松千代子

朝顔の風を探つて蔓伸ばす     金子京子

残すことあれこれ綴り白夜めく   岩﨑よし子

衣被われの知らざる妻の貌     野地邦雄

蜩の声が背を押す下山かな     中川文康

セメダイン垂れし飛行機夏休み   内田吉彦

我が庭も一月病めば草茂る    平野久子

子等長けて小屋に埋もる補虫網   内田正子

夏芝居またまた増えし笑ひ皺    魚谷悦子

朝市の南瓜の面に三百円            髙橋那智子

蓴菜や前のめりなるたらひ舟    高堀煌士

打ち揃ひ叔父を頭に墓参り     栗原 章

手花火や話しのはづむ京の路地   藤本冨美子

大粒の雨叩きだす南瓜の葉     宮沢かほる

幼子も掌合はす原爆忌       楢﨑重義

我が事と知らずに迎ふ敬老日    桐山正敏

滴りにはじまる水の旅路かな    山本智子

夏の果て「沈まぬ太陽」読みさして 小磯世史

油照り大河ゆつたり流れをり    白坂美枝子

いかにせん五個色づきし花梨の実  清水正信

かなかなや森は神話の古池抱き   砥上 剛

アルプスの裾野走るや花野道    松下弘良 

鬼灯の赤が目につく畑の荒れ    春日春子

 

 

選後一滴   坂元正一郎

万の目をヒューと引寄せ大花火   佐藤啓三

花火の句もアプローチのしかたによっては句材はまだまだ拾えるものです。掲句は花火が夜空で花開くまでの「ヒュー」という音をとらえて作品にされた。この音は花火玉に付けられた笛の音で花火が開花するまで観客の期待を高めるために付けられたものと言われる。この句の巧みなところは「ヒューと引寄せ」の「ヒュー」を副詞的に用いて観客の顔の動きをも想像させる臨場感あふれる一句にされたところ。 

 

ハーモニカ吹けば集まる赤とんぼ  大西きん一 

ハーモニカは最近あまり耳にしなくなりましたが、明るくて伸びやかな音色の出る楽器です。掲句の巧みなところは、赤とんぼがあたかもハーモニカの音色に魅せられているがごとく、「吹けば集まる」とした詩的な表現にあります。昔聴いた懐かしのメロディーや童謡なども聞えてくる季語「赤とんぼ」の効いたノスタルジックな一句となりました。

 

 

扉9月号

主宰詠

紫陽花のしげみを廻る水車かな

一枚は田越しの水の植田かな

柔らかな日差しをそよぐ今年竹

白鷺のすなどる沢の静寂かな

池の面に首差し入れて通し鴨

軽鳧の子へ手招く人のをりにけり

黒南風や沖にひとつの礁波

大南風吹くやざわめくポプラの木

白南風や飛ぶがごとくにジェット船 

ときをりは首をかしげて羽抜鶏

 

開扉集   坂元正一郎 推薦

紫陽花のしげみを廻る水車かな

一枚は田越しの水の植田かな

柔らかな日差しをそよぐ今年竹

白鷺のすなどる沢の静寂かな

池の面に首差し入れて通し鴨

軽鳧の子へ手招く人のをりにけり

黒南風や沖にひとつの礁波

大南風吹くやざわめくポプラの木

白南風や飛ぶがごとくにジェット船 

ときをりは首をかしげて羽抜鶏

 

選後一滴   坂元正一郎

馬の背に揺られて揺るる夏木立   金子京子

乗馬は観光目的の乗馬クラブもあり、初めて馬に乗る人も楽しめるようスタッフが馬を引いてくれる乗馬もあると聞く。掲句は作者ご自身が乗馬されたときの作でしょう。この句の巧みなところは「揺られて揺るる」とした措辞にあり、遠くに揺れて見える夏木立と相まって馬の体温までも伝わってくるような臨場感あふれる乗馬が伝わってきます。 

 

一駅が馬の背分けや大夕立     中川文康 

「馬の背分け」は夕立などがある地域を境にして一方で降っているのに他方では晴れているさまをいう。掲句はそんな夕立を電車などの一駅が馬の背分けだと断定された。電車で移動中の作でしょうか。一駅前までは車内も薄暗くなるほどの雷鳴をともなう猛烈な夕立が降っていた。が、次の駅に差しかかると日差しの強い夏空を思わせる巧みな一句となった。

 

 

扉8月号

主宰詠

雨戸繰る音はなたれて夏来る

特攻の知覧の新茶とゞきけり

湖からの風にこたへて鯉のぼり

しろがねの雨を宿して紅薔薇

新緑にふはりと浮かぶ展望台

分け入りて膝丈ほどの蕗を摘み

黄信号灯る葉桜通りかな

城垣の根方をあをく松落葉

貝殻をさがして歩く薄暑かな 

流木へ蔓のばさんと浜豌豆

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

みくまのへ遥けき道の緑雨かな   大西きん一

菜の花を一両電車分けて来ぬ    内田正子

ほろほろと風に散りしく小米花   松木渓子

筍の床にごろりとローカル線    内田吉彦

夏雲の彼方へブルーインパルス   綾野知子

地の果てに銀嶺残す大夏野     南後 勝

月山の恵みの田水夏来る      佐藤啓三

横座り崩さぬ人魚夏に入る     中川文康

万緑に窓開け放つログハウス    久下萬眞郎

貴婦人のごとき白馬や風薫る    金子京子

母の日や孫に問はれし母のこと   小松千代子

新緑や杖贈られて卆寿なり     岩﨑よし子

新樹晴れ紙飛行機をとばし合ふ   加藤田鶴栄

シニヨンの似合ふ女のサングラス  野地邦雄

若葉風試歩の杖置く丸太椅子    山口恵子

蚕豆のはちきれさうな莢の艶    野口晃嗣

分離帯からこぼるる程の躑躅かな  魚谷悦子

参道は傘行き交ひて額の花     小磯世史

清洲橋歩いて渡る夏夕べ      山本智子

籠りゐる日がな卯の花くだしかな  橋本瑞男

聞き做しの妙を得たるや時鳥    楢﨑重義

老いてなほ女は捨てじ日からかさ  武藤風花

けふ一日誰にも逢はず草むしる   重原智子

はつ夏やうすごろもてふ古都の菓子 吉井博子

耕運機唸りて土の香を立てり    春日春子

竹百幹音の渦巻く青嵐       髙橋那智子

菜の花や黄色に染まる路線バス   藤井英之助

日もすがら夜もすがら鳴く閑古鳥  宮沢かほる

払つてもまた払つても蜘蛛の網   清水正信 

田水張り北アルプスの近づきぬ   松下弘良

 

選後一滴     坂元正一郎

みくまのへ遥けき道の緑雨かな   大西きん一

「みくまの」は熊野三社の別称で熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の総称のこと。ここを詣でる道が熊野古道と言われる。この古道には伊勢路や紀伊路など六つのルートがあると言われるが、中七の「遥けき道の」から歩いての三社巡りを想像する。緑雨は茂り始めた緑を滴らすような雨のことで、豊かな森に包まれた熊野古道を演出して巧みである。 

 

ほろほろと風に散りしく小米花   松木渓子 

小米花は雪柳の別称で散った花びらが小米(砕けた米)を撒いたように見えることからこの名があると言われる。「ほろほろ」というオノマトペは古くから黄葉の散る姿や山鳥の鳴き声などを表現する際に用いられてきたが、小米花の散り際を表現するに「ひらひら」や「ぱらぱら」でなく「ほろほろ」の方が可憐な花が散るときの寂しさなども感覚的に伝わってくる。

  

扉7月号 

主宰詠

大手門から九段へと花めぐる

子が吹けば親もよろこぶ石鹸玉

兄の押す妹のせなかや半仙戯

わらんべの指呼のさきなる熊ん蜂

門ごとの古紙をあつめて養花天

築山の湧きたつ如く松の芯

沖をゆく船点々と風光る

どの径を行くも菜の花畑かな

高々と風にもつれて恋の蝶

沈丁の香りまつはる夜道かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

桜散る海に挽歌を詠みにけり    野地邦雄

勝男木の空を揺らせる新樹かな   内田正子

リハビリの杖に先達雀の子     中川文康

目つむりて落花の風を浴びにけり  松木渓子

枡で売る豆屋の甍燕来る      佐藤啓三

裏山の百花にまぎれ落し角     綾野知子

広縁に野風を入れて草の餅     南後 勝

母を乗せ昼餉に戻る耕耘機     大西きん一

白波のごとくに風の雪柳      岩﨑よし子

ビルの谷書割のごと春の月     金子京子

荒川の流れも春の波となり     平野久子

城崎の海は明るし春の雷      久下萬眞郎

麗かや昼月淡き仁徳陵       山口恵子

指先で引き抜く軽さ春の草     小松千代子

十重二十重天王山の花襖      原田敏郎

囀りの山に分け入るリフトかな   栗原 章

吊橋を踏み出す一歩風光る     山本智子

蝶々の園児の列に加はれり     上原 赫

葬列は桜の下に並びゐる      宮沢かほる

春深し愛の字夛き父の文      武藤風花

散り行くも未だ衣桁に花衣     大河内基夫

まてまてと孫追ふ部屋や夏に入る  桐山正敏

乳母車高く幌かけ飛花落花     砥上 剛

病む夫を慰撫するかにも囀れり   重原智子

沢水に靴底洗ひお花畑       髙堀煌士

春眠や遠い昔が夢に出づ      橋本瑞男

春の夢続きみたさに又もぐる    鈴木ゆう子

だぶつける制服着けて入学式    春日春子

草餅は妣の好みし塩あんこ     清水正信 

釣り人の腰を上げざる日永かな   山本兼司

 

選後一滴        坂元正一郎  

桜散る海に挽歌を詠みにけり    野地邦雄

月日の経つのは早いもので石井秀樹さんが昨年四月に急逝されてもう一年になります。秀樹さんは扉誌の副編集長として野地編集長の右腕となって活躍してくださった。故人のご遺骨は生前の願いを叶えるべく故郷の伊豆沖に散骨されたとお聞きする。掲句はその散骨の海をイメージした「桜散る海に」の措辞に秀樹さんへの哀悼の気持ちを託した追悼句と思われる感慨深い一句である。 

 

勝男木の空を揺らせる新樹かな   内田正子 

勝男木は鰹木のこと。これは神社本殿の棟木「ルビむなぎ」の上に、それと直角に並べた円筒形の装飾木のことで形がカツオ節にていることが名称の由来とされる。中七の「空を揺らせる」の措辞に本殿を吹きわたる風に眩しいほどの若葉をつけた新樹が大きく揺らいでいる情景が目に浮かび、虚子の「大風に湧き立つてをる新樹かな」をも思わせる一句となった。

 

扉6月号

主宰詠

踏青の果てなる湖の碧さかな

さわらびを売るや媼の国なまり

大いなる筑紫次郎の土筆かな

空つぽの波浮の港や鳥雲に

春泥を跳んでみせたる姉貴かな

仕舞屋の昔ガラスや雛まつる

踏切をわたる尼僧の陽炎へり

寺町へせまる暮色や白木蓮

春耕の鳶を見下ろす段畑 

法名に扉もありて重次の忌

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

初蝶のときめき残す草の揺れ    南後 勝

つばくらめ誰が手に渡るブーケトス 大西きん一

留守居する犬の寄りくる花曇    岩﨑よし子

思ひきり空振りする子山笑ふ    野口晃嗣

飲むほどに大阪訛り重次の忌    内田吉彦

天土や富士を望みて種を蒔く    野地邦雄

行く先は北のどこやら鳥雲に    加藤田鶴栄

佐渡沖へ潮目はるかに鳥渡る    平野久子

雛飾りほうと声あぐ男達      内田正子

春耕の人をみてゐる烏かな     松木渓子

カラカラと絵馬を揺らして風光る  魚谷悦子

五年目のあべのハルカス風光る   久下萬眞郎

種袋紙の重さでありにけり     中川文康

春風や生れてすぐ立つキリンの仔  金子京子

夕東風の湾に煌く工場の灯     山口恵子

子の視線浴びて分くるや雛あられ  佐藤啓三

春光の図書館うつらうつらかな   綾野知子

誰が笠をかぶせし羅漢春の雪    田中泰子

長閑さや婆の又問ふ赤子の名    有田辰夫

春闘やシュプレヒコール空耳に   橋本瑞男

春光や巨船に小さき窓あまた    山本智子

今日取らう明日はかならず春の草  楢﨑重義

菜の花の海かき分けて子ら走る   清水正信

子の世話にならぬと言ふや万愚節  武藤風花

うさぎ小屋ご馳走多き卒業日    大河内基夫

鈍色の波に角立つ春疾風           春日春子

つくしんぼひとにぎり分け走りゆく 西谷髙子

土筆摘む土手に汽笛の音近し    鈴木ゆう子

髭剃りの半ば蛙の目借時      米倉敏明 

ほつこりと土もち上げしつぼすみれ 吉井博子

 

選後一滴        坂元正一郎 

初蝶のときめき残す草の揺れ    南後 勝

初蝶はその年に初めて見かける春の蝶のこと。春先の風もない麗らかな日に初蝶に出会うとうれしいものがある。掲句の蝶は羽化して濡れていた翅が乾き草を飛び立つところを思わせる。初々しい感受性と探究心のなせる作で、「初蝶のときめき」に自由に飛べることへの蝶の喜びなどが感じられて読者の想像のふくらむ作品である。 

 

つばくらめ誰が手に渡るブーケトス  大西きん一 

ブーケトスは結婚式で花嫁がウェディングブーケを未婚の女性へ投げること。ブーケを受け取った女性は次に結婚ができると言われている。ゲストも一緒に楽しんでもらえるようにした結婚式の演出の一つ。燕は繁栄の象徴とも思われているとともに、軽快に飛翔する姿は清々しいものがある。好感の持てる結婚式の一作となった。

 

 

扉5月号

主宰詠

草萌にどつかと座る介助犬

八朔を山積みにして渡し船

爪皮のぬれて祇園の春時雨

夜もすがら止まぬ湯治の雪しづく

恋猫の鳴きごゑ𠮟る翁かな

片栗の花は聞き耳立てゝをり

暮れのこる花山茱萸の在りどころ

薄氷へ水の乗りゆく朝かな

剪定の飛ばすおがくづチェーンソー 

噴煙は海へとなびき多喜二の忌

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

一椀の小さきざわめき蜆汁        佐藤啓三

山笑ふ終着駅は無人駅          平野久子

ビストロの旗を巻き上げ春一番      綾野知子

筑波嶺を仰ぐ高さに揚雲雀        田中泰子

春立ちぬゆふべの豆に寄るすずめ     小松千代子

寒菊やぐいと引き抜く黒ネクタイ     大西きん一

行者道逸れて一人の梅探り        中川文康

暁星や予後の朝餉の蜆汁         南後勝

静もれる宮に一声鬼やらひ        魚谷悦子

仲見世の廂に春の時雨かな        加藤田鶴栄

立春や地下鉄出れば川つ風        山口恵子

寒明けやロードバイクに油さす      野地邦雄

ストーブを消してはつけて一人住む    岩﨑よし子

うすずみに煙る里山雨水かな       金子京子

春立つやあけぼの色の招待状       野口晃嗣

紀の国の空の青さよ懸大根        原田敏郎

命綱つけて剪定松の枝          松木渓子

寡夫の手を切るか厨の寒の水       山口義清

薄氷や順にひと踏み登校す        西谷髙子

卒業や文語の校歌高らかに        米倉敏明

雪晴れや隣へ続く猫の跡         宮沢かほる

梅が香やゆるりゆるりと人動く      白坂美枝子

茅花食べともに遊びし友いづこ      清水正信

冬ざれの折れ葦分けて舟溜り       春日春子

春炬燵味方が邪魔な詰将棋        武藤風花

梅東風や英語韓語の絵馬の音       山本智子

散歩道走者いや増し寒明くる       桐山正敏

法被着て二月礼者のお越しかな      有田辰夫

恋猫やどれが妻やら夫やら        山本兼司 

寒鴉威嚇の声をまき散らす        重原智子

 

選後一滴        坂元正一郎

一椀の小さきざわめき蜆汁        佐藤啓三

蜆を季題にした句には、庶民のつましい暮らしを演出する小道具としての蜆の作品が多いように思う。石田勝彦に「ひとりにはひとりの音の蜆汁」があるが、音をもって如何にも蜆汁を思わせている。掲句も同じように「小さきざわめき」と音で蜆汁を詠出された。蜆の身にも多くの栄養が残っているもので、その身をさぐるかに蜆汁をしみじみと味わっていらっしゃる。

 

山笑ふ終着駅は無人駅          平野久子

掲句は「山笑ふ」「終着駅」「無人駅」と三つのフレーズを並べただけである。が、俳句の形はできるだけシンプルにした方が普遍性を得やすいもの。無人駅となった終着駅の町にも何がしかの伝統文化が息づいているもの。そんな町の営みに思いをめぐらすことも掲句の味わい方の一つ。

 

扉4月号

主宰詠 

馥郁と厨をかをる屠蘇袋

葉牡丹やしろがね色の雨宿し

餅花を咲かせて地蔵通りかな

大寒や湯気ほんのりとマンホール

寒月を弾かば響くかもしれぬ

老いぼれてをれぬものかと寒げいこ

風花の軒に並ぶや地魚売り

あをさ汁あれば事足る朝餉かな

鳩どちのくく鳴き止まず春近し

お向ひへ及ばぬやうに豆はやす

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

初髪の一力の角まがりけり        大西きん一

初空へ日の出を待たぬ一番機       佐藤啓三

探梅行休耕田に出でにけり        久下萬眞郎

タグボート満寒月も曳きににけり     中川文康

せせらぎのさらさらきらら石蕗の花    原田敏郎

繭玉のいびつのままに乾びけり      小松千代子

蠟梅の香に歩み寄る空真青        山口恵子

雪折れや鎮守の闇を深くして       内田吉彦

書初めにローマ字もあり書道塾      岩﨑よし子

霊山の奥より鷹の飛翔せり        野地邦雄

大寒の言葉少なき湯治客         野口晃嗣

かいつぶり共に潜るはめをとかも     内田正子

うたゝ寝の炬燵に吾子の軽き息      加藤田鶴栄

妻選りし色の試着や春を待つ       山口義清

人波に父の肩より熊手振る        平野久子

探梅の張りつめし空綻びぬ        南後 勝

検診の主治医マスクに顔埋め       井口幸朗

かつて富士見えし所や年の市       松木渓子

木枯らしの東京タワーきらめけり     重原智子

小魚の腹白じらと冬の川         清水正信

サンドイッチマン有楽町の冬の月     橋本瑞男

葉ぼたんの鉢を並べて無人駅       春日春子

レシートの裏に書き込む初句かな     鈴木ゆう子

はや塾に子等の声する松の内       山本智子

通勤の車列の屋根に今朝の雪       宮沢かほる

大家族炬燵に起こる足げんか       白坂美枝子

身一つに病名いくつ去年今年       米倉敏明

母が子に本読み聞かす炬燵かな      藤本冨美子

雪女さよならも無くなごり雪       大河内基夫 

撫で牛は母の温もり初山河        武藤風花

 

選後一滴        坂元正一郎

初髪の一力の角まがりけり        大西きん一

まだ足を運んだことはないが、京都祇園には格式高いお茶屋の一力亭がある。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場する歴史的なお茶屋と言われている。掲句の「一力」もこの一力亭のことを詠われた。京都の祇園といえば舞子さんが浮かんでくる。その舞子さんの明るくて華やかな初髪姿が得も言われぬ正月気分を醸しだしている。 

 

初空へ日の出を待たぬ一番機       佐藤啓三 

啓三さんは羽田空港へ眺望のひらけたところにお住まいである。気象協会によると東京湾の元旦の日の出は六時五十分頃とあり、これより早く羽田を出発する便として沖縄便などがある。掲句は元旦の白みはじめた羽田空港の真っ新な空をスケッチされた。初空へ飛び立つ一番機が新年のめでたさを象徴しているかの作品である。

 

 

扉3月号

主宰詠 

多摩川の小石となりて群千鳥

その中は鎮守の御座す冬木立

風花の一片すくふ掌

年の瀬の親も手伝ふ床屋かな

もてなしに酌む熱燗の薬缶酒

枯芝の温みに遊ぶ幼児かな

乾きたる星々いくつ虎落笛

道標に日差しを漏らし枯葎

クリスマスキャロルの地蔵通りかな

チェーンソーは唸りをあげて山眠る

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

風花や一山越せば嫁の里      佐藤啓三

笹子鳴く法燈続く奥の院      田中泰子

てんでんに安らふ鴨や神の池    綾野知子

クリスマスメタセコイヤは電飾に  山口恵子

実朝のやぐらの墓へ落葉踏む    金子京子

杣道を閉ぢてこれより山眠る    中川文康

点滴ののんびり落つる師走かな   大西きん一

追悼のことば途切れぬ石蕗の花   南後 勝

日溜りに老人の座や返り花     野地邦雄

冬ぬくし母の忌のまためぐりくる  岩﨑よし子

ともかくもケーキがあればクリスマス堤 淳

おだやかや潮目の燃ゆる冬没日   魚谷悦子

荒海や能登の里曲の冬構      原田敏郎

福耳の羅漢の像や冬ぬくし     加藤田鶴栄

短日の京は北より翳りゆき     久下萬眞郎

枯蓮のくの字への字に茎まがる   平野久子

席替はる度に乾杯忘年会      野口晃嗣

単身の父帰る日や年の暮      小松千代子

酷寒や海にたゝずむ赤鳥居     鈴木ゆう子

補聴器の調整宜し燗熱し      楢﨑重義

風醸す軒の塩鮭越後富士      高堀煌士

手帚を長柄に替へて年用意     砥上 剛

安達太良の智恵子の里も雪の頃   武藤風花

病みて臥す夫におくらん冬満月   重原智子

音立てて枯葉の走るアスファルト  春日春子

ラジオ体操「の」の字を描く冬はじめ宮沢かほる

着ぶくれて五分の段差に躓きぬ   山本智子

御螺髪の一つ一つの煤払      橋本瑞男

いくつもの子等の手の跡雪仏    髙橋那智子 

過激派の手配写真や冬の鵙     大河内基夫

 

選後一滴        坂元正一郎

風花や一山越せば嫁の里      佐藤啓三

風花は冬晴れの青空から風に吹かれて舞い降る雪のこと。日本列島の山岳地帯の雪が上層の強風に乗って尾根を越えて風下に飛来する。風花に出会うと思わず空を仰いで暫らく見つめてしまうこともある。啓三さんの奥さんがどちらのご出身かは存じ上げないが、「一山越せば」の措辞が美しい山々の向こうの雪国の方へと想像を掻きたてる一句となった。 

 

笹子鳴く法燈続く奥の院      田中泰子 

どちらの奥の院か作品からは分りかねるが、奥の院は寺社の本殿や拝殿より奥の方にあって、祖師の霊像・秘仏・神霊などを祭ってある所。鴬は冬になると里近くに現れて薮をくぐったり雑木の低い枝を飛び移ったりしながらチャッ、チャッという舌打ちに似た声で鳴く。この笹鳴き(笹子鳴く)が奥の院へと続く法燈の小径の深閑とした雰囲気を醸しだしている。

 

扉2月号

主宰詠 

真夜中を走るフェリーや神の旅

菰樽のたんと積まれて神の留守

くねくねと湖岸くねりて冬紅葉

凩やとある港のスタンドバー

手土産に掌ほどの熊手かな

蔵壁の白よりしろき懸大根

陽と風の織りなす落葉時雨かな

手捻りの土の甘さや小六月

飛石の色かへ初むる初しぐれ

綿虫のさまよふ伊達の霊屋かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

神送り出して氏子の酒宴かな    中川文康

初雪の峰より鍬を振り下ろす    井口幸朗

初時雨日がな一日シチュー煮る   野地邦雄

見晴るかす山紫にいわし雲     岩﨑よし子

混雑に出口失ふ酉の市       松木渓子

翁忌や御堂の黄葉降り止まず    南後 勝

日溜りに赤子を寝かせ障子貼    大西きん一

レコードの古きジャケット冬紅葉  野口晃嗣

祖母の味たぐり寄せては菊膾    綾野知子

紅葉山縫つて丹波の陶の里     佐藤啓三

大鳥居紅葉明りの奥の奥      内田吉彦

家守りの庭の片隅石蕗の花     山口恵子

いなりずし鞴祭に貰ひけり     堤 淳

どの家も柿をたわわに人老ゆる   加藤田鶴栄

高々と熊手を誇る坊主頭の子    魚谷悦子

白式部庭にかすかの色こぼす    平野久子

里神楽夜叉の出番の鉦太鼓     田中泰子

小春日やキッチンカーに人の列   大河内基夫

釣り人の糸光らせて冬ぬくし    宮沢かほる

冬日和缶蹴り乍ら下校の子     山本智子

初霜や朝日がかつと山照らす    春日春子

那須岳の頂低く冬に入る      武藤風花

宇治川の網代に掛かる魚影かな   上原 赫

クリークのひときは澄める白秋忌  清水正信

綿虫となる化野の無縁仏      高堀煌士

雑炊に無言の空気ほどけゆく    髙橋那智子

枯菊を焚くも憚る薫りたつ     松下弘良

寺の庭行く先々に石蕗の花     藤本冨美子

冬に入り諸味の桶のたが締まる   根本光子 

枯葉舞ふ下に園児のはしやぎをり  白坂美枝子

 

選後一滴        坂元正一郎 

神送り出して氏子の酒宴かな    中川文康

掲句の神さまは地元の氏神さまと文康さんからお聞きした。地域の人々の信心深さが伝わってくる。神送りは諸国の神々が出雲大社へ旅立つのを送る神事のこと。掲句の面白いところは「神送り出して」の「送り出して」としたところ。直会「ルビなおらい」の酒宴に「亭主元気で留守がいい」を思わせるところもあり、不謹慎であると叱られそうではあるが俳味ある一句となった。 

 

初雪の峰より鍬を振り下ろす    井口幸朗 

掲句の要は「峰より鍬を振り下ろす」で、力強く鍬をふるう姿が良く伝わってくる。鷹羽狩行さんに「筑波嶺はそれより低く懸大根」の句があるが、掲句の構図の取り方もこれを思わせるところがあって巧みである。幸朗さんがお住まいの岡谷は八ヶ岳などを望めるところであり、初雪の峰々の高さまで振り上げた鍬が印象的で大きな景を想像させる作品である。

 

2020年

扉1月号

主宰詠

ときどきは人の声する栗林

ひたひたと潮の満ちくる厚岸草

てつぺんは鳥にのこして山葡萄

登高にのぼる品川小富士かな

蓮の実の飛んで空なる花托かな

手すさびに鳴らす胡桃や一人酌む

木曽川をわたる羽音や雁の列

窯出しの茶碗をくゝる柿日和

蕉翁の面影塚やちちろ鳴く 

千年の桂かをりて豊の秋 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

まほろばの三山巡る柿の秋     南後 勝

黒潮の力のままに鰯寄す      中川文康

どこまでもマラソンの列鰯雲    内田吉彦

肩車されて捥ぎしよ庭の柿     原田敏郎

色鳥の声を探して野鳥園      金子京子

更科を一望にして刈田風      綾野知子

鬼胡桃しきりに落つる闇夜かな   大西きん一

鰯雲島々つなぐ送電線       野口晃嗣

先頭は雲に呑まれて鳥渡る     加藤田鶴栄

アルプスにどつかり座る秋の雲   久下萬眞郎

土堤よりも低き町並台風禍     内田正子

モーツアルト聴かせ眠らす秋の味噌 山口義清

秋深し産土の川清みゆけり     平野久子

四代をこの土地に住みむかご飯   岩﨑よし子

海に還る君に手向けの新酒かな   佐藤啓三

江戸の名の残る坂道秋茜      野地邦雄

柿熟るる一つ一つに山落暉     山口恵子

晩学の力みに長き夜を灯す     武藤風花

秋深し窓辺に雨を聴く夜かな    重原智子

ぞろぞろとお伴の多き七五三    小磯世史

半分は居眠りしたる夜なべかな   西谷髙子

鳥渡る雲一片も無き空を      清水正信

坂道を立ちこぐ少女櫨紅葉     楢崎重義

待宵や手箱にたまるエアメール   髙堀煌士

湖へ注ぐ姉川鳥渡る        山本兼司

鳶鳴いて台風剥ぎし屋根を葺く   宮沢かほる

柝の入りて真打披露秋麗      橋本瑞男

朝寒や二人暮しの二合炊き     大河内基夫

伊根湾の舟屋めぐりや秋の潮    山本智子 

秋の山草庵一つ抱きをり      髙橋那智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

まほろばの三山巡る柿の秋     南後 勝

古事記に「大和は国のまほろば畳なづく青垣山籠れる・・・」の歌がある。まほろばは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の古語。三山には大和三山・熊野三山・出羽三山とあるが、掲句の三山は「大和は国のまほろば」を下敷きに大和三山を「まほろばの三山」と表現された。万葉歌人に愛された大和三山は耳成山・香久山・畝傍山のことで、麗らかな柿日和の三山巡りが思われる格調高い作である。

 

黒潮の力のままに鰯寄す      中川文康

黒潮は日本の南岸に沿って太平洋を進み房総半島沖を東に流れる海流のこと。この流の動向は船舶の経済的な運行コースを左右するほどのエネルギーを持っているとも言われる。そんなことから中七の「力のままに」の措辞に納得するものがある。銚子沖は親潮と黒潮が交わるところで良好な漁場とされ、鰯漁のお零れにあずかろうとする鴎の群も想像される。

 

扉12月号

主宰詠

露草や筧のこぼす鯉の水

川底をよぎる魚影や秋澄めり

朝霧にまつげ濡らして親子馬

遠くより牛の声する花野かな

窓開けて朝風かよふ蔓茘枝

破れ垣にすがる風船葛かな

銀翼に月のさしくる最終便

花売の風に活けたる薄かな

お結びのこんがり焼けて厄日かな 

海からの風にみだれて秋ざくら

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

神前に四股たかだかと宮相撲    南後 勝

アニメ画く鉛筆の子の夜長かな   久下萬眞郎

石橋の影を浮かべて秋の水     野口晃嗣

振り向けば一人きりなり芒原    加藤田鶴栄

「お若い」と言はれて入る踊の輪  魚谷悦子

鳥渡る妻は無心に米をとぐ     野地邦雄

復興の道のり長し秋桜       佐藤啓三

新宿に息づく紺屋水澄めり     綾野知子

木守柿の一樹を残す更地かな    大西きん一

秋空に白く映えゐる虫籠窓     堤 淳

教室にワニスの匂ふ休暇明     中川文康

ジェット機の見えつ隠れつ鰯雲   内田正子

朝夕の風の気配や九月来る     平野久子

川底の石の色美し水澄めり     松木渓子

木の実落つ音にも馴れし荘暮し   田中泰子

夕刊の廃止の報せ虫時雨      井口幸朗

空掴む姿で果てし法師蝉      原田敏郎

紀の国の空に抱かる青蜜柑     山口恵子

秋日和水切石の光りをり      清水正信

丹波路はどこまで行くも豊の秋   山本兼司

それぞれが秋の陽差しを無縁仏   栗原 章

登高や「六国見山」海遥か     髙橋那智子

赤蜻蛉群れて夕日の空に溶け    武藤風花

木洩れ日を集めて萩の揺れ止まず  白坂美枝子

しんがりの勤めもあらむ渡り鳥   桐山正敏

残香の人の過ぎ行く秋の山     楢﨑重義

豊年の駅に一輌停まりをり     大河内基夫

葛城の芒の穂波艶めけり      上原 赫

露草や雨のしづくに彩を留め    藤本冨美子 

畦道に豊年の風芳しく       秦 良彰

 

選後一滴        坂元正一郎 

神前に四股たかだかと宮相撲    南後 勝

相撲は日本固有の宗教である神道に基づく神事でもあると言われている。相撲で四股を踏むのは準備運動や稽古の一方法とされるが、他方では大地の邪気を踏み鎮めると考えられている。宮相撲は祭礼などに神社の境内で行われる相撲のこと。中七の「四股たかだかと」の措辞に厳粛な雰囲気に包まれつつ、つま先まで高々と上がる四股の情景が目に浮かんできます。 

アニメ画く鉛筆の子の夜長かな   久下萬眞郎 

日本のテレビアニメは絵のクオリティの高さなどから海外からの評価も高いものがあり、最近は子どもから大人まで楽しめるアニメ映画が人気を集めている。掲句はお孫さんを詠われた作品と思われるが、季語「夜長」の斡旋が巧みでありアニメのお気に入りの人気キャラクーを無心に描く鉛筆の子が微笑ましく見に浮かんできます。

 

 

扉11月号

主宰詠

暮れなづむ街を鎮めて盆の月

わたなかに島の仄めく天の川

犬小屋の犬もあらはに稲びかり

仲見世を行つては帰る残暑かな

桐下駄の音かろやかに夜の秋

洗顔の水たつぷりと今朝の秋

秋霖を灯して走る救急車

捨畑に殖ゆるが儘の鳳仙花

水遣りも教師の仕事カンナ咲く 

鎌倉の谷を沸かせて法師蝉

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

迎鐘父よ母よと撞きにけり     大西きん一

送り火に妣知る人の遠会釈     中川文康

水色のクレヨンちびて夏休み    綾野知子

終戦日ビルマで果てて石一つ    岩﨑よし子

土つきのじやがいも届く廚口    小松千代子

北国の闇傾けて星流る       南後 勝

幽かなる狸囃子や盆の月      野地邦雄

盆の月老いて父似と言はれけり   佐藤啓三

朝顔の光と翳の妙喜庵       原田敏郎

子と共に西瓜を乗せて乳母車    魚谷悦子

踊の輪ふくらみ闇の深まりぬ    加藤田鶴栄

青空に雲くつきりと梅雨明くる   神阪 誠

灯を消して語りつきない良夜かな  田中泰子

連結の鈍き音する炎暑かな     内田正子

かくも辛き薬膳カレー実山椒    野口晃嗣

八月やレールの先にある故郷    福島晴海

稲雀あどけなき顔揃へをり     平野久子

夏蝶の美しき骸やアスファルト   金子京子

八月や餓島レイテにインパール   橋本瑞男

秋涼や岩床透けし滑川       髙橋那智子

炎昼や防犯カメラわれに向き    山本智子

救急車去りたる燐家秋風鈴     髙堀煌士

薄もみぢ写楽が女の白うなじ    武藤風花

母と見し美濃山麓の盆の月     桐山正敏

火の列へ初流燈をそつと押す    大河内基夫

ベレンダに呼ばれて見るや天の川  藤本冨美子

大花野児等の帽子の浮き沈み    春日春子

ゼラニューム灼くるごと咲く原爆忌 宮沢かほる

虫運ぶ蟻の山笠祭りかな      清水正信 

山頂へしんがりで着く酷暑かな   鈴木ゆう子

 

選後一滴        坂元正一郎 

迎鐘父よ母よと撞きにけり     大西きん一

お盆にはご先祖様や亡くなった家族の霊を迎え火でお迎えして供養する。迎鐘は霊を迎えるために撞く京都の六道珍皇寺にある梵鐘のこと。この鐘は古来よりその音響が十萬億土の冥界にまでとどくと信じられ、死者はその響きに応じてこの世に呼びよせられると言われている。掲句の「父よ母よ」の呼びかけるような措辞に作者の心が込められていて味わい深い。 

送り火に妣知る人の遠会釈     中川文康 

俳句は感動を詠う詩であり、感動した写実・現実を膨らませて叙情にするために季語がある、と土生重次は語られた。妣は亡母のこと。句の情景は送り火を焚いていると遠くに会釈する人がいて、目をこらすと妣が生前に親しくしていた人であった。この遠会釈の意味は作者の妣への祈りも込められたもので、季語の効いた詩情豊かな送り火の作品となった。

 

扉10月号

主宰詠

両手もて風にあらがふ夏帽子

撫牛のことに灼けたる頭かな

湖からの風のまつはる吊忍

筆立てに挿して座右の古団扇

航行の船をはるかに滝の道

分け入りて白杭さがす草いきれ

木洩れ日に刈り残されて破れ傘

川風の音を連れくる遠花火

夕焼けて熾火のごとく桜島 

灯ともせば我に寄りくる金魚かな

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

畏みて潜る茅の輪の青臭し     中川文康

義経の逃れし古道破れ傘      佐藤啓三

軽鳧の子の水尾にぎやかに小江戸橋 魚谷悦子

若人の砂弾く肌サングラス     内田吉彦

畑中を浮き沈みする麦藁帽     井口幸朗

蚊遣香夜の潮騒を大きうす     大西きん一

太古より鳴き継ぐ蝉や百舌鳥古墳  南後 勝

端居する祖父に習ひし将棋かな   久下萬眞郎

放流のダムの水煙夏つばめ     田中泰子

祖母呉るる藍色の風京団扇     綾野知子

梅雨明の木陰に野外コンサート   加藤田鶴栄

山の辺に虹うつすらと消え残り   平野久子

子の声の闇掻きまぜて蛍狩     福島晴海

天蚕の絹のブラウス晩夏光     小松千代子

夏鴨の水を飛ばして羽繕ひ     金子京子

雨あがる空に薄日や破れ傘     野口晃嗣

ちぐはぐな妻との会話古団扇    野地邦雄

やはらかく団扇の風は幼子に    岩﨑よし子

夏空や戦争を知る媼逝く      宮沢かほる

モビールの風道つくり夏座敷    大河内基夫

食べ頃を一日繰り上げ切るメロン  西谷髙子

古戦場ここぞと烈し蝉時雨     山本兼司

丹沢の風を通して綟障子      武藤風花

リゴレット観ての帰りや梅雨しとど 清水正信

はや浮子のくくく沈む夏の川    山本智子

大岩に光かぶさる滝しぶき     松下弘良

溽暑かな掃けば丸まる団子虫    楢﨑重義

かしは手の音は深山に梅雨晴間   有田辰夫

潮の香や祭甚句の浦を練る     髙橋那智子

一時に山揺るがせて蝉時雨     春日春子

 

選後一滴        坂元正一郎 

畏みて潜る茅の輪の青臭し     中川文康

茅の輪は夏越の祓に用いる茅萱を束ねて大きな輪の形に作ったもの。鳥居や社殿の前に立てて参詣の人々はこれを潜って無病息災、厄除けの祓とする。茅の輪潜りは神事であり、上五の「畏みて」の措辞にうやうやしく頭を下げて茅の輪を潜る姿や、下五の「青臭し」が如何にも生の茅萱を思わせて臨場感あふれる茅の輪潜りの作品となった。 

 義経の逃れし古道破れ傘      佐藤啓三 

破れ傘は山地の木陰などに生えるキク科の多年草。若葉は傘を半開きにした姿だが、生長するに従い破れた傘を広げたように見える。東京句会の七月の兼題は「破れ傘」だった。見たこともない兼題に皆さん苦労されたようである。そんな中、源義経が兄頼朝との不仲が原因で追われる身となり奥州の平泉へと逃れる逃走劇を破れ傘に重ねて見事に一句にされた。

 

 

扉9月号

主宰詠

中島にうとうとしたる通し鴨

梅雨晴や褌も干されて行者宿

放たれてきよとんとしたる羽抜鶏

船を見にゆく石坂の花蜜柑

繋船の鎖さびたる梅雨入かな

江戸城の刻印石へ蜥蜴来る

万緑や山肌さらす武甲山

マーガレット飾りてナースステーション

黒南風や白煙なびく溶鉱炉 

錫杖の音の遠のく慈悲心鳥

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

梅雨寒や駅の外れの喫煙所     南後 勝

梅雨寒や母の箪笥を開けてみる   山口恵子

列乱す早苗もありて学校田     佐藤啓三

首都高の影に沿ひゆく涼み船    大西きん一

迷ひ子の母を呼ぶ声落し文     小松千代子

百足虫打つ昔仇でありしごと    岩﨑よし子

葛ざくら女将の帯の貝の口     綾野知子

夕立の雲に追はれて小買物     田中泰子

目つむりて祭り化粧をされてをり  平野久子

まくなぎを払ひて遠き会釈受く   山口義清

郭公の声しみ透る峡の駅      内田正子

舟唄や水棹にからむ川蜻蛉     加藤田鶴栄

検針員蜥蜴去るまで漫ろ立ち    中川文康

五月晴新キャンパスは丘の上    原田敏郎

まつすぐに水脈を刻みて納涼船   野口晃嗣

老いてなほときめく心桜桃忌    野地邦雄

日盛りの交番に猫留守の札     魚谷悦子

夏痩せてくるりくるりと腕時計   武藤風花

草刈機火花散らせし古戦場     松下弘良

朽枝の少し動いて蛇となる     楢﨑重義

腰伸ばす媼の自慢立葵       白坂美枝子

この町にかくも若者三社祭     山本智子

もう一つお腹の子へと柏餅     有田辰夫

青鷺の佇む水面動かざる      藤井英之助

マンションのため池に来る通し鴨  藤本冨美子

不揃ひのラジオ体操風薫る     大河内基夫

梅雨晴や葬列にゐる双子の児    宮沢かほる

薬師堂訪ふ人なしに蚊遣香     秦 良彰

梅雨晴れや満艦飾の物干し場    橋本瑞男 

みちのくの人の寡黙やさくらんぼ  吉井博子

 

 

選後一滴        坂元正一郎 

梅雨寒や駅の外れの喫煙所     南後 勝

禁煙の機運の高まりを受けて路上喫煙を禁止している地域が増えている。また駅から喫煙所を遠ざけたり、喫煙所そのものを撤去するなどのケースも見られる。掲句もそうした流れのなかの喫煙所と思われる。愛煙家にとっては嗜好品の煙草が吸いづらくなって辛いことではあるが、上五の「梅雨寒」の効果で一段と遠くなった感の喫煙所が思われる。

 梅雨寒や母の箪笥を開けてみる   山口恵子 

梅雨時は半袖を着ていた蒸し暑さから、一転して寒い日が数日続くことがある。この思いがけない梅雨寒に薄手のカーディガンなどの上着を重ねることもある。掲句の眼目は「梅雨寒」との取り合わせにある。折からの梅雨寒に忘れていた母親の温もりを思い出してか、遺された箪笥のなかに何か羽織るものを探されているとも取れて味わい深い。

 

 

扉八月号 

主宰詠 

海からの風に力みて鯉のぼり

そこはかと新樹の香る古道かな

姫女苑咲いて生産緑地かな

ジーンズの尻も豊かに更衣

帆を掛けて日本丸や清和の天

次々に飛魚のとびたつ波がしら

板壁に干されて現の証拠かな

平らかな道に躓く夕薄暑

鮒佐屋の甘だれ匂ふ薄暑かな 

葉桜や諸人わたる日本橋

 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦 

路地裏の日陰づたひに逍遥す    野地邦雄

袋掛の裾野は花の咲くごとし    金子京子

測量士迎へ入れたり姫女     山口義清

ほろほろと蜜柑の花の散り急ぐ   岩﨑よし子

病む夫へ一日早く菖蒲風呂     魚谷悦子

新緑の風ゆきわたる二重橋     大西きん一

室町の綺羅を映してサングラス   綾野知子

老鶯の誘ふままに尾瀬木道     南後 勝

青嵐遠州灘の波濤五里       中川文康

三越で買うて男の日傘かな     佐藤啓三

柳絮舞ふ諏訪湖の空が曇るほど   井口幸朗

九十九里浜轟かせ黒南風来     原田敏郎

膝の上に手足の弾む聖五月     山口恵子

兄の背を凌ぐ弟や五月来る     平野久子

夕薄暑竹の百幹黙しをり      田中泰子

風鳴りて松の落葉の散り急ぐ    加藤田鶴栄

植木屋の鋏高鳴る立夏かな     神阪 誠

御嶽に噴煙少し朴の花       久下萬眞郎

来る筈の人を待つ間の渋団扇    武藤風花

たはらぐみ熟るれば児らの声過ぐる 宮沢かほる

軽トラに山と積み行く早苗かな   春日春子

小燕や顔よりでかく口開けて    松下弘良

あえかなる風にもゆれてばら蕾む  吉井博子

廃村に我が物顔や時鳥       藤井英之助

木洩れ日と峠を登る薄暑かな    大河内基夫

鯉幟嬰は誰にも笑み返す      西谷髙子

夏草や鎌研ぎ直すこと三度     清水正信

ぷりぷりの鰹山なす浜市場     有田辰夫

とりあへず冷奴にてつなぐ客    桐山正敏 

つる薔薇の薫る大輪笑むごとし   重原智子

 

選後一滴        坂元正一郎 

 路地裏の日陰づたひに逍遥す    野地邦雄

掲句は五月に行われた扉全国大会のときの日本橋界隈の吟行句と思われる。扉の句会は当季雑詠を基本としているが、吟行句の場合は眼前の情景を如何に感じるかの感性が大切。当日は五月ながら油照りほどではなかったが真夏の日差しであった。日陰は片蔭の傍題で晩夏の季語とされる。が、吟行は三越本店前の大通りの路地裏の日陰を伝うようにして楽しむ吟行コースもあった。

袋掛の裾野は花の咲くごとし    金子京子 

果樹園は陽当たりと水はけの良い土壌が大切だと言われており、南向きの山麓などに広がっている。袋掛は林檎や葡萄などの果実を鳥や病虫害などから守るための紙袋をかぶせる作業のこと。掲句の巧なところは袋掛の情景を「花の咲くごと」と見立てた直喩にあり、富士山などの裾野で行われている袋掛がまるで白い花が咲いているように目に浮かんでくる。

 

 

扉七月号 

主宰詠 

囀りを無言で発てる霊柩車

鼻づらに花びら纏ふ真鯉かな

夫の押す花の下なる車椅子

箱ひらく端から香る桜餅

色かへて生簀をはしる桜烏賊

あをぞらへ風船放ちウエディング

木洩れ日に彩なす三葉躑躅かな

逃水に又も逃げられ高速道

遠足の列やり過ごす山路かな 

扉誌を編んで幾とせ花は葉に 悼石井秀樹さん

 

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

雲雀野の真中でバスを降りにけり  大西きん一

花冷や拍手まばらのアシカショー  野地邦雄

踏切の先もはてなき花の雲     綾野知子

チューリップにこりともせぬ花屋かな松木渓子

鋏研ぐ馴染待つ間や目借時     山口義清

ふるさとの縁途切れぬ鳥雲に    南後 勝

女面の瞳きらりと春の宵      山口恵子

三弦の音湿りたる朧かな      内田吉彦

外つ国の人に飲まれて花疲れ    佐藤啓三

所在なく道に出てをり春夕べ    内田正子

仏塔をかすむる月の朧なり     加藤田鶴栄

花の夜の冷えをまとひて屋台酒   中川文康

チェロケース立てて待つ人花の駅  野口晃嗣

初蝶や風の軽さに迷ひをり     平野久子

甘茶寺飾り立てたる象の像     久下萬眞郎

水の春舟が舟曳く隅田川      魚谷悦子

桜咲く特急電車素通りす      小松千代子

名にし負ふパントマイムの壬生狂言 田中泰子

千本の花へ繰り出す櫓のきしみ   西谷髙子

花筏解けては結ぶ疏水かな     大河内基夫

集ひ来て大人かしづく入学児    武藤風花

満天星や幾万の鈴風招く      清水正信

深川や水面を慕ふ花の枝      桐山正敏

音も無く降り出す雨の灌仏会    宮沢かほる

との曇る天より垂るる紅しだれ   吉井博子

地球儀の北半球に春ぼこり     米倉敏明

薙刀の演武の城や花吹雪      髙堀煌士

裏山の闇をつんざく雉の声     松下弘良

春の河曲がりくねつて海に入る   楢﨑重義 

船頭の訛りで沸かす花見舟     有田辰夫

 

選後一滴        坂元正一郎

雲雀野の真中でバスを降りにけり 大西きん一

俳句はその器が小さいことから省略の文学とも言われている。掲句も雲雀野の真ん中でバスを降りた、とだけ提示してバスを降りた目的など何も語っていない。読者は自分の記憶や経験を頼りに自由に想像を膨らませばよい。雲雀野の真ん中と言うことから、牧歌的な広々とした春の田園風景や牧場なども浮かんでくる一句である。

 花冷や拍手まばらのアシカショー  野地邦雄 

アシカショーはイルカショーと同じく各地の水族館や遊園地で行われている。この作品の眼目は「花冷」との取り合わせにある。お孫さんを連れてのアシカショー見物でしょう?花冷えで肩をすぼめるような天気にも関わらず、アシカの演技に感動した子どもたちの素直な拍手が人もまばらな観客席から聞こえてくるようである。

 

 

 

扉六月号 

主宰詠 

田翁の鍬やすませて揚雲雀

せゝらぎにきらりきらりと柳鮠

清流にわが身まかせて落椿

半農の小舟にかわく目刺かな

地震の傷いまだ癒えずに鳥帰る

剪定のはしごを掛けてゐるところ

陽炎にぐらりと揺るゝ万治仏

引鴨のあと無疵なる逆さ富士

蘆芽ぐむ水をすみかの野鯉かな

 

沖からの風に吹かれて重次の忌

 

開扉集     坂元正一郎 推薦

八本のオールが掴む春の水     大西きん一

トーチカの壁の弾痕冴返る     野口晃嗣

啓蟄の畑は売地となりにけり    久下萬眞郎

春一番世間話の輪をほどく     内田正子

手びさしに芽柳の色流れけり    加藤田鶴栄

老梅や年月語る幹の瘤       野地邦雄

清貧は昭和の言葉目刺喰ふ     中川文康

下町に残る銭湯燕来る       南後 勝

木樹芽吹く老に抗ふストレッチ   岩﨑よし子

一連の目刺の背中海のいろ     松木渓子

相席は園児の集ひ山笑ふ      平野久子

掛軸は母の筆なる天平雛      山口恵子

露天湯の湯気に誘はれ春の雪    内田吉彦

一塩をあてて細魚の甘さかな    綾野知子

恋詠みし安房の女の目刺かな    佐藤啓三

あたたかやオカリナ響く丘の上   魚谷悦子

しだれ咲く夜目にもしるき大桜   原田敏郎

膝折りて風船売りは子の目線    小磯世史

天守より桜を愛づる無礼講     松下弘良

菜の花の黄あかり浄土安房上総   髙橋那智子

一輪車芝生に集ふ梅日和      藤井英之助

飛騨牛の大きな眼牧開く      武藤風花

おんもへとせがむ赤靴春の泥    西谷髙子

窓拭きの脚立沈めて春の土     春日春子

よく回る岬の風車風光る      楢崎重義

婿取りの家華やかに五段雛     清水正信

錠剤の転がりてゆく春炬燵     宮沢かほる

一つ星今宵も眺む春の果      重原智子

紅白に梅全山を染め上げて     栗原 章

 

春昼や竿竹売りの声遠く      大河内基夫

 

選後一滴        坂元正一郎 

八本のオールが掴む春の水     大西きん一

ボート競技の種目の一つに、八人の選手がそれぞれ一本のオールを漕いでボートを進めるエイトと呼ばれる種目がある。八本のオールが一糸乱れぬリズムで水面を疾走する光景は力強くも美しいものである。掲句の巧みなところは、八本のオールが水をとらえるところに焦点を絞った「オールが掴む春の水」と表現されたところ。隅田川の春の風物詩ともなっている早慶レガッタを彷彿とする省略の効いた作品である。 

トーチカの壁の弾痕冴返る     野口晃嗣

 

このトーチカは晃嗣さんの六月号の作品から沖縄の宜野湾市の高台にあるトーチカと思われる。これは沖縄戦で日本軍がコンクートで堅固に構築した防御陣地で、ここを巡っての攻防で日本とアメリカの数千人の兵士が命を落としたとされる。そのトーチカの壁に残る弾痕の惨状を目の当たりにされた作者は、下五の「冴返る」に託して戦争の悲惨さを伝えている。

 

扉五月号

主宰詠

草萌にどつかと座る介助犬

八朔を山積みにして渡し船

爪皮のぬれて祇園の春時雨

夜もすがら止まぬ湯治の雪しづく

恋猫の鳴きごゑ𠮟る翁かな

片栗の花は聞き耳立てゝをり

暮れのこる花山茱萸の在りどころ

薄氷へ水の乗りゆく朝かな

剪定の飛ばすおがくづチェーンソー

 噴煙は海へとなびき多喜二の忌

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

一椀の小さきざわめき蜆汁        佐藤啓三

山笑ふ終着駅は無人駅          平野久子

ビストロの旗を巻き上げ春一番      綾野知子

筑波嶺を仰ぐ高さに揚雲雀        田中泰子

春立ちぬゆふべの豆に寄るすずめ     小松千代子

寒菊やぐいと引き抜く黒ネクタイ     大西きん一

行者道逸れて一人の梅探り        中川文康

暁星や予後の朝餉の蜆汁         南後勝

静もれる宮に一声鬼やらひ        魚谷悦子

仲見世の廂に春の時雨かな        加藤田鶴栄

立春や地下鉄出れば川つ風        山口恵子

寒明けやロードバイクに油さす      野地邦雄

ストーブを消してはつけて一人住む    岩﨑よし子

うすずみに煙る里山雨水かな       金子京子

春立つやあけぼの色の招待状       野口晃嗣

紀の国の空の青さよ懸大根        原田敏郎

命綱つけて剪定松の枝          松木渓子

寡夫の手を切るか厨の寒の水       山口義清

薄氷や順にひと踏み登校す        西谷髙子

卒業や文語の校歌高らかに        米倉敏明

雪晴れや隣へ続く猫の跡         宮沢かほる

梅が香やゆるりゆるりと人動く      白坂美枝子

茅花食べともに遊びし友いづこ      清水正信

冬ざれの折れ葦分けて舟溜り       春日春子

春炬燵味方が邪魔な詰将棋        武藤風花

梅東風や英語韓語の絵馬の音       山本智子

散歩道走者いや増し寒明くる       桐山正敏

法被着て二月礼者のお越しかな      有田辰夫

恋猫やどれが妻やら夫やら        山本兼司 

寒鴉威嚇の声をまき散らす        重原智子

 

選後一滴          坂元正一郎

一椀の小さきざわめき蜆汁        佐藤啓三

蜆を季題にした句には、庶民のつましい暮らしを演出する小道具としての蜆の作品が多いように思う。石田勝彦に「ひとりにはひとりの音の蜆汁」があるが、音をもって如何にも蜆汁を思わせている。掲句も同じように「小さきざわめき」と音で蜆汁を詠出された。蜆の身にも多くの栄養が残っているもので、その身をさぐるかに蜆汁をしみじみと味わっていらっしゃる。

 山笑ふ終着駅は無人駅          平野久子

掲句は「山笑ふ」「終着駅」「無人駅」と三つのフレーズを並べただけである。が、俳句の形はできるだけシンプルにした方が普遍性を得やすいもの。無人駅となった終着駅の町にも何がしかの伝統文化が息づいているもの。そんな町の営みに思いをめぐらすことも掲句の味わい方の一つ。「山笑ふ」が旅人を歓迎しているとも取れて味わい深い。

 

扉4月号

主宰詠

馥郁と厨をかをる屠蘇袋

葉牡丹やしろがね色の雨宿し

餅花を咲かせて地蔵通りかな

大寒や湯気ほんのりとマンホール

寒月を弾かば響くかもしれぬ

老いぼれてをれぬものかと寒げいこ

風花の軒に並ぶや地魚売り

あをさ汁あれば事足る朝餉かな

鳩どちのくく鳴き止まず春近し 

お向ひへ及ばぬやうに豆はやす

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

初髪の一力の角まがりけり        大西きん一

初空へ日の出を待たぬ一番機       佐藤啓三

探梅行休耕田に出でにけり        久下萬眞郎

タグボート満寒月も曳きににけり     中川文康

せせらぎのさらさらきらら石蕗の花    原田敏郎

繭玉のいびつのままに乾びけり      小松千代子

蠟梅の香に歩み寄る空真青        山口恵子

雪折れや鎮守の闇を深くして       内田吉彦

書初めにローマ字もあり書道塾      岩﨑よし子

霊山の奥より鷹の飛翔せり        野地邦雄

大寒の言葉少なき湯治客         野口晃嗣

かいつぶり共に潜るはめをとかも     内田正子

うたゝ寝の炬燵に吾子の軽き息      加藤田鶴栄

妻選りし色の試着や春を待つ       山口義清

人波に父の肩より熊手振る        平野久子

探梅の張りつめし空綻びぬ        南後 勝

検診の主治医マスクに顔埋め       井口幸朗

かつて富士見えし所や年の市       松木渓子

木枯らしの東京タワーきらめけり     重原智子

小魚の腹白じらと冬の川         清水正信

サンドイッチマン有楽町の冬の月     橋本瑞男

葉ぼたんの鉢を並べて無人駅       春日春子

レシートの裏に書き込む初句かな     鈴木ゆう子

はや塾に子等の声する松の内       山本智子

通勤の車列の屋根に今朝の雪       宮沢かほる

大家族炬燵に起こる足げんか       白坂美枝子

身一つに病名いくつ去年今年       米倉敏明

母が子に本読み聞かす炬燵かな      藤本冨美子

雪女さよならも無くなごり雪       大河内基夫 

撫で牛は母の温もり初山河        武藤風花

 

選後一滴          坂元正一郎

 初髪の一力の角まがりけり        大西きん一

まだ足を運んだことはないが、京都祇園には格式高いお茶屋の一力亭がある。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場する歴史的なお茶屋と言われている。掲句の「一力」もこの一力亭のことを詠われた。京都の祇園といえば舞子さんが浮かんでくる。その舞子さんの明るくて華やかな初髪姿が得も言われぬ正月気分を醸しだしている。

 初空へ日の出を待たぬ一番機       佐藤啓三 

啓三さんは羽田空港へ眺望のひらけたところにお住まいである。気象協会によると東京湾の元旦の日の出は六時五十分頃とあり、これより早く羽田を出発する便として沖縄便などがある。掲句は元旦の白みはじめた羽田空港の真っ新な空をスケッチされた。初空へ飛び立つ一番機が新年のめでたさを象徴しているかの作品である。

 

 

扉3月号

主宰詠

荒星のことさら光る小路かな

屋台にも灯ともりてクリスマス

耳袋して登校の姉妹

枯芝の色にまぎれて雀どち

裏山の冬木へしづむ夕陽かな

酢海鼠を左手でつまむ左党かな

その数は千をくだらん浮寝鳥

黄昏れてつくづく白き大白鳥

笹鳴きのほかは音なき御陵かな 

日溜りに手締め湧きたる達磨市 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

水底の鯉の動かぬ寒さかな        南後 勝

冬日差す小さき窓のくじ売場       魚谷悦子

くるむよに老の童顔冬帽子        佐藤啓三

北嶺の知らせの如く風花す        大西きん一

妻の背に清めの塩や寒昴         中川文康

駄菓子屋に子供集まる二日かな      久下萬眞郎

早起きの夫に呼ばれて初氷        小松千代子

連弾の指のはづむよクリスマス      金子京子

饒舌も寡黙も睦む年忘れ         加藤田鶴栄

歳晩や乳ぜりせし子は停年す       内田正子

夕映えの荒川鉄橋冬立ちぬ        平野久子

止まりゐる手巻時計や冬立ちぬ      山口恵子

枝落とすチェンソーの音寒日和      綾野知子

去年今年近くて遠き米寿かな       原田敏郎

凩の棲みつく街のビルボード       野地邦雄

凍蝶の歩めば重き背の翅        石井秀樹

着ぶくれて始発電車の客となり      福島晴海

父と子の肩車の影冬の星         松木渓子

犬連れの影遠ざかる冬田道        宮沢かほる

日だまりに布石の如く浮寝鳥       山本智子

遠眼鏡ひざに池畔の日向ぼこ       髙堀煌士

看護師の大きなマスク目元笑む      楢﨑重義

悪友も仏となりて冬ごもり        山本兼司

兄姉に逝き遅れたる除夜の鐘       武藤風花

取り合ひて抱く稚児や冬座敷       西谷髙子

針穴の小さくなりてそぞろ寒       重原智子

ひらがなの賀状三葉認めり        大河内基夫

とりあへず根方に寄する落葉かな     春日春子

煤掃きのしばし佇む母の部屋       有田辰夫 

秋の空ペンシルロケット飛び立てり    上原 赫

 

選後一滴          坂元正一郎 

水底の鯉の動かぬ寒さかな        南後 勝

池のほとりに静かに立っただけで鯉は近寄ってくるが、冬になって水温が下がると動きも鈍くなり水底から動かなくなる。重次句に「黙考のときも鰭ゆる寒の鯉」があるが、寒の鯉はじっとうごかないようだが、体のどこかが動いている、と自註にある。勝さんは水底を石のように動かない鯉に冬の寒さを感じられた。寒さが足もとから染みてくるような一作である。

 冬日差す小さき窓のくじ売場       魚谷悦子 

宝くじの始まりは江戸時代のことで、寺社の修理費等を工面するために始めた富籤にあると言われる。人々がくじ売場に列をなす情景は年末の風物詩ともなっている。掲句の面白いところは、宝くじ売場のあの小さな窓に目を向けたところ。売場で求めた「くじ」を手にしては、それぞれ夢を膨らませて冬日の街へと消えて行くのである。

 

扉2月号

主宰詠 

海からの風にさらして懸大根

猟銃の一声ひゞく深山かな

鳶の輪の海へ出てゆく冬日和

弁当をかこむ海辺の小春かな

赤煉瓦倉庫にかゝる時雨虹

凩に研ぎ澄まされて太白星

旅がてら車窓に齧る冬林檎

堂守や朝な夕なの落葉掃き

魚屋の売り声尖り冬に入る 

一筋の煙をあげて冬田打

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

甲斐駒の嶺蒼々と冬に入る        野地邦雄

小春日やあれもこれもと陽に晒す     小松千代子

やじ馬のつられ手拍子酉の市       野口晃嗣

爽やかに山の匂ひの横川かな       久下萬眞郎

竹林の空極みなし冬麗ら         内田吉彦

玉砂利に抱つこをせがむ七五三      中川文康

ジョギングのポニーテールや冬うらら   福島晴海

冬めくや独りセロリをかじる音      大西きん一

幼な児の見開く瞳秋うらら        岩﨑よし子

冬ばらのくすみし白や友逝けり      堤 淳

学僧の青き剃髪寒椿           佐藤啓三

草紅葉女帝を祀る小さき塚        南後 勝

惜し気なく紅葉散らせし峡の風      内田正子

モノクロのギャング映画や初時雨     綾野知子

黒土の大根引くなり筑波晴        原田敏郎

内陣を窺ひて見る神の留守        加藤田鶴栄

一人湯の窓打つ音や初時雨        平野久子

まな板の主夫のリズムや小六月      山口義清

縁取りは桜紅葉よ湖青し         春日春子

晩秋の野に立ちあがるバルーンかな    米倉敏明

躓きて我が影揺らぐ愁思かな       山本智子

落葉焚き千木より高く煙行く       大河内基夫

乾きたる音を重ねて朴落葉        白坂美枝子

一枝を手折つて帰る紅葉山        楢﨑重義

小春日の薪積む小屋の匂ひけり      宮沢かほる

冠雪の那須噴煙の穂の短         武藤風花

あちこちに子らの声する夕焚火      山本兼司

山神に心臓捧げ牡丹鍋          髙堀煌士

小春日や手持ち無沙汰の休刊日      橋本瑞男 

ペンダント手に這はせては夜の秋     重原智子

 

選後一滴          坂元正一郎

甲斐駒の嶺蒼々と冬に入る        野地邦雄

甲斐駒は長野県伊那市と山梨県北杜市にまたがる日本百名山の一つ。時候を表わす季語は漠然としたところがあり、取り合わせの句の場合は殆どの句に合うところがある。ここに時候季語の難しさが潜んでいる。が、掲句の「冬に入る」は上五中七の措辞と響き合って甲斐駒の冬の勇姿が眼前に迫ってくるような大景を思わせる作となった。 

小春日やあれもこれもと陽に晒す     小松千代子 

小春日と言って立冬を過ぎても穏やかで春に似た暖かい日が続くことがある。嬉しくもあるが、何かをしなければ勿体ないような気がしてくるもの。掲句の「あれもこれもと陽に晒す」には小春日を無駄にするまいとするかの姿が浮かんでくる。厳しい冬に向かって行く中、小春日の一齣を切り取られた主婦ならではの作品でもある。

 

 

2019年

扉1月号

主宰詠 

手すさびに捨てゝは拾ふ木の実かな

木の実降る音にあつまる真鯉かな

末枯れて坑口のぞく廃坑区

空つぽの交番灯るそぞろ寒

木道の温みに止まる秋あかね

穭田は風の道なる里曲かな

花活けの屑とて確と菊かをる

釣舟は陸に休ませ雁渡る

高稲架を昇る朝日の匂ひかな 

海光を返して伊予の蜜柑山

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

天高しダム放流の水真白         大西きん一

繰言をつぶやく妻や栗を剥く       野地邦雄

秋あかね追はれ魚鱗の陣崩す       中川文康

画帳には収まりきれぬ花野かな      岩﨑よし子

山形の夕陽の色の柿届く         福島晴海

白みゆく海一列に鳥渡る         南後 勝

蜜柑捥ぐ碧き空より引き寄せて      野口晃嗣

原野行く宗谷本線末枯るる        佐藤啓三

鉤の手に進む回廊秋深し         綾野知子

筆勢のにぶれし齢秋の雨         平野久子

菊人形修羅場のときは大袈裟に      田中泰子

葉がくれにおんぶバッタの潜みをり    内田正子

峠まで萩に濡れ行く山路かな       久下萬眞郎

出不精を散歩に誘ふ秋日和        加藤田鶴栄

手渡しに稲架掛けてゆく老夫婦      原田敏郎

大池の水面たゆたふ紅葉かな       堤 淳

小さき田の棚田に小さき稲架を組む    井口幸朗

秋雨の音きく夜や夜具増やす       小松千代子

丹沢の何処から見ても鰯雲        武藤風花

谷里の空を平らに鰯雲          春日春子

朝霧の峡より溢れ海に入る        楢﨑重義

コンバインやり過ごしてや稲雀      藤井英之助

秋の昼道一杯のジャグリング       大河内基夫

秋耕や鍬の重さに老いを知る       清水正信

ままごとの飯はしごける赤のまま     宮沢かほる

蹲うて遺跡掘る人天高し         米倉敏明

幼な児のしかと握れる木の実かな     藤本冨美子

人の妻無断拝借運動会          有田辰夫

鋏む音ひと日軽やか松手入れ       西谷髙子 

木の実降る屋根の刻みしリズムかな    鈴木ゆう子

 

選後一滴          坂元正一郎

天高しダム放流の水真白         大西きん一

ダムは水を溜めるのが目的ではあるが、下流河川の水質や環境維持のために放流する場合もあると言われる。掲句の妙味は「天高し」との取合せにあり、高く澄みわたった秋の青空と真っ白な放流水との色の対比が美しい作品である。また、読者の五感に訴えるようなところもあり、観光化している黒部ダムの壮大な放流を彷彿とする。 

繰言をつぶやく妻や栗を剥く       野地邦雄

愚痴を聞いてあげることも夫婦間のコミュニケーションの一つと言われている。そんな然りげない日常の一齣を一句になさった。掲句の巧いところは計算されたとも取れる「栗を剥く」の配し方にあり、四ヶ所の「ク」音の繰り返しに軽やかな調べが生まれた。野地さんは料理もなさるとお聞きしたが、繰言を上手に聞きながら睦まじく栗を剥く姿も浮かんでくる。

 

 

扉12月号

主宰詠

手秤にずしりときたる葡萄かな

児らの釣り一尾もつれず鰯雲

朝市の空の青さに秋刀魚焼く

なだらかに湖へなだるゝ花野かな

芒照る富士山麓の入り日かな

夕霧に灯りもぬれて八幡坂

一本の蔓にすがりて大瓢

丈なせる萩むら通る人語かな

葛棚や山ふところの遍照寺 

吹かれては手招くさまの尾花かな

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

巡礼の鈴の遠音や花野道         佐藤啓三

秋晴や組体操を見に行かむ        久下萬眞郎

鍬の柄に顎を休めて天高し        井口幸朗

幼子の真似て懸巣の鳴き止まず      小松千代子

梨を剥く指を滴る甘さかな        堤 淳

石庭の砂紋さだかや秋の声        大西きん一

独り飲む朝のコーヒー小鳥来る      平野久子

振り向けば殿なりし芒原         加藤田鶴栄

稔り田の中にどつかと筑波山       内田正子

リフトより三百六十度の花野       福島晴海

母の年超えて出歩く秋日傘        岩﨑よし子

酒を酌む人の恋しき長夜かな       野地邦雄

虫の音や焔ゆらめく易者の灯       綾野知子

夕影や山より暮るる柿の里        田中泰子

鰯雲峡より昇る木遣唄          中川文康

風を呼び風を躱して花芒         野口晃嗣

蟷螂の夕日を背負ふ草野球        南後 勝

ふつふつと鉄瓶の音そぞろ寒       金子京子

コスモスを娘に手を預け今年また     武藤風花

括りてもなほ風去らぬ萩の花       宮沢かほる

秋の野や風を広ぐる草競馬        松下弘良

秋簾深川めしは江戸の味         山本智子

墓石の影長くなり秋彼岸         藤井英之助

薄紅葉杉の間に間に鞍馬山        秦 良彰

鬼やんま茶の間を通り抜けにけり     根本光子

崩れ行く飛行機雲や赤蜻蛉        清水正信

平仮名の便りを添へて芋届く       有田辰夫

秋澄める水音響く離宮かな        大河内基夫

しまひ湯にさしくる光十三夜       吉井博子 

解く棚に布袋腹なる蟷螂よ        春日春子

 

 

 

選後一滴          坂元正一郎 

巡礼の鈴の遠音や花野道         佐藤啓三

巡礼の鈴は神社仏閣や霊場などを参拝してまわるときの熊などの獣除けとしての役目や、巡礼の煩悩を払い清浄な心にしてくれる響きだとも言われる。 掲句の巧いところは上五中七と花野道との取合せにある。澄みわたった巡礼の鈴の遠音によって、花野道の静寂な雰囲気や清澄な空気までをも思わせる一服の清涼剤のような趣の一作である。 

秋晴や組体操を見に行かむ        久下萬眞郎 

組体操は運動会の花形種目として親しまれている。掲句の佳さは十七音しかない俳句の器に言葉をあれこれと詰め過ぎていないところ。さっぱりとした句柄が秋らしい雰囲気を醸しだしている。句意は「組体操を見に行こう」の一言ではあるが、「秋晴」と響き合って組体操を見守る保護者などの大きな声援や演技中の子供たちの晴れやかな表情など想像の膨らむ好感のもてる一作である。

 

 

扉11月号

主宰詠

豊かなる腰もて踊る女将かな

あらかたは弾けてをりぬ鳳仙花

不夜城へ稲妻さゝる今宵かな

毘沙門は邪鬼ふんまへて初嵐

裏山へ夕日の移りつくつくし

風わたる言問橋の残暑かな

船旅の丸き小窓を星走る

雲間よりついと走るや流れ星

釣糸に風のまつはる初涼かな 

新涼やくるりと回る理髪椅子

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

この星も宙の一粒天の川         南後 勝

新涼の峰むらさきに暮れゆけり      平野久子

遠花火甍の波に沈みたり         内田正子

御嶽の夕陽に赤し蕎麦の花        久下萬眞郎

半眼に残暑の疲れ辻地蔵         中川文康

本復のきざしが声に涼新た        大西きん一

重次来よ地球を跨ぐ流星群        野地邦雄

シャンプーの香りの君や星走る      福島晴海

国境を越えて落ちゆく流れ星       松木渓子

山小屋の寝るには惜しき星月夜      加藤田鶴栄

鬼籍へと又一人聞く星月夜        岩﨑よし子

秋蝉のこゑ遠近に畝傍山         野口晃嗣

沖縄へ八重の潮路よ雲の峰        魚谷悦子

法師蝉囃す山門下りけり         山口恵子

指先の青天まぶし長崎忌         佐藤啓三

二階まで蟻を寄越して凌霄花       綾野知子

捨て畑の隅にききやうの青さかな     堤 淳

盆太鼓夜風に乗りて田を渡る       田中泰子

流灯にすぐに横向く癖のあり       内田吉彦

玄関に靴の散らばり西瓜切る       宮沢かほる

カレー屋に行列長き残暑かな       大河内基夫

あふのけの蝉放ちやる幼き手       橋本瑞男

梅雨晴るる瀬戸へ真白き診療船      髙堀煌士

夕やみに茗荷の花か白白と        吉井博子

風鈴の音を添へたる夕餉かな       上原 赫

陽を受けて耀よふ精霊蜻蛉かな      楢﨑重義

汗ふきつ野外ライブへ人の波       藤本冨美子

髪洗ふ吾身に添へしつくも髪       武藤風花

どの星に願ひ託さむ星月夜        清水正信

蚊遣火を焚いて客間待つ旅の宿      鈴木ゆう子

 

選後一滴          坂元正一郎

この星も宙の一粒天の川         南後 勝

地球は水星や金星などと同じく太陽を中心に公転する星の一つで太陽系を構成している。宇宙には銀河系と呼ばれる太陽系を含む約二千億個の恒星とガスや塵などからなる天体があるとされる。その銀河系の一部が天の川として地球から見えている。掲句の巧いところは地球も宇宙の一粒だとする「この星も宙の一粒」とした措辞にあり、天の川を見上げては壮大な宇宙へと想像の膨らむ一作である。 

新涼の峰むらさきに暮れゆけり      平野久子 

茨城県のシンボルの一つとされる筑波山の雅称に紫峰「ルビしほう」と言うのがある。これは山肌が夕日に照らされると紫色に見えるということに由来するとされる。一方、落日の遠峰も空は残照に映えているが山肌は緑から紫へと色が移っていく。掲句はそのような峰々の表情の移ろいに爽やかな新涼の雰囲気を重ねた。夏の疲れを癒すかの一作となった。

 

 

 

扉10月号

主宰詠  

水煙に甍ぬらして滝見茶屋

海からの風も掬うてかき氷

風くれば路地へいざなふ氷旗

文机に栞としたる団扇かな

鷺草へ人影絶えず浄真寺

名水をこぼす水車や冷奴

葉隠れのその房いくつ青葡萄

手水舎へ鳩くる四万六千日

連れだちて駅を出てくる藍浴衣

レインボーブリッジ灯る夜涼かな

 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

麦秋の果てに三基のサイロかな      大西きん一

洗ひ鯉父のいませば柴又へ        内田正子

じいと蝉啼いて晦ます行方かな      原田敏郎

行々子今朝一番の試し鳴き        井口幸朗

風鈴の百の出迎へ温泉街         山口義清

万緑に沈む高野の社寺いくつ       加藤田鶴栄

初螢闇より生れ闇に消ゆ         南後 勝

噴水の虹潜らむとする子かな       中川文康

海からの風も一品夏料理         宮田 肇

夏蝶のもつれて峠越えにけり       野地邦雄

夏の雲メタセコイヤに懸かりけり     山口恵子

娘の手確り握る花火の夜         久下萬眞郎

葉の青に溶けて鳴きをる雨蛙       平野久子

屹立の蓮に見習ふ八十路人        岩﨑よし子

分譲の幟の褪せて油照          綾野知子

僧兵の駆け抜けし道木下闇        野口晃嗣

炎天やぢつと我慢の信玄像        佐藤啓三

海風とおばあの唄と島焼酎        福島晴海

財布手にいつもの店へあつぱつぱ     米倉敏明

素潜りの父待ち侘ぶる防波堤       橋本瑞男

明易や雨戸をくれば森匂ふ        吉井博子

法話聴くぴたりと止まる団扇かな     有田辰夫

友の愚痴ともに飲み込む心天       白坂美枝子

身を焦がしのうぜんかづら咲き登る    清水正信

アルパカのつぶらな瞳夏の雲       宮沢かほる

一夜明け蝉鳴きわたる水害地       桐山正敏

一ト匙に口のしびれてかき氷       西谷髙子

付き纏ふ蜥蜴どうやら吾に恋       武藤風花

土に伏す組体操や子等の夏        春日春子

浴衣着て夕闇せまる二人連れ       重原智子

 

選後一滴          坂元正一郎

麦秋の果てに三基のサイロかな      大西きん一

麦秋は麦が黄熟した頃をいう時候の季語とされるが、より具体的に黄金色の麦畑の風景などを背景におくこともある、と歳時記にある。上五の「麦秋の果てに」とした措辞に北海道などに広がる広大な麦畑を思わせるところがあり、遠くに見える三基のサイロが印象的でどこか心癒されるような雰囲気を持った作品となった。 

洗ひ鯉父のいませば柴又へ        内田正子

柴又は日蓮宗のお寺である柴又帝釈天の門前町として知られている。また、映画『男はつらいよ』の「フーテンの寅さん」でも有名なところ。ここは江戸川に臨むところで矢切の渡しや川魚料理でも親しまれている。「あらい」は新鮮な白身魚の刺身を氷水で洗い縮めて酢味噌などで食べる。かつて父親と食べた柴又の鯉の洗いを思い出されたのだろう。父への追慕の思いが込められた一作である。 

じいと蝉啼いて晦ます行方かな      原田敏郎

 夏の風物詩と言えるものに蝉捕りもあげられる。夏休みに網を片手にしている子供たちの姿は今も昔も変わらないものがある。掲句も蝉捕りの一齣であろう。「じいと蝉啼いて晦ます」の措辞に狙いを定めて網を近づけるも、あと少しのところで逃げられてしまった。なんとも言えぬ悔しさの感じられる臨場感あふれる一作となった。

 

扉9月号

主宰詠

 

時々は石に悲鳴の草刈機

入れ替はり立ち替はりして親燕

てんでんに揺れてゐるなり小判草

四阿を順路に入れて菖蒲園

葉に蕊の零れてをりぬ濃紫陽花

河骨の花ぽつねんと灯りをり

下闇を群れて闊歩の鴉かな

各停に暫し間のあり閑古鳥

溜池の悲話をかかへて牛蛙 

あやされて風に育つや今年竹

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

茶の畝のゆつたりくねる薄暑かな     大西きん一

匂ひ立つ一夜の命女王花         田中泰子

くちなはの水面縫ふごと泳ぎをり     金子京子

村ありしダムのさざ波閑古鳥       佐藤啓三

検針員蛍袋を覗き込み          中川文康

ヘルパーの腕逞しく梅雨の明け      宮田 肇

緑陰を抜けて緑陰法然院         南後 勝

昼顔のまだ咲かぬ間の散歩かな      小松千代子

葉柳や焦げ跡残る日本橋         野口晃嗣

あの家も子は街暮らし実梅落つ      山口義清

大西日窓の奥まで焦がしをり       平野久子

韋駄天の足駄を濡らす夕立かな      原田敏郎

父の日の我何事も無く過ぎし       井口幸朗

咲き登り背丈を競ふ立葵         神阪 誠

ゼラニウムの窓ぴかぴかに製菓校     綾野知子

修験者の通ひし道や落し文        野地邦雄

メントール煙草くゆらせ巴里祭      福島晴海

下校子の組んづ解れつ梅雨晴間      岩﨑よし子

盆僧のギャルに挟まる自由席       武藤風花

海霧にレール消えゆく稚内        米倉敏明

竿売りの声の伸びゆく梅雨晴間      山本智子

神前へ青葉の中を綿帽子         大河内基夫

雲の峰積木に似たるビルの街       山本兼司

色白の乙女浮き立つ紺浴衣        清水正信

木漏れ日も洩らさぬ山の青葉かな     楢﨑重義

故郷も母も遠くに額の花         宮沢かほる

夕凪や軒に魚干す鬼ヶ島         桐山正敏

軽鴨の車停めたる大都会         有田辰夫

湖凪や葭切葭に寝しづまり        西谷髙子 

その声に元気いたゞく行々子       白坂美枝子

 

選後一滴          坂元正一郎

茶の畝のゆつたりくねる薄暑かな     大西きん一

掲句の巧みなところは茶畑を「茶の畝のゆったりくねる」と詠い上げたところ。茶の畝の「畝」を辞書に当たると山脈・波などの小高く連なったところ、とある。茶畑は傾斜のゆるやかな丘陵地などに畝をくねらせながら広がっているもので、上五中七が茶畑を言い得て妙である。茶摘みは八十八夜前後すなわち陽暦の五月二日頃が最も盛んといわれ、「薄暑」の働きで美しい茶葉の緑も輝いて見える。 

匂ひ立つ一夜の命女王花         田中泰子

女王花は月下美人のこと。夏の夜に大きな純白の花を開き四時間ぐらいで萎「ルビしぼ」んでしまう。花は美しく濃厚な香りがある。先師重次も俳句は「座五」がいのち、と語られた。掲句の巧さは女王花を「匂ひ立つ一夜の命」と叙して座五に女王花を据えたところ。女王花を知っている人もそうでない人も女王花に読みいたって想像を膨らますのである。 

くちなはの水面縫ふごと泳ぎをり     金子京子 

「くちなわ」は蛇の異名で形が朽ちた縄に似ているからいうと辞書にある。掲句の一と節は、水面をくねりながら泳ぐ蛇の姿を手縫いの針の使い方に喩えた「水面縫ふごと」にある。向こう岸へ渡ろうとする青大将などに大騒ぎする人々の声や静かな湖面に波紋を広げて泳ぐ蛇の姿がありありと浮かぶ一作である。

 

扉8月号

主宰詠

もてなしの酒樽据ゑて宵祭

片手には綿菓子にぎり祭の子

豊かなる堰の流れや夏つばめ

雨気付きやをら鳴きだす枝蛙

源流の音かそけしき谷若葉

水郷の水の上なる薄暑かな

一湾へ押すな押すなと卯波来る

どの畦を行くも戻るも蕗茂る

遥かなる安房うつすらと夏霞

鳥の声こぼす新樹の息吹かな

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

筑波嶺に尻を揃へて田植かな       宮田 肇

泰山木二階の窓に開きけり        久保 研

ざざ降りの軒に休まず親燕        大西きん一

飲み干して音の澄みたるラムネ壜     野口晃嗣

手庇を思はずかざす夏の朝        神阪 誠

水たまり蹴散らして行く荒神輿      加藤田鶴栄

大玻璃の歪む茶房や新樹光        南後 勝

マンションにはためく尺のこひのぼり   魚谷悦子

みどり児の髪の匂ひや風五月       田中泰子

禿頭を隠し理髪へパナマ帽        野地邦雄

潮溜りのぞく小さな夏帽子        福島晴海

松蝉を聞く峠より竹生島         久下萬眞郎

子等帰る夕べの鐘も夏はじめ       小松千代子

腕白の目を逃れての蝸牛         金子京子

初蝶に子等の声飛ぶ遊園地        平野久子

松林に海霧流れ能登の旅         山口恵子

会堂に響くチェンバロ新樹の夜      綾野知子

竹の子や昔どの家も子沢山        佐藤啓三

白銀の波うねり行く穂麦畑        清水正信

一本の竿に命の鰹どき          中川文康

山麓の青葉滴る蒸留所          原田敏郎

マネキンの手足のびのび街薄暑      山本智子

ビルの間を必死に泳ぐ鯉のぼり      有田辰夫

夕闇の風を包みて白牡丹         西谷髙子

説明書付けて売らるる兜虫        武藤風花

万緑にロープウェーの影走る       山本兼司

あえかなる風にゆれをり萩若葉      吉井博子

木洩れ日を啄む鳩や薔薇アーチ      髙堀煌士

自転車の列春光のヘルメット       宮沢かほる 

なだらかな川の流れや夏座敷       松下弘良

 

選後一滴          坂元正一郎

筑波嶺に尻を揃へて田植かな       宮田 肇

田植は棚田など機械を入れられない小さな田んぼの他は殆どが機械植となっている。そんな中、掲句の田植は手植えで行う学校田などの田植であろうか。筑波山の美しい姿は富士山と並んで昔から信仰の対象となってきた。そんな霊峰ともなっている筑波山へ「尻を揃へて」とした措辞に何とも言えぬ諧謔味を覚える一作である。 

泰山木二階の窓に開きけり        久保 研

研さんは「花のある暮らし」と題して二か年に渡ってご自宅に咲く折々の花について、所蔵される美術工芸品を織り交ぜながらエッセイをご執筆くださった。掲句の泰山木もご自宅の庭木であろう。句づくりには舞台設定も大切である。二階の窓辺を舞台としたことで、言わずして高木である泰山木の花が表現されている。香気ただよう窓辺の机に向かう作者が浮かんでくる。 

ざざ降りの軒に休まず親燕        大西きん一 

雨が激しく降ることを意味する言葉として「ざんざん降り」や「ざんざ降り」が広辞苑に載せられている。これらは擬音語と呼ばれて、細かく説明するより鮮やかに場面を再現してくれるので短詩型の俳句ではよく用いられる。掲句の「ざざ降り」は上五の韻律を整えるために「ざんざ降り」の「ん」を省いたとも取れる使い方ではあるが、激しい雨の中を子育に励む親燕が臨場感をもって表現された。

 

扉7月号

主宰詠

勝鬨の爪をかざして潮まねき

菜の花や踏切鳴らす貨車の列

春風をひよいと漕ぎ出す一輪車

光風やしまなみ繋ぐ鉄の橋

人かげの寄りそふ頃や春の月

姥どちの噂ばなしや葱坊主

花ぐもり空をどよもすサッカー場

時折は唸りをあげて武者絵凧

窓一つ残して蔵の蔦若葉 

百枚の棚田を沸かす蛙かな

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

反転のたびに日を撥ねつばくらめ     宮田 肇

明けぬれば花花花の峡吉野        南後 勝

子らはやす声に押されて凧        野地邦雄

まとふ物みな大きくて一年生       岩﨑よし子

花吹雪風に任せて立ちつくす       魚谷悦子

卒業や島立ちまでに残る日々       大西きん一

雲の影ひろがりてゆく麦の秋       松木渓子

山ざくら水音髙き疎水堰         大貫ミヨ

花筏小さき城の小さき堀         井口幸朗

花冷えの砂利真白なり紫宸殿       久下萬眞郎

花衣母の遺愛の桐たんす         平野久子

遠吠えの妙になまめく春の月       石井秀樹

春風に園丁影を持ち歩く         加藤田鶴栄

梵鐘の音色の重し花曇り         内田正子

吹く度に尾びれの跳ねて鯉幟       堀江良人

清水の塔は若葉に埋れて         久保 研

鍵に合ふ鍵穴なくて万愚節        野口晃嗣

早口の癖は代々揚雲雀          佐藤啓三

名水に出合ひてよりの花筏        武藤風花

白がゆに今朝もなじみて春の風邪     西谷髙子

姦しき屋根の雀や春の朝         楢﨑重義

初燕飛び込んでくる道の駅        原田敏郎

風孕む鐘馗幟に泣く子かな        中川文康

囀やつい足止めて耳立てて        島田みどり

青空へ逆上りの児春の風         重原智子

何取りに来しか忘るる春の昼       米倉敏明

菜の花の中に聳ゆる蔵王山        岩見 浩

父親の押す乳母車燕来る         宮沢かほる

芽牡丹の紅唇のぞく朝まだき       清水正信

 

百の杼の行き交ふ手機百千鳥       髙堀煌士

 

 選後一滴          坂元正一郎

反転のたびに日を撥ねつばくらめ     宮田 肇

燕は春になると子育てのために南方から日本各地にやってくる。初燕を目にすると「もう今年も燕の季節がきたのか」などと時の流れの速さを感じるもの。燕返しという言葉もあるように、大空を翻っては昆虫などを捕食する。掲句の要は「反転のたびに日を撥ね」にある。ここに自由自在に素早く飛翔する燕の姿が活写されており、晴れわたった田園風景なども浮かぶ一作である。 

明けぬれば花花花の峡吉野        南後 勝

吉野山は日本一の桜の名所として知られている。山桜を中心に約三万本とも言われる桜が咲き誇り、その景色は古くから「一目千本」等と形容されてきた。上五の「明けぬれば」から吉野山の早朝の情景が詠われた作品であり、「花花花」とした措辞に朝の静寂に咲きわたる豪華絢爛たる桜が作者の感動と共に浮かんでくる一作である。 

子らはやす声に押されて凧        野地邦雄

 

散歩コースにもなっている都立公園の芝生広場では親子連れの凧揚げをよく見にする。上五中七の「子らはやす声に押されて」の措辞に、なかなか揚がらない凧に声援を送っている子供たちや凧糸をしゃくったりして凧揚げに夢中になっている父親の姿も浮かんでくる。凧揚げを通じた親子の触れあい感じさせる詩情豊かな一作である。

 

  

扉6月号

主宰詠

算盤の珠の如くの蜆採る

茎立の農夫を凌ぐ高さかな

ゆさゆさと森をゆさぶる彼岸西風

きらめきて風にさゆらぐ花きぶし

つんつんと水面を刺して葦の角

鳥つれて潮の満ちくる遠干潟

巻頭を競ひしをみな重次の忌

春雷や皿にフォークの音立ちぬ

二つ三つ声をこぼして鴨帰る 

鳩の足あかく濡らして春の雨

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

繕ひし袖垣きしむ彼岸西風        大貫ミヨ

みちのくの山裾白し花林檎        久保 研

時々は帽子の動く茶摘かな        久下萬眞郎

かたかたと高鳴る絵馬や春嵐       野地邦雄

はくれんの暮れ残りゐる薄暮かな     堤  淳

飯蛸や犇き合へるスペインバル      綾野知子

鳶の空長閑に座する桜島         山口恵子

音もなく出て行く人や春の雨       岩﨑よし子

春光をはらりと返し広辞苑        佐藤啓三

遠き日の思ひ出浮かべ汐干狩       大西きん一

風紋の千変万化春一番          野口晃嗣

わだつみの浄土目指すや流し雛      南後 勝

正座して待つ子や雛の飾り付け      小松千代子

堀端の金髪ランナー風光る        金子京子

ゆるやかに読経の続く遅日かな      加藤田鶴栄

手庇の余る野尻湖かすみ立つ       平野久子

春燈や辿れる浪速名所図会        金納義之

うたた寝のうつる車内や春うらら     福島晴海

パンジーに睨まれゐしに気付きけり    武藤風花

素魚やひらがな書きて鉢泳ぐ       清水正信

明け残る北アルプスの春霞        根本光子

旗なびく分校抱き山笑ふ         大河内基夫

春一番大空を舞ふバスタオル       中川文康

ランドセルの頭でつかち入学す      原田敏郎

春光の上がり框に届きけり        米倉敏明

朝まだき霞のかかる帆掛船        有田辰夫

擦傷のたえぬ末つ子卒業す        西谷髙子

何気なく歩く一駅春日和         白坂美枝子

下萌や遺りし妻の手擦鎌         山口義清 

行幸の碑に散光の花天蓋         髙堀煌士

 

選後一滴          坂元正一郎

繕ひし袖垣きしむ彼岸西風        大貫ミヨ

袖垣は門などのわきに添えて造られる幅の狭い垣根のこと。目隠しや景観を良くするなどのために設けられる。竹などの自然な素材で作られており、時々は手入れをしなければならない。私たち日本人は季節の移ろいの中で暮らしており、繕ったばかりの袖垣を軋ませる彼岸西風に本格的な春の訪れを予感する作者が其処にいらっしゃる。

 

みちのくの山裾白し花林檎        久保 研

林檎とくれば鹿児島生れの私には小さい頃からの思い出として青森が浮かんでくる。「みちのくの山裾白し」に津軽富士とも呼ばれる弘前市の北西にそびえる岩木山を思い出す。風生の「みちのくの伊達の郡の春田かな」を彷彿とする雰囲気の作。座五に「花林檎」を据えたスケールの大きなゆったりとした句風が読者の想像力を膨らませる。

 

時々は帽子の動く茶摘かな        久下萬眞郎

 

私の生まれ育った鹿児島も知覧茶などで知られる茶どころである。茶摘みの経験はないが、手拭いを被った茶摘女が黙々と茶摘みする情景は遠い日の思い出として今でも残っている。茶摘みは単純労働でただひたすら摘んでは自分の茶摘籠に茶葉を入れていくのである。掲句の「時々は帽子の動く」に、手の届く範囲の茶を摘み終えて次の場所へと移動するなどの姿が見えてくる。

 

扉5月号

主宰詠

襟足をそりし朝の余寒かな

あるはずの畔にありたる蕗の薹

春なれや雀もあそぶ投句箱

梅のほかなにも匂はぬ天満宮

風塵によごれず峡の残る雪

その下を何やら過り薄氷

自づから水となりゆく浮氷

休み田の水は錆びても犬ふぐり

海苔篊をのぼる朝日や葛西沖 

利根川や舳かがよふ二月尽

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

振り上げし農夫の鍬の陽炎へる      宮田 肇

自らの影を離れず冬の蝶         大西きん一

春の潮奇岩奇勝の城ヶ島         福島晴海

春菊の洗ひをる間も香りけり       久下萬眞郎

里山の右に左に笹子鳴く         久保 研

きさらぎや金糸銀糸の嫁御寮       金子京子

立札の古りし売地や下萌ゆる       加藤田鶴栄

しだれ梅どつちつかずの風吹けり     野地邦雄

風花の峠越えして湯本かな        佐藤啓三

遠山の池塘に光る雪解水         山口恵子

雪降ると巷の声を窓越しに        内田正子

沢奥の粗き水音寒晒し          大貫ミヨ

野晒しの母校の跡地草萌ゆる       南後 勝

春寒の大道芸に人寄らず         平野久子

豆腐屋に湯気のたちこめ木の芽晴     綾野知子

四手網挙ぐれば垂るる春の水       金納義之

春愁や車窓を滑る雨の粒         石井秀樹

その先はドローンが見する御神渡り    小松千代子

軒並みを揺らし江ノ電春うらら      武藤風花

ほんのりとぬくもりくるや陶の雛     重原智子

朝市や客に潮吹く鬼浅蜊         中川文康

雪嶺を背に乙女等の足湯かな       藤本冨美子

遅き日や隣の猫が家にゐる        米倉敏明

二ン月や日の斑のゆらぐ水の底      山本智子

よき人の軽き柩に春の雪         大河内基夫

踏み入れば土やはらかく畦青む      鈴木ゆう子

ざつくりと白菜割れば萌黄色       清水正信

佳き人と蠟梅に顔寄せにけり       秦 良彰

子等ねらふ傷の付きたる歌留多かな    宮沢かほる

 

北摂の連山燃ゆる寒夕焼         原田敏郎

 

選後一滴          坂元正一郎

振り上げし農夫の鍬の陽炎へる      宮田 肇

遠くのものがゆらゆらと揺れて見える陽炎は、日差しに暖められた地面から上昇する空気に光が不規則に屈折して起こる現象。掲句の実景は農夫も陽炎となって揺らいでいたのかも知れない。が、「鍬の陽炎へる」としたところにこの句の一と節がある。陽炎となって揺らいで見える鍬に農夫の躍動感があり麗らかな春の一景が浮かんでくる。

 

自らの影を離れず冬の蝶         大西きん一

冬の蝶の俳句は憐れな姿に寄せる心情を詠ったものが多い。が、掲句は日向を動かない蝶の姿を提示しただけである。俳句は沈黙の文芸とも言われ「作者は語らず」である。読者はその作品によって得た感動をもとに自由にその詩情を味わえばいいのである、と先師重次も語られた。掲句の冬の蝶には、日差しを零さず浴びようとする強かな生命力を感じさせるものがある。

 

春の潮奇岩奇勝の城ヶ島         福島晴海

 

城ヶ島は三浦半島の南端にある島で白秋の詩碑「城ヶ島の雨」でも知られている。ここは岩場もあり自然が作りだした奇妙な形をした岩や、馬の背洞門と呼ばれる崖の向こうに海を望める珍しい景色もある。掲句の巧さはこのような城ヶ島を「奇岩奇勝の」と詠い上げたところ。岩場を洗う春潮の煌めきとともに潮の香りも漂ってくる。

 

扉4月号

主宰詠

初富士のいよいよ迫るハイウエー

初風や小舟にかざる大漁旗

伸びやかな鳶の高音や初山河

寒晴や風呂敷提げてゆく力士

露天湯や湯気の向かうの雪をんな

寒梅や汐の入りくる浜離宮

星空へ寒天晒す諏訪郡

みちのくの巌を食らふ寒怒涛

雪掻のシャベルを雪に刺して昼

 

春近し路地にはばかる引越し屋

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

蜜柑山見上げながらの下船かな      大西きん一

蒼天へ神木尖る淑気かな         南後 勝

老の身に些事にはあらず雪を掻く     宮田 肇

風花や魚干しある小浜線         久下萬眞郎

寒晴の地球引つ掻く重機かな       金子京子

春着の子親にならひて礼言へり      平野久子

空つ風なんだかんだと夫の声       魚谷悦子

襲名の口上凛と初芝居          加藤田鶴栄

一斉に揺るる吊革初電車         野口晃嗣

葉の尖り柳生の里の野水仙        金納義之

窓際の仕事机や日脚伸ぶ         石井秀樹

大寒の泣き出しさうな空の色       福島晴海

いづくにか鳥の声して初御空       綾野知子

武骨なる黒ずむ指の焼芋屋        野地邦雄

寒風を背中で受けて露座仏        佐藤啓三

恙無く米寿賜る今年かな         神阪 誠

留守の子の机にかざる鏡餅        岩﨑よし子

瀬戸内の風に身を置く牡蠣割女      田中泰子

米撒いて一羽が二羽に寒雀        武藤風花

背山より冬木透かして日の上る      春日春子

七草や独りに多き粥を炊く        山口義清

穴開きのジーパン娘羽子をつく      有田辰夫

手相見の卓に小さき松飾り        山本智子

子等去りて常のくらしの三日かな     宮沢かほる

歌舞伎はね銀座の街の月氷る       西谷髙子

獅子舞の口の中より手の伸びて      山本兼司

老二人忖度無用去年今年         中川文康

足折れて喜寿の年とて寝正月       島田みどり

初日の出刻々変はる山の色        清水正信

大北風や母子もあろに難破船       橋本瑞男

点々と鳴き交す空冬鴉          秦 良彰

 

初場所や力士飛び込む砂かぶり      米倉敏明

 

選後一滴          坂元正一郎

蜜柑山見上げながらの下船かな      大西きん一

蜜柑山は角川の俳句歳時記では冬。やわらかな冬の日差しを受けて、深緑の葉影にきらきらと輝いて見える黄色く実った蜜柑山は美しいもの。瀬戸内の島々は蜜柑づくりも盛んである。掲句の巧さは島の蜜柑山を「見上げながらの下船かな」としたところ。ここに蜜柑山を目にしたときの感動ともとれるものが臨場感をもって伝わってくる。

 

蒼天へ神木尖る淑気かな         南後 勝

神木はその神社とゆかりの深い樹木のこと。樹齢何百年という大きなものもある。掲句の神木は中七の「神木尖る」から大きな神杉を想像する。初詣をされた折りの作と思われるが、蒼空へと伸びる大きな神杉の参道が本殿へと続く情景を想像する。下五の「淑気かな」の斡旋により厳粛な中にも清々しい雰囲気の漂う一作である。

 

老の身に些事にはあらず雪を掻く     宮田 肇

 

今年は太平洋側の各地にも大雪が降り、雪掻きの姿があちこちで見られた。掲句の巧みなところは、「些事にはあらず雪を掻く」とした富安風生の「提げ来るは柿にはあらず烏瓜」を思わせる修辞にある。雪の朝は通りまでの径をつくらなければ、其の日の買物にも困るのである。雪掻きの大切さや大変さが伝わってくる一作。

 

扉3月号

主宰詠

だしぬけに鳴く寒禽や峡の駅

冬ざれの駅に始まる湯治かな

湖の空にはりつく冬星座

一条の小滝さらして山眠る

着ぶくれて漕ぐ自転車の巨漢かな

新聞の試し読みとや年の暮

諍ひの嘴から走る田鶴かな

木道の岐路の軋みや大枯野

枯葦に止まる雀の重さかな

 

湯豆腐やかつて訪ねし南禅寺

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

品つつむ間も声とばし年の市       田中泰子

クリスタルグラスに揺るる聖樹の灯    大西きん一

粗壁に夕日射し込む掛大根        大貫ミヨ

冬鳥を足踏みしつつ待つカメラ      金子京子

木枯や駅を出る人入る人         小松千代子

括られし思想家全集冬ざるる       石井秀樹

木洩れ日の日の色溜めて返り花      南後 勝

二の酉のどこか緩めの手締かな      佐藤啓三

武者ぶりのオリオン傾ぐ冬木立      山口恵子

山の湖水面しづもり冬に入る       平野久子

黄落の眞つ只中に屋敷神         内田正子

念仏の声の浸み込む大根焚        金納義之

休日に出合ふ主治医の冬帽子       加藤田鶴栄

鰭酒や胸三寸に愚痴納め         野地邦雄

図書館の誰も無口や窓の雪        宮田 肇

すれ違ふ紅の爪革冬の雨         綾野知子

冬ざれの山に野性の気配かな       福島晴海

天を突くペンシルタワー冬ざるる     松木渓子

小春日や小店のつづく二寧坂       原田敏郎

湯たんぽを押しやり夢の中に入る     清水正信

喜寿にして姉さんかぶり掃納       島田みどり

氏神の年の火照らす馴染顔        春日春子

鱗雲鱗の如く並ぶ屋根          根本光子

家並のきれ目きれ目の冬田かな      西谷髙子

戦跡の多き島なり星冴ゆる        山本智子

浮寝鳥誰が教へたる同心円        内田吉彦

寒菊に触れて柩の出でにけり       武藤風花

介護士の声だけ響く聖歌かな       中川文康

雪吊のしかと張られし旧家かな      藤本冨美子

 

角巻の背を丸くして急く夜道       橋本瑞男

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

品つつむ間も声とばし年の市       田中泰子

クリスタルグラスに揺るる聖樹の灯    大西きん一

粗壁に夕日射し込む掛大根        大貫ミヨ

冬鳥を足踏みしつつ待つカメラ      金子京子

木枯や駅を出る人入る人         小松千代子

括られし思想家全集冬ざるる       石井秀樹

木洩れ日の日の色溜めて返り花      南後 勝

二の酉のどこか緩めの手締かな      佐藤啓三

武者ぶりのオリオン傾ぐ冬木立      山口恵子

山の湖水面しづもり冬に入る       平野久子

黄落の眞つ只中に屋敷神         内田正子

念仏の声の浸み込む大根焚        金納義之

休日に出合ふ主治医の冬帽子       加藤田鶴栄

鰭酒や胸三寸に愚痴納め         野地邦雄

図書館の誰も無口や窓の雪        宮田 肇

すれ違ふ紅の爪革冬の雨         綾野知子

冬ざれの山に野性の気配かな       福島晴海

天を突くペンシルタワー冬ざるる     松木渓子

小春日や小店のつづく二寧坂       原田敏郎

湯たんぽを押しやり夢の中に入る     清水正信

喜寿にして姉さんかぶり掃納       島田みどり

氏神の年の火照らす馴染顔        春日春子

鱗雲鱗の如く並ぶ屋根          根本光子

家並のきれ目きれ目の冬田かな      西谷髙子

戦跡の多き島なり星冴ゆる        山本智子

浮寝鳥誰が教へたる同心円        内田吉彦

寒菊に触れて柩の出でにけり       武藤風花

介護士の声だけ響く聖歌かな       中川文康

雪吊のしかと張られし旧家かな      藤本冨美子

 

角巻の背を丸くして急く夜道       橋本瑞男

 

選後一滴          坂元正一郎

 

品つつむ間も声とばし年の市       田中泰子

十二月も中頃になると各地のデパートや商店街でも注連飾りなどの正月用品を揃えて年の市が立つ。年が押し詰まってくると買物客で大混雑となるが、商売する人も一年の売上を伸ばそうとして売り声にも熱気がこもってくる。掲句はそのような年の市の一齣を切り取った一作。「品つつむ間も声とばし」に年の市の賑わいぶりが伝わってくる。

 

クリスタルグラスに揺るる聖樹の灯    大西きん一

クリスタルグラスは透明度が高く輝きに富んだグラスのことで、フランスのバカラグラスが有名。この句の巧みなところは、クリスタルグラスという音数の多い句材を五七五のしらべの中で上手に使いこなされたところ。中七のグラスに揺れる聖樹の灯は七色の光を放っており、高級ホテルのバーカウンターの聖夜を思わせる一作である。

 

粗壁に夕日射し込む掛大根        大貫ミヨ

粗壁は日本の家づくりで古くから取り入れられてきた土壁のことで、つなぎに藁などを入れた土を塗っただけの壁。漆喰などの仕上げ塗りの下地となる。掲句の粗壁は土蔵などの壁として使われているのであろう。この粗壁に昔ながらの庄屋風の大きな農家の庭先が浮かんでくる。中七の「夕日射し込む」の措辞に粗壁に影を落とす飴色に仕上がった掛大根の見えてくる一作である。

 

 

 

扉2月号

 

主宰詠

 

乾きたる声の鴉や神還る

てくてくと鳩の寄りくる小六月

小春日や根物葉物と無人売り

菰巻の藁の匂ひも離宮かな

寺鐘の(やつ)に染み入る今朝の冬

凩に追はれてくぐる暖簾かな

仰ぎ見る銀杏大樹の木の葉雨

暮れのこる山家にかゝる大根かな

小気味よき手締めの音も酉の市

 

灯の入りて客のいやます三の酉

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

銭湯の富士は駿河路文化の日       佐藤啓三

寒禽の声ふりかゝる夢のわだ       山口恵子

見ため良きひとつを胸に柚子湯かな    田中泰子

人込みといふ温もりや酉の市       加藤田鶴栄

朱色「ルビあけいろ」にタワー煌き冬に入る野口晃嗣

寒暁の宿の女将の切り火かな       福島晴海

頬に指あてて愁思の半跏像        金納義之

巌裂くしろがねの滝冬紅葉        南後 勝

渓谷の流れ鎮まり冬に入る        堀江良人

燈台の髙きを飛んで去ぬつばめ      平野久子

秋深し庇ぎはまで薪を積み        大西きん一

遠富士の黒き勇姿や冬紅葉        魚谷悦子

寒鰤の艶めく膚の鋼びかり        野地邦雄

黄金の猿の巻き毛や冬日向        金子京子

小春日や仐立ての仐巻き直す       岩﨑よし子

神杉の頂光る冬落暉           久保 研

柚子湯して妻に残り香漂へり       宮田 肇

竹林の物の怪だちて比叡颪        綾野知子

秋深む造酒屋の風うまし         松下弘良

振り仰ぐ坂に一息寒椿          白坂美枝子

冬田道下校はいつも向かひ風       中川文康

撫牛ののたりと侍る冬日向        原田敏郎

新しき石の鳥居や冬ざるる        宮沢かほる

小春日や身振り手振りの異国人      桐山正敏

冬紅葉大佛の背に窓二つ         山本智子

春着縫ふ近江の人の手描き染め      武藤風花

仏間にも光を通す小春かな        大河内基夫

山寺の百の石段落葉踏む         西谷髙子

訪ねくる蝶のなきとや返り花       内田吉彦

 

悴みてタバコ取り出す喫煙所       米倉敏明     

 

選後一滴          坂元正一郎

 

銭湯の富士は駿河路文化の日       佐藤啓三

富士はその美しい姿から和歌や絵画などに古くから登場するとともに信仰の対象にもなっている。このことから世界文化遺産として登録された。掲句の巧いところは日本の伝統的な生活文化の一つである銭湯と文化遺産ともなっている富士とを「文化の日」に取り合わせたところ。富士山を背景に駿河湾一帯が描かれた銭湯にゆったりと入浴することも文化が香るものの一つである。

 

寒禽の声ふりかゝる夢のわだ       山口恵子

「夢のわだ」は象「ルビきさ」の小川が宮滝で吉野川に流れ落ちる場所と言われ、多くの万葉人が歌を残しているところ。十一月に大阪句会の方々が吟行に行かれたところとお聞きする。句の一と節は中七の「声ふりかゝる」。「鳴き声しるき」などとしたら句の妙味は薄れる。「声ふりかゝる」の措辞に寒禽の鋭い鳴き声が臨場感をもって聞こえてくる。

 

見ため良きひとつを胸に柚子湯かな    田中泰子

 

冬至の日に柚子湯に入ると無病息災でいられると言う。この日は銭湯や温泉などでも柚子湯のサービスがある。かつて別府で柚子湯に入ったことがあるが、湯船一面に柚子が浮かべられていたのを思い出す。掲句の要は「見ため良きひとつを胸に」にある。わが身をいとおしむかに、見栄えのする一つの柚子を胸元へ抱き寄せて柚子湯に浸る至福の一時が詠出された。

 

 

2018年

扉1月号

 

主宰詠

 

幼子に笑みをかへされ秋のくれ

屈まりて団栗ひらふ幼女かな

仄暗き蔵にあきなふ濁り酒

美濃焼の里や戸ごとの柿たわわ

せゝらぎの音の澄みたる秋野かな

束ねたる頭ひねりて藁ぼつち

昼酒の胃の腑にしみて走り蕎麦

冬瓜をごろごろ寝かせ道の駅

口笛を吹ける埴輪や秋の風

 

望月のかつと照りたる雲間かな

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

枝から枝へ大空跨ぐ松手入        南後 勝

境内の神木にからむからす瓜       堀江良人

吹き抜ける北の大地や鰯雲        久保 研

手相見の灯のうそ寒き高架下       神阪 誠

ふりかへりふりかへりみる鰯雲      石井秀樹

秋天や緊張はしる組体操         小松千代子

受流す術を覚へて秋の風         佐藤啓三

緬羊のひとかたまりに初しぐれ      大貫ミヨ

くちびるに風ひんやりと竹の春      平野久子

爽やかや海の男の笑ひ皺         福島晴海

街道にならぶ酒蔵水澄めり        綾野知子

荒れ庭の風の意のままこぼれ萩      宮田 肇

御手のなきみほとけひとり野紺菊     野口晃嗣

石塁の崩れしまゝに蔦紅葉        金納義之

敗荷になほ惜しみなき夕日かな      大西きん一

天蓋花揺れて野山の風生めり       野地邦雄

十六夜の月待たずして酔ひ伏しぬ     岩﨑よし子

秋天を翔けること無く籠の鳥       田中泰子

運慶の玉眼澄めり秋の昼         楢﨑重義

仕切り線足でぬぐうて宮相撲       米倉敏明

窓ごしにぼうとながむる初時雨      島田みどり

走り蕎麦隣の席へ相槌を         山口義清

一葉落つぴくりと動く犬の耳       武藤風花

国境これより信濃山眠る         松下弘良

秋燈や母の背傾くお念仏         桐山正敏

金風や鱗逆立つ鯱瓦           中川文康

老妻の一つ話や夜の秋          原田敏郎

木曽馬の柵によりくる秋の暮       山本智子

急く路地になほせかさるる虫しぐれ    白坂美枝子

 

湖に番と成りし渡り鳥          大河内基夫

 

選後一滴          坂元正一郎

 

枝から枝へ大空跨ぐ松手入        南後 勝

松手入は枝から枝へ梯子を掛けかえながら枝ぶりを整えていく。俳句は五・七・五を基本とするが掲句は上七となっている。が、この字余りのリズムが職人さんの動きと重なっているようにも思えて妙である。句の眼目は「大空跨ぐ」。梯子だけでは足りず片足は枝に掛けるなど大空を跨ぐようにしての松手入が描写されている。

 

境内の神木にからむからす瓜 堀江良人

神木は神社の境内にあってその神社にゆかりの深い樹木のこと。しめ縄を張ったり柵を巡らしたりして祭られている。また、これをご神体とするものもある。句の眼目は神聖な神木に絡みついている烏瓜の発見にあり、近藤實氏の「石たたきそこは西郷どんの肩」にも通じる俳諧味ある一作となった。

 

吹き抜ける北の大地や鰯雲        久保 研

 

北の大地、即ち北海道の魅力は美しい自然に豊かな農畜産物や海産物など語り尽くせないものがある。掲句はそんな北海道の魅力の一つである地平線の見える広大な平地を「吹き抜ける北の大地や」と詠いあげ、下五の「鰯雲」で味付けされたところに巧さがある。爽やかな風が吹き抜けるあの北の大地と鰯雲とが繰りひろげる雄大な景色を味わいたい一作である。

 

 

 

扉12月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

添寝する母の寝息や地虫鳴く      宮田 肇

鈴虫の小さき値札や道の駅       佐藤 啓三

湯殿へと朝露を踏む旅の宿       堤  淳

式典のテント解かれていわし雲     綾野 知子

誰も居ぬナース詰所の夜長かな     金納 義之

葡萄棚遥か富嶽を浮き立たせ      野地 邦雄

髪切りてうなじに触るる風は秋     加藤 田鶴栄

あれこれと身に入む話受話器おく    岩崎 よし子

一粒の露大空を捉へけり        南後 勝

寸劇へ御捻りの飛ぶ敬老会       井口 幸朗

白神に青白き月昇りけり        金子 京子

峠より伊那手庇に女郎花        久下 萬眞郎

蓑虫の糸に縋れば風廻る        山口 恵子

村役場生れの燕帰りけり        大西 きん一

峰を背に湖の底まで夕焼けて      平野 久子

東京の空の下なるくつわ虫       神阪 誠

子に乞はれ同居久しき敬老日      内田 正子

路地裏の夕餉の匂ひ虫すだく      福島 晴海

幇間と言ふ職今も西鶴忌        武藤 風花

自転車の盆僧さつきまで教師      原田 敏郎

収穫に独りごつたる案山子かな     内田 吉彦

臥す妻へ風に聞いたと葡萄来る     山口 義清

穂ばらみの稲田を揺すり風渡る     清水 正信

秋耕やターンの轍深々と        楢崎 重義

無事に旅終へて荷をとく良夜かな    山本 智子

野路をゆくわが後先に赤とんぼ     山本 兼司

浦風の磯に道あり草の花        中川 文康

月光の朗朗として更けゆく夜      重原 智子

鯊の眼のきよとんとしたる魚籠の底   西谷 髙子

 

竹の春風に揺らぐや嵐山        上原 赫

 

 

 

扉11月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

ぐい吞みの白磁にあをき新走り      平野 久子

風に立つ鶏冠の凛と羽抜鶏        大貫 ミヨ

腰痛のわれを忘れて西瓜買ふ       田中 泰子

涼新た島へ伸びゆく砂州の道       大西 きん一

地の神の洩す吐息や草いきれ       佐藤 啓三

台風過フェニックスの翼収まれり     山口 恵子

風に乗りくわくこうの声峰巡る      宮田 肇

寝かしつく昔話や夏の夜         石井 秀樹

寝返りて何も変らず虫時雨        野地 邦雄

湖を虹色渡る滝花火           南後 勝

合掌を解けば流灯遥かなり        加藤 田鶴栄

慰霊碑の影に寄り添ふ白木槿       野口 晃嗣

室外機鳴りづめの路地黒揚羽       綾野 知子

新涼の飛び石白き流れかな        金子 京子

収穫は両手にあふれ茗荷の子       小松 千代子

白木槿ロダンの像に影を投げ       松木 溪子

植木屋の帰りし後の端居かな       堤 淳

梅雨晴にビルの鉄骨組みあがる      魚谷 悦子

板塀に恋の落書祭の夜          武藤 風花

聞きしこと後に伝へむ敗戦忌       桐山 正敏

炎天の道の果てなる汀かな        秦  良彰

眠りたる高原照らす天の川        有田 辰夫

きりぎりす夜半の風に声を乗せ      上原 赫

汗のシャツ剥がす如くや畑帰り      宮沢 かほる

信玄のゆかりの里に銀河澄む       山本 智子

アルプスの真白き雲や梅雨明くる     春日 春子

いまもなほ炭坑節や盆踊り        清水 正信

新涼や熱い紅茶にレモンの輪       山浦 比呂美

千枚田灯し灯せと虫送り         髙堀 煌士

 

今日一日生かされて生き青蔦這ふ     重原 智子

 

 

扉10月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

夏の海暮れて始まるフラダンス      久下 萬眞郎

葉から葉へ雨ころがして濃紫陽花     小松 千代子

夜蛙や街に小さき田一枚         南後 勝

小麦肌犇き合へる水遊び         山口 恵子

水無月や上りの続く棚田道        堀江 良人

紅白の鉄塔走る青田かな         野口 晃嗣

さくらんぼの一粒毎の甘さかな      桐山 正敏

野池にはチューバ奏者の牛蛙       栗原 章

万緑や言葉少なき初デート        清水 正信

草引くやわんさと出づる団子虫      米倉 敏明

保母が先づ水着となりて水遊び      田中 泰子

万緑の真つ只中に山の湖         平野 久子

山小屋の軋む扉や夏炉燃ゆ        加藤 田鶴栄

古民家のよく肥えてゐる夏蚕かな     金子 京子

日輪に力を得たる凌霄花         岩崎 よし子

貝殻のやうな嬰の足夏の雲        野地 邦雄

通夜更けて首振りつづく扇風機      大西 きん一

参拝をするのせぬのと終戦日       宮田 肇

昼寝覚筋を辿れぬ推理本         佐藤 啓三

羽化の蝉月長石の色にかな        綾野 知子

戸袋に間借りしてをる蜥蜴かな      魚谷 悦子

母と子の相合傘や喜雨の中        武藤 風花

水盤の鷺草プリマドンナめく       中川 文康

網戸入れ人影透くる路地ぐらし      西谷 髙子

庭園の謂れを聞きつ肥後菖蒲       藤本 冨美子

アルプスへ続くなぞへの蕎麦の花     春日 春子

稲光下校の列をみだしけり        松下 弘良

夏風邪をかはるがはるの老夫婦      大河内 基夫

連れ立ちて高嶺を翔むあまつばめ     髙堀 煌士

 

陸奥のまるで登山の立石寺        上原 赫

 

 

 

 

 

扉9月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

登り来て拝み飲みする泉かな      平野 久子

噴水の穂先はやがて風に沿ふ      宮田 肇

日の当るお百度石や蟻の列       金納 義之

里山に谺と化して鳴く郭公       井口 幸朗

咲き終へしつつじに鋏音しきり     岩﨑 よし子

干網のまだ生臭き半夏生        大西 きん一

葭切や橋の下なる渡し跡        佐藤 啓三

鼻欠けし阿吽の狛や青時雨       野地 邦雄

湿原の水煌めきて水芭蕉        山口 恵子

父の日やパパのパパにもプレゼント   小松 千代子

ぽつかりと更地となりし夾竹桃     松木 渓子

麦秋や指立てて聞く風の向き      加藤 田鶴栄

行く先を決めぬドライブ梅雨晴間    野口 晃嗣

短夜の野鳥に敏き目覚めかな      南後 勝

打ち落す実梅の音の豊かなり      内田 正子

飯盒の炊煙昇る雲の峰         久下 萬眞郎

鬼門とも知らずでで虫這ひ上る     田中 泰子

拝謁にサングラス取る二重橋      魚谷 悦子

まひまひが住んで交番いつも留守    武藤 風花

ハーレーの一団走る植田道       米倉 敏明

草刈りのエンジン止まる茶の合図    宮沢 かほる

微かなる風にも吹かれ小判草      山本 智子

田の隅に出番なかりし余り苗      楢﨑 重義

籐椅子や跡継ぎのなき町の湯屋     中川 文康

衰へて魚籠に休ます囮鮎        内田 吉彦

梅雨曇り烏城はすでに濡れ羽色     髙堀 煌士

理髪屋の鏡の国のゼラニューム     山口 義清

籐椅子が寝間占領の新所帯       桐山 正敏

人の世のことなど知らず蟻の列     小口 二三

 

ブラッシュの花の金粉日に光る     藤本 冨美子

 

 

扉8月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

警策の音さえにけり白牡丹        金納 義之

藤房の揺れて重たき風起こす       野口 晃嗣

夏来る抱つこ袋に手足生え        綾野 知子

天竜川へ声撒き散らす行々子       井口幸朗

傘雨忌やカヌー浮かべる神田川      中山 敏

赤薔薇此れ見よがしにどつと咲く     宮田 肇

紫陽花の蕾に雨の匂ひかな        野地 邦雄

翻り水面を滑る夏燕           南後 勝

連休の予定などなく柏餅         加藤 田鶴栄

背くらべ高きものから咲く菖蒲      込山 照代

サルビアの丘に風車の回りけり      中野 陽典

はるかより白きはだてり山法師      松木 渓子

石楠花や双耳の峰の筑波山        堀江 良人

郭公の声つつ抜けり過疎の村       内田 正子

一声は峰へと消えてほととぎす      平野 久子

老鶯の一鳴き渓を深めけり        佐藤 啓三

三尺の藤を透かして鳳凰堂        久保 研

葉桜や主婦もゆとりの時があり      田中 泰子

海風は汐見坂まで山法師         大西 きん一

飛花つれて走り来たるや下校の子     春日 春子

卯波立つ果てから果ての幾海里      中川 文康

明けやらぬ空を引つ掻くほととぎす    米倉 敏明

己が身を現はに毛虫食べ尽くす      武藤 風花

ゆるやかな太極拳や若葉風        藤本 富美子

横町の牀机ななめに甘酒屋        西谷 髙子

又兵衛を応挙に変へて夏座敷       桐山 正敏

詫びて刺すナースの針や聖五月      山口 義清

囀に巡礼の鈴ひびきあふ         原田 敏郎

ふらここの天に届けとこぐ子かな     小口 二三

夏めくやかさぶたつけし膝小僧      島田 みどり

 

 

 

 

扉7月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

結界の崖這ひ上がる著莪の花       南後 勝

水音をたどりてゆくや蕗のたう      松木 渓子

山吹の黄の誇らしき垣根かな       神阪 誠

提灯の灯も花影も川の中         石井 秀樹

奉納の太鼓の止みて初音かな       久下 萬眞郎

春の塵敵遅しと碁石拭く         宮田 肇

跪座すれば我も小さき菫かな       野地 邦雄

旧姓で声かけらるる花の山        田中 泰子

予備校の席に蛙のめかり時        中山 敏

歓声とともに弾けてしやぼん玉      福島 晴海

囀をいだける杜の深さかな        加藤 田鶴栄

楚楚として乙女手渡す染卵        山口 恵子

ほととぎす硅灰石にひゞきけり      堤  淳

初蝶や千年といふ御神木         綾野 知子

笠深き女船頭花は実に          大貫 ミヨ

吞み助の快気祝ひや万愚節        佐藤 啓三

鯉のぼり風の機嫌は尾ではかる      岩﨑 よし子

ふとるだけ太りし鯉やすみれ咲く     中野 陽典

うぐひすや暗峠越えてより        大西 きん一

首振りの止まぬ赤べこ菜種梅雨      中川 文康

てんでんの向きに咲きたる水芭蕉     西谷 髙子

一村をまたぐ新道春の風         春日 春子

撞き捨てし鐘の余韻や夕桜        武藤 風花

ふらここや転校生は一人漕ぐ       内田 吉彦

春風や句と寄り添うて日々あらた     重原 智子

リハビリの一歩の重さ梅一輪       岡本 博夫

ふらここの男の子立ち漕ぎ甍超ゆ     橋本 瑞男

母の声聞えぬ子らに風光る        白坂 美枝子

尻尾振る牛の反芻夏きざす        有田 辰夫

麓まで花の堤や水無瀬川         原田 敏郎

 

 

 

 

 

 

扉6月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

春めける鎌倉沖に真帆片帆        中山 敏

若冲の墨のにじみや残る雪        岩﨑 よし子

航跡にゆられ顔出す葦の角        加藤 田鶴栄

転勤の荷の嵩高し鳥帰る         山口 恵子

逃げ水や先の先まで追ひつかず      宮田 肇

信楽焼の狸臍より春めけり        佐藤 啓三

まほろばの三山仰ぎ青き踏む       南後 勝

花冷の和らぐ午後の日ざしかな      田中 泰子

花柄もいつしか褪せて春日傘       平野 久子

夕東風やポストはみ出す旅雑誌      魚谷 悦子

ちちははとつなぐ両手のあたたかし    小松 千代子

呼び鈴の篭れるひびきおぼろの夜     堀江 良人

斑鳩の風をまとひぬ春の山        野地 邦雄

沈丁の香をまとひたる迷ひ猫       福島 晴海

あきんどの家訓を額に雛飾り       中野 陽典

天平の甍に昇る春の月          久保 研

春一番声さらはるる遊歩道        込山 照代

腕白の網の乱入蝌蚪の国         金子 京子

応援の人文字くづれ風光る        山本 兼司

落款の乾かぬ陽射し春炬燵        松下 弘良

曳き船の曳く船重し春うらら       有田 辰夫

造成地の雉子は当無く歩きけり      武藤 風花

手旗ふるボーイスカウト春きざす     藤本 富美子

高だかと春をつかめと肩車        西谷 髙子

せせらぎの小川となりて春来る      桐山 正敏

春寒し真夜に一鳴りする電話       大西 きん一

千本の桜一目に渡し舟          髙堀 煌士

三月のまぶしき空に黙祷す        宮沢 かほる

ハイカーを脚下に春を告ぐる鳥      秦  良彰

 

囀りの四方晴れわたる石舞台       原田 敏郎

 

 

 

 

扉5月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

剪定の音をちこちに甲斐の空       内田 正子

鈴鳴らすものも混じるや恋の猫      中山 敏

押し並べて雪の達磨の二頭身       小松 千代子

薄氷の欠片打ち上げ湖光る        込山 照代

しやぼん玉のびちぢみして大空へ     松木 渓子

都をどりはねて懐紙に菓子包む      久下 萬眞郎

教会の下駄箱あふれ春の泥        田中 茂子

下萌や海へ傾ぎし流人墓         田中 泰子

十年を扉にむつみ梅二月         平野 久子

椿落つ名もなき志士の墓一基       宮田 肇

白梅に酔ひてゆらりとをんな坂      佐藤 啓三

終活をあらかた終へて梅開く       神阪 誠

薄氷の陽を跳ね返す強さかな       石井 秀樹

日輪の穏やかにして梅真白        野地 邦雄

寒明けの光をのせて疾風雲        山口 恵子

老猫のひとりそばへて春浅し       堤  淳

をさな児のしやりしやりと踏む薄氷    金子 京子

幼子の手へ触れなむと枝垂梅       福島 晴海

グランドの声かき混ぜて春一番      中川 文康

友の帽まとめて攫ふ春一番        白坂 美枝子

遠縁にかたづいてゆく古雛        原田 敏郎

啓蟄や夜明けの貨車の連結音       大西 きん一

明星は枯木にからめとられけり      宮沢 かほる

金星のまたたく夜道梅匂ふ        清水 正信

隅田川上り下りも花の舟         武藤 風花

道なりに行けば山寺黄水仙        鈴木 ゆう子

流行を追はぬ暮しや枇杷の花       楢﨑 重義

この里は山を越へ来る空つ風       春日 春子

時折は海峡望む木の芽山         秦  良彰

地球儀の埃払ふや春寒し         米倉 敏明

 

扉4月号

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

初晴を鳶の高鳴く五山かな        佐藤 啓三

鯛焼の温みを提げて見舞ひけり      守屋 猛

どんどの火闌けて遠山ゆらしけり     込山 照代

初春や晴れて奉納土俵入り        福島 晴海

手のひらに載る程の鉢福寿草       堤  淳

恋猫の通ひ馴れたる破れ垣        宮田 肇

自転車の補助輪外す春隣         中山 敏

霜柱ふみて靴底厚くせり         内田 正子

さまざまに夕日とらへて散紅葉      田中 泰子

福笹の鈴休ませて礼なせり        大貫 ミヨ

一杯に酔うて母の忌古暦         岩﨑 よし子

初舞のかつぽれかつぽれ浅草寺      松木 渓子

坂東の空にうきたつ初筑波        田中 茂子

膝小僧揃へ御慶の孫曾孫         山口 恵子

庭師来て冬空少しひろげゆく       平野 久子

人波の黙の歩める初詣          野地 邦雄

初晴の真珠めきたる富岳かな       野口 晃嗣

尾を立てて水底せせる鴨の列       南後 勝

水仙の群落揺する波濤かな        清水 正信

年の瀬の築地にのまれつられ買ひ     西谷 髙子

温室の色の氾濫クールジャズ       山浦 比呂美

襟立てて都会へ戻る三日かな       大西 きん一

巻きぐせの戻らぬままの初暦       有田 辰夫

カレンダー居間に馴染めり小正月     山本 智子

白といふ色を極めて冬牡丹        武藤 風花

初場所やたすき反りてふ決り手も     中川 文康

指先に闘士みなぎり歌留多会       藤本 冨美子

下ろしゐる限り無き雪や越後出羽     橋本 瑞男

鍵穴が鍵抱き取れり冬灯         内田 吉彦

目薬の先は目の上日脚伸ぶ        米倉 敏明

 

 

 

扉3月号

 

主宰詠

ほつこりと堆肥の乾く冬日向

交番を背に駐在の日向ぼこ

外に子らの燥ぐ声して冬籠り

酔漢に愚痴を聞かされ枯木星

隠沼に息ひそめをり鴨の陣

ふり向くは犬とも見えて北狐

伸ばしたる首から翔ちて大白鳥

箱ひとつ通りに開けて飾売

新宿は熾火のごとく耕二の忌 

散りいそぐ一葉ありたる冬紅葉 悼菜保さん

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

仲悪しきものも交へて浮寝鳥       中山 敏

天平の甍浮かべり冬霞          久保 研

下総も上総も冬の霞かな         加藤 田鶴栄

飴きりのとととんとんと初詣       杉山 俊彦

産土へ家族の増えて初詣         込山 照代

落日の光集めて石蕗の花         南後 勝

生れたての雪のごとくに花柊       福島 晴海

讃美歌の余韻に歩む聖夜かな       山口 恵子

穭田のもう一花の勢ひかな        佐藤 啓三

横利根の干潟を千鳥踏み荒す       斉藤 ふさ子

おでん鍋弱火にかけて解くパズル     綾野 知子

斑鳩の枯野の風や泣き羅漢        野地 邦雄

寝る前のオンザロックや除夜の鐘     中野 陽典

橋ひとつ残し枯野の川となる       野口 晃嗣

中天に月煌々と暮の眞夜         平野 久子

走り寄り寄りては散りぬ浜千鳥      内田 正子

薄れゆく事を記して冬籠         岩﨑 よし子

古書店の奥や店主の着ぶくれて      金子 京子

極月や呼びかけ続く献血車        大西 きん一

金星は月に寄り添ひ冬木立        小口 二三

箒目についと座りて冬紅葉        内田 吉彦

湯の効能ききて入るや冬木宿       宮沢 かほる

暦替へ御用納めをしめくくる       清水 正信

百年を笑む能面や冬座敷         中川 文康

初雪や墨絵に変はる町景色        島田 みどり

黄落の天突き上ぐる大銀杏        重原 智子

極月やたづさふ床屋五十年        山口 義清

初恋や淡き初雪すぐに消ゆ        武藤 風花

空襲を逃れし川や浮寝鳥         山本 智子

 

石炭のストーブありし昭和かな      楢﨑 重義

 

 

選後一滴          坂元正一郎 

仲悪しきものも交へて浮寝鳥      中山 敏

水に浮かぶ鳥をまとめて水鳥といい多くは秋に北から渡ってきた冬鳥である。水に浮かんだまま身じろぎせず眠りながら漂っている姿を浮寝、浮寝鳥という。水鳥は鴨・雁・鳰・鴛鴦・白鳥など種類も多い。句の眼目である上五・中七の「仲悪しきものも交へて」のとおり種類の混ざりあった浮寝では仲の悪いものもいて小競り合いが起きるもの。が、暫くすると静かな浮寝にもどるのである。私たち人間にも通じるものがあって趣深い作品である。

 

天平の甍浮かべり冬霞         久保 研

 

天平時代は聖武天皇の天平年間を中心に広く奈良時代全般をさす。この時代は中央集権国家が確固たる地盤を確立した時代であり朝廷の権力は強大だったとされる。その力が仏教建築などに注がれ、法隆寺東大門など多くの国宝建造物が残されている。冬霞といって冬でも風のない暖かな日には霞が立つことがあり、霞の薄くかかった景は和やかな気分になる。この冬霞に浮くような天平の甍が古都奈良にふさわしい雅な雰囲気を醸しだしている。

 

下総も上総も冬の霞かな        加藤 田鶴栄

 

下総も上総も旧国名で下総は今の千葉県北部及び茨城県の一部で、上総は千葉県中部に相当する。細かく言えば南房総の安房を含んでいないが、「下総も上総」と詠ったことで房総のほぼ全域の情景が浮かんでくる。青邨の「祖母山も傾山も夕立かな」をヒントにしたとも取れる歯切れのよい一読句意明解な作。季語「冬霞」は「天平」の句でもふれたが天気の穏やかな日に発生するもので、静かな海に浮かぶが如くの茫洋たる眺めの房総が浮かんでくる。

 

 

扉2月号

 

主宰詠

振りかへる人のありけり帰り花

撫牛に雀のあそぶ小春かな

曇天の雲のひくさや雪蛍

木がらしや河原は白き石ばかり

グリーン車に混む日のありて神の旅

いつの間に蕎麦屋の消えて一茶の忌

拝殿の奥を灯して神の留守

帆柱の林けぶらせ片時雨

海光の影をおとして懸大根

 

落城のことを知りてか姫つばき

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

ジーンズの母が手を引く七五三      守屋 猛

瀬戸内へなだるる如く蜜柑山       神阪 誠

丸まりし落葉踏み踏み下校の子      綾野 知子

天井の染みと化したり冬の蝿       中山 敏

渡り鳥池塘は空の色を溜め        大貫 ミヨ

托鉢の草履のほつれ年暮るる       宮田 肇

湖は山ふところに冬紅葉         岩﨑 よし子

玄関を一歩踏み出し冬に入る       杉山 俊彦

小春日や耳掻く猫のうしろ足       佐藤 啓三

老ひどちの一つ話や日向ぼこ       金納 義之

初時雨「せい」と発ちたる人力車     野口 晃嗣

父に似る羅漢を探す小春かな       加藤 田鶴栄

アルプスを望みて林檎齧りけり      久下 萬眞郎

石蕗咲くや同姓多き里の墓地       内田 正子

炉開にしつけをはづし紬着る       堤  淳

冬薔薇の深き紅色三島の忌        野地 邦雄

山彦の峰から峰へ秋の逝く        平野 久子

甲斐は照り信濃はしぐれ古戦場      斉藤 ふさ子

団栗や只今育児休暇中          中野 文子

冬ぬくし谷中銀座は猫猫猫        鈴木 ゆう子

緋袴のずらりと干され神の留守      大西 きん一

田仕舞の煙の中に生家あり        小口 二三

まだ動くものゐるらしき草紅葉      武藤 風花

表札は夫のまゝにて冬支度        白坂 美枝子

赤米を守りたる稲架は風の道       西谷 髙子

鳩追ひて参道撫づる千歳飴        山口 義清

櫨紅葉緋色流るるハイウエー       楢﨑 重義

コスモスや終りし旅の靴磨く       山本 智子

水打つたやうな茶席に咳ひとつ      清水 正信

 

サイクリスト坂に挑みて山眠る      秦  良彰

 

選後一滴          坂元正一郎 

ジーンズの母が手を引く七五三     守屋 猛

七五三は男子歳と五歳、女子は歳と七歳に当たる年の十一月十五日に着飾った子供が親に付き添われて氏神などに参詣して祝う行事。当日の境内はめでたい絵を描いた千歳飴の袋を提げた子供たちと、それに負けないくらい着飾った両親や祖父母たちで賑わう。このように七五三は親も着飾っての参詣が相場であるが、掲句の面白さはジーンズの母が七五三の手を引くところにある。今風の若い母親だからだとか、あれこれと想像の膨らむ作品である。

 

瀬戸内へなだるる如く蜜柑山      神阪 誠

瀬戸内の島々では温暖な気候と水はけの良い急斜面を利用した蜜柑などの柑橘類の栽培が盛んである。掲句の眼目は上五・中七の「瀬戸内へなだるる如く」にある。急峻な地形を利用した蜜柑山は海へと開けており、まさしく瀬戸内へなだれるようである。スケールの大きな景を詠った蜜柑山と海との色彩の対比が美しい作品である。また、瀬戸内と蜜柑山との取り合せが仄々とした温もりをも醸し出しており、どことなく郷愁を掻きたてるものがある。

 

丸まりし落葉踏み踏み下校の子     綾野 知子

 

秋には美しく紅葉していた木々も、やがてはらはらと落葉し始める。舞い落ちる葉も散り敷いた葉も落葉であり、どちらも静かな感じがする。この静けさが季語「落葉」の本意と言われる。中七の「落葉踏み踏み」は散文的には「落葉を踏みつつ」等になるところであるが、ここが掲句の一節となって何処までも続く散り積もった落葉径が詠出されている。また、上五の「丸まりし」には乾いた落葉のイメージもあり、「踏み踏み」の措辞でサクサクとした乾いた音のする落葉に季語の本意とされる静けさも伝わってくる。

 

 

扉1月号 2017年

 

主宰詠

ことりとも音せぬ庫裏や木の実降る

万幹の竹の春なる嵯峨野かな

落柿舎をしのぐ高さに柿実る

廻廊の鳴くや秋闌く大覚寺

灯の下にべつたら漬の艶を買ふ

黐の木に鵯の高音の日和かな

特攻のなごりの浜や新松子

湖はからりと晴れて雁の声

一湾の静かになりぬ後の月

 

おもむろに吹けば高鳴る瓢の笛

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

水匂ふ近江の旅や雁の頃         久保 研

読み止しの本堆く秋深し         野口 晃嗣

日陰にて色際立つや万年青の実      神阪 誠

栗をむく母の遠忌の近づきぬ       山口 恵子

朴落葉乾けば沓のごとしかな       金子 京子

瓢の実の音は故郷の風のこゑ       福島 晴海

保津川の水の鎮もる野分晴        南後 勝

濃く淡く重なり合ひて山紅葉       田中 泰子

落柿舎の柿甘からむしぶからむ      中山 敏

秋うらら日当る方へ子連牛        大貫 ミヨ

遠筑波釣瓶落しの峯二つ         宮田 肇

単線の汽車引き連れて稲雀        石井 秀樹

単線の果ては花野に径の尽き       平野 久子

たたなはる仙石原の薄かな        内田 正子

竹の春空の力車に追ひ越さる       松木 渓子

越後より歳々届く今年米         堀江 良人

きちきちや跳んで緑の風の筋       斉藤 ふさ子

朝顔の蔓の行く手は天をさす       魚谷 悦子

そぞろ寒錆の分厚き蔵の錠        旭  登志子

村祭り報する音の空に爆ぜ        井口 幸朗

竹林のあをの身にしむ嵯峨野かな     綾野 知子

野分晴竹が天掃く嵯峨野かな       佐藤 啓三

誘ふがごとく径行く恋をしへ       野地 邦雄

新涼や月光浴びに外に立ちぬ       重原 智子

秋蝶や金色堂の風に乗り         西谷 髙子

丸柿の尻に光りし雫          楢﨑 重義

厄日過ぐ天を睨みし達磨の図       大西 きん一

骨組みのあらはになりて捨案山子     宮沢 かほる

唐辛子そんなに向きにならずとも     武藤 風花

消え残る飛行機雲を渡る月        清水 正信

いつまでも消えぬ隣家の秋ともし     米倉 敏明

屋号の灯ともして釣瓶落しかな      中川 文康

倉ぐらに燻す大根や陸奥国        髙堀 煌士

幼女の髪さらさらと初もみぢ       春日 春子

そぞろ寒通用門を施錠せり        内田 吉彦

父の田を守る茶髪の案山子かな      中野 文子

野菊にはいつも風あり遠き峰       小口 二三

行秋のルオーのピエロいつも一人     原田 敏郎

木遣唄賑はふ社神無月          宮澤 清司

香煙に法名ゆらぐ秋彼岸         根本 光子

天つ日のきげん貰ひし吊し柿       山口 義清

囲碁大会二勝三敗蔦紅葉         島田 みどり

 

選後一滴          坂元正一郎 

落柿舎の柿甘からむしぶからむ      中山 敏

十月にあった嵯峨野での四季吟行の作である。落柿舎は江戸初期の俳人向井去来が営んだ風雅な草庵。芭蕉もここで「嵯峨日記」を記したとされる。落柿舎の由来となった柿かどうかは知らないが、庭には柿の木が植わっており小粒で如何にも渋そうな実が生っていた。掲句の眼目は中七・下五にあり、文法的には推量の助動詞「む」から柿は「甘いだろうか、いや渋そうだな―」と解釈できる。この句は落柿舎を訪れたからには「柿」で一句を詠まねば、とする敏さんの思い入れの感じられる一作である。

 

水匂ふ近江の旅や雁の頃         久保 研

琵琶湖の東岸に位置する近江は近江商人発祥の地として知られ、多くの歌人や俳人たちの心をとらえてきたところである。「行く春を近江の人と惜しみける」という句があるように、芭蕉も幾度となくこの地を訪れている。ここは琵琶湖からのびる水郷であり、扉四季吟行での和船で行く水郷巡りを思い出す。掲句の巧さは水郷近江を「水匂ふ」と叙したところにある。雁が北国から日本へ渡ってくる季節は秋も深まってからであり、この季節感を水の匂いに感じとった即吟的な「雁の頃」の斡旋も絶妙である。

 

朴落葉乾けば沓のごとしかな       金子 京子

朴は落葉高木で落葉の長さは三〇センチほどあり、初冬の木の下には夥しい数の落葉が溜っている。大きな落葉は存在感があり「朴落葉十六文は優にあり」(仁尾正文氏)の句もあるほどである。掲句の眼目は乾いて少し捩じれた朴落葉を「沓のごとし」とした見立てにあり、ここに作者の独創性が発揮された。俳句の形はできるだけシンプルにしたほうが普遍性を得やすいもので、この作品も一読句意明解で日溜りの木沓みたいな朴落葉を彷彿とする。

 

 

 

 

扉12月号

 

主宰詠

ボルドーの香りゆかしき夜長かな

白々と小島を照らし後の月

点々と津軽の沖を燕去ぬ

防人の島をしるべに雁渡る

いそいそと暖簾をくゞる秋日傘

霧込めをぬつと降りくるケーブルカー

杭の頭を取つて取らるゝ蜻蛉かな

秋灯や名札のかゝる洋酒瓶

饒舌も寡黙になりて葡萄食ぶ

秋鯖のやたら糸引く葉山沖

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

たまゆらの風に俯く秋海棠      宮田 肇

金閣の影しんしんと水澄めり     山口恵子

丹田をつき上ぐるかに大花火     平野久子

葡萄棚空の欠片のあちこちに     井口幸朗

竿先に力を込めて柿を捥ぐ      岩﨑よし子

長き夜や静寂をやぶる鳩時計     内田正子

ねこじやらし野原は風の棲むところ  旭 登志子

境内の烏賊焼く匂ひ踊の夜      野地邦雄

教会の影黒々と良夜かな       金納義之

新薬に批判のありて桐一葉      中野陽典

立山へ響く法螺貝秋高し       野口晃嗣

やぶからし薮から薮を繋ぎけり    中山 敏

澄みきつて静かにすする冬瓜汁    松木渓子

新蕎麦を打ちて会津の嫁となり    佐藤啓三

聞こえくるラジオ体操涼新た     福島晴海

席替の淡きときめき新松子      綾野知子

赤とんぼやつと出来たる逆上り    魚谷悦子

煙管にも箸にも寄席の秋扇      加藤田鶴栄

門灯を消してちちろに闇返す     金子充宏

夕焼けや海に刺さりしカムイ岩    髙堀煌士

惜しみなく白萩こぼし風渡る     清水正信

急流に落ちゆく鮎の潔さ       武藤風花

だんじりの町となりゆく祭鱧     大西きん一

蝗飛ぶ田圃アートの絵の中に     中野文子

二皿に一匹を分け初秋刀魚      中川文康

秋暑し口紅だけの留守居かな     西谷髙子

子のまぬる母の手振りや盆踊     藤本冨美子

流れ星人は邪悪とカント言ひ     楢﨑重義

むきだしの人参の赤秋出水      小口二三

 

落選の作品を引く美術展       米倉敏明

 

選後一滴          坂元正一郎

たまゆらの風に俯く秋海棠        宮田 肇

秋海棠は多年草の花で庭園などに植えられるが野生化したものもある。ベゴニアの一種で花は九月ごろ淡紅色の小さな花を俯くように咲かせる。上五の「たまゆら」は万葉集の玉響が語源となったもので、ほんのしばらくの間・わずかの間・かすか等の意味として副詞的にも使う、と辞書にある。掲句の巧いところは上五の「たまゆら」という秋海棠の風情にかなった柔らかな言葉の斡旋にあり、「たまゆらの風」に俯くと叙したことで秋海棠の生きいきとした表情が表現されている。

 

金閣の影しんしんと水澄めり       山口恵子

金閣寺はその美しさはもちろん金閣寺の前の池に映し出される光景も素晴らしいものである。この池は鏡のように金閣寺を映し出すことから鏡湖池という名前が付けられており、ここに写った金閣寺は「逆さ金閣」と呼ばれ写真家などにも愛されている。掲句の巧さは季語との取り合せにある。上五・中七が下五の「水澄めり」という季語のもつ情趣と相まって、逆さ金閣のひっそりとした佇まいが鮮明に読者へ迫ってくるのである。 

 

丹田をつき上ぐるかに大花火       平野久子

 

花火の醍醐味はその大輪の美しさにあるが丹田にドーンと響く感じもいいものである。久子さんは新潟のご出身とお聞きしている。その新潟は花火が盛んなところで、中でも長岡の花火は日本三大花火の一つに数えられている。名物は正三尺玉の三連発の打ち上げで、玉の重量は二百キログラム、高さは東京スカイツリーの高さほどまで上がり直径六百米の大きさに開くと言われる。掲句はその大花火をご覧になられた体験から生まれた作品であろう。句の眼目である上五・中七に読者の想像力の膨らむ作品である。

 

 

扉11月号

 

主宰詠

軍港も眠りについて星月夜

盂蘭盆や攩網かわく漁師町

木漏れ日を訪ねてきたる秋の蝶

黒松の樹皮にまぎれて法師蝉

初風や水ふつふつと忍野村

日ぐらしや何も動かぬ湖の面

潮騒へ開く窓より秋の声

鯉の貌こぞつて来たる今朝の秋

千社札貼れる余白の残暑かな

 

行合ひの空のあをさや白木槿

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

腕白を軽くいなして銀やんま      宮田 肇

口だけは達者と暑中見舞来る      堤  淳

空リフト花野の空を下りて来ぬ     井口 幸朗

立秋や骨の透きたる一夜干       大西 きん一

ゆきあひの流るる雲や大花野      中山 敏

蜩の声降りそそぐ父母の墓       内田 正子

父母の山ふところに萩の風       山口 恵子

全身を耳にして聞く秋の声       久下 萬眞郎

盆の月墨絵ぼかしに山照す       田中 泰子

この星も宙の一粒天の川        南後 勝

売れ残るブリキの玩具秋に入る     野口 晃嗣

盂蘭盆會見つけし父の蔵書印      金納 義之

明滅は闇へのしるべ秋蛍        野地 邦雄

語り部の口中渇く原爆忌        平野 久子

鈴虫や駅の木椅子の座り艶       綾野 知子

喪の家の道を染めたる凌霄花      守屋 猛

絵手紙に残る余白や秋の声       佐藤 啓三

夏休み下校チャイムは休まざる     柏﨑 芳子

跳人等の跳ねてみちのく祭りかな    斉藤 ふさ子

夕焼や今宵勤めと渡し守        中野 陽典

竜胆や坂越えて行く母の家       中野 文子

昼寝あり嘘寝もありて保育園      内田 吉彦

花火果て星に夜空を返しけり      金子 充宏

海の日や遥か南に母眠る        宮澤 清司

打水に饒舌となる未亡人        武藤 風花

御先祖も登りし坂や墓参り       米倉 敏明

朝まだきき小夜の尾をひく虫の声    楢﨑 重義

だんだんと父に似てくる夏帽子     原田 敏郎

改札は天満祭の渦の中         中川 文康

 

御朱印の墨黒ぐろと秋の寺       有田 辰夫

 

選後一滴          坂元正一郎

腕白を軽くいなして銀やんま      宮田 肇

捕虫網を振り回して昆虫採集に夢中だった少年時代は誰にでもあるもので、ゆうゆうと頭上を通り過ぎる「やんま」の姿をなにも出来ずにただ見送った夏の想い出をお持ちの方も多いと思われる。掲句の一と節は中七の「軽くいなして」にある。銀やんまは昆虫の中で最も速く飛行できる虫だと言われており、そんな相手に懸命に振り回す竿先の補虫網をすいーとかわされて苦戦する腕白の姿が滑稽に詠出された作品である。

 

立秋や骨の透きたる一夜干       大西 きん一

立秋は八月八日頃にあたるが、暑さの最中に秋の気配を感じ取ることが此の季語の本意と言われる。秋の気配は目に見えるものもあれば、感触や音といった目には見えないものもある。一夜干というとアジが浮かんでくる。が、骨の透けたとなると淡いピンク色をした柳鰈や笹鰈と言ったところであろうか。掲句の巧さは季語の斡旋にある。骨の透ける一夜干に秋の気配を感じとった作者の感性が光る一作であり、一献傾けたくなるような作品となった。

 

空リフト花野の空を下りて来ぬ 井口幸朗

リフトはスキー場などの架空ケーブルに椅子を吊した登山用の乗り物のこと。リフトを使うと展望の開けた高原や名峰の山頂まで気軽に行けて便利である。下五の「空を下りて来ぬ」が句の一と節となって、山頂から広々とした花野の上空を登山口へと下りて来るリフトが浮かんでくる。また、花野は秋の草花が色とりどりに咲き乱れて華やかではあるが、どことなく淋しさも感じさせる季語である。そのような季語の情趣と相俟って、空っぽで戻ってくるリフトが一抹の侘しさを醸し出している。

 

 

 

扉10月号

 

主宰詠

 

炎昼や風もかよはぬ漁師町

捨石や雑魚のぎらつく油照り

箱庭のことさら速き水車かな

宿下駄のそゞろ歩きや宵涼し

影はねて空の高みへ黒揚羽

するすると皇居へ沈む大西日

夕焼けに舳先染めたるフェリーかな

海べりを辿る旅路や花梯梧

鳴き砂の浜を鳴かせて白日傘

さらさらと筧を奔る清水かな

 

開扉集   推薦 坂元正一郎

 

雨あとの草の吐息か草いきれ      旭 登志子

山開き禰宜の足もとスニーカー     金子 京子

みづうみへ開く裏木戸花樗       久保 研

下野に生れて七十路蛍飛ぶ       大貫 ミヨ

横綱の負けて団扇の波止まる      宮田 肇

庭石を据ゑていくとせ苔の花      込山 照代

手応へのなきを掬ひて水羊羹      綾野 知子

蟹股の腰に蚊遣りの農夫かな      佐藤 啓三

音立てむばかりに海へ大西日      福島 晴海

冷し瓜ありと濡れたる妻のメモ     金納 義之

滝しぶき浴びては逃ぐる童かな     中山 敏

濡れてより色の極まる七変化      平野 久子

滝しぶき風に煽られ崖を這ふ      内田 正子

桐一葉落つるが如く夫逝きぬ      田中 茂子

底をつくダムの水位や雲の峰      田中 泰子

教室に心あらずや雲の峰        守屋 猛

羅に織り込められし風の色       野地 邦雄

潦大きく跳ぶ子梅雨晴間        加藤田鶴栄

さかまける滝のしぶきに声ぬるる    西谷 髙子

夏山の湖水に浮かぶ山を漕ぐ      松下 弘良

トンネルの合間は葛の葎かな      春日 春子

抜きんづる女児背泳ぎの空青し     重原 智子

名山の中に名もなき小滝かな      山本 智子

吊ればすぐ風の纏はる貝風鈴      金子 充宏

山の端の滴るところ神祀る       米倉 敏明

混じり合ふお国訛りや川床の宴     中川 文康

歌舞伎座へ裾に纏はる女梅雨      武藤 風花

空蝉のすがりつきたる大鳥居      有田 辰夫

軽の子の渡りきるまで青信号      中野 文子

娘の後についてくぐれる茅の輪かな   藤本 富美子

 

選後一滴   坂元正一郎

 

雨あとの草の吐息か草いきれ      旭 登志子

夏の日が照りつける草原などを歩いていると、繁茂した草の醸しだす熱気で噎せ返るようなことがある。この噎せ返るような熱気を草いきれと言う。掲句はその「草いきれ」を「草の吐息」と叙した中七が眼目。吐息を辞書に当たると、落胆したり安心したりして、つく息。ため息とある。今年の関東地方は空梅雨で水不足が心配されるほど雨が少なかった。中七の「草の吐息」はやっと降った雨に対する登志子さんの安堵のお気持ちとも取れて妙である。

 

さかまける滝のしぶきに声ぬるる    西谷 髙子

句の眼目は下五の「声ぬるる」にある。「生まれたての蝉の声が濡れている」とか「月光に甍が濡れる」といった措辞の句はある。が、「滝しぶきに声がぬれる」という表現の句には新鮮味がある。滝の周辺では会話も聞き取りにくいもので、滝しぶきを行き交う人の声も濡れるのである。「声がぬれる」という表現は、先師土生重次氏の語られた「実態」を踏まえた「発想」の「飛躍」である。すなわち、説得力や共鳴性を伴っていることであり、「声ぬるる」の措辞に濛々とした滝しぶきの滝壺が浮かんでくる。

 

 

 

扉9月号

 

主宰詠

土塊の如くにゐたる蟇

犬小屋に上目遣ひの梅雨の犬

五月雨や小言ならぶる周旋屋

下闇を下れば晴れの心字池

母の忌の朝から晴れてほとゝぎす

梅雨晴やだらだら坂の竿竹屋

来し方を振り向く蟻のをりにけり

水の面にしぶきの花や小鰺刺

行きずりの人と愛づるや二重虹

影曳いて径をよぎれる蜥蜴かな

 

開扉集   推薦 坂元正一郎

 

棚木場のがらんとしたり雲の峰     守屋 猛

繚乱の百花百様薔薇の園        南後 勝

風の香や小さきのれんの妻籠宿     杉山 俊彦

天井の龍の目尻に蝿一匹        田中 泰子

風に吐く糸に始まる蜘蛛の網      金納 義之

空めがけ噴水わつと丈伸ばす      宮田 肇

南風や波に抗ふ舫ひ舟         内田 正子

極細の脚を自在にあめんばう      平野 久子

参勤の越えし峠や郭公啼く       斉藤 ふさ子

ジーンズの藍を深めり虎が雨      中山 敏

深閑として炎天のジャングルジム    野地 邦雄

釣忍文人住みし坂の町         綾野 知子

Tシャツのしわたたき干す夏はじめ   小松 千代子

学舎の渡り廊下や濃あぢさゐ      佐藤 啓三

五月雨や裾をからぐる茶会客      堤 淳

さきがけの一花に蓮の葉波かな     金子 京子

張り変へて風あたらしき網戸かな    加藤 田鶴栄

ハーリーや舳先に竜は眼剥き      中川 文康

你好と火のマジシャンや五月祭     髙堀 煌士

馬鈴薯の花むらさきに峡暮るる     宮沢 かほる

被爆地に新しき風聖五月        小口 二三

色鯉のうねりを打つて進みけり     楢﨑 重義

梅雨明や白布を走る裁ち鋏       大西 きん一

海に向く王妃の像や大南風       藤本 富美子

若竹をむさぼるパンダ大胡座      西谷 髙子

白靴をぬいで浅瀬の小波追ふ      鈴木 ゆう子

短夜のあと一筆にたりぬ墨       根本 光子

水無月や漏刻といふ水時計       山浦 比呂美

田水張る立山連峰写しつつ       中野 文子

鯉幟余震のやまぬ空泳ぐ        清水 正信

 

 

選後一滴    坂元正一郎

 

棚木場のがらんとしたり雲の峰     守屋 猛

今年は長野県諏訪大社の御柱祭が行われた。棚木場は伐採した下社御柱用材の八本の樅の巨木を祭に向けて保管しておくところ。この棚木場から大勢の氏子たちによって、御柱祭最大の見せ場である木落とし坂まで曳航される。掲句の巧さは下五の「雲の峰」との取合せにある。棚木場に置かれていた御柱用材の巨木が祭の終わりとともに無くなった情景を「がらんとしたり」と叙景された。そこには守屋さんの祭を終えた後の物寂しさが漂っており、それを背後から支えているのが「雲の峰」である。

 

繚乱の百花百様薔薇の園        南後 勝

薔薇は種類が多く野生種が世界に約二百種、日本にも約十種があるという。花は白・紅・黄と色も豊富にあり大きさもさまざまで香りも高い。古代から中近東や中国で色と香りが愛されてきたが、現在の園芸種はヨーロッパと東西アジアの原産種が複雑に交配されたもの。花は五月ごろが最盛期となる。掲句の眼目は中七にあり、薔薇園を埋め尽くした薔薇の種類の多さを「百花百様」として捉えた勝さんのセンスの良さが窺える作品である。

 

風の香や小さきのれんの妻籠宿     杉山 俊彦

 

青葉の梢を揺すって吹く風は青嵐。その風が緑の香りを運ぶと見立てたのが「風薫る」である。「風の香」は「薫風」・「薫る風」などとともに「風薫る」の傍題として歳時記にある。妻籠宿は江戸時代の宿場の姿を色濃く残した町並みが保存されており、中七の「小さきのれん」は妻籠宿の町並みを言い得ている。掲句の巧いところは季語の斡旋にある。「薫風や」でも句は成り立つが「風の香や」とした方が句意に叶った穏やかな響きとなり詩情豊かな作品となった。

 

 

扉8月号

 

主宰詠


銭湯の暖簾をくゞる祭の子

草笛や島にひとつの分教場

ママチャリにすいと越さるゝ夕薄暑

立錐の余地を残さず蕗茂る

筍の地獄焼きてふ肴かな

緑さす伊達が霊屋の瑞鳳殿

二人目をおなかに宿し柏餅

帆柱のペンキ匂ふや南風

薔薇抱へ吊革にぎる太き腕

 

積ん読を積みたす夕べ古茶淹るゝ

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

それぞれの風に風鈴音を分かつ     宮田 肇

湖へ声を吐き出す行々子        井口 幸朗

若葉風袂に入れて巫女の舞       斉藤 ふさ子

はたた神産声上ぐる男の子       中野 陽典

青田波良寛の山揺らぎをり       金子 充宏

絮飛びて雑草に戻りし鼓草       武藤 風花

虫除けの匂ひをまとひ更衣       野地 邦雄

万緑を割つて高速道路伸ぶ       福島 晴海

美女とまで称えし山女火に炙る     岩﨑 よし子

新緑のただ新緑の甲斐の国       野口 晃嗣

噴水や子の喚声にくづれをり      大貫 ミヨ

人去りて水音残る菖蒲畑        金納 義之

托鉢の白き脚絆や五月来る       佐藤 啓三

利根川を越え満目の植田かな      綾野 知子

味噌餡は母のすさびの柏餅       内田 正子

菖蒲湯の一夜の香り溢れさす     平野 久子

聖五月嬰児の手足よく動く       山口 恵子

夏帽や潮風匂ふ日本橋         中山 敏

渓と渓つないで泳ぐ鯉幟        石井 秀樹

かやぶきの水田に映えて木の芽風    南後 勝

麦秋や電工髙く足場組む        進藤 かおる

風止みて噴水競ひ立ちにけり      加藤 田鶴栄

山深き村に一戸の鯉のぼり       大西 きん一

足裏の土の乾きや柿若葉        松下 弘良

夏祭りケバブ切り取る太き腕      秦  良彰

 

燕来てよりの賑はひ商店街       中川 文康

不揃ひの家族で作る柏餅        中野 文子

妻の友みんなふくよか更衣       有田 辰夫

 

海酸漿ギューと鳴らせば海の味     山浦 比呂美

 

選後一滴   坂元正一郎

それぞれの風に風鈴音を分かつ     宮田 肇

風鈴は金属・陶器・硝子などで作られ風通しのよいところに吊るして音色に涼気を楽しむ。縁日などで売られ、風にいっせいに鳴り出すと音も見た目にも美しい。重次句に「有り余る風のなすまま風鈴屋」とあるが、肇さんは「風に風鈴音を分かつ」とした擬人法で風鈴を主体にした独自の風鈴を詠出された。風には強弱もあり向きも一定ではなく色々な風がある。風のたびに微妙に変わる風鈴の音色を楽しめる作品となった。

 

湖へ声を吐き出す行々子        井口 幸朗

 

 行々子は夏鳥として飛来する葭切のことである。日本に来るのは主に大葭切と小葭切の二種類とされる。五月はじめに中国南部から飛来し沼沢・河畔・川辺の葭茎の中にいる髄虫を補食するのでこの名がある。葦原で騒々しくギョギョシ、ギョギョシと鳴くことから「行々子」とも呼ばれている。中七の「声を吐き出す」は行々子特有のあの鳴き方を言い得ており、縄張り争いの捨て台詞とも取れるユニークな作品となった。

 

扉7月号

 

主宰詠

奔りつつ背色かへたる桜烏賊

球場のセンターポール風光る

球児等へ声をとばして老桜

くるくると風を駆けたる落花かな

花街の奥から灯り春の宵

朧夜を低く灯して屋台店

登校のおしやまな子等や葱坊主

水飲みの翅を閉ぢたる揚羽かな

子の友の友も連れては汐干狩

招きたる汐にのまれて汐まねき

 

開扉集 坂元正一郎 推薦

 

 

大奥の跡の芝生や花は葉に       中山 敏

たちまちに砂場となりぬ潮干狩     佐藤 啓三

家苞に忍野の茶屋の草の餅       田中 泰子

さまざまな橋をくぐりぬ花見船     山本 智子

撞く鐘の余韻にひたり花の寺      守屋 猛

志摩湾の海盛り上げて海女浮かぶ    旭  登志子

男気を乗せて落つるや御柱       杉山 俊彦

南朝の憂ひを含む花の雨        金納 義之

花咲いて在り処の知るる桜かな     込山 照代

鰭長き天皇の鯉春闌くる        福島 晴海

花まつり冠傾ぐ稚児の列        内田 正子

散策の瀬音に拾ふ春の声        平野 久子

地震の地へ向ふ脚半や桜守       大貫 ミヨ

日向へと風の漕ぎ出す花筏       岩﨑 よし子

大胆に分厚く切りし初鰹        宮田 肇

佇めばはや葉桜の空のあり       野地 邦雄

葉桜や汐の見えざる汐見坂       野口 晃嗣

亀鳴くや地震で崩れし武者返し     石井 秀樹

四月馬鹿薬を嫌ふ休肝日        中野 陽典

幼子の公園デビュー昼の蝶       南後 勝

重たげに咲き疲れてか八重桜      進藤 かおる

背伸びして子が杓をとる花祭      加藤 田鶴栄

行く春やもいちど返す砂時計      大西 きん一

学童を守る黄旗や若葉風        楢﨑 重義

長靴の中まで濡らし潮干狩り      中野 文子

眠る子の拳に廻る風車         武藤 風花

入園や泣いて手を振る三才児      島田 みどり

初燕往き来忙しき二重橋        中川 文康

たんぽぽの絮吹く口や姉妹       宮沢 かほる

 

囀に道ゆく人のみな仰ぐ        重原 智子

 

 

選後一滴      坂元正一郎

 

大奥の跡の芝生や花は葉に       中山 敏

大奥は江戸城本丸の一部で、当時はここに七代将軍家継の生母月光院を中心とする勢力と前将軍家宣の正室天英院を中心とする勢力があった。この両者の権力争いから月光院に大奥女中として仕えていた絵島が高遠に遠流されると言う悲話が残されている。華やかに着飾った女性たちが将軍をめぐって火花を散らした当時とは打って変わって、今は芝生広場として開放されている。このような時代の移ろいを掲句の「花は葉に」が語りかけているようである。

 

たちまちに砂場となりぬ潮干狩     佐藤 啓三

潮干狩は古くから花見や紅葉狩などと同じように季節の風物詩であった。旧暦3月3日頃の大潮のころが潮の干満の差が最も大きく潮干狩の好期とされている。近年はたやすく潮干狩を行える場所が少なくなり、自然発生した浅蜊ではなく漁師さんが事前に浅蜊を撒くなどして潮干狩の場を確保するところもあると聞く。掲句の眼目は上五・中七にあり、熊手をもって一心不乱に浅蜊を探す大勢の親子連れが浮かんでくる。

 

家苞に忍野の茶屋の草の餅       田中 泰子

 

忍野は富士山北東の麓にある村。富士の伏流水の湧出によって多くの池ができたが、その主な池は忍野八海と称され天然記念物に指定されている。池を上からのぞきこむと底が見えるほどの透明度があり、水は名水百選に選ばれて飲むこともできると言われている。ここは新宿から高速バスで一時間半ほどの観光スポットでもある。忍野八海の名物に「草餅」がある。気取らない美味しさの草餅は家苞として打って付けである。 

扉6月号

 

主宰詠


幹事役とけし朝の蜆汁

啓蟄やあちらこちらと道普請

力士碑の四股名幾つや菫咲く

高層のビルの足もと苜蓿

傍らに七輪あふり目刺売

深々とかぶる帽子や春疾風

陽炎へるバスへ乗り込む修道女

段畑の下から上に蓬摘む

防人の狼煙台とや鳥帰る 

陶片は波にあやされ重次の忌

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

はくれんのあれよあれよと空灯す    宮田 肇

箱根路の群れて淋しき菫かな      福島 晴海

湘南の風に遊びし春ショール      杉山 俊彦

山焼の煙は雲を追ひにけり       岩﨑 よし子

霾やシルクロードの遥かなる      金子 京子

はくれんの満開庭を睥睨す       堤  淳

船宿に残る弾痕椿咲く         中野 陽典

種芋の坊主頭を撫でて植う       佐藤 啓三

茶寮はや篝火落し月おぼろ       大貫 ミヨ

春の雪湯船に満つる里なまり      柏﨑 芳子

胸高に着けし袴や春の雪        綾野 知子

鳥の巣をそつとのぞけば鳥の留守    中山 敏

雲去りて辛夷の空となりにけり     田中 茂子

花冷や追越すヒール戛々と       山口 恵子

遠くより哄笑しきり梅日和       内田 正子

春風を袂に入れて巫女の行く      斉藤 ふさ子

重次忌や三鬼句集を紐解きぬ      野地 邦雄

はつきりと大きな返事卒業式      久保 研

遠国の薬屋来たり初燕         南後 勝

春耕や一打ちごとに土香る       中川 文康

春雨のいづこへ急ぐ黄八丈       大西 きん一

曲屋の馬売られ行く鳥曇        中野 文子

石塔の苔艶々と菜種梅雨        加藤 田鶴栄

阿蘇古道一声残し雉子の発つ      進藤 かおる

ふたりして何するでなく春炬燵     島田 みどり

きよろと啼きすぐに本啼き花見鳥    山浦 比呂美

補助輪をはずす勇気に春の風      小口 二三

行儀よく脱げはせぬかや竹の皮     武藤 風花

百年の刻をしだれて梅香る       藤本 富美子

 

園児等の声のあまたや鼓草       白坂 美枝子

 

 

扉5月号

 

主宰詠


幼子の握りこぶしや蕗の薹

一振りの金剛鈴や冴返る

盆梅の枝ぶりほめて御用聞き

裏木戸を酒屋でてくる梅屋敷

青海苔を炙る香りや下り酒

高々と幟かかげて午祭

平らかな筑紫次郎や草萌ゆる

魞挿して沖へ広がる琵琶湖かな

みづうみの色を重ねて犬ふぐり

 

不敵なる面もて睨む浮かれ猫

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

膝に乗る猫のおもみや春の雪      内田 正子

ギター弾く人に人の輪下萌ゆる     野口 晃嗣

木曽馬の嘶く里や蕗の薹        田中 茂子

日脚伸ぶ片目をつぶる測量士      小松 千代子

無住寺に塔の黒々月冴ゆる       平野 久子

発条の切れたる玩具多喜二の忌     野地 邦雄

お針子の呼び名も失せて針供養     旭 登志子

金縷梅や抹茶と鶏卵素麺と       綾野 知子

尼寺の小振りの鐘や梅日和       金子 京子

佃煮の諸子よばれて沖の島       中野 陽典

娘は亡けど一人黙して雛飾る      堤 淳

日溜りにはやも影持つ土筆かな     宮田 肇

下萌に上着投げ捨て代打席       中山 敏

搗くほどに母の色なる草の餅      田中 泰子

右近忌や茶人の法被着て坐る      山口 恵子

瀬戸内の播磨に傾ぐ鰆船        堀江 良人

白鳥の群の騒ぎへ餌を撒く       井口 幸朗

雪落ちて力ぬきたる松の枝       込山 照代

絶頂の姿そのまま椿落つ        南後 勝

道しるべ逸れて初音を拾ひけり     加藤 田鶴栄

寒濤や濤より低く漁師住み       金子 充宏

茶柱の立ちたるバレンタインの日    山口 義清

囀りの竜宮門の内も外も        大西 きん一

猫の恋足場あやふき音しきり      山浦 比呂美

寒月に朝のラジオの澄にけり      桐山 正敏

遠縁に聞く妣のこと春炬燵       中川 文康

梅咲いて婚儀の招き届きけり      西谷 髙子

顔の光り輝く陶磁雛          楢﨑 重義

若布干す姑も嫁も山そだち       中野 文子

 うららかや五百羅漢の泣き笑ひ     武藤 風花

 

選後一滴          坂元正一郎

膝に乗る猫のおもみや春の雪      内田 正子

春の雪は季節的には春の雨となるものが上空の気温の低下で雪になったもの。冬の雪と違って積ってもすぐに消えてゆくが晴れやかな感じもある。猫が人の膝に乗るわけは猫に聞くしかないが、寒がりの猫だからだけでも無さそうである。猫が膝にくれば仄かな温もりが伝わってくる。春の雪は冬の雪と違って明るくもどこかはかない印象がある。これが「春の雪」という季語の本意と言われる。膝にある心許ない猫の温もりが「春の雪」と響き合っている。

 

ギター弾く人に人の輪下萌ゆる     野口 晃嗣

東京都では審査に合格したパフォーマンス部門や音楽部門などのアーティストに公共施設などを活動場所として開放し、都民が気楽に芸術文化に触れる機会を提供していくことを目的とした事業を行っている。ふらっと出かけた公園などの人だかりの中心にいるのは、手品師やジャグラーだったりする。掲句のように、人だかりの真ん中が楽器の演奏家だったりもする。季語がよく効いており、中七のリフレインでリズム感の良い作品となった。

 

木曽馬の嘶く里や蕗の薹        田中 茂子

 

木曽馬は長野県の木曽地域を中心に飼育されている日本在来種の馬である。一時絶滅寸前であったが保存活動が行われ飼育数は増加した。しかし以前のような乗用、農耕を目的とした需要はなくその数は少なくなっていると言われる。蕗の薹はまだ寒さの厳しい頃に土から顔を出しており、力強い生命力を感じさせ慈しむ思いをも抱かせるものである。そんな蕗の薹が馬の嘶きに目を覚ましたともとれる明るい雰囲気の作品である。

 

 

 

 

扉4月号

 

主宰詠

尻ながき酒仙を友に年酒汲む

鎮守へと声をつらねて初鴉

身ほとりに鳥の寄りくる寒九かな

仏間なる薄暗がりに水仙花

飴を切るほかに音なき初大師

波止からの胸突き坂や寒椿

風花のひとひら触れてローカル線

寒燈に母が迎への園児かな

葉隠れに鳥を逃れし青木の実

遙かなる餓鬼大将へ鬼やらふ

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

祖父よりの倣ひを孫に鳥総松      平野 久子

しろがねの一閃走る大枯野       柏﨑 芳子

たこ焼を買うてひと息初詣       野地 邦雄

俎のかわく間もなき二日かな      小口 二三

日脚伸ぶ影と連れ添ふ築地塀      佐藤 啓三

雪霏霏と晝を灯して電車発つ      金子 充宏

何もかも妻の言ひなり年用意      中山 敏

歌がるた恋の札取る子は八つ      金納 義之

筑波峯を燻すが如くどんどの火     田中 茂子

春近し噂を拾ふ美容院         内田 正子

手袋のままの二拍手幼の手       込山 照代

火柱へ達磨投げ入れどんど焼      井口 幸朗

生きて居るだけの証と賀状書く     神阪 誠

宿泊の子の顔浮かべ蒲団干す      小松 千代子

雪降りて金閣寺へと急ぎけり      久保 研

穏やかな都会()の目覚めや初列車       福島 晴海

凍空を打ち砕くかにジェット音     野口 晃嗣

牙を剥くものは地上に天狼星      綾野 知子

寄せ鍋の丹波の地鶏地の野菜      中野 陽典

椋の目のとゞかぬうちに剪る千両    斉藤 ふさ子

弾初の三味は赤子を抱くやうに     武藤 風花

ソプラノもアルトもありて猫の恋    中野 文子

正眼の女剣士や寒椿          髙堀 煌士

寒天や微動だにせぬ鳶の羽       南後 勝

探梅の一輪ごとの白さかな       大西 きん一

冠雪の富士を表紙に初暦        楢﨑 重義

巾広もあるや爺打つ晦日蕎麦      宮沢 かほる

路地裏へ入りて寒柝引き返す      原田 敏郎

遠会釈交はし押さるる初詣       中川 文康

 

流鏑馬の馬に動かず鴨の陣       内田 吉彦

 

 

選後一滴     坂元正一郎

祖父よりの倣ひを孫に鳥総松      平野 久子

 鳥総松は正月の松を取り払った後に、その枝を一本挿しておくことを言う。鳥総松の語源は樵が木を伐ったその枝を一本株に立てて山の神を祭ったことに由来するとも言われている。このように、日本では古くからキリストや仏陀というような実在した人間ではなく、山の神、海の神、植物など大自然そのものが神々として崇められてきた。鳥総松の習慣をお孫さんへ言い聞かせ、自然を大切する心根の優しい子への成長を願う作者が浮かんでくる。

 

しろがねの一閃走る大枯野      柏﨑 芳子

枯野は古くから寂しい景色、侘びしく悲しい心持ちを詠む句材とされてきた。その一方で、全てが枯れてしまった野原は視界が開けてかえって明るく感じて、荒涼たる枯野とはいえ夕日を浴びて輝くさまは侘しいなかにも華やぎを感じる。「しろがねの一閃走る」には無辺な枯野の弾く日の光がありありと浮かんでくる。一方、何かの光明を見出した作者の心象風景ともとれて味わい深い作品である。

 

たこ焼を買うてひと息初詣      野地 邦雄

 

俳句だけではなく日本の文化である和歌や美術、芝居などは如何にして新しさを出せるかに苦心しつつ同じ素材を繰り返し詠んだり描いたりし続けてきた。素材は古くからある同じものでも、技法や心持しだいでその時代、その作者の新鮮味が出せるものである。一方、鑑賞者は同じ素材が焼き直されたりすれば、そこに現れる新鮮さを喜んで受け入れてきた。掲句も中七の「買うてひと息」が一節となって、一味違った新鮮味ある初詣の作品となった。 

扉3月号

 

主宰詠

腕白は眠りに落ちて虎落笛

湯豆腐の欠片のをどる土鍋かな

年の瀬や星空いそぐヘリコプター

著ぶくれて引くに引かれぬ特売場

クリスマスリースを掛けて酒場の扉

海鼠腸のあればこと足る蕎麦屋酒

火鉢にも座布団くれて楽隠居

渡りくる銀杏並木の木の葉雨

隠沼は陽だまりとなり枯蓮

馬車道にガス燈もえてクリスマス

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

分け入りて爪先立ちに里神楽      旭  登志子

てぶくろの右手許りの落し物      中山 敏

黄落や戛かつと来る儀装馬車      魚谷 悦子

鐘の声ささやく闇の去年今年      山口 義清

口上のひときは高し大熊手       山本 智子

狛犬も水で洗はれ年用意        武藤 風花

露座仏の袈裟にしんしん雪積る     宮田 肇 

冠雪の富士は蒼天掌「ルビつかさど」る 福島 晴海

チャルメラの音の混ざりて虎落笛    佐藤 啓三

大根洗ふ嫁三代の背中かな       杉山 俊彦

水鳥や山湖の黙の波立つる       平野 久子

日向ぼこ同じ毛並の猫二匹       堤  淳

水底に髭も不動の寒の鯉        大貫 ミヨ

冬日浴びペンギンどれも直立す     野地 邦雄

この道のほかに道なき枯野かな     田中 泰子

山眠る村に一つの美容院        内田 正子

煤逃にコーラスラインてふ映画     中野 陽典

盛り場に焼芋売りの声止まる      堀江 良人

乗客は仲間うちなり冬うらら      溝口 昇

一禽の高音横ぎる白障子        守屋 猛

穏やかな雲のとどまる冬至かな     山浦 比呂美

深川にバターの香りクリスマス     桐山 正敏

着ぶくれて吊革遠き終電車       有田 辰夫

クリスマスイヴの聞分け良き子かな   中川 文康

鮭の来「ルビこ」ぬ番屋軋むや虎落笛  橋本 瑞男

大根の首のせり出す夕まぐれ      春日 春子

見はるかす枯野の果ては海に果つ    加藤 田鶴栄

合戦の跡形いづこ余呉の雪       南後 勝

福笑ひ猫も仲間になりたがり      中野 文子

白鳥の降り来る湖面広げけり      松下 弘良

 

選後一滴          坂元正一郎

分け入りて爪先立ちに里神楽      旭  登志子

皇居および皇室との関連の深い神社で神を祭るために奏する歌舞を神楽という。毎年十二月に行われ、天の岩戸の前で行われた歌舞が起源と言われる。民間の神社の祭儀で行われる神楽を里神楽という。里神楽の演目には古事記・日本書紀といった日本の古典神話を題材とした神代神楽、御伽草紙を題材とした御伽神楽、能や歌舞伎の演目を素材にした現代神楽がある。神楽殿の辺にできた人集りを分け入って爪立ちで神楽を見ている人の姿が印象的な作品。

 

てぶくろの右手許りの落し物      中山 敏

ある調査によれば日本人の右利きの割合は約九十パーセントを占めるとある。手袋をした手で何かをしようとするときには、自然と利き手の方の手袋をはずすものである。日本人の利き手に関する統計からも手袋の落し物に右手の方が多いことには頷ける。手袋の片手ずつの販売はされていないので、片方を無くすと新しく買うしかなくなる。掲句が子規の「手袋の左許りになりにける」を踏まえた作品かどうかは分からないけれど中七の断定には説得力がある。

 

黄落や戛かつと来る儀装馬車      魚谷 悦子

 

儀装馬車は皇室の重要な儀式を行う際に使用される馬車のこと。駐日大使に就任したアメリカのキャロライン・ケネディー氏が信任状捧呈式のために儀装馬車に乗り込み、皇居外苑から皇居に向かわれる様子がテレビ放映されたのを思い出す。中七の「戛かつ」は堅い物どうしが触れ合う音や、その音を立てる様を表す。掲句は韻律が整って儀装馬車の走りに叶った表現となっており、上五の「黄落」と相まって蹄の乾いた音が耳に残る作品となった。 


扉2月号

 

主宰詠

絵馬堂は風の遊べる神の留守

冬晴や声のびやかに鳶の笛

肘伸ばす血圧計や小六月

日面はいよゝ燃えたる冬紅葉

干されては飴色となり懸大根

尼寺へ尼の駆け込む初時雨

鷹匠の腕の放つ一羽かな

延々と貨車遠ざかる大枯野

風のきて庫裏もけぶるや落葉焚

傍らをラジオのしやべる冬田打

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

灯の入りて客種替はる一の酉       宮田 肇

蔓引けばさらに遠くへからすうり     中山 敏

空ッ風木の葉と登る日暮坂        田中 泰子

厄介な冬瓜にある堅さかな        魚谷 悦子

時雨忌や近江の人と長電話        山口 恵子

月冴ゆる淡き煙の登り窯         久保 研

花柄のふとん干しゐる路地の軒      平野 久子

神童のその後は聞かずとろろ汁      野地 邦雄

高稲架の解かれぬまゝの峡の里      内田 正子

地魚の煮つけの照りや冬ぬくし      溝口 昇

道問へば仕草でこたへ頬被り       旭 登志子

産院の広き窓辺や銀杏黄葉        綾野 知子

顔見世や贔屓の違ふ母と妻        久下 萬眞郎

まだ蜜の有りかを問ふや秋の蝶      岩﨑 よし子

銅工の手擦れの小槌冬に入る       大貫 ミヨ

シリウスの光芒届く露天の湯       神阪 誠

紅葉散る風は語り部出丸跡        金納 義之

泥靴の三和土にならぶ薬喰        大西 きん一

七五三肩車から会釈受け         桐山 正敏

褻に戻りてよりのそぞろ寒        楢﨑 重義

落柿舎を素通りしたる稲雀        原田 敏郎

少しづつ癒ゆる手応へ石蕗の花      西谷 髙子

足袋脱ぎて今日のひと日の枷を解く    武藤 風花

の子のうつらうつらと小六月     小口 二三

銀杏の一つ落つれば音二つ        中川 文康

国引きの神話を聞くや神無月       中野 文子

語部は宿の主や炉火明り         加藤 田鶴栄

秋惜しむ両手に重き益子焼        藤本 冨美子

旨くなれ漬物石に冬の月         松下 弘良

冬初め薄き埃の黒電話          南後 勝

 

選後一滴          坂元正一郎

灯の入りて客種替はる一の酉      宮田 肇

酉の市は十一月の酉の日に各地の鷲「ルビおおとり」神社で行われる祭礼のこと。最初の酉の日を一の酉・二番目を二の酉といい年によっては三の酉まである。古くは三の酉のある年は火事が多いとの俗信があった。境内や参道には縁起物の熊手を売る店が立ち並び、商売繁盛を願う人々はこれを買って店内に掲げる。客種は商店や興行場などに来る客の種類のことであり、酉の市も昼と夜とでは客種が替わるのだろう。昼間は主に商売をなさっている人々、夜は勤め帰りのサラリーマンなどの姿も浮かんでくる。

 

蔓引けばさらに遠くへからすうり    中山 敏

烏瓜は蔓性多年草で林や藪に見られる。細い茎は巻髯で傍のものに巻きついて高く上がる。レースのような白い花も美しいものがあるが、富安風生の「提げ来るは柿にはあらず烏瓜」があるように、朱赤色に熟れた実が林などにぶら下がっている景は風情がある。散策の土産にと蔓を引き寄せたのだろう。作者の意に反して遠ざかっていく烏瓜に、求めれば求めるほど遠ざかる幸福とも重なるところがあって味わい深い作品となった。

 

空ッ風木の葉と登る日暮坂       田中 泰子

 

空ッ風は冬の晴天続きに北または北西から吹く乾燥した強い季節風のことで、太平洋側の関東地方で使われている。ことに群馬県上州地方では古くからこの風を俗に「かかあ天下と空ッ風」と、その猛烈な勢いを言い習わしてきた。坂道のある町並みは視界も開けることから絵心の動くところも多くある。日暮どきの坂道を落葉が風に吹かれている景は、そこを登っている人とともに下町の一景として絵になる情景である。

扉1月号

 

主宰詠

応援の声も走るや運動会

踏まれては道に平たき実無し栗

掌に余る文旦もぎにけり

岩木嶺の麓はどこも林檎狩

秋の暮海を忘れし日本丸

白樺を上枝づたひに小鳥来る

カナリアの静かになりぬ暮の秋

秋風と入るや港のショットバー

少年と吹いてみるなり瓢の実

信濃路の暖簾をはねて走り蕎麦

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

堅機や庭のかりんの香に暮れて      大貫 ミヨ

青空をまさぐるやうに柿を捥ぐ      込山 照代

みちのくの籠る訛りや秋風鈴       佐藤 啓三

はばからず訛る一団紅葉茶屋       旭  登志子

をんどりの声高らかや豊の秋       久保 研

門前の床几で啜る走りそば        加藤 田鶴栄

障子貼り父の小言の遠くなり       中野 文子

待宵の月走るかに雲走る         山浦 比呂美

水澄めばするどくなりし魚の眼      小口 二三

御嶽の遠き噴煙蕎麦の花         松下 弘良

無駄口のなくて子と剥く利平栗      綾野 知子

見えかくれしたる帽子や大花野      平野 久子

遊び場はいつも境内木の実落つ      小松 千代子

白壁の銃眼の列鷹渡る          中野 陽典

長持の唄練り歩く秋祭          井口 幸朗

菊日和妻の手を引き杖を曳く       宮田 肇

先駆けはすでに着水渡り鳥        金子 京子

亀の上に亀乗りたがり菊日和       中山 敏

秋日和どこへかけるもみな留守電     田中 泰子

渦巻ける風の点描秋茜          野地 邦雄

賑やかにおでこ寄せ合ふ木の実独楽    守屋 猛

棚田守る土手一面の曼珠沙華       岩﨑 よし子

栃の実のとめどなく降る国境       大西 きん一

高空へ銀座育ちの秋燕          山本 智子

湯上りの母と並びて月を待つ       西谷 髙子

更けし夜声を落して雁渡る        有田 辰夫

括られて庭のコスモス咲きにけり     楢﨑 重義

船舶もビルも真白や浜の秋        橋本 瑞男

校庭にバケツの稲の穂波かな       重原 智子

阿蘇山に煙一筋牧閉す          内田 吉彦

 

選後一滴          坂元正一郎

堅機や庭のかりんの香に暮れて     大貫 ミヨ

堅機「ルビたてばた」は織機の一種で普通の織機では水平に張る経糸「ルビたていと」を垂直または水平に近い方向に張るもの。人の身長の関係であまり長い織物をつくるのには適さないといわれる。榠樝はバラ科の落葉高木。秋には楕円形の洋梨形の実が黄熟して芳香を放つ。生食には適さないが果実酒や砂糖漬けなどにする。堅機は屋敷の一角にある織物工房でしょう。中七・下五により優雅に織り上がる織物にも想像の及ぶ味わい深い作品である。

 

 青空をまさぐるやうに柿を捥ぐ      込山 照代

 柿は改良されて多くの品種ができている。品種によって果実の形は異なるが、その味から甘柿と渋柿に分けられる。甘柿は富有、次郎、蜂屋などでそのまま食べられる。渋柿は脱渋するか干柿にする。古くから農家では庭先などに渋柿を植えて吊し柿をつくる情景が多くみられた。園芸用の柿の木は改良されて樹高を低くしてあるが、そうでないものは高さ十メートルにも達する。柿の収穫は脚立や梯子を使っての作業となるが、まさしく手を伸ばして空をまさぐるようにして柿をもぐのである。

 

みちのくの籠る訛りや秋風鈴      佐藤 啓三

はばからず訛る一団紅葉茶屋      旭  登志子

 

訛りは標準語と異なるアクセントやイントネーション・発声法などのこと。標準語では「雨(あめ)」は「高低」とアクセントを置き、関西弁では「低高」に置くといったアクセントの違いや東北特有の鼻にかかったような発声法は訛りであり方言でもある。一句目、中七の「籠もる訛り」が東北弁の特徴を言い得ており、風鈴の澄んだ音色との取り合せで詩情豊かな作品となった。二句目、地方からのバスを仕立てた観光旅行でしょうか。上五・中七から、ほのぼのとした雰囲気の紅葉茶屋が浮かんでくる。

扉12月号

 

主宰詠

粛々とわたる宇治橋水澄めり

木犀の香りをくぐり宮参り

爽やかや野の草生けて峡の駅

風つれし道産子馬や秋桜

さやかなる音の懸樋やほたる草

芒野や風のまつはる馬の耳

脚下げて降るリフトや鰯雲

釣糸の届かぬ先を鰡の飛ぶ

ロードショー果てたる路地や地虫鳴く

沿線を飛び火のごとく曼珠沙華

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

地虫鳴く塚をちこちの上野山       佐藤 啓三

コスモスや地元力士に風の吹く      小松 千代子

憎まれし花も育ちて花野かな       岩﨑 よし子

水澄みて石それぞれの貌見する      平野 久子

捨て畑に風よみがへる蕎麦の花      守屋 猛

文楽の手足の所作やそぞろ寒       大貫 ミヨ

添ふる手に重さの移る葡萄狩       金納 義之

たうたうと坂東太郎豊の秋        田中 茂子

水澄むや川藻の吐息泡一つ        内田 正子

靖国の遺書の行間読む愁思        斉藤 ふさ子

一筆のインクの匂ふ夜半の秋       中山 敏

どの子らも爪先立ちて葡萄棚       野地 邦雄

名月や利根の蛇行は波しづか       宮田 肇

一枚の扉の外の虫時雨          金子 京子

敬老日会釈返すも名の出でず       旭 登志子

スタンドバー開け放ちたる夕月夜     綾野 知子

満月の橙色とも真白とも         福島 晴海

送り火の炎の揺れをみつめたり      松木 渓子

洗ひ晒しの雲の残りし野分あと      大西 きん一

行く秋や一重まぶたの水子仏       武藤 風花

点描のやがて薄るる雁の棹        中川 文康

街灯のとどかぬところ虫しぐれ      原田 敏郎

どこぞより湧き出でたるか群とんぼ    進藤 かおる

追ひ付いて又追ひ越して秋遍路      中野 文子

天風の蒜山三座鷹渡る          髙堀 煌士

秋空へみんなの飛ばす竹とんぼ      有田 辰夫

鯖雲やみなとみらいの観覧車       山本 智子

山墓やひらりひらりと秋の蝶       西谷 髙子

蓮の実の飛べる気配の水面かな      加藤 田鶴栄

白寿して紅引きなほす秋彼岸       島田 みどり

 

選後一滴          坂元正一郎

虫鳴く塚をちこちの上野山      佐藤 啓三

上野公園には数々の名所があり、木々の中にひっそりと隠れるように石碑や墓があったりする。また、立派な銅像や神社も点在していて普段では気づかなかった歴史を感じることのできる散策コースがある。秋の夜ジーッジーッと地中の虫が鳴くように聞こえるのは、実際は螻蛄の鳴声といわれている。地虫鳴くは螻蛄鳴くとともに秋の寂しさを呼び込む季語として使われる。掲句には取り合わせの妙があり、落ち着いた雰囲気の上野公園を読者に提示している。

 

コスモスや地元力士に風の吹く     小松 千代子

千代子さんは長野県岡谷市にお住まいである。長野というとアマチュア横綱、学生横綱となって出羽海部屋へ入門した若手力士の御嶽海の出身地である。長野では大鷲が昭和四十三年秋場所で十両昇進して以来、四十七年振りの新十両力士の誕生と聞く。コスモスは風にそよぐ姿や彩を詠った句が多く類想となりやすい。掲句は可憐なコスモスと力の塊である力士との取り合わせに詩情が生まれた。地元力士は御嶽海の十両昇進の凱旋風景と想像する。

 

憎まれし花も育ちて花野かな      岩﨑 よし子

 

花野は人の手によって作られたものではなく、高原などに秋の七草をはじめ、吾亦紅・竜胆などの草花が咲き乱れた広々とした野原のこと。吹く風もめっきり秋らしくなり昼の虫も鳴いたりして、花やかさとともにどこか淋しさも感じさせる。背高泡立草は北アメリカ原産の帰化植物で生命力が強く休耕田や野原にすぐはびこる厄介者。そんな厄介者が抜きんでている花野が人の世と通じるところもあって俳諧味ある作品となった。

扉11月号

 

主宰詠

暮れのこる街のかなたへ星走る

藪ぬけて七夕竹を切り出せり

朝の陽に顔を向けたる牽牛花

寄席太鼓鳴るや高座の秋袷

古里は遠くなりても盆の月

墓標めく高層ビルや稲びかり

裏庭へ夕日まはれり鳳仙花

貨車の列駅をはみだす残暑かな

水底を揺らぐ日の斑や今朝の秋 

かなかなや呼んで届かぬ佐渡ヶ島

 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

青瓢尻まるまりて風誘ふ         宮田 肇

八月や戦火を知らぬ人の世に       旭 登志子

流星の交はる果てや絹の道        野地 邦雄

デパートのドアより吐かれ秋暑し     平野 久子

真上から覗く宇宙や金魚鉢        杉山 俊彦

とんばうの砦と恃む棒の尖「ルビさき」  神阪 誠

独り居の迎へ火焚くも一人かな      金子 京子

真向ひは那須連山や下り簗        柏﨑 芳子

寝返りが下手で苦行の甲虫        岩﨑 よし子

ペガサスの近くに仄かわが星座      田中 泰子

流れ藻の乾き果てたる残暑かな      内田 正子

数学の補習授業に蝉しぐれ        中山 敏

秋暑し伍長と刻む墓標かな        野口 晃嗣

かつかつと下駄音跳ねて阿波踊      金納 義之

蝉しぐれ回転木馬降りてより       綾野 知子

朝採りの毛並よろしき茄子の馬      佐藤 啓三

棚経やバイクの法衣ひらひらと      魚谷 悦子

洗車機の如き夕立に突入す        大西 きん一

産土の神のお告げか落し文        宮澤 清司

白南風や白亜の巨船湾に入り       進藤 かおる

鋏研ぐ老いし床屋の盆用意        山口 義清

提灯を仕上げに吊つて盆用意       山浦 比呂美

水輪画く残暑見舞の余白かな       鈴木 ゆう子

踊りの輪まだ小さくて黄昏るる      宮沢 かほる

遠雷に子の住む方「ルビかた」の空仰ぐ  春日 春子

街灯のとどかぬ闇や虫しぐれ       原田 敏郎

秋袷帯をきつめに幕揚がる        武藤 風花

不忍池いつぱいに鰯雲          中野 文子

車椅子押されて入る踊の輪        中川 文康

伸び盛る子等来て狭し夏休        重原 智子

 

選後一滴          坂元正一郎 

青瓢尻まるまりて風誘ふ         宮田 肇

瓢箪は古来よりその形を愛でられてきた夕顔の仲間である。酒器や飲料水の容器として、また杓文字や柄杓としても使われてきた。鑑賞用としても栽培され庭や窓辺の日よけにもなり白い花は風情がある。青瓢は未熟な青い瓢箪のこと。瓢箪の実は最初はスマートな形をしており、成長とともに上下が丸く真中が括れたあの面白い姿になっていく。ようやく瓢箪らしい姿に成長した青瓢が風に吹かれている情景は如何にも涼しげである。

 

八月や戦火を知らぬ人の世に       旭 登志子

昭和二十年八月十四日は日本が連合国側のポツダム宣言を無条件で受諾し第二次世界大戦が終了した日。翌八月十五日に昭和天皇がポツダム宣言を受諾し降伏するという詔書朗読の録音がラジオ放送された。今年はその日から七十回目の年となる。この戦争を体験された方々も高齢となられ、戦争のことを語り継ぐ人も少なくなってきている。掲句のとおり八月十五日のことを知らない世代が増えつつあると聞くが、悲惨な戦争のことを風化させてはならない。

 

流星の交はる果てや絹の道       野地 邦雄

絹の道はシルクロードの訳語。中央アジアを横断する古代の東西交易路で中国を起点としパミール高原を経て地中海沿岸に至る。シルクロードは中国特産の絹がこのルートによって運ばれたことに由来する。シルクロードというと仏教画の巨匠故・平山郁夫氏の砂漠を進むラクダの絵画が浮かんでくる。掲句の巧いところは宇宙の営みである流星と人の営みとしての絹の道との取り合わせにあり、歴史ロマンあふれるシルクロードの旅へと想像が膨らむ。

 

デパートのドアより吐かれ秋暑し    平野 久子

デパートの閉店時間は祝祭日で異なるところもあるが、飲食店のある階を除けば平日は八時頃で閉まるところが多い。掲句の面白いところは中七の「ドアより吐かれ」にある。閉店時間の迫った店内は閉店を知らせる案内放送が流される。まだ買物を楽しみたかったのにデパートから吐き出されるような気分でドアの外へ出るのである。「秋暑し」は「残暑」の副題。立秋を過ぎてもなお残る暑さのことであり、デパートの外の暑さも一入である。

 

扉10月号

 


飯店に漢語とびかふ大暑かな

舌を焼く煮込み饂飩や秋暑し

電線をしつかと掴み燕の子

小魚を追うて田中の草いきれ

炎天を水ほとばしる魚梯かな


峰雲やハーレーダビットソンが行く

西日差す背中ならべて屋台酒

離陸する夜のジェット機の音涼し

海霧へ背なか向けたる慰霊塔 

一先づはバケツに生かす金魚かな

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

口だけが動いてをりぬサングラス     旭 登志子

炎天を来て炎天へ検針員         福島 晴海

退院の一歩まぶしき雲の峰        金納 義之

海の日や山の宿なる海の幸        堀江 良人

知多の尾根走る用水夏つばめ       久保 研

甲走る鳥語あまたや梅雨明くる      加藤 田鶴栄

黒潮におどる太陽鰹船          山本 宏

走井の水のきらめき百日紅        山浦 比呂美

遠蛙闇の田圃の水匂ふ          内田 正子

タワーマンション触れむばかりに銀河濃し 斉藤 ふさ子

花菖蒲八つ橋鳴らすツアー客       平野 久子

打水に今日一日を流しけり        山口 恵子

老い先のことはともかくかき氷      中山 敏

蜜に寄る羽音したたか日の盛り      綾野 知子

採るる程無口になりて夏わらび      小松 千代子

大安に巣立つ燕に娘を重ね        込山 照代

一山が野望の城やほととぎす       杉山 俊彦

相づちはうはの空なりところてん     野地 邦雄

あちこちに何を耳打ち蟻の列       神阪 誠

沖遠く流るるちぎれ雲涼し        大西 きん一

古稀過ぎて夏痩せ知らぬ女将かな     有田 辰夫

那須岳に真向ふ父母の墓涼し       武藤 風花

遠富士を入れて浜辺の夏座敷       鈴木 ゆう子

物言へぬ嬰(ルビやや)の目ぢから夏衣  春日 春子

禅寺の鉦鼓三度や七変化         髙堀 煌士

青薄牛の背中も見えかくれ        小口 二三

父の日や似顔絵はみな無精ひげ      中川 文康

打水や三軒続く犬矢来          南後 勝

皆去りて大の字となる夏座敷       西谷 髙子

朝顔のまだ見ぬ彩を育てけり       白坂 美枝子

 

選後一滴          坂元正一郎

 

口だけが動いてをりぬサングラス    旭 登志子

 サングラスは夏の強い太陽光線から目を保護するための色付きの眼鏡。夏のアクセサリーとしても用いられている。サングラスをかけると目の動きを外部から悟られないので、普段なら視線を外すような相手でも目をそらさずにおれる。そして気分までも大胆になれるもの。重次句に「膝詰めの話にはづすサングラス」があるが、こちらはサングラスをかけて話しする人の口元に視点を絞った作品。上五・中七に憎々しげな物言いの人物が浮かんでくる。

 

炎天を来て炎天へ検針員        福島 晴海

 炎天は夏の太陽が焼けつくように座を占め、燃えあがるような熱気に充たされている空のこと。鳥さえその暑さゆえに飛ばず炎天下の大地は人通りまで減ってしまう、と歳時記にある。検針員は電力・水道・ガスなどの計量器の目盛りを調べてまわる人のこと。掲句の巧さは上五・中七のリフレーンと下五との取り合わせにある。検針の仕事を全うするべく、炎天下の家々を淡々とまわっている検針員が浮かんでくる。晴海さんの代表句とも言える佳作。

 

退院の一歩まぶしき雲の峰       金納 義之

 雲の峰は聳え立つ入道雲の威容を山並みにたとえていう。入道雲には「坂東太郎」「丹波太郎」「比叡三郎」などの愛称もある。掲句の眼目は中七の「一歩まぶしき」。長いトンネルを抜けたときなど強い日差しで一瞬眩しさを感じるときがある。入院生活が続くと太陽の強い光には目が慣れていないので、退院の日ともなるとあの入道雲は太陽光とともに眩しいのである。重次句の「峰雲や朱肉くろずむ村役場」を彷彿とする作品となった。

 

 

扉9月号


開扉集      坂元正一郎 推薦

後ろ手の子をいぶかるや羽抜鶏      旭 登志子

リフトより皆脚下げて夏の山       中野 陽典

爪音は奥よりきたり濃紫陽花       柏﨑 芳子

石積の風の戯れ蛇の衣          内田 正子

新じやがの笑くぼに匂ふ里の土      斉藤 ふさ子

銭湯の今は駄菓子屋青簾         南後 勝

巴里祭両手広げて一輪車         中野 文子

葭切や舟板塀の鉤の跡          山口 恵子

梅採つてより秘宝展見にゆけり      大貫 ミヨ

髪切つて肩のかるさや花あやめ      田中 茂子

書き取りの枡食み出せりさくらんぼ    中山 敏

レコードに針を落して新茶汲む      込山 照代

植田はやなべて葉先の風誘ふ       平野 久子

信濃路の風柔らかき柿若葉        守屋 猛

派手なものまづ当ててみて衣更      綾野 知子

少年の臑の白さや夏はじめ        福島 晴海

若竹のそよぐ五山の空青し        佐藤 啓三

水煙の金の炎や走り梅雨         田中 泰子

心天啜り言ひ訳聞き流す         野地 邦雄

雷光に影と浮かびし九十九島       髙堀 煌士

あぢさゐの毬の大小子に供ふ       堤  淳

島唄やデイゴの花の風に乗り       橋本 瑞男

大仏に見ゆる地蔵や蝸牛         内田 吉彦

破れ小屋解けて青空夕涼し        山浦 比呂美

鬼灯の一枝祠に灯を添へぬ        加藤 田鶴栄

薫風やこはごは覗く閻魔堂        宮沢 かほる

新緑や巨石巨岩の湯西川         山本 智子

風鈴屋銀座の風を添へて売り       大西 きん一

鐘楼を兼ねし山門蟻地獄         武藤 風花

サングラスはづして主婦の顔となり    白坂 美枝子


選後一滴          坂元正一郎

 

後ろ手の子をいぶかるや羽抜鶏      旭 登志子

鳥類の羽の抜けかわるのは六月頃で、多くの鳥は繁殖期の終わった夏から秋にかけて全身の羽毛が抜けかわる。羽が抜けて鳥肌を見せている姿はみすぼらしくも滑稽である。中七の「子をいぶかる」が掲句の眼目。鶏は鴉ほどではないが人に馴れる程度の知能はあると言われている。そんな鶏が子の後ろ手に何か隠し持っているのでは、などと思ったのだろうか。賢くはないと言われている羽抜鶏のしぐさに哀れを感じさせられる。

 

リフトより皆脚下げて夏の山      中野 陽典

夏の山は五月の若葉、梅雨時の青葉、炎天下の青葉と山の姿は変化するが、どれも生命力に満ちあふれたみずみずしい山となる。登山や信仰の対象となる高山の雄大な景色も夏の山ならではのものである。雪渓の残る高山や炎暑に灼ける溶岩の火山もまた夏山である。リフトは日本各地に設けられており、登山やハイキング、スキーなどには欠かせない乗り物。掲句の眼目は中七の「皆脚下げて」にある。ここがリフトに乗っている人々の姿を言い得ており、夏山の大景が浮かんでくる作品となった。

 

爪音は奥よりきたり濃紫陽花      柏﨑 芳子

長い梅雨の間をなごませてくれるのが紫陽花である。白に始まって青、紫、淡紅と変身するこの花を古人は七変化と呼び、日々に変わる彩を楽しんできた。紫陽花を詠った俳句に日ましに変わってゆく花の色や、梅雨時ということもあって雨の紫陽花が詠まれるけれど新鮮味を詠出するに苦労する。掲句の眼目は紫陽花との取合せにある。琴の音が家の奥からしたとする普段の生活の一齣ではあるが、濃紫陽花と相俟った梅雨時の情緒ある作品である。



扉8月号


主宰詠

葉桜の日の斑ゆれゐる乳母車

新さすビルの間の昼餉かな

拝殿へ玉砂利ふむや風五月

しなやかな麒麟の首や風薫る

聖橋渡つてよりの薄暑かな

老鶯のあの谷この谷露天の湯

出航にしばし間のある浜豌豆

ハンカチの花の零せる朝日かな

薔薇生くるための一輪挿しを買ふ

父と手をつなぐ児の手のカーネーション


開扉集      坂元正一郎 推薦

尼僧行く朱傘へ桜吹雪かな        守屋 猛

夏霧の髙野八峰遥拝す          久保 研

ゆつたりと彩交しけり錦鯉        旭  登志子

膨れくる波に波寄せ夏の浜        宮田 肇

初鰹安房の港に土佐訛り         中山 敏

白日の組んづ解れつ夏の蝶        大西 きん一

梵鐘の余韻ただよふ青楓         原田 敏郎

大木となりて届かぬ枇杷うるる      岩﨑 よし子

門入れば百と揺れゐる罌粟の花      久下 萬眞郎

地下バーでバーボンを飲む修司の忌    野地 邦雄

ががんぼや心許なき骨密度        中野 陽典

薫風や聖堂つなぐ聖橋          野口 晃嗣

薔薇の名を問はれて止むる箒の手     綾野 知子

陶工は土の魔術師風薫る         斉藤 ふさ子

白牡丹どんと据ゑたる備前焼       山口 恵子

青き踏む道は杣へとなだれをり      平野 久子

一杖に頼る一歩や青き踏む        内田 正子

九十九里浜の眞砂や夏に入る       田中 茂子

しなやかに赤門くぐる夏燕        魚谷 悦子

薔薇園を母にも見せに車椅子       中野 文子

母の日や子に継ぐことのまだ数多     武藤 風花

嬰児は泣くのが仕事聖五月        中川 文康

自転車の影さかさまに植田かな      加藤 田鶴栄

門前のひすがら繁し甘酒屋        橋本 瑞男

たんぽぽのわた吹く笑顔下校の児     重原 智子

初夏の廟にゆるりと太極拳        内田 吉彦

富士遠く樹海の滾る青嵐         南後 勝

青麦や走り穂見せて風わたる       西谷 髙子

懸葵右へ左へ牛まかせ          山田 留美子

卯浪寄せ漂ふ如き能古の島        進藤 かおる



選後一滴  坂元正一郎

尼僧行く朱傘へ桜吹雪かな       守屋 猛

善光寺の住職は善光寺大勧進という寺の貫主と善光寺大本願という寺の尼公上人(女性)の二人の住職が務めている。春先の時候の良いころに寺院で厨子を開いて中の秘仏を信徒に拝ませることを開帳というが、今年は善光寺で七年に一度と言われる秘仏である御本尊の御身代わり 「前立本尊」を本堂にお迎えして行う御開帳が行われた。掲句はそのときの尼僧が善光寺本堂へ向かわれる情景を詠まれた作品。尼僧の「朱傘」と「桜吹雪」との色の対比が印象深い作品となった。

 

夏霧の髙野八峰遥拝す         久保 研

高野山は和歌山県北東部の今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山の八葉の峰と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の地域を指す。ここは空海が修行の場として開いた高野山真言宗の総本山金剛峯寺があり、比叡山と並び日本仏教の聖地となっている。霧は単に霧というと秋季であるが、高山や高原、海浜などでは夏に発生することが多い。信仰の対象としての高野八峰が夏霧につつまれて神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

ゆつたりと彩交しけり錦鯉       旭  登志子

緋鯉は熱帯魚や金魚のように涼を呼ぶ観賞魚であることから夏季の季題とされている。この緋鯉をもとにして他の品種と交配してできたものが錦鯉である。錦鯉発祥の地は先の中越地震で甚大な被害を受けた新潟の旧山古志村であり、育てられた錦鯉は国内外に出荷されている。掲句の眼目は中七の「彩交しけり」。庭園の澄み渡った池を優雅に泳ぐ錦鯉の情景が浮かぶ涼感たっぷりな作品である。

扉7月号


主宰詠

朧なる島へと向ふ渡船かな

出港にしばし間のある浜豌豆

花弁はどれも捩れてシクラメン

夜桜の下枝をあふり救急車

嫁取りのはづむ話や桜餅

水の面の眼ぬれたる蛙かな

鎌倉や竹の秋なる報国寺

武蔵野の空の透けゐる辛夷かな

文机の玩具の傷や春愁

教頭が世話する畑や葱坊主



開扉集      坂元正一郎 推薦

いつまでも通天閣にある遅日       井村 隆信

濡れそぼつ関守石や花馬酔木       渋谷 伊佐尾

改憲はどうのかうのと柏餅        宮田 肇

一行に一刻つかふ目借時         桐山 正敏

わが影の流れに沿うて春の蝶       野地 邦雄

少年の四肢のびやかに植樹祭       金納 義之

青空へこぞつてひらく白木蓮       平野 久子

いま一つ葉裏に隠れ藪椿         加藤 田鶴栄

花懐に天拝山は空へ峙す         溝口 昇

しづけさは桜を洩るる月明り       有田 桜樹

芥子餅を懐紙にのせて利休の忌      中野 陽典

還暦にあと一年や花は葉に        野口 晃

春雷や憂ひ顔なるブルドッグ       綾野 知子

風の指揮謳つてゐたるチューリップ    金子 京子

しばらくは花の中ゆく屋形舟       旭  登志子

世辞のなき紺の脚絆や植木市       佐藤 啓三

辛夷咲く畑でほほばるにぎり飯      石井 秀樹

囀りに応へぼんぼん時計かな       大貫 ミヨ

こぼれ湯の音高くして就職す       内田 正子

一年生送りし親を振り向かず       重原 智子

桃咲いて孫の連れ来る婚約者       堤  淳

芝庭の老のコーラス薔薇の風       山口 恵子

車椅子くるま座にして花見かな      小口 二三

校門へつづく並木や花万朶        村山 トシ

芽柳の触れむばかりに千曲川       松下 弘良

大峰も吉野も花の雨の中         南後 勝

踏切に母の見送る四月かな        大西 きん一

種袋忘れしままの小引出し        中野 文子

誰も来ぬ人を待ちをる葱坊主       宮沢 とも子

回向柱へ人ごみ縫うて花曇        島田 みどり


選後一滴          坂元正一郎

いつまでも通天閣にある遅日      井村 隆信

日永は春の季語で昼間の時間の長いことを言う。春分を過ぎると夜よりも昼の時間が長くなり始める。実際に最も昼が長いのは夏至の前後であるが、冬の短日の後の春だから日が長くなったということが強く感じられる。この時節は何となくゆとりもでき気持ちものびやかになる。遅日は日永の副題。通天閣はご存知のとおり大阪市浪速区にある歓楽街「新世界」の中心部に建つ展望塔。ここは戦前からある繁華街で昭和の空気を残しているところと言われる。掲句の眼目は上五・中七と下五の「遅日」との取合せにあり、明るい雰囲気の通天閣界隈を彷彿とする作品である。

 

濡れそぼつ関守石や花馬酔木      渋谷 伊佐尾

関守石は茶庭の飛び石の岐路に棕櫚縄などで十文字に結わえて据えられた石のこと。茶道の作法においてそれから先への出入りが止められている。馬酔木は山地に自生する常緑樹で庭木として栽培され春に白色の壺状の花を開き房のように垂れる。牛馬が食すると痺れて酔ったようになることからこの名がある。下五との取合せにより茶室と茶庭周辺の落ち着いた雰囲気が醸し出されている。

 

改憲はどうのかうのと柏餅        宮田 肇

日本を取り巻く国際情勢の変化もあってか、安保法制を中心とした憲法改正論議がマスコミを賑わしている。柏餅はそのカシワの葉の新芽が育つまで古い葉が落ちないことから、子孫繁栄という縁起をかついで端午の節句の供物とする習慣が古くからある。改憲論議はこれからの日本に係わる大事な問題であるが、一方の柏餅も長きにわたって人々が育んできた大切な食文化の一つ。掲句の佳さは時事と柏餅との取合せにあり味わい深い作品となった。

扉6月号


主宰詠

尼寺の椿落ちたる静寂かな

春めくや女ばかりのちんどん屋

鳥帰る暇もてあます理髪店

朝市に目刺の焼ける安房郡

小雀や甍をきそふ漁師町

風光るマスト混み合ふ船溜り

苗札の花咲くごとく貸農園

春泥に傘もて描く下校の児

春潮の風に吹かれて浜離宮

萩焼の切り高台や重次の忌


開扉集     坂元正一郎 推薦

古書街を一まはりする西行忌            井村 隆信

母と子の声をつないで土筆摘む      宮田 肇

浅間嶺へ一直線やつばくらめ       渋谷 伊佐尾

大利根の水匂はせて春の雨        田中 泰子

友の墓撫づる摩るや初桜         中野 陽典

沐浴の嬰にゑくぼや春動く        柏﨑 芳子

人の背なの日溜り猫柳         有田 桜樹

花衣脱げば一片こぼれけり        福島 晴海

有明の月を湖上に白鳥帰す        守屋 猛

二つ三つ牡丹餅食うて大石忌       野地 邦雄

赤レンガ灯る運河の朧かな        佐藤 啓三

竹笊や洗ひ蜆の黒光り          神阪 誠

新古本セールのワゴン霾曇り       綾野 知子

墨堤に母の贔気の桜餅          内田 正子

ふりむけば見送る母のかげろへり     中山 敏

こつそりと絵馬掛けて来し大試験     旭 登志子

飛梅の盛り檜皮の空蒼し         溝口 昇

ふる里の去年の軒端に初燕        平野 久子

病まふ妻鼾おほどか山笑ふ        山口 義清

啓蟄や芝生啄む雀たち          山口 恵子

啓蟄や杖をたよりにクラス会       堤  淳

大寺にいとも小さき花御堂        加藤 田鶴栄

踏青や知らず知らずに奥社まで      大西 きん一

シーサーの欠けたる耳やおぼろ月     中川 文康

春泥の跳ね乾きたる托鉢僧        内田 吉彦

薄暗き椿の林抜けて海          中野 文子

背を丸め釣糸たるる日永かな       西谷 髙子

コーラスの余韻にひたる春の雨      宮沢 かほる

一言を添えて配食桜餅          宮澤 清司

水仙の芽吹きし処日の溜る        武藤 風花


選後一滴  坂元正一郎

古書街を一まはりする西行忌      井村 隆信

西行忌は平安時代から鎌倉時代にかけての歌人西行の忌日で陰暦二月十五日。鳥羽上皇に仕えた北面武士であったが二十三歳のときに出家。出家後は心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出た。その旅の範囲は東北から九州にも及ぶとされている。掲句の面白さは上五、中七と西行忌との取合せにある。中七の「一まわりする」が西行の諸国を巡っての旅とも重なり、芭蕉も敬愛したとされる西行の足跡が偲ばれる作品となりました。

 

母と子の声をつないで土筆摘む      宮田 肇

土筆は杉菜の地下茎から出る胞子茎で花にあたるもの。

日当たりの良い畦や土手、野原などに筆のような形の頭を持って群がって生えてくる。蓬や蕨などとともに春の摘草として人気があり、若くみずみずしいうちに摘み食されてきた。掲句の要は中七の「声をつないで」にあり、家族の会話がすぐそこに聞こえて来るようである。穏やかな春の日差しに仄々とした雰囲気の土筆摘みの情景が浮かぶ作品。

 

浅間嶺へ一直線やつばくらめ      渋谷 伊佐尾

浅間山は長野・群馬両県にまたがる活火山。斜面は酪農や高冷地野菜栽培に利用され、南麓には避暑地として名高い軽井沢高原が開けている。信濃国の歌枕として古くから多くの俳人にも詠われてきた。掲句の眼目は燕の飛翔する姿を上五・中七の「浅間嶺へ一直線や」としたところにある。浅間山と燕の飛ぶ姿を提示しただけの句ではあるが、読者の想像は大きく膨らみ浅間山を中心とした一帯の大景が眼前に浮かんでくる作品。



扉5月号


主宰詠

地方紙につつんで貰ふ菠薐草

先客の残し呉れたる蕗の薹

下萌や園児を放つ大牧場

貝殻を波の捉へる余寒かな

春立つや納屋をはみだす耕耘機

青銅の門扉へ実る八朔柑

岩礁に浪のつまづく実朝忌

一合の枡をこぼるる白魚かな

寺町をめぐる力車や梅日和

鳥帰る手持ち無沙汰な理髪店


開扉集      坂元正一郎 推薦

開扉集      坂元正一郎 推薦

信濃路に防人の歌碑燕来る        渋谷 伊佐尾

啓蟄の空ときほぐす寄席太鼓       有田 桜樹

大利根の蛇行煌めく寒の明け       宮田 肇

群れ離れひたすら潜く鳰         守屋 猛

春立つや紫雲たなびく法の山       井村 隆信

雉鳴くや昼なほ暗き農具小屋       大貫 ミヨ

思ひ出は瀬音の水の温むころ       平野 久子

こゝだけの話あやふし春炬燵       斉藤 ふさ子

片栗の花百畳の小塩山          久下 萬眞郎

手にほのと餅のぬくみや探梅行      山本 宏

おぼろかに浮かぶ駿河湾の春の富士 野地 邦雄

旅行誌に溢るる花や余寒なほ           金子 京子

さきがけていつもの土手に福寿草     込山 照代

豆撒や手描きの面の鬼の笑み       福島 晴海

梅林に響く口上油売り          綾野 知子

まばたけばまたたき返す春の星      中山 敏

太白に梢の届く野梅かな         南後 勝

薄氷を踏む音しきり登校児        重原 智子

陽に解けて日蔭に氷る坂の道       春日 春子

春の雲山の起伏に從はず         武藤 風化

縁請ふ絵馬も混りて梅香る        加藤 田鶴栄

浮御堂雪解雫のしきりなる        原田 敏郎

名画座の門灯ともる薶ぐもり       大西 きん一

ちんまりと一人の老婆春炬燵       有田 辰夫

通学路すでにちりぢり春氷        山口 義清

折詰の赤紐といて初句会         西谷 髙子

洞窟の奥まで舐めて春の潮        内田 吉彦

凍返る弾痕著き根来寺          金納 義之

道の駅はうれん草に顔写真        中川 文康

月光に影くつきりと冬木立        宮沢 かほる


選後一滴          坂元正一郎

信濃路に防人の歌碑燕来る       渋谷 伊佐尾

信濃国府が上田にあった時代にこの近辺から防人に徴兵された人々は信濃路を経て九州に向かったとされる。そこには万葉歌碑があり防人として旅立つ夫を見送る歌が刻まれている。 防人は旅費も現地での生活も全て自給自足が強いられ、赴任や帰任の途中に餓死する者も多く防人への旅はまさに命懸けの旅路であった。燕は春の彼岸ごろ来て民家の軒や土間の梁などに巣をかけ子育てをし秋の彼岸ごろ南へ帰る。掲句の燕が死出の旅路に帰らぬ人となった防人の生まれ変わりとも取れて妙な作品となった。

 

啓蟄の空ときほぐす寄席太鼓      有田 桜樹

啓蟄は二十四節気の一つで三月五日ごろにあたる。 土中に冬眠していた蟻・蛇・蜥蜴・蛙など春暖の候になって穴を出ることをいう。寄席太鼓には開場の時に叩く一番太鼓と 開演の前にこれから寄席が始まるという合図に叩く二番太鼓などがあると聞く。掲句の眼目は中七の「空ときほぐす」。啓蟄という季語のもつ情趣と相俟って春の躍動感や開放感ある雰囲気の演芸場が太鼓の音とともに浮かんでくる作品となった。

 

大利根の蛇行煌めく寒の明け      宮田 肇

利根川は新潟と群馬の県境に発源し銚子市で太平洋に注ぐ日本最大の河川。立春をもって小寒・大寒と続いた三十日間の寒が明ける。立春も寒明も同じ日であるが立春には春の息吹を感じさせる響きがある。一方、寒明には長く厳しい季節に区切りを付けつつも寒の余韻がある。掲句の眼目は中七の「蛇行煌めく」。寒明の冬から春へと季節の移ろう利根川の大景を写し取った写生句。下五の「寒の明け」に川面の煌めきにも心しか明るさが伝わってくる。




『俳句界』4月号からの転載

扉4月号


主宰詠

お捻りを口にもろうて獅子頭

秘湯への峡の深さや深雪晴

一トくねりしては近寄る寒の鯉

大感の足もて漁る小鷺かな

家苞に掴んで貰う寒蜆

仕舞屋の甍を濡らす寒の月

陽を背に大白鳥のまどろめり

声散らす朝の雀や春隣

ペン胼胝の消えて久しき四温かな

投稿の日脚伸びたるポストかな


開扉集  坂元正一郎 推薦

つく羽子を空に返してにぎにぎし     田中 茂子

桟橋は島の玄関初荷船          旭  登志子

雪道に先手の碁石マンホール       杉山 俊彦

初場所や街動き出す寄せ太鼓       宮田 肇

初句会雪の六甲よく晴れて        井村 隆信

笠雲は動く天蓋山眠る          有田 桜樹

学舎へ一本通す雪を掻く         渋谷 伊佐尾

猿廻し口上瀬戸の浪に消え        溝口 昇

凧揚の天を分かちて兄弟         柏﨑 芳子

大方はマスクの患者受診待つ       井口 幸朗

鄙びたる氏神様へ初詣          内田 正子

手斧始め木遣昂ぶる那須郡        大貫 ミヨ

肩車されて破魔矢の鈴鳴らす       綾野 知子

寡黙なる猫に誘はれ日向ぼこ       佐藤 啓三

畏める杜より出づる嫁が君        野地 邦雄

寒の水豆腐の角を引き締めり       中山 敏

推敲を重ねかさねて夜のこたつ      平野 久子

庭の柚子浮かせ一人の冬至風呂      堤  淳

風ごとに炎の裏返るどんど焼       南後 勝

寒の入り厨狭しと鍋の音         村山 トシ

法燈のゆらぐ御堂の余寒かな       加藤 田鶴栄

梅咲くや今年も来たる村芝居       中野 文子

海峡に船笛あふれ年来る         大西 きん一

二人居や黙してすする薺粥        宮澤 清司

目覚め急く風が擽る冬木の芽       山口 義清

よく透る声や四温の放ち鶏        武藤 風化

山際に燃えて目をさす冬落暉           春日 春子

裸木に抱かれてをりぬ一つ星       宮沢 かほる

一幅の掛軸替へて去年今年        内田 吉彦

叶ひしも叶はぬ札もどんど焼き      原田 敏郎 



選後一滴  坂元正一郎

つく羽子を空に返してにぎにぎし    田中 茂子

日本には古くから新春の遊戯として羽子板で羽子を突く遊びがある。遊び方は一つの羽子をつき上げては互いに送りあい競いあう方法の追羽子と一人で突く揚羽子がある。いずれも羽子を地面に落とさないようにするのがルール。掲句の眼目は、追羽子の羽子を互いに突き合っているあの情景を中七の「空に返して」としたところにある。下五の「にぎにぎし」と相俟って追羽子の雰囲気を巧く詠出した作品である。

 

桟橋は島の玄関初荷船         旭  登志子

日本は大小多くの島々から成っており、人の住む島だけでも四百余もあると言われている。その島で暮らす人々にとって大切なものが本土と島を結ぶ連絡船。人や物資を安価で大量に運ぶためにはこの連絡船が欠かせない。掲句の巧いところは桟橋を島の玄関口と見立てた上五・中七にある。港らしい港もなく岸壁から連絡船へ渡す桟橋が唯一島の玄関口となるのである。心待ちに待っていた初荷満載の連絡船を大勢で出迎えている情景が浮かんでくる。

 

雪道に先手の碁石マンホール      杉山 俊彦

マンホールは下水道などの管路の途中に設けられた作業点検用の出入り口で丸い鉄蓋が付いている。マンホールが下水道の場合には管を流れる下水は井戸水と同じように一年を通じて温度変化が少なく雪の朝などにはマンホールから湯気が立つほどである。掲句の面白さは、雪道のマンホール蓋の雪が溶け黒く浮き立っている情景を碁石に見立てたところにある。囲碁の先手が持つとされる黒の碁石をマンホール蓋と重ねた愉快な作品となりました。

 

扉3月号

 

主宰詠

ある時はこまごま綴り古日記

復興のつもる話や牡蠣すする

朝霜や温みほのかに茹で卵

摩天楼より繰り出して忘年会

幹事役とけし二次会燗熱う

銃声の谺返しに枯木山

クリスマスリースを掛けて喫茶店

ふるさとへ靡く線路の枯れすすき

寒禽の声尖らせて日本海

着ぶくれの改札通るチェロケース

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

よみあげてそろばんの鳴る冬銀河     中山 敏

降る雪の五色に染まり中華街       有田 桜樹

ポインセチア声あげ笑ふ女客       宮田 肇

一服の手馴れの茶碗年惜しむ       渋谷 伊佐尾

初雪や大きな窓の珈琲館         井村 隆信

木枯に奔るホームの新聞紙        平野 久子

恙なき事の一年日記果つ         内田 正子

歌垣の筑波の野面からつ風        斉藤 ふさ子

湯豆腐や利尻は火山島と聞く       山口 義清

日向ぼこ寄り来て坐る影法師       武藤 風花

二つ三つ爆ぜて炭火の落ち着けり     中川 文康

熟睡の妻冬蜂も多事多難         野地 邦雄

車椅子チャペルへ急ぐ降誕祭       田中 泰子

鳥跡の三つ四つ雪の金閣寺        久保 研

放たれし馬の嘶き冬銀河         石井 秀樹

マスクして目線を低く打聴診       中野 陽典

新顔もほどなく和み鍋料理        岩﨑 よし子

群鳥の白さ眩しき冬の凪         綾野 知子

蓮の骨刺さる水面の空碧し        佐藤 啓三

出勤の家出る一歩息白し         旭  登志子

寒柝の帰り待ちつつ針仕事        山田 留美子

領巾振山鵯の絶叫谺する         山浦 比呂美

リビングに神仏まつり冬籠        宮沢 とも子

先生に身振り手振りのマスクの子     豊田 和沖

柚子一つ足して長湯となりにけり     加藤 田鶴栄

歌舞伎はね連れだつ銀座冬はじめ     西谷 髙子

伝へ聞く昔ばなしや冬ごもり       中野 文子

子供らの足の戯れ合ふ炬燵かな      村山 トシ

冬天に背伸びしてゐる電波塔       松下 弘良

寒柝や青き目の女性(ルビひと)殿に   井口 実

 

 

選後一滴          坂元正一郎

よみあげてそろばんの鳴る冬銀河     中山 敏

電卓やパソコンが算盤に取って代わって久しい。算盤は計算力の訓練ではあるけれど、レベルアップを図るプロセスで忍耐力や集中力の鍛錬にもなるとされ、今でも小学校では義務教育の一環として算盤を教えていると聞く。算盤と言えば小学校時代のことを思い起こす方も多いと思います。「冬銀河」は冬の夜空に冴え冴えと架かる天の川のこと。掲句の算盤はとある町の算盤教室のことでしょうか。算盤を弾くあの音が冬銀河と何処かで響き合っており、読み手の郷愁をも誘う作品となった。

 

降る雪の五色に染まり中華街      有田 桜樹

中華街と言うと横浜、神戸、長崎にある中華街が日本における三大中華街とされ、地元を代表する観光スポットとして賑わいをみせている。皆さん御存じのとおり光の三原色は赤・緑・青と言われ、色を混ぜ合わせると色々な色彩が生まれます。夜の中華街も色々な明かりが混ざり合って、色彩豊かな街並みを目にすることができます。掲句の要は中七の「五色に染まり」の措辞にあり、中華街の雪の風情を言い得ていると思います。人で賑わうあの横浜中華街を彷彿とする新鮮味ある作品です。

 

ポインセチア声あげ笑ふ女客      宮田 肇

 

ポインセチアは赤と緑のコントラストの美しい観葉植物で、クリスマスシーズンの定番として街角を彩る。口をとじたまま声を出さずに笑うことを含み笑いと言いますが、往々にして嘘くささを感じるものです。声を出した笑い方なら喜びが耳でも確認でき、相手も自然と楽しい気分になるものです。掲句は中七・下五がポインセチアと何処かで響き合って、読み手の想像力をくすぐる楽しい作品となりました。

 

扉2月号

 

主宰詠

池の面へ枝ださしのべて帰り花

陽をちらし落葉の雨の大銀杏

落葉踏む音のゆきかふ山路かな

木がらしの抜け道ありて縄のれん

短日のはやばや灯す酒場かな

露天湯の下駄の混み合ふ初時雨

参道の隅まで掃いて神迎

腹照らす陶の狸や小六月

蒼空の透けてゐるなり冬紅葉

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

短日やビル街はやも灯の柱        内田 正子

薬喰ひ山とつぷりと暮れにけり      井村 隆信

一葉また陽を裏返す朴落葉        有田 桜樹

二階には二階の暮し根深汁        旭  登志子

茎石の重ねどころを探しけり       杉山 俊彦

威勢よく高値で競られずわい蟹      宮田 肇

掴み出すキムチの香り冬はじめ      三木 康正

烏瓜灯して杣の道しるべ         平野 久子

一瞥の盲導犬や今朝の冬         渋谷 伊佐尾

芒原褥に伏すや寝観音          岩﨑 よし子

強面の身の上話濁り酒          綾野 知子

花石蕗や母の新車の車椅子        野口 晃嗣

波うくるたびに固まり鴨の陣       中山 敏

大根の首を晒して畑暮るる        石井 秀樹

黄昏に犬の遠吠え冬に入る        福島 晴海

手締してかつこむ福や一の酉       佐藤 啓三

背をかがめ裾縫ふ祖母や七五三      野地 邦雄

小夜時雨街の明りも滲みがち       村山 トシ

白菜を漬くる重石の丸さかな       松下 弘良

熱燗や相好崩す鳶仲間          有田 辰夫

庭の木の朝日に逢へり初紅葉       山口 恵子

客送る背にしばしの木の実雨       吉井 博子

吊橋のゆるき弛みや山眠る        武藤 風化

いくたびも湖の色変へ比良しぐれ     原田 敏郎

枯蓮や池に出来たる幾何模様       中野 文子

熱気球次々と起ち鰯雲          大西 きん一

初冬の阿蘇の牧場や秣刈り        南後 勝

鵙なくや壬生の鴨居の刀傷        金納 義之

はてしなく潮引く海や冬の晴       山浦 比呂美

冬に入る仁王の素足指反りて       中川 文康

 

選後一滴          坂元正一郎

短日やビル街はやも灯の柱       内田 正子

かつて東京句会で「残業の灯を積み上げてビルの街」と言う句があった。両方とも高層ビルに点った灯をそれぞれの視点で詠われており妙である。掲句の眼目は下五にあり、灯の点った高層ビルを「灯の柱」と見立てた感性は素晴らしい。日暮れの早い冬場の高層ビルの窓は欠けるところなく灯り、「灯の柱」と言う措辞に共感を覚える。灯の点ったビルで働く人や街を歩く人々へも鑑賞の向かう作品である。

 

薬喰ひ山とつぷりと暮れにけり     井村 隆信

薬喰は冬に体力をつけるため鹿・猪・兎などの肉を食べること。広義には獣肉や魚類に限らず寒中に滋養となるものを食べること、と歳時記にある。俳句は省略の文芸とも言われ、「薬喰」と「山とっぷりと暮れにけり」とだけ提示し、後は読み手の想像に委ねるとした掲句も省略の効いた作品となった。すっかり暮れた山深い料理屋での猪鍋や地酒などを囲む情景へと読者の想像は膨らむ。

 

二階には二階の暮し根深汁       旭  登志子

根深汁は葱のぶつ切りを実にした味噌汁のこと。葱は冬が最も美味いと言われ、葱の成分が解熱や発汗を促すことから風邪の多い季節に好まれる。掲句の上五、中七には二世代同居の暮しが浮かんでくる。一階は主に息子さん家族の暮しがあり、二階では作者が主に過ごしていらっしゃる。世代が異なると食の好みも自ずと合わないところが有るもの。下五「根深汁」との取合せにより、世代間の適度な距離をとった暖かな雰囲気の暮らし振りが想像される。

 

 

扉1月号

 

主宰詠

 

ゆらぎつつ芯の定まる木の実独楽

空稲架をとくや棚田の老夫婦

四阿はことに日のさし破れ蓮

水門をあけて墨田の鯊日和

茶屋からの姿ととのへ松手入

蜜柑山照るや港に魚を干し

ひとしきり鳴いて連れ立つ小鳥かな

相輪の金をしるべに鳥渡る

湯の宿は山のふところ照紅葉

裏庭に鳥の来てゐる実南天

 


開扉集      坂元正一郎 推薦

大花野一会の人に径問うて        平野 久子

海峡をつないで余る鰯雲         有田 桜樹

ダンディーは帽子につけて赤い羽根    斉藤 ふさ子

旅立ちの風は選ばず草の絮        旭  登志子

秋麗やみな面長な飛鳥仏         加藤 田鶴栄

シーソーの静まるつるべ落としかな    山田 留美子

うすくちの醤油の里や赤とんぼ      髙堀 煌士

鼻眼鏡あと一針の夜なべかな       西谷 髙子

骨密度テントで測る体育の日       綾野 知子

べつたら市糀の匂ふお釣りかな      中山 敏

いわし雲母が供養の塔二つ        井村 隆信

呼込みに一口もらふ新走り        魚谷 悦子

紅ひいて大人の口調秋祭         三木 康正

襟元の匂ふ濡場の菊人形         宮田 肇

秋すだれ西陣織の織の音         内田 正子

ぐづる子にあの手この手の猫じやらし   込山 照代

葉身に座していちじく色づけり      堀江 良人

他人事と風受け流し破れ蓮        福島 晴海

気丈夫な母の手紙や椿の実        野地 邦雄

コスモスの風に分け入り画架据うる    守屋 猛

売られゆく牛に離れぬ秋の蝶       武藤 風花

蔓引けば山ごと付いて烏瓜        中野 文子

蒼穹へ百の飛礫の稲雀          山口 義清

柿たわわ峡は何処も坂がかり       宮澤 英子

言はでもの妻の小言や秋の風       金納 義之

薄雲にはんなりと居る居待月       春日 春子

朝寒や鏡の中の眉をひく         堤  淳

こともなき凡夫の一日芋を焼く      南後 勝

校庭をはみだす声や天髙し        白坂 美枝子

金襴の法衣を拝む菊日和         山浦 比呂美

 

選後一滴          坂元正一郎

 

大花野一会の人に径問うて       平野 久子

秋の草花が色とりどりに咲き乱れる広々とした野のことを花野と言う。華やかさとともにどこか淋しさをも感じさせる。一期一会と言う言葉があるけれど、中七の「一会」について辞書に当たると、「一たび会うこと」とある。掲句の眼目は中七の「一会の人」にあり、大花野で初めて出会った人に径を訪ねたとする作者の不安げな心情と、「花野」と言う季語のもつ情趣とが相俟って趣深い作品となった。

 

海峡をつないで余る鰯雲        有田 桜樹

桜樹さんは北九州のご出身とお聞きする。そこには本州と九州とを隔てる関門海峡がある。掲句の巧さは中七の「つないで余る」にあり、遠くに望む海峡とそこに広がる広大な鰯雲の大景が浮かんでくる。関門海峡には長さ千メートルを超える大きな吊橋が架かっており、白い航跡とともに橋の下を航行する貨物船などにも想像が膨らむ。

 

ダンディーは帽子につけて赤い羽根   斉藤 ふさ子

赤い羽根共同募金は毎年十月一日から十二月三十一日の間に行われる。募金に協力するとその証として赤い羽根がもらえる。募金開始の初日の十月一日はテレビのニュース番組などでアナウンサーが上着の襟に赤い羽根を付けて出演するのを目にするもの。このように赤い羽根は上着の襟に付けることが多い。掲句の面白さは上五・中七にあり、赤い羽根を帽子に何気なく付けたダンディーな紳士の姿が浮かんでくる。この手の作品としては新鮮さも感じられる。

 

 

扉12月号

 

主宰詠

諍ひの羽音からめて鬼やんま

改札を出ててたちまち虫時雨

ワイパーをさつと拭きたる夜露かな

後退りしつつ目を剥くいぼむしり

秋の蚊を風のつれさる墓苑かな

潮風に煙草くゆらせ流れ星

口元を濡らしてすする水蜜桃

知床の海をはるかに秋刀魚焼く

是からは寺領となりて竹の春

爽やかや練馬の空に星生るる(祝句会発足)

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

大花野一会の人に径問うて        平野 久子

海峡をつないで余る鰯雲         有田 桜樹

ダンディーは帽子につけて赤い羽根    斉藤 ふさ子

旅立ちの風は選ばず草の絮        旭  登志子

秋麗やみな面長な飛鳥仏         加藤 田鶴栄

シーソーの静まるつるべ落としかな    山田 留美子

うすくちの醤油の里や赤とんぼ      髙堀 煌士

鼻眼鏡あと一針の夜なべかな       西谷 髙子

骨密度テントで測る体育の日       綾野 知子

べつたら市糀の匂ふお釣りかな      中山 敏

いわし雲母が供養の塔二つ        井村 隆信

呼込みに一口もらふ新走り        魚谷 悦子

紅ひいて大人の口調秋祭         三木 康正

襟元の匂ふ濡場の菊人形         宮田 肇

秋すだれ西陣織の織の音         内田 正子

ぐづる子にあの手この手の猫じやらし   込山 照代

葉身に座していちじく色づけり      堀江 良人

他人事と風受け流し破れ蓮        福島 晴海

気丈夫な母の手紙や椿の実        野地 邦雄

コスモスの風に分け入り画架据うる    守屋 猛

売られゆく牛に離れぬ秋の蝶       武藤 風花

蔓引けば山ごと付いて烏瓜        中野 文子

蒼穹へ百の飛礫の稲雀          山口 義清

柿たわわ峡は何処も坂がかり       宮澤 英子

言はでもの妻の小言や秋の風       金納 義之

薄雲にはんなりと居る居待月       春日 春子

朝寒や鏡の中の眉をひく         堤  淳

こともなき凡夫の一日芋を焼く      南後 勝

校庭をはみだす声や天髙し        白坂 美枝子

金襴の法衣を拝む菊日和         山浦 比呂美

 

 

選後一滴          坂元正一郎 

大花野一会の人に径問うて       平野 久子

秋の草花が色とりどりに咲き乱れる広々とした野のことを花野と言う。華やかさとともにどこか淋しさをも感じさせる。一期一会と言う言葉があるけれど、中七の「一会」について辞書に当たると、「一たび会うこと」とある。掲句の眼目は中七の「一会の人」にあり、大花野で初めて出会った人に径を訪ねたとする作者の不安げな心情と、「花野」と言う季語のもつ情趣とが相俟って趣深い作品となった。

 

海峡をつないで余る鰯雲        有田 桜樹

桜樹さんは北九州のご出身とお聞きする。そこには本州と九州とを隔てる関門海峡がある。掲句の巧さは中七の「つないで余る」にあり、遠くに望む海峡とそこに広がる広大な鰯雲の大景が浮かんでくる。関門海峡には長さ千メートルを超える大きな吊橋が架かっており、白い航跡とともに橋の下を航行する貨物船などにも想像が膨らむ。

 

ダンディーは帽子につけて赤い羽根   斉藤 ふさ子

赤い羽根共同募金は毎年十月一日から十二月三十一日の間に行われる。募金に協力するとその証として赤い羽根がもらえる。募金開始の初日の十月一日はテレビのニュース番組などでアナウンサーが上着の襟に赤い羽根を付けて出演するのを目にするもの。このように赤い羽根は上着の襟に付けることが多い。掲句の面白さは上五・中七にあり、赤い羽根を帽子に何気なく付けたダンディーな紳士の姿が浮かんでくる。この手の作品としては新鮮さも感じられる。

 

旅立ちの風は選ばず草の絮       旭  登志子

「草の絮」は秋の草から出る穂のことで、歳時記では「草の穂」に分類されている。草の絮は吹く風を選べず風の成すまま飛んで行き、他の地に落下して種族を増やしていく。掲句の眼目は中七の「風は選ばず」にある。風には強弱があり、絮を運ぶ風とそうでない風もあることから「風を選んで」とすることもあり得る。が、あの次々と吹かれて飛んで行く絮の詠出にはやはり「風は選ばず」である。飛ぶ先々に大海原などの奈落も待ち受けていることを知ってか知らずか、ときが来れば風を選ばず飛んで行く草の絮の姿に詩情がわいてくる。

 

秋麗やみな面長な飛鳥仏        加藤 田鶴栄

これまで仏像の顔立ちに関する印象は、どれも丸みを帯びた柔和な表情をしているものぐらいでしかなかった。ところが、とある文献によると仏像の造られた時代によって顔形が微妙に異なっていることが記されている。飛鳥時代は面長・奈良前期は丸みを帯びた短い面長・奈良後期になるとふっくらとした丸形という風に時代の変遷で少しずつ顔の形が変化していると言われている。掲句の眼目は中七の「みな面長な」とした断定と季語「秋麗」との取合せにある。安居院の釈迦如来や法隆寺の薬師如来などの仏像を彷彿とする作品となった。

 

シーソーの静まるつるべ落としかな   山田 留美子

シーソーは長い板の中央を支点にして、その両端に人が乗り交互に上下する遊具のこと。掲句の眼目は中七から下五にかけての詠出にある。シーソー遊びの子供たちも家に帰る時刻となったのか、夕暮れと供にいつの間にか辺りが静かになった。このような情景を「静まるつるべ落としかな」とした淀みない詠出は絶妙である。また、三ヶ所の「し」音の繰り返しが句の調べを整えている。

 

うすくちの醤油の里や赤とんぼ     髙堀 煌士

醤油は日本古来の調味料の一つ。色々な料理に使われる馴染の深いものである。掲句の眼目は「醤油の里」と「赤とんぼ」との取合せにある。どこか醤油の醸造所でも訪れたのだろうか。赤とんぼには日本人の郷愁を誘うところがあり、上五・中七と相俟ってほっとした安らぎさえも感じさせられる作品である。また、色彩的に醤油の色と赤とんぼの色とが重なるところもあって趣深いものがある。

 

鼻眼鏡あと一針の夜なべかな      西谷 髙子

 

「夜なべ」は秋から冬にかけての夜長の時期に、昼間にできなかった仕事の続きをすること。掲句の夜なべには編物や裁縫などの夜なべ仕事が浮かんでくる。鼻眼鏡は眼鏡がずり落ちて鼻先の方にかかっていること。また、そのように眼鏡をかけることを言う。掲句の眼目は中七の「あと一針の」としたところと、「鼻眼鏡」と「夜なべ」とを取合せたところにある。鼻眼鏡が夜なべ情景を演出する小道具的な役割を発揮し、ドラマのワンシーンを想起する味わい深い作品である。

扉11月号


主宰詠

琉球へたどる海路や敗戦日

横町の暗きに燃ゆる門火かな

順々に灯せば廻る走馬燈

本尊へまづ焼香の墓参り

蔓先は風にもふれて牽牛花

木の瘤を抱いてはなさぬ秋の蟬

両膝に西瓜抱へて優先席

川底を雑魚のぎらつく残暑かな

かなかなの声と暮れゆく深大寺

火の酒を口にころがし涼新た(悼小川誠二郎氏)


開扉集      坂元正一郎 推薦

ジャンボ機の雲の峰より現はるる     井村 隆信

燈のやがて寄り添ひ沖照らす      宮田 肇

恋なつて空へ螺旋の銀やんま       有田 桜樹

無造作に西瓜叩かれ朝の市        田中 茂子

開け放つ部屋を探るや鬼やんま      内田 正子

巡礼の道の果てなる星月夜(悼小川誠二郎氏) 野地 邦雄

一人居の世事にはうとし秋すだれ     旭  登志子

朝顔の絡む格子やもんじや焼く      石井 秀樹

寄席はねて門前町の一夜酒        三木 康正

故郷の遠き空へと赤とんぼ        久保 研

源流は五木の里か舟涼し         溝口 昇

気がかりを一つ済ませて冷し酒      岩﨑 よし子

雲の峰豆腐はいつも水の底        中山 敏

迎ふるも送るも驛の蟬時雨        野口 晃嗣

旅に来て峠の茶屋に走りそば       平野 久子

小流へ鎌の研ぎ汁赤のまま        山口 義清

野分晴れ白き灯台なほ白く        中川 文康

真黒な印度カレーや暑気払ふ       原田 敏郎

四手網あがりしまゝの炎暑かな      宮澤 清司

迎へ火を焚くや子の顔孫の顔       宮澤 英子

手拍子のたびに弾けて鳳仙花       小松 千代子

故郷を出でしは十九天の川        武藤 風花

飛行機の尾灯泳がせ天の川        内田 吉彦

電子辞書離せぬ机上夜の秋        堤  淳

コスモスを散らさんばかりダンプカー   松下 弘良

山の端の夕日を背負ひ赤とんぼ      山根 孝子

ぐづる子を背中であやし十三夜      島田 みどり

四斗樽に銀鱗あふれ初秋刀魚       加藤 田鶴栄

南国やのんびり回る天井扇        大西 きん一

新涼や撞かずの鐘に松の風        髙堀 煌士


選後一滴          坂元正一郎

 

ジャンボ機の雲の峰より現はるる    井村 隆信

あのジャンボ旅客機は大量輸送機として航空業界を長年支えてきた旅客機で搭乗者数は六百人とも言う。ジャンボの就航間もない頃は空港まで見学に出掛けたものだった。掲句はそのジャンボが雲の峰から現れるとする大景を詠われた。読者は雲の峰をまずイメージし、むくむくと湧く雲の中に現れるジャンボの機影を想像する。関空沖の雄大な雲の峰をバックに着陸体勢に入ったジャンボがエンジン音とともに浮かんでくる。

 

燈のやがて寄り添ひ沖照らす      宮田 肇

精霊流しと称して盆の十五日の夕方または十六日の朝早く供物や灯籠を川や海に流して精霊を送る行事があり、ここで用いる灯籠のことを燈と呼んでいる。掲句の要は中七の「やがて寄り添ひ」にあり、亡くなられた祖父母や身内の灯籠が寄り添うのはそれはそれとして、寄り添うものの中には一期一会のそれもと思うと、そこはかと無く詩情が湧いてくる。

 

開け放つ部屋を探るや鬼やんま     内田 正子

「鬼やんま」は日本最大の蜻蛉で体長十センチメートルを超えるものもあると言う。「鬼やんま」には捕まえるのに、あれこれと苦心した子供の頃の思い出がある。掲句の「鬼やんま」は部屋の中を木陰や森の中とでも思ったのだろうか。餌を探すかのように部屋を平然と飛んでいる姿に、日本の往時が偲ばれる作品である。

 

朝顔の絡む格子やもんじや焼く     石井 秀樹

「もんじゃ焼」は小麦粉をゆるく溶き、具をあまり入れずに鉄板で焼きながら食べる料理のこと。東京の門前仲町には「もんじゃ焼屋」が軒を並べているところがあり、多くの人で賑わっている。掲句の佳さは「朝顔」と庶民的料理「もんじゃ焼」との取合せにあり、生活感あふれる作品となった。休日のお昼時だろうか、作者の「もんじゃ焼」料理に腕を振るっている姿が浮かんでくる。

 

野分晴れ白き灯台なほ白く       中川 文康

 野分は立春から数えて二百十日目、即ち九月一日頃に吹く暴風のこと。また、秋から初冬にかけて吹く強い風のことを言う。野分晴はその野分あとの晴れ渡った天気のことである。掲句の眼目は下五の「なほ白く」にあり、ここに作者の感動の原点が詠出されている。上五・中七に空と海の青と灯台の白とのコントラストの美しい大景が描出されているが、下五の「なほ白く」の白の反復で白が強調されて灯台の白さが一段と白く浮かんでくる。

 

真黒な印度カレーや暑気払ふ      原田 敏郎

暑気払いは猛暑に疲れた体を癒しり、それをしのぐために薬を飲むこと。現在では薬にかかわらず果実酒や焼酎などを飲み暑気に耐え、英気を養う。掲句の暑気払いは印度カレーでの暑気払いである。カレーに使われるスパイスには、発汗・健胃・抗酸化作用があり発汗作用で新陳代謝を高め、食欲を増進させ胃腸の働きを高め疲労を回復するなどの効能があると言う。掲句の真っ黒な印度カレーとくれば暑気払いとしての効能も絶大なものがあろう。

 

四手網あがりしまゝの炎暑かな     宮澤 清司

四手網は四隅を交叉した竹で張り拡げた方形の網。これを竹竿の先につけて水底に沈めて置き時々引き上げて魚を捕る。諏訪湖の四手網漁は春の風物詩として産卵のために岸に近づく鯉や鮒を捕るのだと言う。シーズンを過ぎた四手網は湖から引き上げて、その場に吊るして置くよりほか無いのかもしれない。けれど炎暑に乾く四手網も諏訪湖の暮らしの一端が覗えて味わい深いものがある。

 

山の端の夕日を背負ひ赤とんぼ     山根 孝子

 赤蜻蛉は染みの深い蜻蛉であり、田んぼや河川敷などを群れ飛んでいるのを見かける。「夕焼け小焼けの赤とんぼ」はご存じ三木露風作詞、山田耕筰作曲の童謡「赤とんぼ」の出だしである。その赤蜻蛉が夕日を背負って飛んでいるとした、中七の「夕日を背負ひ」が掲句の眼目。赤蜻蛉が夕日を背負っているとした飛躍的発想が一句を生んだ。

 

迎へ火を焚くや子の顔孫の顔      宮澤 英子

迎え火は盂蘭盆の初日の夕方に先祖の精霊を迎えるために焚く火のこと。ここもリフレインにより句にリズムが生まれ、迎え火に照らされたお子さんやお孫さんたちの顔が浮かんでくる。核家族化の進んだ昨今において、三世代同居の暮らし方に思いこがれる向きも少なくないのでは。日本文化の伝承や子育てと言う面からも。



 

 

扉10月号

 

主宰詠

竹林の風を招いて夏座敷

帰省子に潮の匂ひの慰霊塔

ペディキュアの脚なげだして砂日傘

桶底のどれも泡ふく藻屑蟹

暮れかかる風のかよふや吊忍

風そよぐ青田のはての筑波山

託児所へ迎への父や大西日

坪畑を犇き合うて小向日葵

諸鳥のこぞつてゐるや庭清水

爺の息もて膨らます浮輪かな

 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

故郷の夢より覚めて氷水         旭  登志子

正座して爪切る母や鉄線花        野地 邦雄

地下足袋の鞐いくつや草いきれ      宮澤 英子

花ひとつ足してもみたり夏帽子      綾野 知子

曳売の声引き戻す大南風         三木 康正

「つきだし」と言うて出さるゝ心太    平野 久子

旅人も共に泣かせて村芝居        宮田 肇

峰雲やハーレーダビットソンの列     大西 きん一

武士の駆けし大路や花木槿        久保 研

朝顔の一花に青き風生るる        宮沢 とも子

夕風や手で梳る洗ひ髪          武藤 風花

唇をなめて吹く子の祭笛         堀江 良人

干梅の一粒づつの顔となり        佐藤 啓三

炎天へどつと駆け出す下校かな      井村 隆信

一斉に団扇の止まりホームラン      小松 千代子

洗ひたるままを頬張る蕃茄かな      野口 晃嗣

山開き息吹きかけて火屋みがく      中野 文子

河鹿笛渓に老いたる渡し守        大貫 ミヨ

人気なき砂場にしむる蝉時雨       有田 桜樹

月影の看取る月下美人逝く        斉藤 ふさ子

球場の売り子を名指し生ビール      福島 晴海

この村を出ることのなく遠郭公      宮沢 かほる

送り火の消えて暫しの黙ありぬ      加藤 田鶴栄

マンションのテラスに高く江戸風鈴    堤  淳

腰据る仮面の女神蝉時雨         宮澤 清司

絵団扇や踊る漢の腰を押す        山口 義清

城跡の巨石累累夏日射す         有田 辰夫

残る灯の高原ロッジ明易し        山口 恵子

色付ける物を探して鬼灯市        村山 トシ

 

大方は爺婆が曳く子供山車        中川 文康

 

選後一滴      主宰 坂元正一郎 

 

 故郷の夢より覚めて氷水        旭  登志子

「氷水」は氷を掻き削り雪状にしたものに糖蜜汁をかけたもの。冬の「氷」に対して「夏氷」とも言う、と歳時記にある。夏場の寝覚めに飲む一杯の冷水は美味しいもので、昼寝の目覚めに頂く氷水は尚更のことであろう。掲句の夢は山野や海に遊んだ思い出や幼馴染の顔などが浮かんだことだろう。その作者の夢を囲んでの楽しげに氷水を食べる情景へと想像の膨らむ作品となった。

 

正座して爪切る母や鉄線花       野地 邦雄

鉄線花の名前の由来は文字通り茎が鉄線のように硬くて丈夫なことから。別名をクレマティスと言い、ギリシャ語の「ブドウの蔓」が語源らしい。折れたように見える茎でも芯は折れていないので、その部分で枯れることはない。花は白色又は淡青紫の六弁花で明るくて夏の風情がある。生活様式の変化もあってか、近年は正座をする機会がすくなくなっている。そんな中、「正座の母」と味わい深い「鉄線花」を取合せて一句とされた。上五・中七が下五と響き合って齢を重ねても気品とモダンさを備えた母の姿が浮かんでくる作品である。

 

花ひとつ足してもみたり夏帽子     綾野 知子

俳句では「花」と言うと「桜」を示す約束事があるけれど、ここは帽子を飾る小さな造花を想像できる。俳句表現の助詞、助動詞の取扱いには特に注意を払うところ。掲句の中七「も」の使い方は絶妙である。韻律が整い、女のおしゃれ心の表現にも成功している。夏帽子をそのまま被ろうか、小さな花を添えてみようか、とおしゃれに余念のない女の身支度が見えてくる。

 

「つきだし」と言うて出さるゝ心太   平野 久子

突出しは本料理の前に出す小鉢物や酒の肴として出す、ちょっとしたつまみもののこと。掲句の心太は突出しに出されたもので、小鉢の心太の量の程を想像する楽しみがこの句にはある。また上五の「つきだし」が心太を突くときの、あの突出しの仕草と重なって諧味ある作品である。

 

峰雲やハーレーダビッドソンの列    大西 きん一

 

ハーレーダビッドソンは合衆国のオートバイメーカーの社名であるが、製造されるオートバイを単にハーレーと呼ぶ向きもある。掲句の中七・下五の長いカタカナ表記はハーレーの車列を連想させる効果もある。上五の「峰雲」が一句のバックグランドミュージック的効果を発揮して、何処までも続く高速道路や北の大地へと読者を誘うのである。

 

朝顔の一花に青き風生るる       宮沢 とも子

朝顔は晩夏から秋にかけて花を開き、旧暦の七夕の頃の花と言われることから牽牛花の別名を持つ、と歳時記にある。季節的には秋の季語。花色は白・紫・紅・藍・縞など品種も多い。掲句の眼目は中七から下五にあり、涼しげな風が青色をした朝顔の一花に触れている景を「青き風生るる」と叙した作者の豊かな感性が一句を生んだのである。

 

炎天へどつと駆け出す下校かな     井村 隆信

掲句の眼目は中七の「どっと駆け出す」にあるが、ここをどう鑑賞するかである。一学期の終業式が終わると夏休みが始まる。私はこの中七に夏休みを迎えた児童等の抑えきれない喜びと重なっているようでならない。終業式の日は午前中の下校となるが、ジリジリと油蝉は鳴き暑さは朝から始まっている。その蝉しぐれの炎天を夏休みに向けて駆け出す児童等の姿が微笑ましくもある。 

 

月影の看取る月下美人逝く       斉藤 ふさ子

月下美人はサボテン科のクジャクサボテン類の一種類。茎は平らで葉状。夏の夜に純白大輪の美しく香りのよい花が咲き四時間くらいでしぼむ、と歳時記にある。その命短い月下美人の開花から花がしぼむまでを上五・中七の「月影の看取る」、中七・下五の「月下美人逝く」とした擬人法に詩情が生まれた。

 

洗ひたるままを頬張る蕃茄かな     野口 晃嗣

 

キャンプ場でのトマトの丸齧りだろうか、それとも農家の庭先でのことだろうか。人の味覚は不思議なもので、コーヒーや紅茶は茶碗の飲み口の厚さによって味が微妙に変わることがある。同じように、トマトも包丁で切ったものと丸齧りするトマトとは味が微妙に違う気がする。掲句の「洗いたるまま」は取れ立ての新鮮なイメージも伴っており、野趣たっぷりのトマトが浮かんでくる。

 

 

扉9月号

 

主宰詠

青梅を竿もて落とす親子かな

楊梅を採るやそろりと引き寄せて

じわじわと海霧の攻めくる台場かな

ひたひたと汐さす河岸の夏料理

夏蝶をつれてリフトの登り来る

鳴き声は瀬音になびき小鰺刺

本堂の止まらぬ読経やほととぎす

薫風や髪の細さのイヤリング

誘はれて鳴くや向かひの雨蛙

軽鳧の子の脇目も振らぬ後尾かな

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

帰省して人すかすかの本通り       有田 桜樹

牡丹の無垢極まりぬ絵島の碑       守屋 猛

闇の濃きほどに高まり河鹿笛       堀江 良人

花茴香母の手なれの焦げ薬缶       大貫 ミヨ

見罷りし人にくり言合歓の花       岩﨑 よし子

蕺菜の路地三尺の長屋かな        田中 茂子

阿舎に佇てば気配に寄る緋鯉       斉藤 ふさ子

あぢさゐの切子花瓶に彩頒つ       宮田 肇

蜘蛛の囲のへこんでをりぬ雨の粒     野地 邦雄

瑠璃色に日を返へしたり川蜻蛉      中野 陽典

流れ藻に添うて下るや川蜻蛉       旭  登志子

父の日や新米パパを労ひぬ        小松 千代子

葉がくれに仄と紅さすさくらんぼ     内田 正子

ごろごろと樽に移され実梅かな      井村 隆信

また一戸村離るらし時鳥         佐藤 啓三

たうたうと響く祝詞や梅雨晴間      福島 晴海

ジャケットを肩に薄暑の丸の内      大西 きん一

風鈴を吊し一日を仕舞ひけり       加藤 田鶴栄

夕風に鳴いて吹かれて葦雀        宮澤 英子

青梅をさがす梢の青き空         吉井 博子

思ふことつい言ひ兼ねて蠅を打つ     武藤 風花

青空へ届け児の吹くしやぼん玉      宮沢 かほる

ここだけの話と歩む木下闇        白坂 美枝子

蠅叩き持つ手に止まる命乞ひ       村山 トシ

雨蛙鳴きやむ背戸に風通る        西谷 髙子

水芭蕉五百羅漢の如咲きぬ        中野 文子

かけ違ふボタンの一つ梅雨に入る     山田 留美子

ラムネ飲む音に昭和の記憶かな      中川 文康

雨に咲くあぢさゐの花髪染むる      小口 二三

最上川旅の仕上げのさくらんぼ      井口 実

 

選後一滴      主宰 坂元正一郎

帰省して人すかすかの本通り      有田 桜樹

勤め人や学生などが夏休みを利用して故郷や実家に帰ることを帰省と云う。暫らくぶりに帰る故郷には感慨深いものが誰にでもあるもの。かつて賑わっていた本通りの様変わりした雰囲気を中七下五として詠出された。東京への人やものの一極集中が取沙汰されて久しい。これから生まれてくる子供たちのためにも、将来を見据えた柔軟な国土計画が望まれるところである。

 

阿舎に佇てば気配に寄る緋鯉      斉藤 ふさ子

緋鯉は熱帯魚や金魚のように涼を呼ぶ鑑賞魚であることから夏の季語とされている。餌付けの条件反射かもしれないが、鯉は池の縁に人が立っただけでもよく近寄ってくる。掲句の巧みなところは中七から下五にかけての「気配に寄る」としたところにある。緋鯉の静かに近寄ってくる姿は水の清澄さとともに清涼感はひとしおである。

 

ごろごろと樽に移され実梅かな     井村 隆信

梅を漬ける大まかな手順は青梅を洗い重しをして二、三日樽などで塩漬にする。すると梅酢ができるのでこれに紫蘇を加えて色付けしてから取り出し、筵や笊で天日に干してから保存する。掲句はその塩漬のために洗った青梅を樽に移すところを詠われた。「ごろごろ」とする小気味好い擬音にピンポン玉くらいの大きな実梅が浮かんでくる。

 

身罷りし人にくり言合歓の花      岩﨑 よし子

身罷(ルビみまか)るはこの世から去ること。掲句の眼目は上五中七のフレーズにあり、故人と作者の間柄について読者の想像力を膨らませる作品となった。「合歓の花」は夕方には小葉が合掌して眠るように閉じることからこの名がある、と歳時記にある。下五の「合歓の花」は上五中七と響き合っており、故人の安らかな眠りを願う作者の思いと重なっているようでもある。 

 

蕺菜の路地三尺の長屋かな       田中 茂子

蕺菜は生命力が強く一度根付くと地下茎を延ばして繁殖する。葉っぱの強臭は困るが、初夏には可憐な十字の白い花をつける。中七の断定により路地沿いに続く長屋が俄然と浮かんでくる。此の路地で繁殖を続けてきた蕺菜の強(ルビしたた)かな生命力と今なお健在の長屋とが重なって妙である。都市防災上の議論はあろうが下町情緒の一端を感じさせられる一句となった。

 

ジャケットを肩に薄暑の丸の内     大西 きん一

丸の内と云うと新宿副都心の高層ビル街の台頭で一時地盤沈下がささやかれたが、その後の周辺開発などで昔ながらのビジネス街としての中心的顔を見せつつある。「薄暑」は少し暑さを覚えるようになった初夏の気候をいう。本格的な暑さには及ばないものの、歩けば汗ばむ程の気温に上着はつい邪魔となる。仕事に余念のないビジネスマンの足早に進む東京駅界隈の情景が浮かんでくる。

 

ここだけの話と歩む木下闇       白坂 美枝子

「此だけの話」を広辞苑に当たると「他の所で話しては困る秘密の話」とある。人は仲間意識のある者同士、内緒話をすることで仲間意識の相互確認を図ってきたところがある。「木下闇」は夏木の鬱蒼と茂って昼でも暗いさまを表す季語。掲句の面白さは内緒話と下五の「木下闇」との取合せにある。内緒話をする時に人目を避けたいとするのは人の心情。掲句はその人の心情と木下闇とが重なるところもあって俳諧味溢れる作品となった。

 

水芭蕉五百羅漢の如咲きぬ       中野 文子

水芭蕉と云うと尾瀬の水芭蕉が全国的に知られてをり、シーズンともなれば多くのハイカ―で賑わう。俳句表現にものを何かに喩えて「何々の如く」とする手法がある。代表的作品に川端茅舎の一枚の餅のごとくに雪残る」や日野草城の「ところてん煙の如く沈みをり」がある。掲句も同様に水芭蕉の群生する情景の喩えとして、五百羅漢の立ち並ぶあの景を用いて作句なさった。目を瞑れば群生する湿原の水芭蕉が静かに浮かんでくる。

 

雨に咲くあぢさゐの花髪染むる     小口 二三

若さと美貌を保つことは云うまでもなく女性達一生の願望である。また髪を染めるのは女性としての身嗜(ルビみだしな)みの一つでもあろう。雨に濡れてしっとりと咲く紫陽花の風情には日本的な美しさがある。その紫陽花の風情と髪を染める女性とを取合せた掲句には、そこはかとない艶やかな雰囲気さえも滲み出ている。

 

扉8月号

 

主宰詠

旅の宿とつぷり暮れて河鹿鳴く

釣舟の先へさきへとつばめ魚

家苞に一本さげて初鰹

道行にひねる一句や捻花

翻り翻りたり蚊食鳥

姉の背をしのぐ弟や夏来る

山門を風とぬけ来る夏つばめ

夏場所や水ゆつたりと隅田川

巡行の山車やすませて鉦太鼓

聖五月電車にふせの盲導犬

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

託児所のパン焼く匂ひ薄暑かな      旭  登志子

研ぎすます利鎌の光り麦の秋       内田 正子

よろづやは村の真中や麦の秋       平野 久子

銭を乞ふ猿に人垣花は葉に        三木 康正

珈琲樽ジャワの焼印夏きざす       大貫 ミヨ

芍薬の襞に宿りし雨かをる        宮田 肇

園児等の手形が鱗鯉のぼり        渋谷 伊佐尾

真ん中に道の駅あり麦の秋        井村 隆信

一撞の鐘の余韻や黒揚羽         中野 陽典

青嵐那須へと水田吹きわたる       堀江 良人

葉の匂ひまづ味はひて柏餅        野口 晃嗣

噴水のすとんと止まり静寂かな      神阪 誠

箸置きはガラスの魚夏来る        有田 桜樹

海越えし青磁白磁や聖五月        綾野 知子

信玄の隠し湯昏し河鹿鳴く        佐藤 啓三

書き出しの決まらぬ手紙夜の雷      野地 邦雄

武具飾り書院に風を通しけり       堤  淳

車座の紙皿さらふ飛花落花        宮沢 かほる

十指みな休む暇なし袋かけ        武藤 風花

庭先に野良着の乾く麦の秋        西谷 髙子

千枚田水でつながる田植時        松下 弘良

格子戸に機音洩るる街薄暑        大西 きん一

式年の木の香匂へり新樹光        山口 恵子

耕運機ひとふるひして田掻き終ふ     中川 文康

つばくらや漁網繕ふ若漁師        進藤 かおる

新茶汲むおろしたてなる笹青磁      吉井 博子

客待ちの船に灯の入る夕薄暑       加藤 田鶴栄

新緑や齢に合はす万歩計         白坂 美枝子

新聞の兜かぶせむ子供の日        小口 二三

初夏や海きらきらときらきらと      中野 文子

 

 

選後一滴      坂元正一郎

青嵐那須へと水田吹きわたる      堀江 良人

青嵐は若葉の頃に吹くやや強い南寄りの風のこと。風の強さは青嵐ほどではないが、ほぼ同じ意味の「南風」は生活語、「青嵐」は雅語と歳時記にある。那須は那須温泉郷があり塩原とともに行楽地としても名高い。掲句は、その那須へと水田を渡る青嵐の大景を格調高く詠まれた。「ア」音の繰り返しが句意にも叶った調べとなって明るい雰囲気を醸し出している。

 

珈琲樽ジャワの焼印夏きざす      大貫 ミヨ

ジャワはインドネシアの島の一つであり、スマトラ島等とともに珈琲の産地でもある。インドネシア産珈琲と云えば、「マンデリン」や「トラジャ」が古くから有名と聞く。ジャワと印した珈琲樽のシンプルさやジャワと云う南の島と「夏きざす」とが相俟って、南の海の楽園へと読者の気持ちは膨らんで行く。

 

箸置きはガラスの魚夏来る       有田 桜樹

私達は季語とその他のフレーズとの関係について、「季語が動く」とか「不即不離」と云うところに苦心しながら俳句と向き合っている。それは作品の広がりあるイメージを読者にもってもらえるか、響き合いを感じてくれるかを考えてのことである。箸置きは素材やデザインの種類も多く句材としては難しいものがある。掲句は上五中七と下五の瑞々しくも活気に溢れた情趣の「夏来る」と云う季語との取合せにより読者の想像力膨らむ作品となった。

 

海越えし青磁白磁や聖五月        綾野 知子

日本にある青磁や白磁は元来中国から輸入されたもの。質感は素焼の表面に釉を掛けて焼き締まっているので硝子化している。先師重次氏も陶芸には興味をお持ちで、ご自分のコレクションに関する薀蓄をよく聞かされたものだった。ここも中七と下五の「聖五月」とがどこかで響き合っている。上五の「海越えし」が一句の一節となって読者の想像力に訴える作品となった。

 

十指みな休む暇なし袋かけ       武藤 風花

袋掛けは果実を鳥や病害虫から守るため紙の袋を掛けることで、葡萄、林檎、枇杷などに行う。葡萄なら葡萄棚の下に身を屈め、林檎や枇杷であれば脚立に上がって一顆ずつ袋を掛ける。農家にとって重要な作業であるとともに夥(ルビおびただ)しい数を熟(ルビこな)さなければならず苦労のほどは計り知れない。武藤さんは袋掛けの景を上五中七と叙しながら下五で種明かしすると云う揺るぎない「袋掛」の一句をものにされた。

 

千枚田水でつながる田植時       松下 弘良

農水省の「日本の棚田百選」もあるように日本各地には美しい棚田が残されている。棚田への水遣りの方法を詳しく調べたわけではないが、田越し灌漑と云う水路を使わずに上流の田から下流の田へ直接水を引き入れる方法についての解説が辞書にある。このことからも棚田が水で繫がっていると云うことに納得がいく。水田の数多と準備された千枚田の情景が、田越しの幽かな水音とともに浮かんでくる作品となった。 

 

式年の木の香匂へり新樹光       山口 恵子

昨年十月、二十年に一度と云う内宮、外宮などの建物を造り替え、神様にお遷りいただく式年遷宮が伊勢神宮であった。社殿は全て桧の用材で造られると云う。私達も新しい住まいに引っ越したりすると気持ちがリフレッシュするように、式年遷宮では神様の瑞々しい力の永続をお祈りすると聞く。掲句はその式年遷宮で真新しくなった神宮の情景を中七下五に重ねて見事に詠出された。

 

耕運機ひとふるひして田掻き終ふ    中川 文康

田掻きは田植に向けた最後の作業で田に水を張り耕土と肥料を混ぜながら土を液状にする仕事のこと、と歳時記にある。昔は牛馬、今はトラックターか耕運機で行う。耕運機はエンジンを止めるとエンジンが完全に停止する間の振動を拾って身震いをする。掲句は中七の「ひとふるひして」が一句の一節となって臨場感ある田掻きの作品となった。

 

新茶汲むおろしたてなる笹青磁     吉井 博子

日本の茶摘みは八十八夜を中心に行われる。ここで摘まれた茶葉から製造されたものを新茶と呼び香気が特に高い。掲句の要は中七から下五にかけての「おろしたてなる笹青磁」にある。中七には作者の新茶を酌む喜びのようなお気持ちが込められており、新茶と笹青磁とがどこかで響き合う妙な作品である。 

 

扉7月号

 

主宰詠

ひとひらの風となりたる桜かな

片道を渡しでわたり花菜風

即売の回して見たるシクラメン

竹林の風をさまりて一人静

こでまりの風をのこして連絡船

蒲公英の絮のゆくへや観覧車

春の蚊の声ともならぬ羽音かな

春光や雑魚の奔れる忘れ潮

ふらここの何処やら軋む夕べかな

天を差すものしか無くて松の蕊

 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

島唄や旅の一夜に春惜しむ        田中 泰子

大琵琶の魞を掠めて初つばめ       井村 隆信

き向きに風と戯れつるし雛        宮田 肇

呼び合うて声のつながるピクニック    旭  登志子

音軋む母の箪笥やおぼろ月        斉藤 ふさ子

点眼の女口開く三鬼の忌         中山 敏

玉眼の不動明王冴返る          渋谷 伊佐尾

啓蟄や旅の誘ひのふたつみつ       杉田 静江

雪の果動き出したる寒立馬        久下 萬眞郎

鳴き声を風に散らして揚雲雀       堀江 良人

骨透けて紅のほのかに干鰈        綾野 知子

嬰子の天突く両手春きざす        有田 桜樹

耳遠き母に教ふる初音かな        福島 晴海

掌になじむ織部の重み花菜飯       野地 邦雄

露天湯に落ちて華やぐ紅椿        込山 照代

地虫出づ空に鳶とグライダー       中川 文康

百千鳥カレーに煮込むチョコ一つ     宮沢 とも子

木曾谷の母馬仔馬馬笑ふ         宮澤 清司

三越の畳紙を開く花衣          中野 文子

風光るフランスパンは天を指し      大西 きん一

春愁や錆びし門扉のきしむ音       堤  淳

魚籠沈む濁りを連れて春の川       村山 トシ

蓋取れば子等の歓声雛の箱        山根 孝子

逝く人に眉より細き春の月        宮沢 かほる

雨の宵一言かけて雛納          西谷 髙子

永き日や犬の居座る立話         有田 辰夫

由緒ある梅に数多の支へ棒        武藤 風花

電話鳴る留守の交番紅椿         井口 実

土筆摘む籠に夕日のさし来る       金納 義之

卓上の春蚊をふつと吹きにけり      進藤 かおる

 

選後一滴          坂元正一郎

 

伊勢みちの道まつすぐに燕来る     井村 隆信

初燕開店準備の店のぞく        田中 泰子

初つばめ庄屋門から入りにけり     中山 敏

燕は日本には春飛来し、民家の軒などに巣をかけ子育てして秋に南方へ帰る。空中をひるがえり地上すれすれに飛んでいる姿は鮮やかである。一句目、あの伊勢神宮のある伊勢路の真っ直ぐな道を道なりに燕が飛んで来たという句、燕の特徴を巧みに捉えた爽快な作品。二句目、開店準備中の店の様子を窺っている燕を詠った句、せっかちな大人に想像が及び「初燕」の効いた滑稽な作品。三句目、庄屋門はいわゆる庄屋屋敷の門のことで、瓦葺きの豪勢なつくりをしている。ここも庄屋屋敷へ入るのに空から入らず、庄屋門から入ったとしたところに軽妙な俳味が生まれた。

 

しばらくは言葉を忘れ花吹雪      杉田 静江

桜は古来より詩歌に詠われ日本人に愛されてきた花である。花の見どころは、五分咲きから満開の桜や散り残った残花に至るまで各々に趣がある。「花吹雪」は桜の花びらが吹雪のように舞い散ることをいい、花見の醍醐味の一つでもある。掲句の妙味は言いようのない花吹雪の美しい情景を上五、中七と表現されたところにあり、吉野千本桜などの花吹雪へと想像が膨らむ。

 

浮いてゐる水すれすれの蛙の目     旭  登志子

蛙の句に鳴き声そのものや鳴き声をイメージさせられる作品はよく目にするけれど、掲句のように蛙そのものを詠った句はそんなに多くはない。川端茅舎の句「蛙の目越えて漣又さざなみ」を想起させる作品であり、水に浮き水面すれすれに辺を窺う蛙の目玉がとてもユーモラスな作品となった。

 

退院の父と寄り道花は葉に       綾野 知子

桜は花が散ると美しい緑の葉が空を覆うようになる。日に透けた葉桜はことに美しく花の頃とは違ったみずみずしい美しさがある。「花は葉に」は「葉桜」の副題。句意は、退院した父と寄り道をして帰ったという事実の報告。しかし「花は葉に」という季語の斡旋により、父親の入院から退院までの時間的経過や儚(はかな)さを抱えた桜花から葉桜への移ろいと父親の退院とがどこかで響き合う妙な作品となった。

 

抱ける児の欠伸の口や鯉幟       春日 春子

「寝る子は育つ」という諺がある。睡眠の働きは体を休めることと脳のリフレッシュにあるという。大人より活発な赤ちゃんの脳はそれだけ多くの睡眠が必要とされる。掲句は盛んに泳いでいる鯉幟の口と、健やかに育つ児の欠伸の口とが重なってくる微笑ましい作品。縁側でお孫さんを抱っこしている作者の姿が浮かんでくる。

 

 

扉6月号

 

主宰詠

春泥の轍たどりて貸農園

一振りの塩もて朝の菜飯かな

鮎汲の朝日をはじく水しぶき

引鴨や水脈をひきずる漁船

さざ波の影にまぎれて柳鮠

洗ひ桶ふせて雛の宴果つ

岬へと靡きどほしの茅花かな

春めくや雑魚のさわげる忘れ潮

改札を自在にとほる初つばめ

ひたすらに鳴くよりなくて揚雲雀

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

島唄や旅の一夜に春惜しむ        田中 泰子

大琵琶の魞を掠めて初つばめ       井村 隆信

き向きに風と戯れつるし雛        宮田 肇

呼び合うて声のつながるピクニック    旭  登志子

音軋む母の箪笥やおぼろ月        斉藤 ふさ子

点眼の女口開く三鬼の忌         中山 敏

玉眼の不動明王冴返る          渋谷 伊佐尾

啓蟄や旅の誘ひのふたつみつ       杉田 静江

雪の果動き出したる寒立馬        久下 萬眞郎

鳴き声を風に散らして揚雲雀       堀江 良人

骨透けて紅のほのかに干鰈        綾野 知子

嬰子の天突く両手春きざす        有田 桜樹

耳遠き母に教ふる初音かな        福島 晴海

掌になじむ織部の重み花菜飯       野地 邦雄

露天湯に落ちて華やぐ紅椿        込山 照代

地虫出づ空に鳶とグライダー       中川 文康

百千鳥カレーに煮込むチョコ一つ     宮沢 とも子

木曾谷の母馬仔馬馬笑ふ         宮澤 清司

三越の畳紙を開く花衣          中野 文子

風光るフランスパンは天を指し      大西 きん一

春愁や錆びし門扉のきしむ音       堤  淳

魚籠沈む濁りを連れて春の川       村山 トシ

蓋取れば子等の歓声雛の箱        山根 孝子

逝く人に眉より細き春の月        宮沢 かほる

雨の宵一言かけて雛納          西谷 髙子

永き日や犬の居座る立話         有田 辰夫

由緒ある梅に数多の支へ棒        武藤 風花

電話鳴る留守の交番紅椿         井口 実

土筆摘む籠に夕日のさし来る       金納 義之

卓上の春蚊をふつと吹きにけり      進藤 かおる

 

選後一滴          坂元正一郎

 

島唄や旅の一夜に春惜しむ       田中 泰子

「春惜しむ」は歳時記を当たると過ぎ行く春を惜しむ。華やかな行楽の日々を惜しむ心には一種の物淋しさが漂う、とある。島唄は奄美群島で歌われる民謡で哀愁を帯びた歌が多い。この作品は下五の季語「春惜しむ」がよく効いており、上五、中七と相俟って終りの近づく旅を嘆いているようでもある。

 

大琵琶の魞を掠めて初つばめ      井村 隆信

魞は漁具の一種で、川や湖沼の魚の通る場所に竹の簀を

迷路状に立て回し、魚が中に入ると戻れないようにしたもの。琵琶湖の魞が有名と聞く。掲句の要は中七の「魞を掠めて」にあり、上五の大琵琶と相俟って高速で飛翔する燕の姿と共に琵琶湖の大景が見えてくる。

 

啓蟄や旅の誘ひのふたつみつ      杉田 静江

啓蟄は二十四節気の一つで陽暦の三月六日頃にあたる。土中で冬眠していた蛙などの地虫類が春暖となって穴を出てくること。句材は日常生活のあらゆる場面に転がっているもの。掲句はその旅の誘いを即吟的に一句に仕立てたもので、上五の季語「啓蟄」の効いた一読句意明解な作品である。

 

雪の果動き出したる寒立馬       久下 萬眞郎

寒立馬は青森の下北半島に放牧されている馬で厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬。かつて農用馬として重用されてきたという。中七「動き出したる」には草田男句「夏草に機罐車の車輪来て止る」が浮かぶ。掲句は、下北半島の雪原の遥か彼方を移動し始めた寒立馬の群れが印象的な作品。

 

鳴き声を風に散らして揚雲雀      堀江 良人

雲雀は留鳥で春暖かくなると野に出てくる。文部省唱歌にも歌われ、あの鳴き声は昔から人々に親しまれてきた。掲句の巧いところは中七の「風に散らして」にあり、雲雀が鳴きながら空高く上っていく姿はまさしく風に声を散らしているようである。

 

木曾谷の母馬仔馬馬笑ふ        宮澤 清司

木曾谷は長野県の南西部で木曾川上流の溪谷一帯の総称。古くから人と馬とが共存してきた地域であり、今も木曾馬の保存、育成に取り組んでいると聞く。掲句の独創性は中七、下五の畳み掛けるような「母馬仔馬馬笑ふ」のリフレインにあり、母馬に寄り添う仔馬の姿が浮かんでくる微笑ましい作品となった。

 

扉5月号

 

主宰詠

 

溶岩原をあまねく渡る雪解風

あちこちへ手桶を泳ぐ白魚かな

飛石を亀の如くに春の雪

肩の荷をおろす旅人や涅槃西風

鶯や茶室へくぐる潜り門

梅の香をくぐりてよりの茶会かな

疎水へと舵切る水や猫柳

海苔篊の一本づつの鴎かな

干潮の岩から岩へ若布刈 

薄氷の欠けら散らかる通学路

 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

 

早春の光もみあふ神田川         旭  登志子

掌にのるだけ摘みて蕗の薹        綾野 知子

潮風のからむ余寒や異人墓地       有田 桜樹

凍豆腐仕上げは陸奥の山おろし      佐藤 啓三

新海苔の乾く房総きらゝ波        平野 久子

路線バス歪み陽炎抜けて来し       宮田 肇

冠雪の泣きつ面なる鬼瓦         内田 正子

受験子の更けゆく窓の花菜色       守屋 猛

雪解田に黒一点の鴉かな         田中 泰子

雪解川通し一山動き初む         込山 照代

大いなる海の壁画や蜃気楼        野地 邦雄

浜焼の炭火呆けて安房泊         大貫 ミヨ

薄氷や洗ひ込んだる仕込桶        井村 隆信

初午や低く灯を吊る大道店        渋谷 伊左尾

鳴き声を水面に残し帰る雁        金子 京子

白魚の目玉ばかりの泳ぐ網        村山 トシ

仲見世を出て東京の空つ風        宮澤 英子

花菜風空の果てまで染めあげぬ      吉井 博子

雪形の鯉の跳ねたる八ヶ岳        宮沢 かほる

暖炉爆ぜ親子は足を組み直す       西谷 髙子

歩兵墓打ち並びをり名草の芽       大西 きん一

水琴の音の微かや戻り寒         武藤 風花

若冲の丹頂鶴や京の冬          山口 恵子

取敢へず亡夫の傘さす春時雨       山根 孝子

春禽の声こぼしくる水場かな       宮沢 とも子

春一番犬の小屋まで巻き込んで      中野 文子

春浅し火気厳禁の町工場         内田 吉彦

鈍色の凍て雲去りぬ比良比叡       加藤 田鶴栄

雪道の轍外さぬ車列かな         春日 春子 

薄氷や水琴の音の幽かなる        髙堀 煌士

 

 

 選後一滴          坂元正一郎

 

早春の光もみあふ神田川        旭  登志子

早春とは立春から二月いっぱいくらいのことをいう。暦の上では春なのにまだ寒い日が続く。神田川が日に煌めきながら流れる容姿を「光もみあふ」と把握されたところに掲句の独創性がある。この措辞に水の豊かさや燦々とした陽光をも連想させられ、神田川の行く手に早春の気配が漂ってくる作品となった。

                        

掌にのるだけ摘みて蕗の薹       綾野 知子

蕗の薹はほろ苦く風味があり早春の味覚として蕗味噌や天婦羅などにする。掲句の佳いところ平明な表現で句意が分かり易いことと「切れ」にある。中七の軽い切れ「て」の効果で句に余韻が生まれ、季語「蕗の薹」と相俟って読者の想像力を喚起する詩情豊な作品となった。

 

路線バス歪み陽炎抜けて来し      宮田 肇

陽炎は地面の熱により空気が不安定となり、物がゆらゆら揺れて見える現象。春になって暖かくなると見かけるようになる。掲句は陽炎の作として上五、中七の「バスが歪んで来た」としたところに一節が生まれた。バス停に向かって来るバスの歪んだ顔が印象に残る作品である。

 

潮風のからむ余寒や異人墓地      有田 桜樹

この異人墓地は横浜外国人墓地とお聞きした。掲句の上五、中七の「潮風のからむ余寒」に異人墓地の故人を偲ぶ海の向こうの外国人の思いが潮風となって吹いて来たのでは、とも鑑賞が深まる。余寒は春になってからの寒さのことであり、早春の港町横浜の雰囲がたっぷりと表現された作品となった。

 

冠雪の泣きつ面なる鬼瓦        内田 正子

鬼瓦は和風建築の棟の端などに設置される板状の瓦の総称のこと。厄除けと装飾を目的とした役瓦の一つといわれている。掲句はその鬼瓦の顔が事も有ろうに雪を冠って泣きっ面をしている、とした滑稽な作品である。雪を被った鬼瓦の鬼の顔を泣きっ面、と見立てた正子さんの感性が素晴らしい。

 

受験子の更けゆく窓の花菜色      守屋 猛

 春先の入学試験や卒業試験のことを「大試験」として歳時記に記載があり、受験子はその傍題となっている。掲句の眼目は上五の「受験子」と下五の「花菜色」の取合せにある。中七まで読み進んだ読者は受験勉強という重苦しいムードに一瞬立ち止まるが、下五の「花菜色」に読み至ってほっとするのである。

 

大いなる海の壁画や蜃気楼       野地 邦雄

蜃気楼は海面の温度や天気の影響で、普段は見えない水平線の下に隠れた船や対岸の景が光の屈折により変形して見えること。ニュースなどの映像では経験するが本物にはなかなか出会えない。掲句の佳さはその蜃気楼を海の壁画と捉えたところにある。具体的な蜃気楼は詠われていないが、いろいろな蜃気楼を想像するのがこの作品の鑑賞方法であろう。

 

仲見世を出て東京の空つ風       宮澤 英子

空っ風は日本海側に雪を降らせた季節風が山脈を越えて関東地方に吹く強い乾いた風のこと。観光客などで込み合う浅草寺の仲見世は眺めて歩くだけでも楽しいもの。掲句の巧さはその仲見世と東京の空っ風との取合せにある。仲見世を出て冷たい空っ風に吹かれたとする、仲見世と空っ風との一種の落差が読者の想像力に訴えている。

 

春浅し火気厳禁の町工場        内田 吉彦

春浅しとは春にはなったがなお寒さが残り春色のととのわない頃のこと、と歳時記にある。火気厳禁というと工場や製造現場の必須の安全標識。この火気厳禁とういう言葉一つで工場の雰囲気が伝わってくる。掲句は上五の「春浅し」と中七、下五とが相俟って大企業の好況とは程遠い不況下に頑張る町工場を彷彿とする作品となった。

 

 雪道の轍外さぬ車列かな         春日 春子

 今年の一月から二月にかけての雪は記録的な降雪となり、各地の道路網や農作物などに大きな被害をもたらした。掲句はよく見かける情景の写生句ではあるが、上五の「轍外さぬ」の措辞が一節となって一句を得た。雪道の沿線に広がる一面の銀世界をのろのろ進む長い車列が浮かぶ作品である。

 

 

 

 

 

扉4月号

 

主宰詠

 

一湾の沖へおきへと鴨の陣

香煙を風に貰うて初大師

一陣の風にめくれて寒鴉

見晴るかすあべのハルカス初景色

蒸まんじゅう喰うて二人の福詣

元寇の海をはるかに梅探る

水仙の凜とたたずむ疎水かな

先客の傍にはじまる若菜摘

鳴きつのる一羽雀や春近し

淀みなく働く口や達磨売

 

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

 

初凪や汽笛引摺る連絡船         佐藤 啓三

まなかひに筑波を仰ぎ鍬始        田中 茂子

放たれし矢風の音や弓始         井村 隆信

つん読に積み足す五冊買ひはじめ     有田 桜樹

探梅や村尽きてより修験道        中野 陽典

笑顔よりこぼるる息の白さかな      杉田 静江

園児等に参道譲り冬ぬくし        宮田 肇

ひと間にて足りる暮らしや芹薺      内田 正子

渾身の子等の一の字筆始め        三木 康正

漁師唄歌ふ古老や福詣          野地 邦雄

鬢の香を太鼓に乗せて初相撲       石井 秀樹

雪降るや母子ばかりの杜氏村       久保 研

仕舞湯に耳までつかり除夜の鐘      魚谷 悦子

流木も混ぜて浜辺のどんどかな      金子 京子

この顔に折り合ひ付けて初鏡       斉藤 ふさ子

近況を絵柄にのせて年賀状        福島 晴海

卓袱台の疵のあれこれ初笑        山口 義清

薬湯の寝間に滾るや虎落笛        橋本 瑞男

買初めの靴で青山一丁目         武藤 風花

打込みの声の掠れや寒稽古        中川 文康

曽祖母になりしと一行賀状来る      加藤 田鶴栄

犬吠の濤が押し上ぐ初日の出       村山 トシ

寒柝の遠のく夜や児の寝顔        山口 恵子

声こぼし鳥影よぎる白障子        宮澤 英子

探梅や大阪城を枝越しに         金納 義之

暮易し山に寄り添ふ家百戸        宮澤 清司

どの顔も等しく照らし初日の出      古田 侑子

探梅や村に一つの庄屋跡         南後 勝

事務始指が覚ゆるパスワード       大西 きん一

 

落葉掃磴の一段づつ明くる        髙堀 煌士

 

 

選後一滴          坂元正一郎

 

初凪や汽笛引摺る連絡船        佐藤 啓三

連絡船は海底トンネルや本四連絡橋等の整備で少なくはなっているが、まだ各地の大切な交通手段となっている。掲句の巧さは季語「初凪」の斡旋にある。「初凪」と中七、下五が響きあって、年明けの静かな海を滑るように進む連絡船が浮んでくる。無難なこの一年の滑り出しをも予感させる新年の佳句となった。

 

まなかひに筑波を仰ぎ鍬始       田中 茂子

筑波は関東平野で最も高い山、俳枕にもなっており著名俳人の作品も多い。鍬始は幣束を立てるなどして浄めた田畑にひと鍬ふた鍬当てて使い始めること。掲句は関東平野と筑波山の大景を詠ったもので、作者の立ち位置が明確なことから景をイメージし易い作品となった。

 

放たれし矢風の音や弓始        井村 隆信

矢風は射た矢が飛んで行くために起る風、と辞書にある。上五、中七を常識で捉えると有り得ない表現ではあるが、ここが俳句表現の妙味であり此の作品の巧さでもある。放たれたものは矢であるが、矢風が放たれたとするとことで句に臨場感が生まれた。季語「弓始」の斡旋により清々しい矢風の音と共に、緊張感溢れる弓道場の景が浮ぶ作品となった。

 

渾身の子等の一の字筆始め       三木 康正

子等は中七の「一の字」から察するに小学校に上がる前後の子供が連想される。使い慣れた鉛筆やクレヨンとは異なる慣れない筆をとっての筆始めである。季語「筆始め」が良く効いており、上五、中七の「渾身の子等の一の字」から初々しい筆捌きの子等と其を見守る親たちの姿が浮ぶ作品となった。

 

流木も混ぜて浜辺のどんどかな     金子 京子

 

「どんど」は新年の飾りを取り払い、これを神社や広場に持ち寄って焼く火祭りのこと。季語「左義長」の傍題。近年は環境問題もあってか門松などの飾りも質素になったような気がする。掲句は浜辺の清掃を兼ねてか、流木を混ぜての「どんど」である。海の青と「どんど」の炎の色との対比が印象的な開放感ある作品となった。

 

扉3月号

 

主宰詠

生垣を路地から路地へ笹子鳴く

バスケ部の降りたつ駅や冬木の芽

霜の花板に咲かせて材木屋

学童の斜にわたる冬田かな

極月や夫婦でかせぐ散髪屋

鋭声もて釣船はやす冬鴎

桟橋へ銅鑼のたかなる耕二の忌

絵唐津に足をたたみてずわい蟹

参道の一ノ鳥居や飾売

寄せられし数多の佳句や年惜む

 

開扉集      坂元正一郎 推薦

 

老の輪にのどあめ分ち日向ぼこ       田中 茂子

着膨れを積み残したる昇降機        杉田 静江

溶接の火花を散らし街師走          宮田 肇

ねだる子をがばと抱へて年の市       三木 康正

なにもかも百円ショップ年用意        中山 敏

天指すも水底指すも枯蓮           金子 京子

皺の手に指輪も熟れて炭をつぐ       綾野 知子

棟上げは朝の焚火にはじまりぬ       有田 桜樹

石垣の太刀の反りなり鴨の陣         井村 隆信

乾きたる音の魚板や十二月          久保 研

朝市や売手買手の冬帽子           堀江 良人

枯葉散る枯葉にふるゝ音たてゝ        旭  登志子

茶の花やかつて母校に薙刀部        斉藤 ふさ子

町老いて猫背伸びする小春かな       野地 邦雄

岩陰にたゆたふ二羽の浮寝鳥        平野 久子

冬晴やぐるりと回るモノレール         福島 晴海

日一日山の尖るや柿すだれ          髙堀 煌士

灯しても一人の影や根深汁           宮沢 とも子

改札を抜けてマフラー巻き直す        中川 文康

近松忌こくりと動く木偶の首           山田 留美子

方言の語尾やはらかに島小春         金納 義之

野仏の裏に径あり寒施行            大西 きん一

底冷や信濃の星を研ぎ澄ます         山口 義清

冬ざれや産毛の靡く猿団子          橋本 瑞男

干す足袋のみな裏返し竹矢来        村山 トシ

飛び石の踏み艶濡らす初時雨        宮澤 英子

なんごには喃語で応へ日向ぼこ       古田 侑子

綿虫に息吹き掛けて下校の児        田中 鴻

火事跡の厨に残る欠け茶碗         中野 文子

一山を茜に染めて柿の邑           進藤 かおる

 

選後一滴          坂元正一郎

 

老の輪にのどあめ分ち日向ぼこ     田中 茂子

コミュニケーション手段としての「飴ちゃん文化」なるものが大阪にあると聴く。初対面の人とでも飴玉を配ってはその場の雰囲気をつくるのだそうだ。確かに、飴玉一つにしても人からものを頂いて気分を悪くする人はいないだろう。掲句のケースは「のど飴」ときているから、時節柄有り難さも一入であろう。屈託のない会話の溢れる日向ぼこの情景が浮んでくる。

 

着膨れを積み残したる昇降機      杉田 静江

エレベーターの運べる員数に夏も冬も大差は無いと思われるが、冬場はコートなど着込むこともあって混雑したエレベーターに割り込むのは勇気がいる。掲句の着膨れには奥床しさや滑稽が入り混じった面白さがあり、慌しいエレベーターホールの朝の情景が浮んでくる。

 

溶接の火花を散らし街師走       宮田 肇

建築工事も様々な工程を経て仕事が進むもので、溶接工事も全体工程の中の一つの仕事である。掲句の火花は建築の鉄骨工事の火花として鑑賞する。掲句は季語「師走」の斡旋が巧みで、慌しい街の一角に急ピッチで進む溶接工事の火花が印象深い作品となった。

 

天指すも水底指すも枯蓮        金子 京子

東京の不忍の池は一面に蓮の生い茂ったところがある。冬は枯蓮の茎が折れ曲がって水底を指すものや、折れずに天を指すものもあり一帯は荒涼たる風情を醸している。掲句はそのような荒涼たる冬の蓮池の情景を上五、中七の「天指すも水底指すも」として見事に描写されている。ここも答を「座五」に据えた安定感ある作品となった。

 

乾きたる音の魚板や十二月       久保 研

魚板は魚の形に木を彫って作った板のことで、主に禅寺の時刻の合図などに木槌で叩くもの。魚鼓(ルビぎょく)ともいう。魚板は昼夜不眠とされた魚にたとえて修行僧の怠惰を戒めるために作られたものである、と辞書にある。上五、中七の「乾きたる音の魚板」が下五の「十二月」と呼応して禅寺の厳しい修行の情景が浮かんでくる。

 

 

 

扉2月号

 

主宰詠

時雨るるや後ろ姿の人力車

一茶忌や回りどほしの石の臼

裏木戸は半ば開いて神の留守

菰巻の菰こんもりと瘤を抱く

凩の抜けてざわめく中華街

散り敷きて座敷のごとく朴落葉

みちのくの風をあつめて鷹柱

白々と流木乾く冬の浜

鶏のあしたの餌に大根の葉

小春日や胸を反らせてジェット発つ

 

開扉集        坂元正一郎 推薦

 

小六月人垣つくる大道芸         宮田 肇

陽を溜めて猫のまどろむ今年藁      石井 秀樹

灯に染まる顔流れゆく酉の市       有田 桜樹

参道を鈴鳴り通す大熊手         田中 茂子

がらんどうの校庭走る落葉かな      杉田 静江

英虞湾に一隻もなし神渡         旭  登志子

鶏の土浴びの凹お茶の花         大貫 ミヨ

焼並ぶ三崎や文化の日         斉藤 ふさ子

ミニカーを肌身離さず七五三       福島 晴海

学らんのカラーひやりと今朝の冬     中山 敏

枯蓮の水に濁りのなかりけり       野地 邦雄

暮れなずむ庭に灯るや石蕗の花      岩﨑 よし子

一葉忌一輪挿しの文机          佐藤 啓三

笹鳴や梁の黒ずむ葭長者         井村 隆信

霧奔る丘に佇む親子馬          綾野 知子

葬列の先行く父や通草の実        柏﨑 芳子

診察券呑み込む器機や肌寒し       春日 春子

百畳の黄葉を広げ大銀杏         重原 智子

竹林へ駆け込む嵯峨の時雨かな      加藤 田鶴栄

さらさらと落葉あつまる集会所      宮澤 清司

木枯の道となりたり馬頭尊        宮沢 とも子

茶の花や知覧の海に風立ちぬ       髙堀 煌士

冬日差し筑後の流れさんざめく      進藤 かおる

蒼天や伊吹を隠す稲架襖         南後 勝

夕時雨いそぎとりこむ加賀暖簾      大西 きん一

片手あげ今朝の挨拶枯蟷螂        吉井 博子

山小屋の煙の立てる冬初め        松下 弘良

鑿の背の冬日返して町工場        内田 吉彦

御手洗に杓の溺れて神の旅        武藤 風花

父さんは「麦蒔」と言ふ留守居の子    中野 文子

 

選後一滴          坂元正一郎

 

小六月人垣つくる大道芸        宮田 肇

小六月は冬でありながら汗ばむ陽気のことで、「小」は接頭語であるから六月の陽気に準ずる、くらいの意だろうと歳時記辞典(榎本好宏著)にある。小六月は小春の傍題で他に小春日、小春日和、小春凪等が俳句でよく用いられている。大道芸には都の公認制度もあり、一定の審査基準をパスした人たちの芸とあってか見る人を魅了する。掲句は初冬のポカポカ陽気も手伝ってか、大道芸に見入る人垣が公園の片隅に浮んでくるような作品である。

 

を溜めて猫のまどろむ今年藁     石井 秀樹

今年藁は新藁の傍題。その年に収穫した稲の新しい藁のことで、まだ少し青みが残っており清々しい匂いがする。掲句の上手なところは上五、中七の「陽を溜めて猫のまどろむ」と読者の興味を誘い、答の「今年藁」を座五に配置したところにある。答は「下五」にと言う技法は先師重次の教えでもあった。

 

灯に染まる顔流れゆく酉の市      有田 桜樹

参道を鈴鳴り通す大熊手        田中 茂子

酉の市は十一月の酉の日に行われる寺社の例祭で関東地方では鷲神社が有名であるが、日本各地の寺社でも行われる。縁起物の「熊手」を求めての賑わいは年末の風物詩である。二句とも酉の市を詠った作品。一句目は熊手を商う露天商の混雑した通りを流れるように進む人々の顔に焦点を絞った作品。上五、中七の「灯に染まる顔流れゆく」の措辞に鷲神社の酉の市の賑わいを彷彿とする。二句目は酉の市の混雑を抜けた辺りの家路に向けた参道での作品。中七の「鈴鳴り通す」の措辞が読者の想像力を喚起する詩情豊な作品。

 

英虞湾に一隻もなし神渡        旭  登志子

神渡は神無月に吹く強い西風で出雲へお旅立ちになる神々を送る風の意、と歳時記にある。神々を帆船で出雲へお送りすることを想像すると風向きが気掛りになる。そこはヨットレースのタッキングと言う操船操作でも理解できるが、帆が受けた風力を横に押す力と前進させる力に分散させながら前進できることで納得がいく。英虞湾は三重県の志摩半島南部にある湾で真珠の養殖でも有名。掲句の中七「一隻もなし」とした断定には船で旅立った神々をも想像させられ、英虞湾の美しさと併せて鑑賞することもこの作品の味わい方である。

 

扉1月号

 

主宰詠

零しては又水こぼす添水かな

蒼天の湖岸通りや花梨カリン榠樝の実

豊年や首をすくむる万治仏

手水舎のこぼす手水や小鳥来る

秋の虹銀座八丁跨ぐかな

秋空やぎつしり詰まる駐輪場

天辺へ大樹よぢりて蔦紅葉

鳥籠の行つては戻る目白かな

いつの間に本屋の消えて文化の日

行秋の目抜き通りをちんどん屋

 

開扉集      坂元正一郎 推薦
新米と大書して売るおにぎり屋         井村 隆信
秋の日を刻む奇岩や舟下り           三木 康正
秋彼岸盤台の箍締め直す            宮田 肇
拳骨のごとき凸凹花梨の実           福島 晴海
灯を消してひとりの家の良夜かな        杉田 静江
大花野起伏の彼方海光る            平野 久子
擂りこぼす程擂り鉢のとろろ汁         内田 正子
朝霧や蹄の音の草千里             魚谷 悦子
台風の産み落したる夕陽かな          佐藤 啓三
天高し庭師仕上げの空鋏            有田 桜樹
結ひ直す垣根にふらり木樵虫          野地 邦雄
柿熟るる耳豊かなる万治仏           渋谷 伊佐尾
わつぱらの囃す真中に穴まどひ        中野 陽典
機関車の追ひつ追はれつ稲雀         中山 敏
山鳩の妻呼ぶ声や木の実落つ         岩﨑 よし子
鳥渡る石碑にしるす元寇史           山本 宏
鍬だこの残る姉より今年米           加藤 田鶴栄
蔦紅葉レンガの家を燃えたたす        古田 侑子
夕映えに菊師の鋏鳴りどほし          山根 孝子
歯朶の葉を着て松茸の届きけり         春日 春子
山門をつつめる霧の奥深し           藤本 冨美子
指先に纏る風や菜を間引く           宮澤 英子
半歩づつ下りる階七五三            金納 義之
秋の簗一葉を捕へ放さざる           武藤 風花
天に尻向けて太るや榠樝の実         中川 文康
秋茄子の紫を盛る朝の市            中野 文子
青栗をたたき落として豪雨去る         吉井 博子
そこはかと香り来たるや金木犀         重原 智子
霧晴れて大桟橋に豪華船            有田 辰夫
売れ残る仔犬眠りて秋灯            大西 公一

 

選後一滴          坂元正一郎

 

新米と大書して売るおにぎり屋     井村 隆信
近頃「御握り」を売りにした店が人気を集めていると言う。御握りの美味しさは、その種も然る事ながら米が美味しくなくてはならない。米の美味しさは米の銘柄にもよるが、米が「新米」とくれば御握りの売れ行きも請合いである。掲句の眼目は上五、中七の「新米と大書して」にある。この「大書」に御握り屋の心意気が伝わってくるような作品である。

 

秋の日を刻む奇岩や舟下り       三木 康正
舟下りは日本各地で行なわれており四季折々の楽しみ方がある。また、自然の造形美である奇岩を愛でながらの舟下も一興と言うもの。句の眼目は上五、中七の「日を刻む奇岩」にあり、秋日和の変化に富んだ岩肌を言い得て妙。船頭さんの巡り来る景色の案内が聞こえて来るようだ。

 

秋彼岸盤台の箍締め直す        宮田 肇
秋彼岸は秋分の日をはさんだ七日間のこと。法要や墓参を行い祖先の供養をよくする。盤台とは魚屋が魚を運ぶのに用いる浅くて大きい楕円形の盥のこと。と辞書にある。宮田さんのお仕事は存じ上げないが、中七、下五の「盤台の箍締め直す」という措辞と秋彼岸とが相俟って次なる目標へ向けた決意めいたものや、魚に対する供養の意をも伝わってくる妙な作品である。

 

拳骨のごとき凸凹花梨の実       福島 晴海
 花梨と言うと掲句のような凸凹とした花梨が浮んでくる。花梨の実を詠った扉の近作として、田中茂子さんの「どの貌も佛頂面や榠樝の実」と言うのが昨年あった。こちらも花梨の凸凹としたイメージを踏まえた作品。福島さんの作品の佳さは花梨の凸凹としたところをストレートに「拳骨のごとく」としたところであり、読者の共感を呼ぶ作品である。

 

結ひ直す垣根にふらり木樵虫      野地 邦雄
木樵虫はミノガ科のガの幼虫。体から分泌した糸で樹木の枝や葉を綴り蓑のような巣を作る蓑虫のこと。中七の「ふらり」を辞書に当たると、「不安定に力なく一回揺れ動くさま。」とある。掲句の蓑虫は垣根の手入れに驚いてか、その場を逃れようとしたのだろう。何気なく発見した蓑虫を中七の「ふらり」とした措辞を得て、小枝にぶら下がる蓑虫の風情を見事に表現された。

 

扉12月号

 

主宰詠

主賓席あけて酒場の居待月

推敲のこぼす明かりや地虫鳴く

みちのくの海のあをさや花芒

村の灯のともれる頃やちちろ鳴く

爽やかや笛が指揮する鼓笛隊

船頭の竿にまつはる赤蜻蛉

湖からの風にさわめく真萩かな

乗場へと霧の攻めくるロープウェー

かりがねや一糸乱れぬ翅づかい

庭園の音のゆかしき添水かな

 

開扉集       坂元正一郎 推薦

松手入空を広げて終りけり           有田 桜樹
鶏頭の頭を摩り登校児             渋谷 伊佐尾
下の田に大声かけて豊の秋          武藤 風花
風に副ひときにさからふ鬼やんま       旭  登志子
活くるなり吹かるる形の花芒          杉田 静江
一株を引けば地の空く滑歯莧         春日 春子
ケーブルの影落しゆく花野かな        久下 萬眞郎
爽やかに少年剣士一礼す           中山 敏
葛のつる引けば動ける峡の空         宮沢 かほる
尼寺や匂ひほのかに葛の花          田中 泰子
爽やかや五山を渡る鳶の笛          佐藤 啓三
鰯雲問はずがたりの叟(そう)とゐて      綾野 知子
籠沼の水草紅葉たゆたへり           大貫 ミヨ
甘き香に出会すところ下り簗          堀江 良人
近道を抜けて芒の風に逢ふ          平野 久子
味見して送り先書く葡萄園           内田 正子
揺り籠に赤子をあやす豊の秋         井村 隆信
名月のアポロは遠くなりにけり         中野 陽典
語部の影を仄かに秋ともし           加藤 田鶴栄
新涼の風と渡るや交差点            白坂 美枝子
稗の田の主(あるじ)病みしと風に聴く     北爪 武夫
駅頭に伊予なまり聞く獺祭忌          金納 義之
牛の目の瞬き一つ残暑かな           中野 文子
たあいなき語り夜なべの手を休め        山根 孝子
何につけ酢橘を絞る阿波の人          井上 親朋
山城の天守に懸かる今日の月          豊田 和沖
積ん読の一冊を抜く夜長かな          山田 留美子
干瓢を干すやまぶしき鳶の舞          宮沢 とも子
花芒活けてもてなす古都の店          藤本 冨美子
捨て畑の隅や茗荷の花盛り           宮澤 英子

選後一滴          坂元正一郎

松手入空を広げて終りけり       有田 桜樹
 写生句はポイントを絞り、余分なものを捨てることが肝要だとよく言われる。欲張り過ぎは結果「内容の拡散」や「三段切れ」に成りやすく、リズムを生まない作品となる。俳句は季語の力を信じて流れるように気高く詠いたいものである。掲句の佳さは松手入を終えた「空」に焦点を絞り、他は何も喋っていないところにある。松手入の空を「空を広げて」と捉えたところが秀抜。流れるようなリズムが読者の想像を膨らませてくれる作品となった。 

鶏頭の頭を摩り登校児         渋谷 伊佐尾
 鶏頭花を掌で触った感触は、いわゆる布地のビロードを触ったときの感触に似ている。掲句は、登校の道すがら学童達が掌で鶏頭を摩ってその感触を楽しんでいる。即吟的に通学の一齣を切取った作品ではあるが、無邪気な学童達が浮んでくる。

下の田に大声かけて豊の秋       武藤 風花
 「豊の秋」は五穀、特に稻のよく出来た秋に使われる季語であり、「下の田に」の表現から掲句の田は棚田の稲刈りを連想しなければならない。句の眼目は中七の「大声かけて」にある。この措辞を得て活気溢れる棚田の稲刈りを読者に想像させる作品となった。

風に副ひときにさからふ鬼やんま    旭  登志子
 「鬼やんま」は力強く空を飛翔する。が、「鬼やんま」とて風に副って飛んでいる方が疲労は少ないのだ。そこへ餌となる虫でも流れてきたのだろうか。ここは風に逆らってでも虫を追い駆けるのである。掲句の上五、中七は人の生き方とも重なるところがあって滑稽な作品でもある。

一株を引けば地の空く滑歯莧      春日 春子
 滑歯莧は一年草の植物で道端や畑などに地を這うように生えている。同属にマツバボタンがあり、夏に黄色の小さな花をつける。掲句の眼目は中七の「地の空く」であり、滑歯莧を引き抜いたときにできるあの空間を「地の空く」とした措辞に掲句の妙味が生まれた。

ケーブルの影落しゆく花野かな     久下 萬眞郎
 ケーブルはケーブルカーの略。誰もが一度は経験した情景である。下五の「花野かな」は先師の教えでもあった「答は座五に」「名詞で勝負」に通じており、中七の軽い「切れ」が大花野へと読者を誘う作品となった。

爽やかに少年剣士一礼す        中山 敏
 日本の四季の中では秋がもっとも清澄な感じがし、心身ともに爽快である。この秋の清々しさを「爽やか」という。剣道教室か塾での練習風景だろうか。掲句の中七、下五の「少年剣士一礼す」は常套的な感じはするが、季語「爽やかに」が良く効き少年剣士の一礼が浮ぶ作品となった。 
近道を抜けて芒の風に逢ふ       平野 久子
 近道を試みて道に迷った経験は大なり小なり誰にでもあると思うが、例え迷っても所在の分る地点に辿り着くと焦燥感も消えて安堵感を覚える。掲句の中七、下五の「抜けて芒の風に逢ふ」には道に迷ってやっとの思いで抜け出られたときのような喜びが感じられて妙である。

名月のアポロは遠くなりにけり     中野 陽典
 アポロはアメリカの宇宙船のことで、月面着陸成功から半世紀近くが過ぎようとしている。掲句の中七、下五の「遠くなりにけり」という感慨は「名月」という季語の斡旋があってこそである。満月を愛でながら、アポロとその往時を偲ぶのも此の作品の味わい方であろう。

新涼の風と渡るや交差点        白坂 美枝子
 「新涼」は暑いときの一時的な涼しさとは異なり、甦るような新鮮な情感と共に季節が変わったことを感じさせてくれる。掲句は、何気なく渡っている交差点の季節の変化を感じ取って、即吟的に作品になさった美枝子さんのお手柄である。中七の「風と渡るや」に詩情がある。

牛の目の瞬き一つ残暑かな       中野 文子
 今夏は記録的な猛暑日の連続だった。そんな中、酪農家は牛を冷やす等して牛の食欲低下に気を配ったと聞く。掲句の眼目は中七の「瞬き一つ」にある。下五の「残暑かな」と相俟って、「何時までも暑いねー」と牛が語り掛けてくるようである。

 

 

 

扉11月号

 

主宰詠

潮騒のせまる河口や盆の月

地下街の人にまじれる盆の僧

法師蝉鳴いて沸き立つ寺領かな

木道の先へさきへと秋の蝶

大輪は風のまつはる牽牛花

一湾の波の静まり星月夜

休館へ返す冊子や桐一葉

新涼や夕づく川のしやべり初む

秋日傘さして下船の修道女

母と娘の視線をあつめ流れ星

 

開扉集    坂元正一郎 推薦

裏干しのブルージーンズ涼新た         中山 敏
十階の空の混み合ふ赤とんぼ          有田 桜樹
僧の影風に変はるや解夏の寺          佐藤 啓三
魂送り五山は闇を寄せつけず          旭  登志子
其所此所に風の残れる猫じやらし        渋谷 伊佐尾
托鉢の空の鉄鉢いわし雲             宮田 肇
盥湯の母は幻天の川                斉藤 ふさ子
ひよつとこを脱げば子供よ秋祭          三木 康正
雁飛来北の灯台いくつ越ゆ            平野 久子
二の腕を月に晒して盆踊              田中 泰子
幾何代数再び開く良夜かな            野地 邦雄
夏の霧生みつぐ渓の底ひかな          大貫 ミヨ
藤村忌少女の描く水彩画             福島 晴海
肝だめし果ててすずろに天の川         綾野 知子
街路樹の青あをとして終戦日           杉田 静江
山々を照らして低き盆の月             野口 晃嗣
打水に風動き出すのれん街            白坂 美枝子
鳥渡る切り立つ尾根のはるかにも         鈴木 ゆう子
紺碧の空やヨットの総練習(高校総体)      山浦 比呂美
流灯や闇を揺らして流れをり            松下 弘良
大徳もジーンズ穿いて夏明かな          橋本 瑞男
束の間に野面を染めて赤とんぼ          山根 孝子
手花火の果てて静寂の子等つつむ        宮沢 かほる
子が繋ぐ父母の会話や敬老日           武藤 風花
涼しさは信号待ちの木の間風            山口 恵子
ひぐらしの言葉にならぬ弔意かな         大西 きん一
故郷は井戸ひとつのみ鳥渡る           加藤 田鶴栄
流燈をついと湖上に幼き手             有賀 直美
梵鐘を撞く衣手に秋の風               村山 トシ
有り丈のスリッパ揃へ霊迎              中川 文康

選後一滴          坂元正一郎

裏干しのブルージーンズ涼新た     中山 敏
「新涼」は秋になって初めて催す涼しさのこと。夏の暑さの中の一時的な涼しさとは違った新鮮な情感があり、季節の移ろいを感じさせる季語である。裏干しのブルージーンズに季節の移ろいや爽やかな秋空をも連想させられる。下五の「涼新た」の効いた作品である。

十階の空の混み合ふ赤とんぼ      有田 桜樹
 赤蜻蛉は夏の暑い間は高地の涼しいところで過ごし、秋になって涼しくなると平地へ戻ってくると言われている。赤蜻蛉を目にするようになると秋の到来を感じるもの。群れ飛ぶ赤蜻蛉を中七の「混み合ふ」とした措辞に、歩行者天国の人通りをも連想する俳諧味のある作品である。 
僧の影風に変はるや解夏の寺      佐藤 啓三
大徳もジーンズ穿いて夏明かな     橋本 瑞男
 解夏、夏明は僧侶が一夏九旬(九十日間)外出しないで一室に籠って修行する案居を解くことと歳時記にある。僧侶とて九十日間も拘束されれば世間一般の用事も有ることだろう。一句目、そそくさと寺を出て行く僧侶達の情景が浮んでくる。掲句はそのような解夏の寺を上五、中七で巧みに表現された。二句目、中七に案居の解けた僧侶の開放感が表現された愉快な作品である。

其所此所に風の残れる猫じやらし    渋谷 伊佐尾
 「猫じやらし」は町の空き地などでもよく見掛ける。空き地一面の猫じゃらしは、風が弱まると揺れるところと揺れないところの斑(むら)が生じる。掲句は、その斑を「風の残れる」と巧みに表現された。重次句の「風去りしあとさざなみのげんげ畑」が浮んでくる。

托鉢の空の鉄鉢いわし雲        宮田 肇
托鉢は修行僧がお布施を受けてまわることで、そのお布施を受ける器のことを鉄鉢と言うと辞書にある。托鉢は駅周辺にも立っており、通り掛かるとよく鈴を鳴らされる。托鉢の立っている周囲の視線が気になってか、知らぬ振りをして通り過ぎる人が多い。掲句は鉄鉢が空だとする作品であるが、「いわし雲」は「入道雲」と違って一抹の哀愁を帯びた雲であり、空の鉄鉢とどこか響き合っている。

二の腕を月に晒して盆踊        田中 泰子
盆踊は盂蘭盆に精霊を迎え慰めるための音頭または歌謡に合わせてする踊りのことと辞書にある。地域の広場などを盆踊の会場として列や輪になって踊る。掲句は上五、中七の措辞を得て、踊り手の仕草が音頭と共に良く見えてくる詩情あふれる作品である。

街路樹の青あをとして終戦日      杉田 静江
戦争末期の日本の主要都市はアメリカ軍の原爆投下や空襲で焦土化した。そこは今日の潤いある街並からは想像を絶する世界だったことだろう。掲句は変哲もない街路樹の緑が「終戦日」と響き合って、戦没者への鎮魂と平和の尊さとを読者に暗示している作品である。

打水に風動き出すのれん街       白坂 美枝子
 「暖簾街」を辞書に当たると百貨店の老舗や有名店のテナントを集めた食品売り場。また、飲食店や土産物店などの並ぶ街とある。掲句の打水は商売人のお客に対する持て成しの気持でもあろう。中七の「風動き出す」には暖簾街の涼風や客足の増え始めたことをも連想させられる。 
紺碧の空やヨットの総練習       山浦 比呂美
 今年の高校総体のヨット競技は唐津で開催された。山浦さんはその唐津にお住まいである。空の青とヨットの白とのコントラストが印象的な作品である。総練習は全員が参加する総仕上げの練習のことで、ヨットの浮かぶ唐津湾の壮大な景が浮んでくる。

手花火の果てて静寂の子等つつむ    宮沢 かほる
手花火の楽しさは家族や仲間が一つになれるところにもある。子供達は花火に火を付けるまでは固唾を呑んで待っている。花火が絶頂に達すると歓声が上がるが、花火が果てた途端子供達は静寂の中となる。中七、下五の措辞に次の花火の準備をしている作者をも浮んでくる。

子が繋ぐ父母の会話や敬老日      武藤 風花
敬老の日とあってお子さんが訪れたのであろうか。上五、中七は会話の少ない父母の間を繋ぐようにして、お子さんが話題提供をしているのである。和やかな敬老の日の一齣が浮んでくる。作者は傍らで料理でも作っていらっしゃるのだろう。

扉10月号

 

主宰詠
青葡萄房の向かうは安房の海
はらわたは潮に流し沖膾
凌霄の花は夕陽を離さざる
夕立の真つ先にくるトタン葺
ででむしの渡り初めたる流れ橋
指先に風邪をうかがふ天道虫
人の来る度にはなやぐ風鈴屋
水打つて又も水打つ鮮魚店
向日葵のどれも俯くのつぼ哉
サングラス掛けておしやまな園児かな

開扉集      坂元正一郎 推薦
両の掌に押しいただきて岩清水      宮田 肇
凌霄の花の燭立つ医家の門        井村 隆信
参道の急峻せかす蝉時雨         有田 桜樹
片陰にみんな納まる立話         杉田 静江
ひとり居へ夜辺の風鈴語り出す      内田 正子
売言葉胸にしまひて冷奴         平野 久子
望洋の墓碑に名はなく草いきれ      三木 康正
糠床の天地を返す土用かな        旭  登志子
ふるさとは海かも知れず蝸牛       斉藤 ふさ子
オカリナの音色涼しき小ホール      高橋 文子
草いきれ抜け総身に海の風        中山 敏
でこぼこに日傘行交ふ銀座かな      佐藤 啓三
夏掛や子のくびれたる太きもも      野地 邦雄
山門に鴉の鼎談油照り          守屋 猛
五月雨の音に籠もれる女人寺       魚谷 悦子
草笛の風に乗り来る夕堤         久保 研
すれ違ふ人の団扇が道標         車  匡史
かまきりの斧ふりあげて生まれくる    小口 二三
向日葵の俯くほどに夕日差す       松下 弘良
一盞の梅酒に火照る足裏かな        山根  孝子
一島へ遠泳に付く手漕ぎ舟        南後 勝
蛇の衣脱ぎ捨ててあり辻地蔵       宮沢 かほる
舞ひ終へし卒寿の人の夏衣        加藤 田鶴栄
油照り手水の澄める大社         山口 義清
母の手を添へて幼の花火かな       有賀 直美
ポツポツと音立ててより喜雨激し     山浦 比呂美
夕凪や滑るが如き釣の舟         進藤 かおる
退院の一歩に迫る油照り         金納 義之
託されし留守居の音色軒風鈴       藤本 冨美子
カフェテリア麦藁帽を持て余す      中川 文康


選後一滴          坂元正一郎

両の掌に押しいただきて岩清水     宮田 肇
 「押し頂く」を辞書に当たると、物をうやうやしく顔の上にささげる、とある。掲句は中七の押しいただくの措辞を得て、両手で岩清水を汲んで飲むときのあの情景が遺憾なく表現されている。また、自然に対する作者の畏敬の念のようなものも見えてくるのではないだろうか。

参道の急峻せかす蝉時雨        有田 桜樹
 掲句の参道に山形の立石寺(山寺)が浮んだ。芭蕉の「閑さや岩にしみ入(いる)蝉の声」で有名な寺である。千段余りの石段を登り詰めれば天台宗の寺がある。中七の「急峻せかす」には参拝に逸る作者の気持が表現されており、下五の「蝉時雨」と相俟って味わい深い句である。

片陰にみんな納まる立話        杉田 静江
 道端の木陰で世間話をしている仲の良さそうな三、四人の情景が浮んでくる。中七の「みんな納まる」に立話をしている人の数や仲の良さ加減までも伝わってくる句である。重次句に「緑陰を抜けて寡黙にもどる妻」がある。

ひとり居へ夜辺の風鈴語り出す     内田 正子
 掲句の舞台設定はこうだ。一家団欒の夕食の時間が過ぎると皆は各々の部屋に戻ってしまう。一人残された作者は何かの物思いを始めるのである。そこに軒の風鈴が話し掛けるようにチリンーと鳴る。掲句の読者は風鈴と作者との会話に想像を膨らませるのである。

ふるさとは海かも知れず蝸牛      斉藤 ふさ子
 蝸牛の殻にはオウム貝を連想させられる。オウム貝は海に生息する生きた化石と呼ばれる巻貝の一種。近頃は深海探査技術の進歩と相俟って海底資源の探査や海洋生物のバイオ分野への応用に向けた調査が盛んと聞く。蝸牛を介して深海の神秘へと思いを馳せることも一興である。

夏掛や嬰のくびれたる太きもも     野地 邦雄
 幼児の成長は気持の良いもので、哺乳瓶のミルクを息もせずに飲む姿には命の力強さを感じさせられるもの。中七、下五は誰もが目にしている情景であるが、見たままをポイントを絞って句になさったことがよかった。ふっくらと育った赤ちゃんの寝姿が浮んでくる。

山門に鴉の鼎談油照り         守屋 猛
 鴉は鳥の仲間では一番賢いといわれており、訓練すると人の言葉を話すようにもなる。鼎談は三人が向かい合って話をすることである。掲句の鼎談は鴉の泣き声であるが、何かの情報交換をしているのだろうか。耳障りなあの鴉の鳴き声を「鴉の鼎談」としたところに諧味が生れた。 
すれ違ふ人の団扇が道標        車  匡史
 道標は道案内のことで、その標示物である。掲句は団扇が道標であるとする見立てによって一句が生れた。この句の鑑賞のポイントは団扇が何の団扇なのか、あれこれと想像を膨らますところから始まる。車さんは今回が初めての投句であり今後が楽しみである。

向日葵の俯くほどに夕日差す      松下 弘良
 向日葵は夕方になると日中の日差しを受けた疲れからか花が俯いてくる。掲句の作者は花の俯き加減と夕日の差し方に一つの相関を発見し中七の措辞を得た。あの項垂れる向日葵を労(いたわ)るかのような赤い夕日が浮んでくる。

一盞の梅酒に火照る足裏かな  山根  孝子
 私達の足はよく第二の心臓と言われている。足先まで来た血液を心臓へ再び戻すポンプのような役目を足全体が担っているからで、血液循環と体の健康とは密接な関係があるといわれている。血行のよい足裏は健康の証しだと言えるのかもしれない。掲句の要は下五の「足裏」にある。

退院の一歩に迫る油照り        金納 義之
 人は一週間も横になっていると足元が不安になってくる。況(ま)してや退院で病院を出るときは、予後に対する一抹の不安も過るもの。掲句の構図は病み上がりの身に容赦なき炎天の出迎えというところである。俳句はよく陰陽のバランスを問われるが、下五の「油照り」は動かない。

カフェテリア麦藁帽を持て余す     中川 文康
 麦藁帽子は真夏の必需品である。炎天下の麦藁帽子は手放せないが込み合うカフェテリアでは置き場所に困ったりもする。家族で来れば帽子の数も嵩むというもの。麦藁帽子を持て余す主人公の所作が滑稽な句である。

 

 

扉9月号

 

主宰詠

あめんぼの一つ動けばみな動き

集落をなして七つの蟻の塚

軽鳧の子に序列のありぬ二重橋

虹消えて又売り声の鮮魚店

硝子戸に咽にくひくと守宮かな

研学の街なかなれど行々子

草刈りの草の匂へる野川かな

大茅の輪バイクでくぐる御用聞き

中庭に産着のかわく夏館

梅雨晴れや頭上をうなるプロペラ機

 

開扉集      坂元正一郎 推薦
夏空へひねる巨体やイルカシヨウ     有田 桜樹
村を統ぶ筑波山を踏まへ雲の峰       宮田 肇
写経会や御堂の裏の蟻地獄        杉田 静江
流れより抜かれて鮎の攩網にくる     石井 秀樹
梅雨晴間校舎貫くブラスかな       佐藤 啓三
雨しとど谷埋め尽す濃紫陽花       久保 研
朝練のトランペットや瓜の花        杉山 俊彦
伊賀者か甲賀の者か守宮落つ      中山 敏
親つばめ出入せはしや大手門      旭  登志子
樗咲くうすむらさきの大和かな       井村 隆信
親方の屋根で一服梅雨晴るる       斉藤 ふさ子
端居して妻の横顔うかがへり        野地 邦雄
沼尻の水湧くところ花菖蒲         田中 茂子
猫の尾のしなやかに立つ梅雨晴間    渋谷 伊佐尾
夏霧の晴れて広がる棚田かな       山本 宏
万緑の淵瀬へ禊ぐ蛇石かな        守屋 猛
プール開く二の腕さする一年生      重原 智子
さんざめく京の二階の簾かな        金納 義之
引揚の仮寝に鳴きしやもりかな       井口 実
乱歩読む夜半に守宮の落つる音     福田 誠治
釣り上げし鮎と囮と一つ魚籠        武藤 風花
野生馬の瞳は遠き夏の海          山口 恵子
牡丹咲く伽藍に続く石の道         西谷 髙子
葉隠れのまた火を灯す恋蛍        堤  淳
禅寺へ一本道やみちをしへ        大西 公一
鬼ごろしなどと言ふ酒栗の花        宮澤 英子
つばめの子勇を鼓したる空信濃      山口 義清
万緑の中を駆け来るローカル線      宮澤 清司
安曇野へ一株分けて花あやめ       松下 弘良
田植女の缶コーヒーで休みをり      上原 赫

選後一滴       坂元正一郎選

写経会や御堂の裏の蟻地獄       杉田 静江
 仏像や写経、座禅やお遍路といった仏教文化に興味を持つ女性たちが静かに増えているという新聞記事があった。女性の社会進出の増加にも関係するのだろう。心の安らぎや供養のためにお釈迦様の教えを書写することを写経と呼ぶ。仏教にはすべての生き物の殺傷を禁ずる教えがあるが、この教えと蟻地獄との落差に掲句の妙味が生れた。

夏空へひねる巨体やイルカショウ    有田 桜樹
 イルカショウのジャンプの一瞬を切り取った作品である。イルカショウは一年を通じて行なわれているが、夏空へ跳ね上がった巨体の上げる水しぶきを浴びながらの観覧こそ、イルカショウの醍醐味である。観覧席の親子がイルカの大ジャンプに歓声をあげている情景が浮んでくる。

村を統ぶ筑波山を踏まへ雲の峰  宮田 肇
 筑波山麓はつくば市など幾つかの市や町で構成されている。山麓の長閑な眺めからは「村」を統ぶの表現に納得する。地域にどっかり腰をすえた筑波山だが、その「筑波山を踏まえ」とする措辞に「雲の峰」の育っていく様子が連想され、筑波山一帯の大景が浮んでくる。

梅雨晴間校舎貫くブラスかな      佐藤 啓三
 ブラスはブラスバンドの略称のことで、金管楽器を中心に編成した楽団のことである。中七の「校舎貫く」の措辞を得て、学校全体が鳴り響くような迫力が生れた。また、切字「かな」が「作者は語らず」の効果を生み作品に対する鑑賞の幅が広くなった。

親つばめ出入せはしや大手門      旭  登志子
 燕は春の季語であるが、子育て中の親燕を歳時記では夏の季語としている。大手門は城の正門にあたり、 防御のための厳重な造りが施されている。本来は出入りが厳しく監視される大手門であるが、子育てのために無心に出入りしている親燕の姿が俳味を醸し出している。

樗咲くうすむらさきの大和かな     井村 隆信
 樗(おうち)は夏に緑陰をつくる落葉樹の栴檀(せんだん)のこと。六月ごろ薄紫色の小さな花が咲く。大和は日本の異称で今の奈良にあたる。大和政権発祥の地で飛鳥京などが置かれた。樗の花に大和を取り合わせた作品で流れるようなリズムが心地好い。大和朝へと思いを馳せるのも一興というもの。
親方の屋根で一服梅雨晴るる      斉藤 ふさ子
 屋根普請での一齣だろう。梅雨時の屋根屋は晴れ間を縫って仕事は引っ切り無しである。暫しの休憩をするための梯子を上り下りする暇も惜しみ、ここは手軽な缶コーヒーなどで一服といったところだろう。

夏霧の晴れて広がる棚田かな       山本 宏
 高山や高原、海浜などでは夏に霧が発生することがある。この霧を「夏霧」という。掲句は何が何してという構成で因果関係が上から下に続く形式の句。読者には句の展開を上から下へとたどる楽しみがある。ここの「かな」も軽く詠み流した「かな」で句意に叶っている。

プール開く二の腕さする一年生     重原 智子
 小学校の授業の水泳だから少々の天気の悪さはお構いなしで行なわれる。一年生ということもあり、まだプールが苦手な児もいるのだろう。中七の「二の腕さする」にプールに入ることを躊躇する子供達の様子が手に取るように浮んでくる。

引揚の仮寝に鳴きしやもりかな     井口 実
 終戦の引揚げの回想を作品になさった。「仮寝に鳴きし」の措辞に、人々の不安や終戦時の混沌とした時代模様をも連想させられる作品である。守宮の生息分布はアジアの熱帯、亜熱帯といわれ、仮寝の地も想像の付くところである。

禅寺へ一本道やみちをしへ       大西 公一
 「みちをしへ」は甲虫の仲間でハンミョウの俗称である。道に沿って人の前を飛ぶのでいう。一本道なのに道案内とは禅寺の持て成しも中々のものである。重次句に「たたずめば行方しれずのみちをしへ」もある。

鬼ごろしなどと言ふ酒栗の花      宮澤 英子
 「鬼ごろし」は辛口の強い酒で「鬼よけ」ともいう。栗の花は独特な臭気があり、句にするにしても難しさがある。毒を以って毒を制するではないが、宮澤さんは「鬼ごろし」という強い酒を取り合わせることで一句になさった。

扉8月号

 

主宰詠

葉桜や胸にふくよかなブロンズ像

自転車にくくるカンバス若葉風

麦秋や声をからして選挙カー

傘雨器や箸の太さの田舎そば

幟立つ田んぼのなかの一軒家

蕗畑へ雨足せまる日暮かな

保育所やひとかたまりの芥子坊主

大路から小路へまがり荒御輿

デパートの中へなかへと子の御輿

アカシアの花のこぼるる検察庁

 

開扉集   坂元正一郎主宰選

絵馬揺らす神の息吹や若葉風       高橋 文子

岬へと続く石段青すすき         石井 秀樹

球場のどよもす夜や夏来たる       有田 桜樹

雁帰る六文銭の陣の跡          井村 隆信

柏餅女系の家の神棚に          堀江 良人

昼寝子の頬に涙のうすき跡        杉田 静江

筆立に覗く鉛筆夏に入る         渋谷 伊佐尾

豆腐屋のラッパ響くや蚊食鳥       金子 京子

田水張り目覚めはじむる父の里      内田 正子

筑波嶺に雲の湧き立つ立夏かな      平野 久子

落し文妻は何でも知りたがり       中山 敏

瀬戸内に傾るる棚田風薫る        三木 康生

髪切つて項に敏き若葉風         田中 茂子

白南風や橋また橋の隅田川        綾野 知子

一掴みづつを括りて青菖蒲        大貫 ミヨ

新緑に白きビル浮く浜離宮        井上 親朋

古里の書棚片して四月尽         小島 愛子

王妃の薔薇咲くやわが庭狭くして     吉井 博子

夕焼のアルプス仰ぐ道祖神        豊田 和沖

白浜や遊びつかれの昼寝の子       藤本 冨美子

幸村の無念の坂や青嵐          土谷 堂哉

浪速七坂巡る一ト日の白日傘       山口 恵子

嵐電の窓開け放ち夏来る         大西 きん一

衣擦れの音の微かや夏衣         有田 辰夫

つばくらめ庇の低き直売所        宮沢 とも子

火蛾舞ふやたつた二行の遺言書      古田 侑子

天龍川へなだれて峡の山桜        宮澤 英子

満々と水百選の寺清水              山浦 比呂美

小覗きに木板の響き夏兆す            中川 文康

母の日へ父の日重ね子の土産           山口 義清

 

選後一滴          坂元正一郎

絵馬揺らす神の息吹や若葉風      高橋 文子

絵馬を揺らす風は神の息吹だとする断定で一句としている。神の息吹に若葉風を重ねて、大願成就をなさった作者の安堵感のようなものも漂ってくる作品である。お礼参りの情景だろうか。

岬へと続く石段青すすき        石井 秀樹

青芒はまだ穂の出ていない青々とした芒のことで、清々しさをも感じさせられるものである。青芒と海の白波との色のコントラストが印象的な視界の開けた大きな景が浮んでくる作品。

球場のどよもす夜や夏来たる      有田 桜樹

テレビでの野球観戦は帰りのことを心配しなくてすむが、緊迫したプレーと観客席とが一体となった臨場感は味わえないものがある。球場の沸騰振りは場外にも伝わってくるもので、ビールが欲しくなるような一句でもある。

柏餅女系の家の神棚に         堀江 良人

柏餅は五月五日の端午の節句の供え物のことで、男子が生れて始めての節句を初節句という。掲句は女系家族の神棚に供えられた柏餅の作品であり、ご家族の男子誕生の慶びが伝わってくる。上五と中七、下五との取合せが絶妙な作品である。

筆立に覗く鉛筆夏に入る        渋谷 伊佐尾

シャープペンシルの普及で鉛筆を使うことが少なくなったが、鉛筆を削ったときのあの木の匂いは懐かしいものがある。何の変哲もない筆立の鉛筆ではあるが、鉛筆の持つシンプルさと季語とが相俟って一句になった。句材は身近に在るものである。

豆腐屋のラッパ響くや蚊食鳥      金子 京子

蚊食鳥は蝙蝠の別称である。日暮になると捕食のための乱舞が始まる。近頃は豆腐売りのラッパの音を耳にすることも少なくなったが、なんとなく郷愁にかられるものである。暮れなずむ空を乱舞の蝙蝠の下に、豆腐売りの景が浮んでくる。

落し文妻は何でも知りたがり      中山 敏

「落し文」は新緑の時期にオトシブミ科の昆虫が広葉樹の葉っぱに卵を産みつけ、落し文のように筒状に丸めたもの。時には地面に落ちていることがある。嫉妬深い奥様でしょうか。手紙としての「落し文」と夫思いの奥様とを重ねた、夫婦愛を感じさせられる作品である。

夕焼のアルプス仰ぐ道祖神       豊田 和沖

掲句の面白さは雄大なアルプスと道祖神という小さな祠との取合せに妙味の生れた作品である。俳句技法としての遠近法が生かされた作品で、一茶句の「悠然として山を見る蛙かな」が浮んでくる。

火蛾舞ふやたつた二行の遺言書     古田 侑子

火蛾は夏の夜の灯火に集まってくる蛾のことで、火取虫とも呼ばれている。火蛾の舞いは時には狂ったように頭から灯火にぶつかったりもする。このような火蛾の切迫感を中七、下五と重ねて短い遺言書を作品になさった。

天龍川へなだれて峡の山桜       宮澤 英子

公園や川堤の桜はまとまりがあって豪華さを伴う。一方、遠山の山桜は墨絵のようなといった趣である。掲句の山桜は一定のまとまりがあるのだろう。上五、中七の措辞で桜の渓谷美を彷彿とする。

満々と水百選の寺清水         山浦 比呂美

水百選とくれば、北海道から沖縄までの各地の名水が選定されている、環境省の「名水百選」が浮んでくる。上五の「満々と」とした措辞に水百選たる滾々と湧出る寺清水の情景が見えてくる。

小覗きに木板の響き夏兆す       中川 文康

掲句は浜離宮恩賜庭園での鴨場の吟行句である。小覗きは鴨を誘き寄せる水路を覗くための小さな覗き窓のことで、当時はこの窓から鴨の様子を見張ったという説明書きがあった。鴨の到来を知らせるための木板の響きが下五の「夏兆す」と呼応している。

母の日へ父の日重ね子の土産      山口 義清

五月の第二日曜日にカーネーションを添えて母に贈物をする日が「母の日」として定着している。一方、父の日は六月の第三日曜日とされているが、母の日と比較すると影の薄い感がする。季重なりではあるが、主題は母の日の作品。このような序でのプレゼントも嬉しいもの。

扉7月号

 

主宰詠

消印の有らぬ封書や万愚節

家の灯を点してよりの花疲

遠足のバスに手をふる親と親

人影の点々として潮干潟

姉吹けば妹も吹いて石鹸玉

筍の剥き身もありて道の駅

熊蜂や己が羽音におくれ来る

雲雀野を流るる川の海に入る

カーナビに無き道はしり四月馬鹿

どんたくの音軽やかに杓文字かな

 

開扉集           坂元正一郎 推薦
一面に色ある風や芝桜                 有田 桜樹
草餅や江戸の絵地図の包み紙            井村 隆信
アルバムに辺境の旅更衣               岩﨑 よし子
星々のまたたきおうて春惜しむ            中山 敏
恍惚になりしと孫に四月馬鹿             平野 久子
若布刈る海もろともの重さかな            金子 京子
野火猛る蓼科山の風を得て             杉山 俊彦
若鮎のひつぱる糸や日を弾く            野地 邦雄
花冷えや古都包みこむ鐘の音           岩田 惇
柿若葉鴨居の低き一葉館(甘草屋敷)      込山 照代
芭蕉子規虚子を語りて日の永し          溝口 昇
四月馬鹿当てにせぬ子の世話になる       内田 正子
風光る鳶の上ゆくグライダー            北爪 武夫
夜ざくらや風に乗り来る京言葉           田中 泰子
春田打三輌で行く土讃線              野口 晃嗣
コップ酒花の暖簾を顔で出る            武藤 風花
巣燕に軒貸す村の消防署             大西 公一
野火逃げて立木を走る炎かな           小口 二三
神の守る根津のさつきの勢(きほひ)かな     井口 実
花見鯛一段高き競りの声              井上 親朋
ただ一つ旅のみやげの春の風邪         白坂 美枝子
七色のマカロン供へ仏生会            豊田 和沖
雪形を見上ぐる里の道祖神            山田 留美子
春昼やパセリきざんでスープのむ        重原 智子
落葉松の芽吹く天辺風生るる          宮沢 とも子
ロープウエイ桜の中に下りて来ぬ        井口 幸朗
春嶺を空に押し上げ伊那の谷          宮沢 かほる
空に水あふるる如し藤咲けり           吉井 博子
いすがらに雲雀の下の畑仕事          山根 孝子
引く波の足裏擽る汐干狩             中川 文康

 

選後一滴                 坂元正一郎

一面に色ある風や芝桜         有田 桜樹
秋の風を「色なき風」とする季語があるが、掲句はこの「色なき風」と反対の「色ある風」を中七に置き読者の興味を誘ったところが巧みである。芝桜は広場などに毛氈を敷いたように紅、白、淡青の可憐な花をつけて人々を楽しませてくれる。ここを吹く風はまさしく「色ある風」である。

草餅や江戸の絵地図の包み紙      井村 隆信
草餅の歴史は古く平安朝までも遡るといわれ、そんな歴史ある草餅とそれを包む包み紙に江戸の絵地図をつき合わせた味わい深い作品である。絵地図を眺めながら「半七捕物帳」や「鬼平犯科帳」等の時代小説の舞台へと思いを馳せるのもこの作品の楽しみ方である。 
風光る鳶の上ゆくグライダー      北爪 武夫
 グライダーはエンジンを持たないが上昇気流を得て高く上昇すると、機体も軽いことから長距離の滑空ができるそうである。大空を旋回するあの鳶の上を滑空するグライダーの姿は壮観な眺めだろう。上五の「風光る」が効いており、グライダーの下に点として鳶の姿が浮んでくる。

夜ざくらや風に乗り来る京言葉     田中 泰子
京都弁はゆったりとして柔和で人の心を和ませてくれるような印象を受けるものである。京都は寺社仏閣の名所が多く、ライトアップで夜桜を楽しめるところも有る。女性の京都弁を耳にするだけでも京都旅行の一興というもので、夜桜と京言葉とを取合せた掲句に敬服する。

春田打三輌で行く土讃線        野口 晃嗣
 土讃線は香川県の多度津と高知県の四万十を結ぶ鉄道で全線が単線だという。いわゆるローカル線である。鉄道沿線には田園地帯が広がっているのだろう。中七の「三輌で行く」が「春田打」と相俟って、牧歌的な雰囲気のする作品である。

野火逃げて立木を走る炎かな      小口 二三
野焼きと言うと阿蘇や秋吉台の野焼きが思い浮ぶ。掲句の面白さは飛び火した野火が立木を走ったとするところである。掲句の野焼きは延焼防止の防火帯を設け、防火要員を配置するなど防火体制を整えての野焼きと思われるが、読者の緊張も走る作品である。

七色のマカロン供へ仏生会       豊田 和沖
仏生会は四月八日に釈尊降誕を祝う法会で花を飾った花御堂を作り、ここに釈尊像を安置して参詣者が甘茶を注ぐ。マカロンは洋菓子の一種で焼き上げた二枚の生地にクリームやジャムなどをはさんだものでカラフルである。洋菓子のカラフルさが仏生会に花を添えている。

ロープウエイ桜の中に下りて来ぬ    井口 幸朗
 ロープウエイは日本各地にあり眺望のきく高みへと短時間に運んでくれる楽しい乗物である。小高い山から降りて来たロープウエイのゴンドラが今、満開の桜に覆われた終点に到着しようとしている。眼前の桜からロープウエイの小高い山へと視界の開けてくる作品である。

空に水あふるる如し藤咲けり      吉井 博子
 藤の花房が風に揺らぐ情景は空を溢れる水の如くであり、掲句の作者の立ち位置を藤棚近くのベンチ等に想像すると、中七の見立てに納得がいく。描写の主体は異なるが、空と水という視点で夜半の「滝の上に水現れて落ちにけり」が思い浮かんだ。

 

扉6月号


主宰詠

黒船の攻めし浦賀や黄水仙
雨靴の試し歩きや春の泥
一巡りして又もどる植木市
取舵の水面あわだつ鳥雲
蒲公英のワタ絮をとりあふ川原風
物の芽の影のふくらむ朝かな
豪農の傾ぐ巣箱や木の芽風
若鮎や堰のしぶきに挑みおり
下駄音の消ゆる渚や朧月
海原も時には見たき雲雀かな


開扉集           坂元正一郎 推薦

八十路過ぎ春泥のなき町に住む      平野 久子
美容室出でし一歩の春疾風         魚谷 悦子
街道へ門戸開きて五段雛            三木 康正
春陰や土間を灯して漬物屋        宮田 肇
着陸の機影煌めく春の海          山本 宏
長尺の若布干しゐる漁師妻        井村 隆信
囀の降りしきる中新任地            野口 晃嗣
春寒し地下で地上の地図開く      杉田 静江
春の雨傘をさす子とささぬ子と      内田 正子
大波をサーファー潜り風光る       金子 京子
春疾風銀座八丁走り抜け         田中 泰子
揚雲雀土管一本伏せし畦        大貫 ミヨ
囀りをはこぶ山風谷の風         堀江 良人
刺し子縫ふ媼の指や春北風       野地 邦雄
艀の灯運河にうるむ朧月         有田 桜樹
足摺の椿抜ければ海光る        土谷 堂哉
雪形の馬が水呑むうなじかな      宮澤 英子
遠洋の夫を待つ身や若布干す     南後 勝
白鳥の旅だつ声の遠ざかる       松下 弘良
薄埃息ふきかけて雛納め         大西 公一
一村は湖底にありて朧月         武藤 風花
紅筆は狐の毛らし月朧           古田 侑子
湖駈けて白鳥北へ旅立てり       宮澤 清司
下着一枚足して花見の仕度かな    山田 留美子
天神の梅の香纏ふ千の絵馬      白坂 美枝子
鎮魂のサイレン響く忘れ雪       宮沢 かほる
春泥の小さな手形白壁に        有田 辰夫
菜の花やとことこ列車の右左      有賀 直美
雛納め陽もたつぷりと収めけり     井口 幸朗
筍の鋤跡の土乾きをり           金納 義之


選後一滴          坂元正一郎

八十路過ぎ春泥のなき町に住む     平野 久子
東京でも電車で一時間も走れば田畑の残る地域はあるが、春泥の道は少ないものとなった。八十年という歳月は長いもので、社会環境の変化に対する作者の感慨深さが伝わってくる。と共に春泥のあった頃の長閑な暮らしへと思いの馳せる作品でもある。

街道へ門戸開きて五段雛        三木 康正
街道は江戸時代の各地を結ぶ主要道路のことで、今でも部分的には残っており観光スポットにもなっている。沿道には旧家もあり、季節ともなると代々受け継がれた雛飾りが披露されて観光の呼び物ともなっている。下五の五段雛が街道の歴史を物語っている。

囀の降りしきる中新任地        野口 晃嗣
新任地とくれば三月末から四月に掛けての人事異動を連想する。人事異動には栄転や左遷的な異動もありサラリーマン人生の縮図がここにはある。掲句の異動には「囀」という季語の情趣と相俟った晴れ晴れとしたものが感じられ、さぞやご本人も満足のいく人事異動だったと想像する。
揚雲雀土管一本伏せし畦        大貫 ミヨ
雲雀を題材にした俳句に雲雀の鳴き声や、雲雀が揚がったり落ちたりする姿を詠った作品は多い。そんな中で足元に視点を向けた作品は多くはない。土管は灌漑用材の余りだろうか。句の対象を遠方から近くに移す技法は読者の印象を深める技法として広く用いられている。

薄埃息ふきかけて雛納め        大西 公一
雛飾りは立春の頃から飾りつけるのが一般的で、終ったらすぐに片付けた方が良いとされる。掲句の雛は代々受け継がれた雛飾りだろう。中七の「息ふきかけて」の措辞に公一さんのお孫さんに対する愛情の深さも伝わってくる。

一村は湖底にありて朧月        武藤 風花
掲句の湖は神奈川県相模原のダム湖、沈んだ村は風花さんの友人が住んで居られた村ともお聞きした。眼を瞑ると朧月にぼんやりと浮ぶ湖や周囲の山並みが見えてくる。湖底には時間が止まったかのように、今でも当時の村人の残した生活の跡が息づいているのである。

春泥の小さき手形白壁に        有田 辰夫
春泥は雪解けや霜解けなどで出来る春のぬかるみのこと。昔と違って道路事情の良くなった昨今では春泥をあまり見掛けなくなった。子供は遊びの達人とよく言われている。掲句も少しのぬかるみを見つけては泥んこ遊びに興じる子等が微笑ましい。

 

 

扉5月号

 

主宰詠

下萌や海峡すすむ連絡船
春立つや口にころがす金平糖
手水にも作法のありて梅の宮
湯の町の空へとつづき春時雨
薄氷の端から水となりにけり
鶯の鳴くや女の郵便夫
麦踏の海へとかしぐ畑かな
路地裏の身も世もあらぬ春の猫
街角の揚がるドーナツ冴返る
夕東風や濱に灯れる外国船

 

開扉集           坂元正一郎 推薦
梅東風や蒸し饅頭の湯気光る           有田 桜樹
絵馬が絵馬かつぎ天神梅まつり          杉田 静江
下萌ゆる河童の棲むと云ふ水辺          中山 敏
節分会園児はみんな福の面            岩﨑 よし子
一村を貫きしぶく雪解川               平野 久子
立春のひかりのなかに宮参り                 野地 邦雄
寒夕焼利根川(とね)の蛇行を染めにけり         宮田 肇
梅一輪鍛冶屋の土間の火花散る              金子 京子
冴返る石の声聞く竜安寺                  旭  登志子
夜すがらに吹雪に洩るる通夜の灯             岩田 惇
鳶啼いて角のとれたる寒さかな               斉藤 ふさ子
上掛けに解れの見えて春炬燵               北爪 武夫
大利根の堤まで攻め野焼跡               田中 茂子
汁椀に手鞠麩ひとつ春兆す               福島 晴海
冴返る東司の下駄の指の跡               佐藤 啓三
落日に染まり捨蚕は首を振る               武藤 風花
夕闇をちりちり昇るどんどの火               西谷 髙子
磯笛の賑はひ戻る春の海                 加藤 田鶴栄
満開も五分もまたよし梅日和               山根 孝子
ほつこりと大地の目覚め蕗の薹            南後 勝
梅匂ふ結城紬の機の音                 柴崎 桃英
初孫はまだ真珠ほど春の星              古田 侑子
グランドを校舎を抜けて春一番            有賀 直美
切り貼りの花のかたちの春障子             宮澤 英子
乙女らの歌劇の町に春来る                大西 公一
艇運ぶわが足裏に草青む                井口 実
雪まろげ吾より先を走り行く               小口 二三
寡黙なる友よりはがき梅二月              小島 愛子
オカリナに添ゆる唇春寒し                福田 誠治
春霞水平線より船の沸く                  山田 留美子

 

選後一滴          坂元正一郎


下萌ゆる河童の棲むと云ふ水辺     中山 敏
河童は伝説上の動物で、川の深みで遊ぶと河童に攫われるぞ、と親に脅されたものである。一方、小川芋銭の河童の絵ように日本人にとって親しみのある動物でもある。季語「下萌ゆる」の斡旋が田園風景をも彷彿する作品となり、人と河童の織り成す新たなドラマを想像させられる。

 

梅一輪鍛冶屋の土間の火花散る     金子 京子
鍛冶屋の手作りの包丁や鋏には芸術品的な風合いがある。梅の開く頃はまだ肌寒い時期でもあり、そんな寒さの中の鍛冶屋の火花は一段と鮮やかさを伴うのである。掲句は「梅一輪」と鍛冶屋の「火花」とが響きあって鉄を打つ音までも聞こえてくる作品となった。

 

汁椀に手鞠麩ひとつ春兆す       福島 晴海
手鞠麩はお吸物などの具としてお椀に浮いているのを見掛ける。丸くて淡い色彩が施してある。仕事関係の昼食での手鞠麩だとお聞きしたが、俳句の素材は身近なところにあるもので、手鞠麩の淡さに春の兆しを連想させられる作品である。

 

落日に染まり捨蚕は首を振る      武藤 風花
捨蚕は病気になって捨てられた蚕のことと辞書にある。蚕飼いにとって元気な蚕を守るためにも、病気になった蚕は捨てる他ないのである。しかし、捨蚕の命も一つの命であり首を振る姿に胸が痛む。鬼城の句に「夏草に這ひ上りたる捨蚕かな」の名句がある。

 

磯笛の賑はひ戻る春の海        加藤 田鶴栄
磯笛は海人が水中で作業を終え浮上したときにつく息のことで、口笛のように聞こえる。海女漁は地域の漁協によって漁期の定めがある。春の訪れと共に海女漁が解禁となった小さな漁村の喜びが伝わってくる。掲句の磯笛は南房総の千倉の海と聞いた。

 

梅匂ふ結城紬の機の音         柴崎 桃英
結城紬は茨城、栃木を主産地とする絹織物で国の重要無形文化財にも指定されている。掲句の巧さは伝統ある結城紬に対して格調高い「梅匂ふ」とした季語の斡旋にある。結城紬の町を訪れたことはないけれど、落ち着いた雰囲気の町並みに梅香とともに機織の音が聞えて来る。

 

寡黙なる友よりはがき梅二月      小島 愛子
言葉数が少なく殆ど物を言わない人のことを寡黙な人だと呼んでいる。この葉書にはさぞかし大切なお話が綴られていたことだろう。梅の花の香は風に乗って遠くからでも香ってくる。寡黙な友からの葉書(便り)と梅二月とが相俟って、菅公の「東風吹かば」の歌が頭を過ぎる。

扉4月号 

 

主宰詠

福笹を片手にとほる改札機
参道は駅にはじまり初詣
蛸杉といふ名の古木淑気満つ
初夢の扉をたたく猿田彦
野川てふ川のきらめき若菜摘む
探梅や仔犬もくぐる大手門
道草の本屋さがしや日脚伸ぶ
千両をやまと出荷の夫婦かな
雪掻に女将出てくる神楽坂
円卓の二膳の箸や雑煮餅

 

 

開扉集           坂元正一郎 推薦

凍滝の光の束に一礼す         有田 桜樹

初日さし雲黄金なす生駒山       井村 隆信

冬晴や猫に聞する終のこと       杉田 静江

亡き夫の名も加はれり祝箸       平野 久子

バス停に連なる黙や寒の朝       野地 邦雄

風の吹く形にいざよふどんどの焔    岩田 惇

初なきの木遣りは天へ伸びにけり    守屋 猛

農の手に指輪をはめて女正月      旭  登志子

三春駒首ふり買はれ梅三分       大貫 ミヨ

カンテラの蛍光寒に入る鉄路      三木 康正

冬萌や外科の世界へ内視鏡       中野 陽典

通院は今日にて終り日脚伸ぶ      小松 千代子

セーターの徳利くぐる頭かな      松木 溪子

擽りに大仏自若煤払          神阪 誠

地下街の焼菓子の香や春隣       福島 晴海

語部や旅の一夜の榾あかり       魚谷 悦子

潜りては又潜りてはかいつぶり     加藤 田鶴栄

蒼天やビル街沸かす梯子乗り      藤本 冨美子

子等走る影も走るや日脚伸ぶ      西谷 髙子

初春や福助に陽のさしゐたる      大西 公一

初空や浪速の街の静もれる       山口 恵子

「六段」を一曲だけの初稽古      山田 留美子

足の向く好きな園あり日脚伸ぶ     白坂 美枝子

古里は静かな夜明け軒氷柱       村山 トシ

初富士の全身赤きまま暮るる      井口 実

初日記母の体温先づ記す        小島 愛子

パスワード指は忘れじ事務始      内田 吉彦

万歳の身振り真似たる子等の列     福田 誠治

括られて飄々と咲く寒の菊       進藤 かおる

一人きく余韻重たき除夜の鐘      吉井 博子

 

 

選後一滴          坂元正一郎

  
冬晴や猫に聞する終のこと       杉田 静江
「冬晴」は冬の晴れ渡った穏やかな日和のことで、「小春」よりも冷たい感じがある。「冬晴」も「小春」も同じ冬季ではあるが、「小春」では「付きすぎ」の感がある。猫に話しても返事は無いことを承知の作者だけれど、猫に話すことで何か気持の整理をしようとしているのである。

 

バス停に連なる黙や寒の朝       野地 邦雄
穏やかな日のバス停ではたわいも無い世間話などをよく耳にする。一方、掲句はイヤホーンの音楽などで自分の世界をつくった人や背中を丸めた人のバス待ちの列である。そんな真冬のバス待ちの列を「連なる黙」と捉えたところに作者の独創性が窺える。

 

農の手に指輪をはめて女正月      旭 登志子
一月十五日を小正月と呼ぶ。一月も十五日になると正月の忙しさから女性も解放されることから小正月のことを女正月とも呼んでいる。掲句の「農の手」は働き者の女性の手をイメージしなければならない。そんな働き者の細やかな喜びとしての女正月が、上五、中七に詠い込まれた詩情豊かな作品となった。

 

通院は今日にて終り日脚伸ぶ      小松 千代子
 冬至を過ぎる頃から日脚は少しずつ伸びてゆき、この日脚の伸びには安堵感や嬉しさをも覚えるものである。掲句の上五、中七の長かった通院生活の終りを象徴するかのような季語「日脚伸ぶ」の斡旋が絶妙であり、作者の明るい明日が見えてくるようである。

 

初富士の全身赤きまま暮るる     井口 実
 掲句は作者の捕らえた実景だろう。富士山麓に入ると辺は暮れ初めているが、富士山本体はまだ夕日に染まったままの景に出会うことがある。中七、下五の率直な表現が北斎の赤富士をも彷彿とする作品となった。写生俳句の妙味を鑑賞しよう。

 

パスワード指は忘れじ事務始     内田 吉彦
 職場のパソコンの起動にはパスワードの入力が必要である。そのパスワード入力は毎日のことでもあり指が勝手に走るようにもなる。掲句の面白さは事務始をもってきたところにある。長期の休暇明けの倦怠感とパスワードを忘れない健気な指とのアンバランスに俳諧味を感じる。

 

括られて飄々と咲く寒の菊      進藤 かおる
菊は秋の花として日本人に古くから愛されてきた花であるが、掲句の面白さは中七の「飄々と咲く寒菊」にある。寒の最中に飄々と咲く菊の姿には世間のことなど気にも留めず我が道を行くとした生き方と重なるところもあり、諧謔味ある作品となった。

 

一人きく余韻重たき除夜の鐘     吉井 博子
韻数合わせのための安易な数詞表現の俳句を時として見掛ける。一方、掲句の「一人きく」は「余韻重たき」と相俟って昨年は二人で聞いた除夜の鐘が今年は一人で聞くとする作者の生活環境の変化をも醸し出している。また、「余韻重たき」からは鐘の重厚さをも伝わってくる。

 

 

 

 

扉3月号

主宰詠

一湾の奥のひろさや鴨の陣
煤竹のさき急きたつる宮司かな
注文に背で応ふる焼鳥屋
売り声のはしる下谷や歳の市
枯蔦を投網のやうに外曲輪
あをぞらへ枝万歳の大枯木
町医者に産科もありて冬木の芽
年の瀬の喫水浅き貨物船
山睡る山に賑わふ観覧車
枯菊を焚いて翁の畑仕舞ひ

 

 

開扉集           坂元正一郎 推薦
踏切りの音に気の急く師走かな         有田 桜樹
行商の橋駆けてゆく時雨かな          井村 隆信
箒目に散れる紅葉の裏表             杉田 静江
采配は子に譲りたる杵の音            岩﨑 よし子
群雀影も手伝ふ賑やかさ              込山 照代
木洩れ日のとどく林道藪柑子           平野 久子
仲見世の人込み昏れて街師走         宮田 肇
湯豆腐に花のごと盛る削り節          金子 京子
子を膝にひろすけ童話冬灯           野地 邦雄
葉がくれに朱をこぞりたり青木の実        旭  登志子
地続きの百穴古墳冬耕す             大貫 ミヨ
桐枯葉三回ひねりして着地            齊藤 ふさ子
往診や枕屏風に河童の図            中野 陽典
山荘の庭を笑窪に大枯野             三木 康生
蚕家の軒の長さや柿簾               佐藤 啓三
押し入れのおもちやの包み聖夜待つ     中山 敏
冬ともし母の気配の残る部屋          加藤 田鶴栄
冬ざれやトロッコ列車の行止まり        古田 侑子
鎮魂のトンネル抱いて山眠る         有賀 直美
磨崖仏ふところに抱き山眠る          金納 義之
抑留の大陸遙か星冴ゆる           山根 孝子
寺町の湯豆腐すくひ旅半ば          西谷 髙子
旋盤に夕日差し込む年の暮れ        南後 勝
マンションの灯り浮き立つ枯木道       藤本 冨美子
冬深む母の形見のねずみ志野        堤  淳
湯豆腐や歌舞音曲はたしなまず       大西 公一
寒林や古刹の屋根の透いて見ゆ     宮沢 かほる
一日の予定早々温め酒            白坂 美枝子
寒々と昔を語る関所跡             綾部 エミ子
恙無し万両は日々赤を増す          進藤 かおる

 

 

 

選後一滴              坂元正一郎 

 

往診や枕屏風に河童の図        中野 陽典
 「枕屏風」は風よけなどに枕もとに立てる背の低い屏風のことで冬の季語とされている。枕屏風は一般的な住宅では見掛けなくなっており、往診先の家屋の歴史と重厚さを物語っている。座五の「河童の図」が効果的であり、様々な河童を想像する楽しみを読者に与えている。

山荘の庭を笑窪に大枯野        三木 康生
俳句の修辞法に人の身体の一部分を用いる方法もある。
「湖といふ大きな耳に閑古鳥(鷹羽狩行)」があるが、掲句の山荘の庭を枯野の「笑窪」とする見立ても非凡である。人の顔が大枯野だとすると「顔」と「笑窪」との対比から大枯野にぽつんと建つ山荘が浮んでくる。

押し入れのおもちやの包み聖夜待つ   中山 敏
掲句の包みはサンタさんが届けてくれるとしたクリスマスのプレゼントである。聖夜の子供の枕元にそっと置く予定のプレゼントだから、それまでは子供の気付かない場所に収納しておくことが大事である。上五の「押し入れの」が何ともユーモラスである。

冬ともし母の気配の残る部屋      加藤 田鶴栄
「冬ともし」を歳時記に当たると、明るく灯ってもなお寒そうな冬の灯火とある。一方、母から受けるイメージの一つに「暖か」と言うことがある。掲句の部屋は母親が長年守り続けた家の一室だろう。「冬ともし」の寒と「母」の暖とが調和した母親への追慕の一句となった。

旋盤に夕日差し込む年の暮       南後 勝
 日本経済は円高も手伝ってか工場の海外移転で厳しい局面を迎えているが、何とか打開しなければならない。「旋盤」と言うと日本の高度経済成長を支えてきた町工場のそれを連想する。中七の「夕日差し込む」が旋盤に対するこの一年間の労いの気持とも受け取れて妙である。

 
 寒々と昔を語る関所跡         綾部 エミ子
 関所は江戸幕府が江戸防衛のために東海道や中仙道の要衝として入鉄砲、出女等を厳しく取り締まった所である。東海道の箱根関所や中山道の碓井関所などがあり、当時の姿を復元した観光施設として一般にも公開されている。上五、中七の「寒々と昔を語る」には、厳しい取調べがあったであろう関所の情景が伝わってくる。

 

扉2月号

主宰詠

時雨るるやふところ深き古本屋

大根も稚もかかへて若女将

垂れたる枝の重石や帰り花

山茶花は鬼も逃げたる鬼ごつこ

神留守や母を師範の豆剣士

調髪の眉毛も切りて波郷の忌

冬晴や極彩色の瑞鳳殿

見上げゐる陶の蛙や一茶の忌

焼藷を割れば昭和の匂いせり

鷹柱みあぐる波止の旅人かな

 

 

開扉集              坂元正一郎推薦

 

空塞ぐ朴の枯葉の剥がれ落つ          有田 桜樹
日銀の開かずの鉄扉冬に入る          井村 隆信
聞き流すことも身につく木の葉髪         杉田 静江
鈴生りの柿は夕日を抱へ込む            岩崎よし子
国境に錆びし大砲鷹渡る                岩田  惇 
スキップに雲の弾んで大花野             込山 照代
住み古りて灯の色親し初時雨           平野 久子
磐座の黙を破りて鵙猛る                古澤 厚子
三百年生きてなほ咲く嬉野茶           山本  宏
枯蟷螂由々しき貌を崩し得ず           野地 邦雄
笹を打つ音引き連れて村時雨         堀江 良人
手焙りの駅の榾火や会津弁           大貫 ミヨ
衿ゆるぶ夢二の女箱火鉢            斉藤ふさ子
奥の院までの千段夕紅葉            渋谷伊佐尾
落葉掃く子の手に余る竹箒           福島 晴海
田の神の祠繕ふ神の留守            田中 泰子
凍空や連結器より貨車放つ           中山  敏
冬ざれや鴉己の影を突く              武藤 風花
古備前に添えて色増す柿落葉         山根 孝子
綿虫や婆がほまちの畑仕舞ふ         宮澤 英子
選外も選に入りしも菊薫る              加藤田鶴栄
其方此方の柿の撓や里灯す         春日 春子
皮を剥く朝の空へ吊す柿              井口 幸朗
波に乗り又波起こすゆりかもめ          鈴木ゆう子
重文と並べる軒の懸大根             金納 義之
茶の花や卒寿の母のスクワット          古田 侑子
穏やかな日々でありたし神の留守       中川 文康
小春日や繕ひ物の針光り              山田 留美子
嵯峨野路や竹濡らし行く夕時雨        藤本冨美子
狛犬のじつと見つむる七五三          鮎澤 政治

 

 

選後一滴                  坂元正一郎

 

聞き流すことも身につく木の葉髪    杉田 静江
人の話を聞き流すには老練さや度量の大きさも必要である。これらは齢を重ねる中に身に付くものもあるのだろう。「木の葉髪」は冬めく頃に木の葉が落ちるように毛髪が普段より多く抜けることである。が、掲句は齢と共に薄くなりがちな頭髪と「木の葉髪」とを重ねて俳諧味ある作品とされた。

国境に錆びし大砲鷹渡る        岩田 惇
鷹の仲間である鸇(さしば)は日本には夏鳥として渡来し、晩秋の頃にフィリピンやニューギニアなどに渡って冬を過ごすといわれている。上五に置いた「国境」が鷹の長旅を暗示し、大戦の痕跡残る南の島々へと想像の膨らむスケールの大きな作品である。

奥の院までの千段夕紅葉        渋谷 伊佐尾
 奥の院は主に寺院の本堂より奥の方にあって、霊仏または開山祖師などの霊を安置する所、高野山のそれが有名とある(広辞苑)。奥の院までの千段とくれば、自ずと有名な古刹を想像させられる。省略の効いた作品となった。

皮を剥く朝の空へ吊す柿        井口 幸朗
吊し柿は縁側の物干し竿などによく吊るされている。が、掲句は「朝の空へ吊す」とした巧みな表現で「吊し柿」を一句にされた。同じ吊し柿でも此方の方が甘味を増すのである。

重文と並べる軒の懸大根        金納 義之
建造物の重要文化財は公共施設から民家に至るまで各種の建物が指定されている。掲句の面白さは重要文化財と軒を並べている民家の懸大根にある。庶民的な懸大根と重文との取合せに俳味が漂っている。

茶の花や卒寿の母のスクワット     古田 侑子
スクワットは上半身を伸ばしたまま膝の屈伸を行なって大腿部の筋力を強化する運動のこと。普通はバーベルなどの負荷を掛けて行なう。卒寿を迎えた方がこのような運動をなさるとは、なんと素晴らしいことだろう。清楚で気品のある「茶の花」が効いている。

 

 

扉1月号

主宰詠

 

秋耕や草もて洗ふ鍬の腹

幼子の丸き拳や櫟の実

園児等の兄も拍手の運動会

高々と朝日へ掛くる囮籠

小鳥来る三角屋根の喫茶店

威すものなくてホテルの添水かな

股眼鏡するが如くに甘藷掘

山里は眠りに落ちて十三夜

日溜りにまるまる猫やゑのこ草

観音の臍も拝んで秋澄めり

 

 

開扉集       坂元正一郎 推薦

初しぐれ日向ののこる東山       井村 隆信

見ゆるものみな音たてて台風裡     有田 桜樹

霧の宿黙も旅荷もほどきけり      三木 康正

寄せ波の月を砕いて九十九里      杉田 静江

秋の蜘蛛糸のほつれを繕はず      野地 邦雄

身に入むや入院の手にバーコード    中野 陽典

茶の花やゆるりとめくる芳名録     岩﨑 よし子

白萩の風やわやわと湧きにけり     宮田 肇

空き缶の阿弥陀被りや案山子翁     渋谷 伊佐尾

落日の迅さが伸ばす稲架の影      北爪 武夫

秋冷やビルの硝子にビルの翳      野口 晃嗣

阿蘇の牛露たつぷりの草を喰む     久保 研

小鳥来る流鏑馬の的とび散りぬ     松木 溪子

かつぽ酒父と酌みたる夜長かな     福島 晴海

山霧の深さにしづむ山の湖       平野 久子

どの貌も佛頂面や榠樝の実       田中 茂子

秋深し夕日に染まり夫帰る       小松 千代子

鯊釣の声けたたましミニパンツ     魚谷 悦子

後の月蔵に小さき出窓かな       金子 京子

点滴をちぎつて落す秋日差し      宮澤 英子

十三夜村どこまでも鎮もれり      西谷 髙子

かき餅の売り子媼や湖の秋       豊田 和沖

手伝ひの人も交じつて稲埃       金納 義之

小鳥来る釜に薪足す夜明けかな     福田 誠治

とんぼうを攫つてゆけり俄雨      宮沢 とも子

近江野の湖の際まで稻穂波       山口 恵子

禅僧も地酒に酔うて十三夜       山根 孝子

古里の甘藷(いも)売られをり獺祭忌   小島 愛子

秋暑し牛の尻尾の泥乾き        有田 辰夫

無住寺の萩咲くまゝに散るまゝに    綾部 エミ子

選後一滴          坂元正一郎

 

霧の宿黙も旅荷もほどきけり      三木 康正

巡拝の宿坊での出来事でしょうか。霧の立ち籠める道は不安な気持に襲われることもあります。そのような不安な状況から開放された安堵感とも受取れる中七、下五の「黙もほどいた」とする措辞には共感を覚えます。やっとの思いで辿り着いた作者の開口一番が聞こえて来そうな作品となりました。

 

小鳥来る流鏑馬の的とび散りぬ     松木 溪子

 この作品の中七には軽い「切れ」があり、この「切れ」に的を弾く鏑矢の一瞬をイメージさせる効果が有るように思えます。季語の「小鳥来る」のもつ情趣と下五の「とび散りぬ」とが照応した爽快な流鏑馬の作品となりました。 

 

鯊釣の声けたたましミニパンツ     魚谷 悦子

 鯊は貪欲な魚で潮がよければ親子でも気軽に釣りを楽しめる魚です。下五の「ミニパンツ」に釣れた鯊にはしゃぐ娘の姿が浮んできませんか。親子で楽しむ賑やかな釣りの一齣が作品となっています。

 

後の月蔵に小さき出窓かな       金子 京子

 「後の月」は三秋のうちの晩秋の頃の月のことで、冴え冴えとしたイメージを伴っています。そのような月明かりに照らし出される蔵の出窓は特に印象的であり、ものを提示して作者は語らずとする作品の迫力を感じさせられます。

 

点滴をちぎつて落す秋日差し      宮澤 英子

点滴の一滴、一滴を落すのは秋日差しだとする見立てがこの作品の一節です。しかも、その点滴の落ちる様を「ちぎって」落すとした措辞に独創性が感じられます。点滴の一滴、一滴が返す秋日に明るい病室を連想します。

 

 

扉四季句会「長浜吟行」 

 

今回の四季句会は大阪句会・心斎橋句会のお世話で渡岸寺の十一面観音菩薩、湖北野鳥センターあたりを吟行しました。坂元正一郎主宰、柏原昭治・堀川草芳両顧問、大槻一郎同人代表はじめ宇都宮、東京、長野、九州など遠方からも多数参加していただき、四十名の吟行となりました。秋晴れの一日米原駅に十二時集合、バスで湖岸道路を走り、車窓から姉川古戦場などを見ながら高月の渡岸寺に向かいました。ガイドの詳しい説明を聞きながら国宝十一面観音菩薩を拝観しました。観音様はふくよかで官能的な御姿はとても魅力的でした。また正面は慈悲のお顔を、頭上や背面には様々なお顔をお持ちで人間の本性をじっと見通しておられるのでしょう。辺りには式部の実、コスモス、貴船菊が咲き、仁王様の見守る境内には星祭りなどで有名な井上靖の文学碑がありました。

バスで野鳥センターに移動し、係員のユーモアあふれる説明の後、がんの一種ひしくいになったつもりで菱の実を試食しました。甘味のない栗のような味で想像以上においしいでした。小白鳥、雁の仲間など様々な水鳥を望遠鏡でしっかりと見ることができました。夕映えのキラキラとした湖北の波の奥には竹生島が浮かび、足元には葦の花が風に揺れ風情豊かな情景でした。

4時半ごろ長浜ロイヤルホテルに戻り、6時半から和気藹々とした懇親会が始まりました。多くの方とは6月の全国大会以来で親しく話が弾みました。9時に出句、その袋回しなどご歓談。ちょうど十三夜、温泉につかりながら雲間から見え隠れする月を見ながら一日の疲れをほぐしました。

翌日は朝食後、八時半から句会。主宰挨拶の後、畑山淑子さん・濱田享子さんの披講で和やかに力作を競い合いました。最高得点は柏原昭治顧問の「近江まで仏訪ねて雁のころ」、主宰の特選天は小川誠二郎さんの「秋深し顔に顔積む観音像」でした。昼食はホテル一三階の展望レストランで秋の琵琶湖や長浜城を眺めながらいただきました。その後、またの再会を誓いながら解散、楽しい二日間でした。お世話くださいました、大阪・心斎橋句会の皆様ご苦労様でした。

 

 文:久保 研、写真:岩見 浩 

 

長浜四季吟行

 

坂元主宰   選

天  秋深し顔に顔積む観音像           小川誠二郎

地  式部の実琵琶湖疏水の音澄めり        守屋  猛

人  姉川や芒に偲ぶ古戦場            岩見  浩

 

堀川草芳 選

特選 雁来しは二十日も前と在所人       大槻 一郎

特選 観音を訪ね近江の秋澄めり        松永 瑞穂

 

柏原昭治 選

特選 行く秋や十一面の遊び足         土谷 堂哉

特選 遠く来て観音様の初紅葉         宮坂 徳子

 

大槻一郎 選

特選 武士の駆けし街道草の花          佐藤 啓三

特選 観音の里の刈田や鳶の舞ふ        井村 隆信

 

高点句

9点句  近江まで仏訪ねて雁のころ           柏原 昭治

8点句  武士(もののふ)の駆けし街道草の       佐藤 啓三

     み仏のお(へそ)円やか豊の         佐藤 啓三

7点句  残照の水の近江や鴨群るる           渋谷伊佐尾

     観音の一歩を誘ふ薄紅葉            大槻 一郎

6点句  御仏の伸ぶる右手(めて)より秋気澄む        大西 公一

 

 

扉12月号

主宰詠

断崖の天守を掠め雁来る
糸瓜忌や奥で飯喰ふ古本屋
鈴虫の鳴きつぐ夜の更けにけり
この村のひときは太き望の月
いそいそと水遣る妻や夕化粧
復興の瓦礫片付け花芒
窓の辺の水の匂ひや居待月
停まる度虫の声聞く武蔵野線
爽やかや硬貨きらめく川の底
園児等の数の習ひや秋ざくら

 

開扉集   主宰推薦

 

あらかたの農事治めて厄日かな     大貫 ミヨ

名主門灯して梨を売りにけり      中山 敏

山越えて海へ迫り出す鰯雲       有田 桜樹

天高し金毘羅さまの磴のぼる      井村 隆信

かけ流す大山豆腐水澄めり       斎藤 ふさ子

萩の花日の斑ゆらめく川の底      杉田 静江

反骨の眼枯れたりいぼりむし      岩﨑 よし子

あるだけの水ぶちまけよ獺祭忌     野地 邦雄

研究のマウスを悼む菊の花       中野 陽典

膨れ面梨にもあつて熟しをり      三木 康正

下駄音の路地離れ行く十三夜      石井 秀樹

草千里牛の群追ふ秋あかね       堀江 良人

襤褸のごと眠る園児や蝉しぐれ     守屋 猛

子等の声絶えて花野のかくれんばう   旭  登志子

種々に雨粒揺らし秋の草        綾野 知子

秋澄むや鉛筆ほどのスカイツリー    岩田 惇

新涼や山ふところに校歌聞く      魚谷 悦子

萩の名を問うて問はれて百花園     鈴木 ゆう子

絵馬堂を気ままに抜けて秋の風     金納 義之

老いてなほいさかふ夫婦榠樝の実    堤  淳

日照り雨かすかに走り早稲香る     西谷 髙子

草ぐさのなべて腹這ふ野分かな     村山 トシ

秋海棠揺れデーケアの送迎車      宮澤 英子

夕映えの籠より覗く葱の首       武藤 風花

戸隠へ続く坂道そばの花        宮澤 清司

理髪の灯落ちて昂ぶる虫時雨      山口 義清

秋茄子の紫紺あふるる無人店      山田 留美子

丸洗ひされて山寺夕立晴れ       中川 文康

腹話術内に秘めたる案山子かな     内田 吉彦

塩を打つ仕草も母似秋刀魚焼く     加藤 田鶴栄

 

選後一滴

 

あらかたの農事治めて厄日かな     大貫 ミヨ

厄日は立春から二百十日目の九月一日ころ、また十日後の二百二十日を差します。この時期は稲の開花時期で台風の襲来時期に当たることから、農家では厄日として警戒してきた。大貫さんも農業を営まれているのでしょうか、ここは来るなら来いといった泰然とした姿が浮んできます。

 

名主門灯して梨を売りにけり      中山 敏

 名主は庄屋と同様に領主から名田の経営を請け負うとともに、領主への年貢等の責務を担った階層で、村役人の呼び名の一つ。その名主だけが許された立派な門を名主門と呼び、今では文化遺産的に保存されています。当時、村の顔役的存在であった名主の名主門と庶民的な果物との取合せで滑稽味ある作品となりました。

 

 山越えて海へ迫り出す鰯雲       有田 桜樹

鰯雲の大空は大海の様にもとれて何とも清々しいものです。その鰯雲が「山越えて海へ迫り出す」とした上五、中七に掲句のスケールの大きさを感じさせられます。何処かの峠から太平洋か日本海を望んだときの視野に鰯雲が入ってくるような大景が浮んできます。

 

天高し金毘羅さまの磴のぼる      井村 隆信

香川の金毘羅宮は本殿まで七百八十五の石段があるといわれます。一方、秋は空が澄み広々として天は何処までも高く、春と共に四季の移ろいの中で最も過ごし易い季節です。季節も手伝ってか、下五の「磴のぼる」に宮参りへの意気込を感じさせられる作品となりました。

 

反骨の眼枯れたりいぼりむし      岩﨑 よし子

「いぼりむし」は蟷螂のこと。あの鎌を上げて立ち向かって来るときの蟷螂の眼は飛び掛って来そうで恐怖を感じるものです。そんなふてぶてしい蟷螂の眼を反骨の眼と把握したところが面白い。反面、枯れてしまった反骨の眼をもつ蟷螂には哀愁が漂ってきます。

 

 

扉11月号

主宰詠

  一湾にヨットむらがる残暑かな
  草叢にでんと居座り大南瓜
  裸灯をつるす軒端や盆の市
  また一つ安房へと走り流れ星
  犬ころの駆くる速さやつくつくし
  鉦打つて囃し立つるや音頭取
  盆の月あぐる墓山高からず
  手花火の一花をめづる声あがる
  ぞろぞろと繰り出す江戸の花火舟
  初秋や托鉢僧へ門を開くる

 

 

開扉集                    主宰選

  きりぎりす院主の講話ながながと    井村 隆信

  黒牛の土に腹這ふ残暑かな       中山 敏

  大地震にずれたるままの墓洗ふ     野口 晃嗣

  乗出して湖畔の宿の揚花火       杉山 俊彦

  円盤のやうな西日や五能線       斉藤 ふさ子

  星飛ぶや麓に沈む農家の灯       三木 康正

  法師蝉歯痛の周期早まりぬ       野地 邦雄

  虫籠に被さつてゐる顔と顔       古澤 厚子

  蚯蚓鳴く妻の眼鏡を一寸借り      中野 陽典

  僧正の一喝に萩こぼれけり       高橋 文子

  寝袋の浅き眠りや星走る        佐藤 啓三

  炎帝に纏ひつかるる医者通ひ      内田 正子

  蔵屋敷出入り御免の黄金虫       神阪 誠

  仲直りすぐする兄弟流れ星       綾野 知子

  鍼灸の鍼にまどろむ竹婦人       守屋 猛

  かなかなや裾より暮るる段畠      田中 茂子

  プール開く声きらめいて一年生     重原 智子

  初秋の朝には見えて白根山       田中 鴻

  強烈なサンバの踊り道焦がす      有田 辰夫

  一も二も吾子の纏はる盆踊       藤本 冨美子

  玉の汗拭うて笑顔金メダル       鈴木 ゆう子

  愚痴一つこぼす場末の冷奴       金納 義之

  螽蟖追ふ草むらは陽の匂ひ       山口 恵子

  植木屋の刈り残したる木槿咲く     堤  淳

  この村に居酒屋一つ星月夜       南後 勝

  漁火に溶け入る灘の流れ星       村山 トシ

  炎天へ音を投げ出す草刈機       白坂 美枝子

  椎落葉姓の変はりし次女の文      福田 誠治

  にこやかな写真を選ぶ盆用意      吉井 博子

  スカートの裾の濡れたる花野かな    渡辺 聖子

 

 

選後一滴 

きりぎりす院主の講話ながながと    井村 隆信

 螽蟖というと歌ってばかりの螽蟖と食料備蓄に余念の無い蟻の物語であるイソップ童話「蟻と螽蟖」を思い出します。お寺参りの読経の後に聞かされるのがこの講話。講話は日常生活にまつわる道徳的規範等の話が多い。掲句の面白いところは上五の「きりぎりす」と中七、下五との取合せにあります。イソップ物語でいう螽蟖が院主の講話を囃し立てているようでもあり「ギーチョン」という鳴き声が講話の終りを催促しているようでもあり、滑稽味ある作品となりました。

 

大地震にずれたるままの墓洗ふ     野口 晃嗣

地震の強さを想像するのに「気象庁震度階級関連解説表」なる資料があります。この解説によると据付の不十分な自動販売機が倒れ、多くの墓石も倒れるような状況の地震を震度5強と呼んでおります。このことから、掲句の墓地周辺の地震の強さをが想像できます。句意は「何はともあれ墓参り」といったところでしょうが、中七の「ずれたるままの」の措辞に震災復興が思うように進まない歯痒い現状にも鑑賞が及びます。

 

蚯蚓鳴く妻の眼鏡を一寸借り      中野 陽典

 「蚯蚓鳴く」を歳時記に当たると、夜間あるいは雨の日などにジーッと細長く鳴くのを昔から蚯蚓が鳴くといったもので、実は螻蛅(けら)の鳴き声とあります掲句螻蛅の鳴き声と中七、下五の取合せに俳諧味を感じます。螻蛅のジーッいう鳴き声が内緒シーッも取れ内緒で眼鏡を借りたことが妻に悟られないように願っている作者想像させられま